満足度★★★★★
演劇を観にいく理由…
金崎さんのたちすがたと初めて出会ったのは、客演していた方に誘われたmiel#001だった。観客が舞台を観にいくきっかけや理由には、いくつかのファクターがある。①先輩に強制的に拉致されて【笑】(あるいはお義理もふくめて前向きにも後ろ向きにも知人に誘われて)、②好きなひとととにかく一緒にデートする口実がほしくて、③脚本の魅力で、④演出の魅力で、⑤たちすがたの魅力で、⑥路上でたまたま劇場の看板を見上げて、あるいはティッシュ(?そりゃねっか笑…いや、北海道の某劇団が確か中野駅で配ってた!)をもらって暇だから芝居でもみてみっか~と、エトセトラ…かくいうくれないが最初に小劇場で生舞台を観たきっかけ・理由は、①の『拉致された』だった。が、いまのように人生まちがって(笑)しまったのは、実は②が原因だ。とにかく一緒にいたかった。なんだかんだ時間をみつけては下見にかけずりまわり、これならという舞台に誘って一緒に観にいった。つきあい観劇にそんな大切なひとをつれていったことなど一度もない。劇場からすがすがしく一緒にでてこれたとき、とてもしあわせだった。打率は九割だった…笑顔だったらヒット…涙だったらホームラン。だから舞台に通えた。選んだ舞台は下見した作品の十に一つ弱だった。ひとに観せてよろこばれる舞台を選ぶことほど、骨が折れることはない。制作スタッフの姿勢も含めて、あとあじがわるかったら目もあてられない。時間なくして、おかねつかって、こころも折れて…。もちろん観せる相手を知らなければ選ぶ舞台なんてきまらない。私自身のこのみがどうとかいう問題ではなく、観てもらう方がどういうひとかですべてかわる。裏返すと、どんな舞台でもその世界が好きな観客はいる。ただ、いまの観劇界には、客席にまとまった水の流れをつくろうとするひとが少ないと思う。いるとは思うが、接点がない。みんなばらばらに観ている。しかたないんだけど、もし客席が一滴の水のあつまりではなくて、おおきな海にそそぐ川の流れになれたなら…こんなすてきな演劇の世界と、もっと出会える機会がふえたなら…仕事が終わったら劇場にでもいこっかとあたりまえになるような…そんな素敵なかんじになったらいいなって…オーストリアのウィーンの空気を思いだす。なにも鑑賞団体を創れば川ができるという単純なものではない。とかく団体や組織なるものはしがらみが多くてわずらわしい。そのわずらわしさそのものが自由に観る壁となる。顔がみえないままでも、ひとりひとりのままでも、純粋に演劇がすきな、素敵な方々はたくさんいる。演劇に少なからず関心のある方々も、まだまだたくさん世の中にいる。もちろん、コリッチに登録されている6,888団体ぜんぶなんてフォローできない…十年いきのこれるのはその十分の一かもしれないし、舞台だけでご飯がたべられるプロになれるのは百分の一以下かもしれない。どうしたら川はうまれるのか、ずっと考えてきた…そして、ある方法で客席側にくぼみをつくれば、少しだけあつまれるところまではたどりついた…次に、穴をあけるちからさえあれば、そこに水は集まり流れだす…そこまではみえている。でも、ひとりでは、とてもその…客席に穴をあけるちから…なんてない。そのちからは、おかねではない。たとえおかねをつんで一時の動員はできても、ひとは流れにはならない。なぜなら、ひとのこころにうつる舞台の姿までは、買うことはできないから。それは、たとえれば、こころにリンゴの木の種をうえること…育って木になって実をつけて、その実がまたそのひとの大切なひとにもらわれて、育って木になって実をつけて…いつかそんな、リンゴの森を創りたい。その種は、劇場にいかないともってかえれない。くれない自身は下見さえできればくれないの大切なご縁の方々にはとどけることができる…ただし、その下見は最後列からでなければならない。ゲネプロのように客がいない舞台でも無理だ。私はゲネに誘われてもそれが公開ゲネでない限りいかない。ひとりでみたって客席の空気がゆりかえして共振するかしないかなんて、わかるわけがない。舞台と観客とその両方の空気を感じてはじめて、どんなひとにあう舞台かを実感できる。まだ観劇初期の頃、有名人の名前だけで大劇場に後輩をつれていったら、二度と演劇をみなくなってしまった。私は彼の観劇人生をだいなしにしてしまった…私には、出会って人生がかわった作品が三つある。でも、もう彼は、彼にとっての『骨唄』や『呼吸機械』には出会えないだろう…ひとつの舞台をひとに観せるというのは、くれないにとってはそれほどの重みがある。だからよほど信頼できない限り、ひとをさそうときは必ず下見する。アル・カンパニーさんの『罪』のように本読みを公開ゲネしてくれたら最高だ。でも、本物の舞台は、⑤でみにいく舞台だとおもう。③と④は、俳優によって左右されてしまう。最後は板の上にたつ、⑤で演劇はきまる。よく一緒に呑んでいるとき、『本がわるいからさ~』とか、『演出がなってなくて~』とか、はては『制作(営業)がさあ~』とのたまう俳優さんがおられる。ちがうって。あなたという俳優のたちすがたに、華(はな)があるかどうかだって。つきあい観劇ではないエンドユーザーの純客席人は、あなた自身のたちすがたに魅力があるかどうかで観にいくんです。【ひと】を観にいくから、どんなに遠くても時間をおしんでもおかねをつかっても、【ひと】はあしをはこんでいける。演劇という超アナログな世界で生き、ネットやデジタルという在宅化・モバイル化の世界と正面から戦わなければならない宿命を背負う演劇界の方々が、見失ってはならないことはこの一点…そうとはいえないだろうか…。舞台も【ひと】、客席も【ひと】…金崎敬江さんという方は、わたしを⑤で劇場につれていってくださる数少ない方々のひとり…そして、小劇場に限っていえば、ここ一年でもっともStanding率が高い方でもある…この舞台も、6劇団を背負う作家さんの本と、彼女の構成・振付・演出とのコラボレーション…たちすがたにも華がある。…関東の、すべての大切なご縁の方々と、一緒に観たい舞台…