満足度★
演劇に対して不誠実すぎる舞台
期待値が低ければ、実際の舞台は概ね「そこまで悪くないじゃん」となるものだが、それを大幅に下回るとなっては、これはもう価値観の相違とか視点の違いとか、そういう問題ではない。これを演劇として認める人間には、演劇に携わる資格もなければ語る資格もないのである。Twitterやらブログやらでこの作品を褒めちぎっている感想をいくつも見たが、どれも作り手の関係者による情実に基づいた贔屓の引き倒し(つまりは実質サクラ)で、木も見なければ森も見ていないどうしようもないクズ批評ばかりであった。
いくら書くのは自由だって言っても、一般人には誉めてる連中がみんなサクラだなんて知らない人の方が多いのである。だから「これって詐欺じゃん?」と追求された場合、弁明の余地は生まれまい。せめて文章のアタマに「知人が出てるんで(作ってるんで)星一つアップ」とか、正直に書いてくれないものかね。そうすりゃ読む方は星三つくらい減らして作品評価できるから。
実際、「情実」でも絡んでいるのでなければ、こんな頭でっかちな舞台を誉められるはずがない。原作を脚色した戯曲自体はそこそこの出来だとしても、俳優は二流、演出に至ってはド三流だ。曲がりなりにも演劇にある程度の期間、携わってきたのなら、「これは違う」とか直観ででも感じられてくるものではないかと思うのだが、原作に対しても戯曲に対しても、俳優と演出はろくな読解を施さずにただ舞台に上げてみせただけのようである。観ている方としては、うなだれて「誰か止めようって言わなかったのかよ」と溜息を吐くしかない。
“Fukuoka in Asia 舞台芸術創造発信プロジェクト” 第1弾ということは、第2弾も予定しているということだろうが、そもそも福岡限定で、世界に発信できるほどの演劇の土壌がどれだけできているというのだろうか。種を撒かずに水だけ撒いたって何も生まれないだろうによ。