アイ・アム・アン・エイリアン 公演情報 ユニークポイント「アイ・アム・アン・エイリアン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    そうだ、議論しよう
    全く同じ条件でドナーからの移植を待つ患者二人。
    どちらに移植するべきかを決める審査会に、市民から無作為に選ばれた7人が集まった。
    ひとりを助ければ、もう一方はやがて死ぬだろう。
    患者は二人とも幼い子どもである・・・。
    普通の人がこんな重い選択を迫られるとき、人は何を基準に判断するのか。
    そもそも人が決定出来ることなのか?

    ストーリーは私たち市民の目線からブレることなく、
    観客がちゃんとついて来ていることを確認するように慎重に進む。
    その結果とても現実的で説得力のある舞台になった。





    ネタバレBOX

    舞台いっぱいにドーナツを半分にしたようなテーブルが半円を描いて置かれている。
    テーブルは印象的なムラのある赤い天板、背もたれと脚が黒い椅子が10脚。
    部屋の隅にはお茶のペットボトルと紙コップが用意されている。
    そこへ患者2人との面会を終えたメンバー7人が入って来る。
    ゆっくりと客席が暗くなった後は、照明も変化せず、暗転も無く役者はほぼ出ずっぱり。
    舞台と同時進行の1時間半、私たちも一緒に辛い選択を迫られるのだ。

    メンバー7人のキャラが明確でとても面白い。
    ライターの男が移植の基礎を説明するのも、難しい話がすんなり入ってわかりやすい。判断のよりどころとなるのはやはり正確な情報だと思わせる。
    とにかくさっさと終えて帰りたい気持ち満々の男は、全員一致にしようと説得を試みる。
    その強引なやり方に強く反発する硬派な女は、議論しない結論は必ず後悔すると言う。
    「母親なら絶対…」と感情的に主張する若い母親は次第にエスカレートしていく。
    様々な背景が固有の価値観を生み、皆その価値観にしたがって
    この難題に立ち向かおうとするのだが、その価値観がぶつかり合ってまとまらない。

    やがてメンバーの中に疑問がわいてくる。
    「A、 Bでなく患者の名前を知りたい」
    「生活保護を受けている母親が美容院へ行くなんて…」
    「ドナーの子どもはどうして脳死状態になったのか」
    「ドナーの親はどうして移植に同意したのか」
    「虐待していたのではないか」
    「そもそも移植してまで生きるべきなのか」
    この辺りの疑問の出し方が観る側を置いてきぼりにせず丁寧だと思う。

    そしてついに決断が下され、全員一致で1人の患者が選ばれた。
    解放され、ほっとして場が緩んだとたん、突然移植は中止になる。
    誰も予期していなかった理由で・・・。

    劇中、「犠牲者の数で悲劇が量られ、寄付金の額で善意が量られる」
    という意味の台詞があった。
    私たちは「物語」が大好きで、「物語」を欲している、という台詞も。
    悲劇のドナー、移植を受けて喜ぶ親子、
    死んだ子どもの臓器が生き続けることで納得するドナーの親・・・。
    みんな自分を納得させるための「物語」でしかない。
    マスコミもそうだ。
    裁判員制度はもちろん、震災を強く意識させるこの台詞にどきりとさせられる。

    キーワードや根幹にかかわる言葉が出てくると
    トイピアノのような無機質な音が響く。
    これがとても効果的で舞台にピシッと緊張が走る。
    言葉を失うような、はっとするような場面が一瞬静止画になる。

    ライター役のナギケイスケさんの静かな、でも誠実でリアルなたたずまいがとてもよかった。進行役の男を演じた古市裕貴さん、最後にメンバー全員にお礼を言う時の一瞬こみ上げた顔が忘れられない。どピンクのパンツを穿いたオネエ役の小林英樹さん、ひょっとして地なのかと思った。

    「議論しましょう」という洪明花さんの切羽詰まった声がまだ聴こえる。
    「ドナーは、いかなる瞬間でも移植の中止を申し出ることが出来る」という事実。
    脳死とは生きているのか、死んでいるのか・・・。
    回復の可能性はないが温かい人間とは何か・・・。
    深く考えさせられた。





















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    2012/03/15 00:44

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