H. C. Andersenの物語2篇による1時間 公演情報 d’UOMO ex machina「H. C. Andersenの物語2篇による1時間」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    無題276(12-029)
    申し込み時にお手数かけてしまいました、ありがとうございました。今までみたことがない表現に出会えることはとても嬉しく、楽しいことです。
    (以下、雑記です)
    20:00の回、19:00開場で開演でもありました。今夜の絵空箱は入口からみて奥が舞台、手前の道路側が客席(椅子3列)、中央に椅子、ラベルがないペットボトル、奥の壁際には木製のベンチ、左右にスピーカー。舞台には3人と角本さんですね。お喋り可、どう見るかも自由、語り手と3人だけでなく、店主も参加、かなり長い時間舞台上に(以前もお芝居に参加していらっしゃいましたね)。

    台本(という言い方でよいのか)を手にお芝居というのは3作目、但し、今までは演者全員が手にしていましたが、本作では(ほぼ)おひとり。

    「童話」の世界だから好きに想像してよいのでしょう、開場前、待っている間にふと夜空を見上げると、向かいのビル上空に上弦の月、薄い雲が横切っていました。寒さに凍える冬の夜、ページの間からことばたちが抜け出し、本の精(霊)たちがそれを追いかける、とか。

    語り手は台本を手にお話を語り、聴こえてくるのは異質なことば、小さなことばたちが未成熟なまま一生懸命お話を紡ごうとしているように感じます。ことば(語り手)の周囲では3人(ヒト?)が動き回り、赤と白、明と暗、照明が移ろい、テーブルの上、ロウソクに火が灯ります。

    後半、黒い髪、眉、眼、衣装の踊り手が舞います。踊り手だけが衣装らしい衣装、あとの3人は普段着っぽい衣装で素足。男性は観客に近づき、語りかけ、ドリンクを飲み、肩を抱き、また、舞台の回りを走り回り、椅子を振り回す。その間も語り手は休むことがありません。

    アンデルセンの童話集、角川文庫版(3巻)は「小さい人魚姫」「雪の女王」「馬車できた十二人のお客」、水色と白を基調にしたとても綺麗な表紙絵です。今まで買った本の半分位は未読かもしれません、整理する機会があったら探してみましょう。

    3/11(日)14:46というとサラ・ケインとどこかで関係が…と思いましたがあっちは「4時48分」でしたし、この時間は地震の発生時間ですね、当パンに「2011」とありますが「2012」。

    最後のページをひとつ、またひとつと折り曲げるのは、物語の終わり、お話を閉じ込め、封をしているようにも見えました。開いていた本を閉じ、部屋を出てゆくかのように。

    開場して聴こえてくる音楽はポップなものもあれば、ピアノ曲もありました…、他のお芝居でもそうですが、開演までにかかる曲を選ぶ基準はなんでしょうね、演出家さんの好み、それとも音響さん…

    3

    2012/01/30 22:27

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  • 昨日はどうもありがとうございました。

    遅ればせながら...
    私な個人的な嗜好としても最前列が好きです。なので、つくる側として、座席の組み方を選べる時、常に全ての客席が最前列になるということをを摸索します。昨日のものもある程度そういうことが念頭にあっての客席だったりもします。次にある4月のものはおそらくより最前列だって印象の強い客席をつくるはずです。

    2012/03/12 15:42

    かく様

    お忙しいところ、コメントありがとうございました。

    ■店主が座った場所について...
    会場に入ると、普通、開演まで30分ほど待ち時間があるので、
    その間に舞台の様子から、床、天井(よく仕掛けがある)、
    客席の配置、座席(座布団かベンチシートかパイプ椅子か…)、
    前席との段差、場内の誘導などをみています。
    これらはすべて「意図されたもの」と思うので、
    会場や劇団によって違いがあり、みていてなかなか楽しいものです。

    今回、客席とは反対の壁際に木製のベンチ、
    黒い布が垂らされていました。ベンチは二人掛けか…。
    ということは、ここで何か行われるのかなと考えていましたので、
    店主が誘導されるのをみて「来た来た」と思ったわけです。
    実際、他の公演では「店主役」で出ていらっしゃいましたので、
    すぐそう思い込んでしまったのかもしれません、
    演者に促され咳き込んだりしてもいたので。
    もしかすると、他のお客さんは違っていたのかもしれません。

    ■それで、もし、自分があの席に案内されたとして...
    自由席の場合、最前列から埋まるケース(アイドル系)がないこともないですが、
    たいていは2列目より後ろからですね。
    あるいは、座布団席は避けて椅子席に座る方。

    私は
    ①段差があって前の方があまり視界に入らない
    ②舞台がかなり高く少し後ろでないと見にくい
    場合を除いて、基本、最前列に座ります。
    対面型の座席でも、3面でも、役者さんが近くても。

    それで、あの場所に案内されたとして…、
    フロアを見渡すと反対側が正面(私以外のお客さん全員がそこにいる)、
    こちらのベンチだと1人か2人、最初は構えてしまうかもしれませんが、
    それはそれでその時にしか体験できなかったものとして
    面白いものになったような気もします。
    映画館(特にシネコン)はどこに座っても大丈夫な座席配置に
    なっていますが、劇場はそのとき限りなのでそういったものもありです。

    ■余談です...
    昨日、三鷹にお芝居をみにいきました。
    ずいぶん早く着いたので駅周辺をみていたら
    三鷹市美術ギャラリーで「フェアリー・テイル展 妖精たちの物語」
    とあったのでみてきました。もともと絵をみるのは好きでしたが、
    芝居を見続けていて機会が少なくなっていました。

    うつのみや妖精ミャージアムや妖精美術館所蔵ものが多く
    その中に、オナー・シャーロット・アップルトンの
    「雪の女王」「絵のない絵本」からのものがありました。

    2012/02/05 07:53

    ありがとうございました。
    申し込み時はこちらの不手際すみません。

    音楽については、今回の公演については客入れ時から本編の最後まで、いつどれをかけるかはあの場で決めていました。開場時間中は、演者にこういう項目のアップをちゃんとやれているかを確認するためだったり、観客の空気から私がえた印象を演者に伝えるためだったり、が中心なのであの作品のためにという選曲よりもいままでの演者とのいろいろなやりとり(たとえば過去の作品だったり稽古の基礎訓練的なものでどのような音楽を使っていたかだったり)が重要になり、それにいま町でどんな音楽がよく耳にされるかを加味して本番時間の準備をつくっていました。そして本番時は、今回の内容に合わせたものとしていくつか選曲をし、それが稽古でも使われ、それがどういう意図で選ばれたかが稽古中のいろいろな局面で説明されたり身体を動かすことで体感されたりしていた上で、本番でどのタイミングでかかるかはどのような進行になるかに応じて選びました。

    ちなみに店主が演者の一人に見えたのは私と演者のうち二人との伝達の失敗によるものです...。あの位置でも観ることは問題なく他のお客さまもあの位置にいってもよかったのですが、その誘導に失敗し、かつ残ったのが開場中にBarをきりもりしていた半ばこちら側にみえる店主だけだったために、その印象が残ってしまいましたね。

    角川のあの表紙絵は綺麗ですよね。角川はいい企画をいろいろしてきたのに絶版が多いのが難点ですね。

    「台本」を手にというのは演劇においてそんなに珍しいことではないと、私は思っております。たとえば文楽は語りを担当する演者はほぼ必ずすべての読み上げる文章を書いた書面(床本と呼びますよね)を手元に置いています。他にもいろいろな演劇がそういう形式を持ちます。また現代口語劇でも手紙を読みあげるとか看板の言葉を読むとかいった場面はある。ときどき「まちがった」と私の思う演劇が台本の言葉をとにかく暗記しその暗記作業以外に稽古の時間を使ったようには見えないという公演をやっているのが心苦しく思われます。台本をみているという状態であっても何かは覚えていることなしには上演はできないし、また台本の文字面を覚えたからといってそれは実は台本の何も覚えていないのとさしてかわらないことだってある。少なくとも文楽の太夫たちはそういった不幸な問題系からは解放されている。では、私たちの作品では何をやろうか...と日々いろいろと思いを巡らしています。

    そして...次回公演の告知...2012年です。こちらの誤植に気づかせていただきありがとうございます。「一年後」についてのあまり一年後らしくないかもしれない報告的な作品です。ご都合つきましたら是非いらしてください。

    これからもよろしくお願いたします。

    2012/01/31 23:36

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