ある女 公演情報 ハイバイ「ある女」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    他人事として見れば「なにやってるんだ」ってな話だけれども
    ずるずるな状況は、心地良いからずるずる続く。
    「これないわー」って自分で思っていても。

    そんな哀しい物語、の岩井秀人バージョン。

    ネタバレBOX

    誰にでもあると言っても、不倫とかではなく、その「状況」ついてである。
    結局不倫だった、という男の身勝手さに、なぜかずるずると引きずられていく、というのは、気をつけないとあり得ることかもしれない。

    つまり、「これはないよなー」というような「倫理的に反している」ことや、「(倫理的に反していないけれど)何のメリットもなさそうな」ことであっても、ついずるずると続けてしまうことはあり得るということ。
    それが「生活」に溶け込んでしまえば、特にそうなる。

    主人公・タカコの場合は、相手のアパートに行くということが、すでに生活の一部に組み込まれてしまっていて、さらに人恋しいというような、哀しい理由も(たぶん)あって、関係を続けてしまう。

    それは赤の他人から見れば「なんてバカなことを」と言われてしまうことであり、実は自分自身も「いやー、これはダメだよなー」と薄々気がついていることでもあろう。
    「人間は弱いんだよー」と、訳知り顔で言うのは簡単だけど、それは他人からの「感想」であって、当の本人には関係のないことだ。

    タカコは、相手に喜んでもらいたいために、セミナーを受けに行く。
    それも「ないよね」という感想だろうが、当の本人にとっては、とても大事なこと。本来、なぜ男性を付き合っているのか、ということをどこか脇に置いてしまい、変なねじれ方で本末転倒してくる。
    「ああ、これもよくあるなー」と思ってしまう。
    後から「なんであんなことしてたんだろう」と思うようなこと。
    その渦中にいると、他人の忠告は何を言っているのか、まったく理解できない。

    観客は、腕を組み、あるいは足まで組んで、「ほほー」とか思いながらタカコを見ているのだけど、それは「他人の目」からの姿であって、タカコの視線には絶対になれない。
    つまり、「実生活」においても、「他人への感想」や「忠告」をすることは可能なのだが、「他人の忠告」を聞き入れることはできないから。

    舞台の上タカコは、「他人の忠告(感想)」を受け入れることができない「私たち」ということにほかならない。

    「ずるずると何かを、やってしまった」ことのない人も中にはいると思うのだが、そういう、ずるずる経験をして、後で止めたのちに、胸からわき上がる苦い味を、布団の中で味わったことのある人ならば、「ああ、あれは私だ」と思えるのではないだろうか。

    そして、ラストの、あの暗さ、そして定食屋のオヤジの台詞が、ひよっとしたらタカコの道しるべになるかもしれないし、暗く続く闇は、タカコが我に返ったときに、味わう布団の中の苦みなのかもしれない。

    隣の部屋にある「定食屋」ってのはタカコの脳内の心の拠り所だったりして。

    岩井秀人さんは、男であるが、女を演じたということは(しかも台詞の感じは岩井秀人さんがしゃべっているようで、女という演技をしていない)、女とか男とか、そんなこと関係なしに、そういうことって起こっているっていうことを示している、というのは深読みすぎか。

    そして、女であるという演技をしていない(しているようには見えない、台詞とか)のに、なぜか女に見えてしまう。
    ただし、29というよりはもっと上の、おばさんに。

    それにしても、タカコは献身的ということはわかるし、どこか男に都合のいい女なのだが、どうしても、つまり金を出してもつなぎ留めておきたいほどの女に見えないのが辛い。
    そこも、男からの「ずるずるした関係」で、「この女ないわー」と思いつつも、ずるずるということなのかも。

    こういう言い方は、かなり酷いかもしれないが、この、先の見えない不思議なストーリー展開とラストの、あの静寂は、五反田団を思い浮かべてしまった。
    しかも、五反田団にはあるペーソスが、ないような少し背筋が寒くなるラスト。

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    2012/01/30 04:27

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