ソウル市民五部作連続上演 公演情報 青年団「ソウル市民五部作連続上演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    『ソウル市民1939・恋愛二重奏』
    「ソウル市民・5部作」の4作目。
    面白い。
    が、広げすぎではないか。

    つまり、「恋愛」のバックミュージックとしては、「1939年」は音が少々大きすぎたのではないか、ということ。

    ネタバレBOX

    1939年は舞台として設定するには難しい年だと思う。
    つまり、何をどう表現するのか、ということはすなわち、どこに立っているのか、となるからだ。
    そこで、当パンにある、平田オリザさんの「当時、(朝鮮人の)志願兵制度には20倍もの応募があった…だから植民地支配は哀しい」に、なるほどと思う。

    個人的には、1909年が舞台の『ソウル市民』、続く1919年が舞台の『ソウル市民1919』と観てきて、この『ソウル市民1939・恋愛二重奏』となるのだが、先の2本に比べると、否応なしに、日常の生活(空間)に外の空気が入り込んできている。
    つまり、戦争の影が濃くなっている。それだけ時代が逼迫してきているということなのだ。

    もちろん、そうした世界(社会)の中にあっても、日常は日常であり、登場人物たちも「内地では…」と言うものの、別世界の話をしているようで、日本軍は連戦連勝で、何の憂いもないのだ。
    内地でそういう状況ならば、どんな事態になっているのか、と想像できそうなものでもあるのだが、それに思いを馳せるのは、よほどの悲観論者であったのだろう。
    帰還兵や出征、ヒトラーユーゲントに、業の中心になっている慰問袋などの戦争の空気が、家庭のあらゆるところに現れてきており、しかし、それがあまりにも緩やかなので、危機感はない。
    それは、今の世の中を見ても同じだ。今が最悪の事態になる前兆を見せていることに気がつかないことは、あまりにも多くの事例がある。
    考えたくない、考えるのが怖いということもあるだろう。

    そういう状況下にあって、戦争神経症のような症状を見せている、帰還兵の婿とその妻や、使用人などの「恋愛」感情を交えながら描かれていく。

    当時の人が考えていた(当時の人にとって普通のことだった)だろう、中国や半島の人々との関係や、ユダヤ人に対する感情など、彼らに対する発言は、とてもセンシティブなものであるのだが、(今の尺度に持ってきて変な弁明をさせることなく)それを語らせることのうまさを感じる。すぐに「右」「左」と色分けしてしまったり、「言葉狩り」の世の中にある者にとって、それは刺激的でもある。

    『ソウル市民』シリーズの特徴の1つには「歌」がある。

    今回も、何曲か歌があったが、特に「東京ラプソディー」を替え歌で合唱する「京城ラプソデー」は、その歌詞があまりにも美しく、つまり逆に虚しく聞こえ、今ここで歌う彼らの今後のことを思うと胸が熱くなった。

    また、書生だった朝鮮人が志願兵となって出征するのを、同じ朝鮮人の社員が1人「愛国行進曲」を大声で歌うシーンにもぐっと来た。
    この歌の歌詞には、「八紘一宇」が込められており、「軍隊では朝鮮語は話せない」「手紙は朝鮮語で書くと届かない」という台詞があっての、この歌であっただけに、その意味がとても重い。

    日本と朝鮮の関係は、「相思相愛」になっているのか、ということをタイトルをふと思い出し、このシーンでは考え込んでしまうのだ。

    そして、帰還兵の夫とその妻の関係は、当分は埋まりそうにない。夫は、もがき苦しみながら、かつて持っていた「日常」に戻ろうとしている。それが見事に現れている幕切れの台詞はあまりにもキマっていた。
    婿の昭夫を演じる、古屋隆太さんが舞台に現れることによる不協和音は、素晴らしいと思った。ビリビリ感は、彼の力だけでなく、それを受ける側のうまさでもあるのだ。

    また、「津山30人殺し事件」を引き合いに出し、「それだけ殺せるならば戦争に行けばよかったのに」と言わせる。それは、いわゆるチャップリンが『殺人狂時代』の中で「1人殺せば殺人だが、100万人殺せは英雄だ」に通ずるニュアンスもあり、さらりと言わせるのは巧みなのだが、それをあえて言わせなくても、と感じてしまった。

    さらに、ヒトラーユーゲントのくだりは、あまりにもドタバタが過ぎて、どうかなぁ、と思わざるを得なかった。笑いがそこまでしてほしかったのか、と思ってしまった。

    とにかく、そんないろいろな事象を盛り込みすぎて、私の観た他の2作と比べると、やや広げすぎの感がある。もちろん、それが収まってないか、と言えばそんなことはないのだが、結局、「恋愛」のバックミュージックとしては、「1939年」は音が大きすぎた、というところではないだろうか。

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    2011/11/19 06:44

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