マッチ・アップ・ポンプ 公演情報 キリンバズウカ「マッチ・アップ・ポンプ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「現実」というものは、「今あるこの状況を受け入れ、生きていく」ことを「選択する」ことの積み重ねで成り立っている
    キリンバズウカは、いつも人に対する視線が優しい。
    それは、「人というものを信じている」からだろう。
    いや、「信じたい」という気持ちからかもしれない。

    ネタバレBOX

    前作、前々作ほどではないものの、奇妙な感覚は少しある。その中で、今回は、「受け入れ」「赦す」ことがクローズアップされる。
    「諦め」のようなネガティヴさはない。
    前向きな「受け入れ」なのだ。

    そこが「甘い」と言う向きもあろう。
    「現実は厳しい」という意見も出て当然だろう。

    しかし、キリンバズウカの世界観の根底にあるのは、「人というものを信じる」ことであるから、「現実」というものは、「今あるこの状況を受け入れ、生きていく」ことを、「選択する」ことの積み重ねで成り立っている、というものである。
    実際、「現実は厳しい」「辛い」と言ってみたところで、どうにもならない。生きていくためには、「選択」をしなくてはならない。
    その「選択」は、誰もイヤな思いはしたくないという、同じベクトルの上に成り立っているのならば、当然のこと、「いい方向」に向くという結論に帰結してしまう。そのラインで「人というものを信じる」ということ。
    それが「キリンバズウカの世界」ではないだろうか。

    登場人物たちに表裏があまりにもなさすぎると感じても、「そういう世界だから」と言う割り切り方もあるのだが、一方で「そういう選択をしたのだから」というとらえ方もできる。
    すなわち、(現実に)「われわれに見えているのは、常に人の一面だけなのだ」ということだ。
    舞台の上で何もすべてをバラさなくてはならないルールなどないのだし。
    …という見方は偏っていると思うのならば、やっぱり、ここは「今様人情話」でもいいと思う。

    誤りを犯しても、人間的、人間臭い誤りであるから、人は「自分のためにも」「赦す」ことになる、それでいいと思う。

    つまりのところ、「受け入れて」、「大人になる」ということなのかもしれない。兄が家を出て母親の真相を知って、「お母さん」から「お袋」に呼び方が変わったように。
    …これはちょっと安直かもしれないが。

    もっとも、説明にあるように「オヤジ」にフォーカスを絞っているのならば、もうちょっとそこに絞り込むべきだったと思う。

    いずれにせよ、観ている間も後味も悪くない。こういう舞台も悪くないと思った。

    お父さん役の深見大輔さんはとてもよかった。そして、タベ役の渡邊とかげさんにはシビれた。

    あと、お母さんが最後の最後に出てくるのには、さすがにちょっと驚いた。

    受付で「キノコ水」売ってた(冷えていて200円也)。あのラベルてっきり小道具用かと思ったら、本当にあるものだった。もちろん中身は「キノコ水」ではない。念のため。

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    2011/08/12 07:42

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