芸劇eyes番外編『20年安泰。』(各回当日券発売有り) 公演情報 東京芸術劇場「芸劇eyes番外編『20年安泰。』(各回当日券発売有り)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    「場」がなければ、何も育っていかない。舞台は創造したことに対して受け手があって初めて成り立つものだから。
    好企画。
    ショーケース的なものと考えていたが、それ以上に各団体の特色がよく現れていた。
    しかも、公演の順番がお見事。
    たっぷり楽しんだ。

    ネタバレBOX

    ロロ『夏が!』
    男子中高生が妄想するような夏のアバンチュールというか、その妄想度が高い。なんたって人魚みたいだから。この世のモノではない、そんな何かに取り憑かれてしまう。『高野聖』的なと言うか。違うか。
    海に見立てたブルーシートが楽しかったのか、海ブルーシートのシーンが多く、できればもう少し妄想度を深めてほしい気がした。
    「いくら払えばいいんですか」の台詞がツボだった。

    ジエン社『私たちの考えた移動のできなさ』
    舞台とキャットウォークなどを使い、立体的な同時多発台詞が心地良い。
    事象としては、まるで3.11直後の東京近郊を彷彿とさせるのだが、差し迫った危機感もなく、人と人との距離が縮まらない、表に出づらい苛立ちと、諦めが伝わる。
    早くなんとかしなければ、と思いつつも、結局何もできずに今に至っている。
    自分への苛立ちでもあり、東京に入れない、避難している、デモ隊が、という不安要素が充満している中での自分がいる。
    キャットウォークをいつまでもくるくると歩いて回っている男女がすべてだ。どこにもたどり着けない。着いたとしても行く手は阻まれる。阻まれる意味もあまりなく理不尽。音楽をやってるんだという自負とも言えぬ、そんなものにしかすがれない。宗教というかセミナーみたいなものも自分のことだけで手一杯。
    閉塞感とも違う、閉じた感。
    見終わって、とてもすっきりした味わいであった。
    …のだが、すっきりしすぎではないかとも思った。つまり、もっと混乱、ノイズが欲しいと思ったのだ。台詞なんてもっと聞き取りにくくていい。こんなにすっきり諦めてしまっていいのかと思ったのだ。


    範宙遊泳『うさ子のいえ』
    演劇のアフタートークという形式を通じて、「真実」と「虚構」を見せた。
    ただし、真実は何かということや2つの対比というよりも、「虚構」とは何かということではなかったのだろうか。
    受け取る側にとっては「真実」でも「虚構」でも関係なく、「虚構」が大きくなれば、「真実」は単純に飲み込まれるというものだ。
    外に通じるドアから見えた、自動車で走り回る姿のけたたましさに笑った。それは虚構が勝った瞬間だった。


    バナナ学園純情乙女組。『【バナ学eyes★芸劇大大大大大作戦】』
    始まる前のわくわく感がたまらない。アトラクションだ。カッパ着て、荷物をビニール袋に入れたりという準備があるから、それは否応なしに高まる。
    そして、見事にコントロールされたカオスで、観客全員ニコニコ顔。
    全力さがいい。1人ひとりの力が、きちんと活きているのがよくわかる。マスゲームのごとく動きが揃うところもツボ。
    準備から後片付けまでがよくできたパフォーマンス。見どころ多すぎ。この大人数を、立体的に構成する力は半端ない。
    アフタートークで、二階堂さんが「時間があれば練習して、ダメなところを1つでも潰したい」と言っていたのがよくわかる。
    カッコ良すぎるぜ!
    ただし、口に含んだ水を吐き出すのは正直好きではない。だって、男が吐き出した水が顔にモロかかっちゃったんだから(笑)。


    マームとジプシー『帰りの合図、』
    台詞のアンサンブルが美しい。
    まるで歌詞のようなリフレイン。
    ミニマムな出来事を切り取り多面的に見せる。
    そして、ラストには、ぐっと胸に来る。
    それは大声で叫ぶようなことではなく、静かに胸に染みこむようなモノであった。



    今回は、「20年安泰」というタイトルだったけれど、彼らが演劇を今後20年間安泰にするわけではなく、彼らが20年安泰かどうかにもあんまり興味がない。
    しかし、例 えば、バナナ学園純情乙女組などの登場により「これは演劇と呼べるのか」なんて、まったく愚にもつかない批評(感想)がされることがなくなるであろうことで、次々と新しい人や集団が出てきて、演劇は20年と言わず安泰となるだろう。
    つまり、新しいことや、変化、破壊を恐れずにできるような「環境(場)」ができていけば、もっと凄い人や団体も出てくるだろう。今回早々とチケットがソールドアウトになったということは、そのための1歩となったのではないかと思う。
    「場」がなければ、何も育っていかない。舞台は創造したことに対して受け手があって初めて成り立つものだから。
    それは、新しいこと、変化、破壊であったとしても、同時に「場(観客や社会など…空気とも言う)」に受け入れられなければならない、一見矛盾しそうな関係でもあるのだから難しい。
    とは言え、創造するときには「場」を意識する必要はないと思う。
    それは、受け手の勝手な言い分だけど。


    来年またこの企画があったとしたら、次の5団体はどんな顔ぶれになるのか、なんて考えながら劇場に足を運ぶのも面白いかもしれない

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    2011/06/28 07:30

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