THIS IS WEATHER NEWS 公演情報 Nibroll「THIS IS WEATHER NEWS」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    唯一確かなものは、「肉体」であるという宣言として、受け取らざるを得なかった
    映像と肉体のぶつかり合い。
    わずか70分が濃厚。
    暴力的とも言えるような、そのパフォーマンスは、3.11を彷彿とさせてしまう。
    たとえ、それが本来の意図と異なっていたとしても。

    ネタバレBOX

    スタートからやられた。
    大音量のノイズから、単純に繰り返される破壊のCG。
    そこに現れる肉体の存在。

    この舞台は、再演とは言え、ある程度の加筆はあったのではないかと思う。つまり、3.11以降のこの現状についてだ。初演は知らないのだが、否応なく、3.11を連想させるエレメンツが多い。例えば、次のようなモノだ。

    最初に積み上げられていく赤いハイヒールが瓦礫のようだ。マス・マーケティングの象徴、生活に余裕のある世界の象徴のような赤いハイヒール。

    無造作に投げ込まれ、積み上がる人、人、人…。
    画面は動きの止まった人形(ひとがた)で覆われていく。

    前に進もうとすると、強い力で引き戻される男。その叫び声が痛い。
    空を覆う黒い鳥。一斉に同じ方向に走り出す動物。
    街に火の手が上がっている。

    逃げようとする男の手をつかみ離さない手。ふりほどこうとしても離さない。

    同じ衣装を纏い、タンクトップの男をなじる人々。
    それはトレンドや消費の象徴であり、その消費とトレンドが瓦礫(ボロ切れ)となって積み上がっていく。

    「こうなったのは」という問い掛け。

    舞台を覆い尽くす津波のような白い布と、それを照らす濁流のように渦巻きのライ
    ティング、光の洪水、それに飲み込まれてしまう人。

    即答できない数の疑問が、「数字」により振り回されている今を切り取っているように感じる。
    数字が激しく変わる矢印が床を這う様は、風向き、そして被害の拡大だ。

    …等々。

    これらが撒き散らすのは「怖」と「痛」。
    かなり暴力的に観客を襲ってくる。
    人の力ではまったく対処できない、大きな「力」だ。

    人は、天気だの安全だのと言った、予想のつかないものを予想する。
    それは「不安」だから。

    男女に関しても予想不可能だ。
    シルエットと映像のコラボが男女間の儚さ、脆さを暴く。


    そして、不安だから人に問う。インタビューの形式で。
    インタビューも災いのひとつだ。繰り返されること、どこまでも付きまとい、同じようなことを問い掛けられる。インタビューされる側は逃げるのだか、インタビュアーは容赦ない。そして、逃げられたときに「何も答えてない」と言う。

    それは「答えられない」からなのだ。
    答えられることなんて何もないのだ。

    ラストは、白い衣装に身を包み、スモークの中から人物たちが現れててくる。
    しがみつく、逃げる、避ける、佇むといった動作で、逝く人、残る人が見えてくる。
    画面に現れてくるのは「生命の樹」か。
    天にまで届くような大木だ。

    「怖」と「痛」を「不安」とともに、「美」によって見せつけた舞台であったとと思う。
    ラストには、たぶん「祈り」や「平穏」が込められていたのかもしれないが、あまりにも「負の力」が大きすぎて対処できないという観客の姿は、今の多くの人々の姿と重なっていく。

    「答え」は「ない」としているのだし、「予想」も「つかない」のであるとしても、「すがる」ことのできる「何か」がほしいと思うのは、ダメなのだろうか。

    唯一の「救い」は、冒頭のインパクトのある映像と、その前で踊る肉体を比べると、映像のほうが勝っていたと感じていたのだが、徐々に肉体がその存在感を増し、ラストに向かって映像との一体感が出てきて、ラストは肉体が勝っていたことではないだろうか。
    とにかく、映像やライティングなどのテクニカルな側面から醸し出されるのは、「不安」のみであったのだが、かろうじてラストに至り、肉体の存在が増してきたと(感じた)いうことは、観ている側にとっての「救い」だったように感じた。
    それは意図されていたかどうかは関係なく、暴力的な力の前に対して観客が欲していた「何か」が、かろうじて顔を見せたということなのかもしれない。
    …もっと肉体を感じたかったというのが本音ではあるが(スモークの中に消えていく人々)。

    それはつまり、「唯一確かなものは、肉体」であるというNibrollの「答え」ではなく「宣言」だったと、勝手に受け取った、いや、それを受け取らざるを得なかった、ということが、「今」「現在」なのだ。

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    2011/06/27 07:37

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