THIS IS WEATHER NEWS 公演情報 THIS IS WEATHER NEWS」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    ラディカルでパワフルで・・
    センスが溢れていることをはっきりと認識できる舞台ですよね・・。

  • 満足度★★★

    感傷的
    振り付けはシンプルで好み。しゃべりすぎかなあ、という印象があった。内容は感傷的。世界の先行きに不安を感じているということがよくわかった(いい意味でも悪い意味でもなく)。

    椅子に座ったシルエット+シルエット映像のシーンがすき。

    鈴木拓郎さんの身体が心地いい。

  • 満足度★★★★

    身体の存在感
    不確定な現代を生きる人間がおかれている状況が身体表現を中心にして描かれていました。暴力的なまでに動き回るダンサー、大音量の音楽、刺激的な映像、多量の小道具が組み合わさって強烈なインパクトを与える作品になっていました。

    冒頭に耳をつんざくような強烈なノイズが響き、一気に世界観に引き込む始まり方が良かったです。
    物が落ちて壊れたり、姿を単純化された人が落ちたり、多数投げ飛ばされたりといった、破壊や死のイメージが舞台奥上手に設置されたスクリーンに写し出される中、ダンサーたちが激しく踊り、走り、叫び、人間の身体の存在感を見せつけられました。
    スクリーンの後ろで椅子に座ったダンサーのシルエットが逆光で写し出され、それに前面からCGで描かれたシルエットが重ねられ、最初は人間と映像が同一の動きだったのが次第にずれて行き映像のシルエットが崩壊していくシーンが美しさとユーモアと怖さを同時に表現していて素晴らしかったです。
    後半では舞台一面に白い布広げられ、中に空気を送り込んで凹凸を作りつつ、上から幾荷学的なパターンの映像が投影されて、浮遊感のあるシーンになっていて格好良かったです。
    最後はスモークが大量に焚かれてほとんど舞台の手前側しか見えない状態になり、その中をうごめくダンサーたちの姿が幻想的で美しかったです。

    魅力的なシーンが多かったのですが、逆に意図がわからなかったり、冗長すぎるように感じられた部分も結構あり、全体としてはざっくりとした印象を持ちました。色々な要素を盛り込みすぎて、少々散漫になっていたと思います。台詞を言うシーン(特にインタビューのシーン)や服を沢山使った巨大なオブジェはなくても良いような気がしました。
    しかし、全体としては、スタイリッシュかつ暴力的な雰囲気が現在の日本の状況にマッチしていて、印象に残る作品でした。
    ダンス作品には珍しく衣装替えが何度もあるのも、中心メンバーにファッションデザイナーがいるこのカンパニーならではの演出で、素敵でした。

  • 満足度★★★★★

    3回見た
    1回目。かなりの刺激を受けた。カスヤマリコはすごいと思った。矢内原美邦は天才だと思った。
    2回目。つまらなく感じた。2回目だからか。客入れの時点で既に、照明が少しだけ変わっていた。冒頭のカスヤマリコの踊る速度をゆっくりにしたような気がしたのは、きっと私の気のせい。
    3回目。楽日。ふんふん。毎回、照明も振り付けも音も少しづつ変えてるのね。色々試してみたいのかな。稽古中にも色々試してるんだろうな。1つに決めたくないのかな。変えてるって言っても少しだから無理して何回も見る必要はないけどね。楽日は矢内原さん舞台上で突発的に段取り変えてた。予定調和になってきてるのを壊したかったのかな。楽日が一番熱い舞台だった。

  • 満足度★★★★

    生きるしかない
    いちいち意味なんて考えてる場合じゃない、生きろ、
    と強烈なメッセージ性を感じました。

    人なんて儚いものさ。

  • 満足度★★★★

    力作
    映像、照明、道具をステージいっぱいに駆使しながら、それらに頼りすぎずに身体で見せる。ダンサーの顔ぶれがなかなか良い。

  • 満足度★★★★★

    唯一確かなものは、「肉体」であるという宣言として、受け取らざるを得なかった
    映像と肉体のぶつかり合い。
    わずか70分が濃厚。
    暴力的とも言えるような、そのパフォーマンスは、3.11を彷彿とさせてしまう。
    たとえ、それが本来の意図と異なっていたとしても。

    ネタバレBOX

    スタートからやられた。
    大音量のノイズから、単純に繰り返される破壊のCG。
    そこに現れる肉体の存在。

    この舞台は、再演とは言え、ある程度の加筆はあったのではないかと思う。つまり、3.11以降のこの現状についてだ。初演は知らないのだが、否応なく、3.11を連想させるエレメンツが多い。例えば、次のようなモノだ。

    最初に積み上げられていく赤いハイヒールが瓦礫のようだ。マス・マーケティングの象徴、生活に余裕のある世界の象徴のような赤いハイヒール。

    無造作に投げ込まれ、積み上がる人、人、人…。
    画面は動きの止まった人形(ひとがた)で覆われていく。

    前に進もうとすると、強い力で引き戻される男。その叫び声が痛い。
    空を覆う黒い鳥。一斉に同じ方向に走り出す動物。
    街に火の手が上がっている。

    逃げようとする男の手をつかみ離さない手。ふりほどこうとしても離さない。

    同じ衣装を纏い、タンクトップの男をなじる人々。
    それはトレンドや消費の象徴であり、その消費とトレンドが瓦礫(ボロ切れ)となって積み上がっていく。

    「こうなったのは」という問い掛け。

    舞台を覆い尽くす津波のような白い布と、それを照らす濁流のように渦巻きのライ
    ティング、光の洪水、それに飲み込まれてしまう人。

    即答できない数の疑問が、「数字」により振り回されている今を切り取っているように感じる。
    数字が激しく変わる矢印が床を這う様は、風向き、そして被害の拡大だ。

    …等々。

    これらが撒き散らすのは「怖」と「痛」。
    かなり暴力的に観客を襲ってくる。
    人の力ではまったく対処できない、大きな「力」だ。

    人は、天気だの安全だのと言った、予想のつかないものを予想する。
    それは「不安」だから。

    男女に関しても予想不可能だ。
    シルエットと映像のコラボが男女間の儚さ、脆さを暴く。


    そして、不安だから人に問う。インタビューの形式で。
    インタビューも災いのひとつだ。繰り返されること、どこまでも付きまとい、同じようなことを問い掛けられる。インタビューされる側は逃げるのだか、インタビュアーは容赦ない。そして、逃げられたときに「何も答えてない」と言う。

    それは「答えられない」からなのだ。
    答えられることなんて何もないのだ。

    ラストは、白い衣装に身を包み、スモークの中から人物たちが現れててくる。
    しがみつく、逃げる、避ける、佇むといった動作で、逝く人、残る人が見えてくる。
    画面に現れてくるのは「生命の樹」か。
    天にまで届くような大木だ。

    「怖」と「痛」を「不安」とともに、「美」によって見せつけた舞台であったとと思う。
    ラストには、たぶん「祈り」や「平穏」が込められていたのかもしれないが、あまりにも「負の力」が大きすぎて対処できないという観客の姿は、今の多くの人々の姿と重なっていく。

    「答え」は「ない」としているのだし、「予想」も「つかない」のであるとしても、「すがる」ことのできる「何か」がほしいと思うのは、ダメなのだろうか。

    唯一の「救い」は、冒頭のインパクトのある映像と、その前で踊る肉体を比べると、映像のほうが勝っていたと感じていたのだが、徐々に肉体がその存在感を増し、ラストに向かって映像との一体感が出てきて、ラストは肉体が勝っていたことではないだろうか。
    とにかく、映像やライティングなどのテクニカルな側面から醸し出されるのは、「不安」のみであったのだが、かろうじてラストに至り、肉体の存在が増してきたと(感じた)いうことは、観ている側にとっての「救い」だったように感じた。
    それは意図されていたかどうかは関係なく、暴力的な力の前に対して観客が欲していた「何か」が、かろうじて顔を見せたということなのかもしれない。
    …もっと肉体を感じたかったというのが本音ではあるが(スモークの中に消えていく人々)。

    それはつまり、「唯一確かなものは、肉体」であるというNibrollの「答え」ではなく「宣言」だったと、勝手に受け取った、いや、それを受け取らざるを得なかった、ということが、「今」「現在」なのだ。
  • 満足度★★★

    アトム化する人間たち
    不協和音と縦横無尽に舞台の端から端まで金切り声をあげながら
    駆け回る踊り手たちを見ながら、つくづく表題にあるようなことを
    思ってしまいました。 

    最後辺りの展開は夢幻的でとっても美しく、激しくて、すごく
    印象に残りましたが、全体の中でハッとさせられる部分が
    他に乏しかったように思えたのが残念。

    ネタバレBOX

    バックのスクリーンに映し出される、ブロック状にデフォルメされた
    人間が階段を転げ落ちたかと思うとバラバラに分散したり、

    放り投げられた人間がまるでモノのようにおんどん落ちモノゲームの
    ように積み重ねられるだけの存在になっちゃってたり、

    まるで人間が無機質で、ただの「分子」の塊、アトム状のモノにしか
    みえないような表現が一杯舞台に溢れてた。 踊り手も意志を持つ、
    というより、本能と衝動に操られたような、エキセントリックな動きが
    多いように思えました。

    ただ… 映像や演出が無機的なのに対し、対比される人間が
    余りに生々しく動物みたいなのが個人的には面白味を感じませんでした。
    もっと無機的に、機械みたいに扱っても面白いような気が。
    ただ、それも全くの好みでしょう。

    違和感を覚えたのは、中盤辺りのインタビューっぽいパートと、
    その後のスクリーン上の不思議な情報の羅列(人が一生のうちに
    いえるこんにちはの数、みたいな)。

    正直、ちょっと子供っぽく思えた。 振り返ってみると、踊り手皆で
    手をかざしたりする部分とか、少し恥ずかしく思えるんだよな。
    一年くらい前だったら、また別の印象を受けていたのかも。

    人間落ちモノゲームが終わった後の、ピアノの不協和音に合わせて
    踊るパートと、終盤付近の「刺すよ!」って一人が叫んだ後のパートが
    とっても刺激的に思えました。 踊り手もなめらかな動きを
    見せてくれ、底力を感じることも出来たし。

    特に後者。 白い衣装に、白い光と黒い闇が反射し、収斂、そして拡散を
    次々に繰り返していく中、どこか不穏な感じの曲に上手く合わせて踊る
    人々の姿がとってもスリリングで興奮しました。照明も緑、赤、とどんどん
    移り変わっていくんです、夢の中のようでとっても綺麗だった!!!
    あそこがハイライトですね。

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