日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』 公演情報 世田谷パブリックシアター「日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    夜のしっとり感と子どもの騒がしさが並行して存在する、黄昏時のような、なんともいえない切なさが、舞台に充満していた
    80年代戯曲を現代の若手演出家たちが、リーディング形式で行う公演。
    「昭和」の匂いがきつい戯曲を、軽々と2011年に届けるセンスの良さを感じる。
    そしてそれは、リーディング形式といいながらも、観客のイメージを広げ、これはこのままで演劇の公演と言っていいのではないかと思うほどであった。

    ネタバレBOX

    80年代の戯曲であるが、内容に盛り込まれているコトバの数々は、その時代においても、レトロ感たっぷりの内容であり、「昭和」の匂いがきつい(60〜70年代の昭和だから)。
    それが、難なく、つまり、ひょいと簡単に現代に持ってきている、ということに、少々驚く。
    つまり、レトロ昭和臭の強い作品を、あの品のある作・演出で見せてくれる、青☆組の吉田小夏さんが、いとも簡単に(簡単に見えるように)、観客の前に持ってきてくれている、ということは、さぞや凄まじいコトバとの格闘があったのではないかと思ったのだ。…この点については後で述べるが。

    物語の構造は、前日観た『家、世の果ての……』と驚くほど共通点が多い。物語の中心が、虚構であることや、言葉遊びの過剰さ(こちらはダジャレに近いが)。
    それに「未来」がキーワードとなっていることなど。
    これが80年代戯曲の共通点なのか、と思った。

    少々因縁めいた家族の物語。消失した自己。物語の登場人物たちの哀しさのようなものをストーリーには感じた。
    私たちの足元の話でもあろう。ロマンすらある。

    演出は、とてもリズムがよく、心地良さを感じた。
    時空を超え、年齢の違う同じ登場人物が舞台に上がるというのは、青☆組では、観られる手法であるから、リーディング形式なのに、観ていて違和感なく、理解できた。ここの演出は、見事だと思った。シンプルなのに観客への浸透度が高い。

    夜のしっとり感と子どもの騒がしさが並行して存在する、黄昏時のような、なんともいえない切なさが、舞台に充満していた。

    そして、戯曲に埋め込まれた、数々の「コトバ」をきちんと観客に届けるうまさにはセンスを感じる。ユーモアもきちんとすくい上げているのだ。

    グロテスクな情景にさえも、どこか子どものママゴトのような、乱暴さを残しつつも、単なるグロにならないあたりがセンスというものだ。

    また、なにより役者がうまい。
    のびのびとやっているのではないかと感じる。
    観客の反応がいいこともあろうし、何より自分たちが楽しんでいのではないかと思うのだ。

    最小限の動きや(と、言ってもリーディング形式というイメージからは、動きは多いが)、音楽、照明で、リーディング形式といいつつも、もうこれは、このままで、演劇の公演と言っていいのではないかと思うほどであった。
    いいものを観たという印象。

    これをわずか3回の稽古で仕上げた腕のよさを、演出家にも役者にも感じる。大拍手モノ。

    そして、レトロ昭和臭の強い「コトバ」の数々と、吉田小夏さんの関係だが、知らない言葉が多いようで、一部は誰かから聞いたりしたようだが、「そういう言葉がある」「そういう人がいた」というレベルだったということを、ポストパフォーマンス・トークで知った。
    これは少々拍子抜けした。なぜならば、「うーやーたー」(「ガチョーン」みたいなもの、と思っていたらしい)というかけ声も、「阿佐田哲也」にしても、物語と意味が絡まっているのだから。つまり、それを知らないままに「音」として演出したということらしいのだ。
    それは、ちょっと残念な気もする。がしかし、よくよく考えてみると、逆にそれにとらわれなかったからこそ、やすやすと、そして軽々と、80年代戯曲を2011年に上演できた所以かもしれないなと思ってみたり。

    そして、料金1,000円は安い!!

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    2011/05/07 07:06

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