日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』 公演情報 日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★★

    なんてくっきり
    シンプルな内容の物語ではありませんでしたが
    とてもくっきりと戯曲の世界が伝わってきました。

    リーディングという手法と
    演出家や役者がもつ力を
    しっかりと感じることができました。

    ネタバレBOX

    1986年に書かれた戯曲だそうです。

    演出家がアフタートークで触れていたように
    とても豊かで美しいト書きがあって
    その言葉たちが、観る側に舞台の世界を紡いでいきます。

    始まった時には
    そのト書きを読み上げるテンポが少しだけ早いように感じましたが
    やがて、その速さがシーンをもたつきなく進めていく力になっていく。

    ト書きにとどまらず
    台詞たちも、遊び心にあふれてとても豊か。
    戯曲が作られた当時に観客の主流だった年代の
    子供のころの記憶を借景にしているので
    記憶があいまいだったり
    元ネタがわからないフレーズの借用なども
    あったのですが
    (若い世代には聞いたこともないフレーズかと・・・)
    それでも、言葉の響きなどのおもしろさは
    しっかりと伝わってきて・・・。

    未来を今に据えて、現代を過去に置いて、
    二つの時代を行きかう物語を
    舞台の前方と後方に切り分ける。
    音楽は時にセピアがかった高揚や慰安を観る側に注ぎ込み
    照明は記憶と妄想の深度と実存を舞台に表していきます。

    死んだ母親、
    いなくなった父親、
    生まれなかった子供たちと・・・。
    時間を逆回しにするごとに
    どこか甘さを持った、
    でもビターで切ない記憶や嘘が解けていく。
    繰り返されるやり直し。
    時間の枠組みを踏み出した
    お祭りのような夜の時間のクリアなイメージと
    希望や想いのテイストが
    語り綴られるシーンたちからしなやかに伝わってきて。

    この作品、
    リーディングという形式ではなく
    ふつうの演劇として上演すれば
    さぞや、観客の目を惹くものになったと思います。
    ブリキの自発団の公演などは観ていないのですが、
    もし、ト書きに込められたイメージがこの舞台に
    リーディングということでなく具現化され、
    それぞれのシーンを埋め尽くせば
    世界は彩られ膨らみ、
    観る側はきっと舞台上に浮かび上がる幻に
    深く取り込まれていたと思う。

    でも、その一方で、
    こうして、
    役者たちがリーディングという枠の中で
    一行ごとの台詞を丁寧に積み上げて
    作り上げた世界でなければ伝わってこないものも
    まちがいなくある・・・。
    ト書きやお芝居に付随するイメージが
    言葉に閉じ込められ
    役者たちの豊かな表現力を持った朗読によって
    観る側に置かれると、
    物語の構造がしっかり見えるというか
    お芝居の表層的な広がりの部分に
    目が眩むことがなく、
    それゆえに研ぎ澄まされた質感を持った
    キャラクターの想いが奥行きをもってしなやかに残るのです。

    観る側が身をゆだねられる役者たちと
    洗練を感じさせる演出によって
    リーディングだからこそ持ち得る力や
    成しうる表現があることを
    改めて実感することがができました。
  • 満足度★★★★

    memo

    椅子
    瓶で水

  • 満足度★★★★★

    夜のしっとり感と子どもの騒がしさが並行して存在する、黄昏時のような、なんともいえない切なさが、舞台に充満していた
    80年代戯曲を現代の若手演出家たちが、リーディング形式で行う公演。
    「昭和」の匂いがきつい戯曲を、軽々と2011年に届けるセンスの良さを感じる。
    そしてそれは、リーディング形式といいながらも、観客のイメージを広げ、これはこのままで演劇の公演と言っていいのではないかと思うほどであった。

    ネタバレBOX

    80年代の戯曲であるが、内容に盛り込まれているコトバの数々は、その時代においても、レトロ感たっぷりの内容であり、「昭和」の匂いがきつい(60〜70年代の昭和だから)。
    それが、難なく、つまり、ひょいと簡単に現代に持ってきている、ということに、少々驚く。
    つまり、レトロ昭和臭の強い作品を、あの品のある作・演出で見せてくれる、青☆組の吉田小夏さんが、いとも簡単に(簡単に見えるように)、観客の前に持ってきてくれている、ということは、さぞや凄まじいコトバとの格闘があったのではないかと思ったのだ。…この点については後で述べるが。

    物語の構造は、前日観た『家、世の果ての……』と驚くほど共通点が多い。物語の中心が、虚構であることや、言葉遊びの過剰さ(こちらはダジャレに近いが)。
    それに「未来」がキーワードとなっていることなど。
    これが80年代戯曲の共通点なのか、と思った。

    少々因縁めいた家族の物語。消失した自己。物語の登場人物たちの哀しさのようなものをストーリーには感じた。
    私たちの足元の話でもあろう。ロマンすらある。

    演出は、とてもリズムがよく、心地良さを感じた。
    時空を超え、年齢の違う同じ登場人物が舞台に上がるというのは、青☆組では、観られる手法であるから、リーディング形式なのに、観ていて違和感なく、理解できた。ここの演出は、見事だと思った。シンプルなのに観客への浸透度が高い。

    夜のしっとり感と子どもの騒がしさが並行して存在する、黄昏時のような、なんともいえない切なさが、舞台に充満していた。

    そして、戯曲に埋め込まれた、数々の「コトバ」をきちんと観客に届けるうまさにはセンスを感じる。ユーモアもきちんとすくい上げているのだ。

    グロテスクな情景にさえも、どこか子どものママゴトのような、乱暴さを残しつつも、単なるグロにならないあたりがセンスというものだ。

    また、なにより役者がうまい。
    のびのびとやっているのではないかと感じる。
    観客の反応がいいこともあろうし、何より自分たちが楽しんでいのではないかと思うのだ。

    最小限の動きや(と、言ってもリーディング形式というイメージからは、動きは多いが)、音楽、照明で、リーディング形式といいつつも、もうこれは、このままで、演劇の公演と言っていいのではないかと思うほどであった。
    いいものを観たという印象。

    これをわずか3回の稽古で仕上げた腕のよさを、演出家にも役者にも感じる。大拍手モノ。

    そして、レトロ昭和臭の強い「コトバ」の数々と、吉田小夏さんの関係だが、知らない言葉が多いようで、一部は誰かから聞いたりしたようだが、「そういう言葉がある」「そういう人がいた」というレベルだったということを、ポストパフォーマンス・トークで知った。
    これは少々拍子抜けした。なぜならば、「うーやーたー」(「ガチョーン」みたいなもの、と思っていたらしい)というかけ声も、「阿佐田哲也」にしても、物語と意味が絡まっているのだから。つまり、それを知らないままに「音」として演出したということらしいのだ。
    それは、ちょっと残念な気もする。がしかし、よくよく考えてみると、逆にそれにとらわれなかったからこそ、やすやすと、そして軽々と、80年代戯曲を2011年に上演できた所以かもしれないなと思ってみたり。

    そして、料金1,000円は安い!!

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