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MINo
MINoさま、初日をご観劇いただきまして、ありがとうございます。また、詳細かつ丁寧なクチコミをいただきまして、感謝いたします。一般のお客様にこのように関心を持って主体的に観ていただけることは、演劇に携わる者として大変ありがたいことです。専門家でない方のご意見を聞く機会は限られるため、このような見方があるということ自体がとても新鮮で、興味深く拝読させていただきました。以下に一つずつ回答させていただきます。 まず、舞台装置や音響照明等を使用せず、衣装も普段着に近い形で上演する、という形は、主宰の平澤智之が長年所属し、主演を務めておりました劇団シェイクスピア・シアターで用いられてきた舞台形式です。新鋭の若い役者が普段着で素舞台を駆け回る斬新な演劇は、当時“ジーパン・シェイクスピア”と言われ人気を博したと聞いています。この劇団を率いた故出口典雄氏の演劇界に対する業績は計り知れないもので、亡くなって数年を経た現在も氏の創り上げた世界は私達シェイクスピアを演じる数多くの役者達の中に息づいています。 私達キングスメンでも旗揚げ公演からこのスタイルに準じた舞台形式での上演を試みております。前回今回とプロジェクタ画像の投影のみ実験的に行いましたが、実際にはこのような背景は演技とは全く関係のない、いわばオマケにすぎず、何もないほうがいいのではないかとの意見も寄せられており、今後どうするか検討中です。 NINoさまにご観劇いただきました本番初日には、機材トラブルのためパソコン画面が映し出された時間がありました。気になったお客様に対しては申し訳ございません。同時に、むしろこのような全く場面と相いれない画を唐突に投影するという手法は、作品として非常に面白いのではないかと、MINoさまのクチコミを読んでいて感じました。一般の観客とは、演技とも本筋とも全く関係のないことに注意を引かれるものなのだとしたら、そこを活かすことも可能であると。新しい閃きを与えていただきまして、ありがとうございます。 次に、衣装については上述の通り、私達キングスメンでも、ベースは普段着ということを徹底しております。その枠の中で、いかにそれぞれの役の個性を出すかということは、いかにも時代的な衣裳を採用するよりも難しいことではありますが、私達はそのような選択をしています。 (かつての演劇界では、たとえば『ハムレット』であれば白いタイツを穿いたいかにも中世の王子様の恰好で登場させたものですが、今時そのような過去の時代そのままの衣裳で演じさせる舞台は既にあまりないでしょう。時代そのものの衣装を着用させることは、ある特定の時代や場所を彷彿とさせることには大変意味のあることですが、作品のメッセージ性が現代の私達に相通ずるものだと伝えたい場合は、それが却って枷となることが多々あります。) 『るつぼ』に於いては、時代や場所の設定を“17世紀のセイレム”ではなく、従って服装に関しても現代の日常的な衣類を中心としました。厳密にいえば“おそらく現代に近い時代の、どこかの国、どこかの地域”ということが今回の設定です。それはアメリカなのかもしれないし、日本なのかもしれない、ただ「遠い時代の遠い国」ではなく、今の私達の日常と近いところであると観客に感じてもらうことが目的でした。そのためジャイルズはハッピを着ていますし、パリスやヘイルも牧師の服装はしていません。 ご指摘いただきました主役のジョン・プロクターがラルフローレンの「NEW YORK」とロゴの入った着古されたTシャツを着ているのは、(実際にはプロクターの服装は毎公演ごとにすべて異なるので、残念ながらあのシャツは一度しか着用されていないのですが)、田舎町の労働者である彼の都会への泥臭い憧れを示すものであり、見た目のスタイルとしても特殊性のない一般の男であることをあえて示したものです。昔の物語だから、古典的な作品だから、そのような恰好をする、という先入観を持って観劇に来られたMINoさまのような一般のお客様に、「なぜこのような服装なのか」というある種の“違和感”を感じていただけたということは、狙いの通りであり、大変嬉しいご指摘です。 更にこちらとして目新しい視点であると感じましたのは、「裸足である必然性はない」というご指摘の箇所で、この発想はとても興味深いものでした。私達は「なぜ靴を履く必然性があるのか」をまず感じます。「靴を履く」という行為には意味があるはずで、では何を履くのか、何のために履くのか、ということに一つ一つの意味と必然性があるはずです。それを逆の発想で「なぜ靴を履かないのか」と感じられるということは、とても新鮮でした。プロクターだけでなくアビゲイル率いる少女達も靴を履いていませんが、そちらに関しては気にならなかったのであれば、その理由は一体何であるのか?違いは何なのだろうか?そのような細部の感覚について考えさせられる、とてもおもしろいご意見でした。ありがとうございます。 役者の力量について、お気に沿えなかったことは、とても残念なことですが、今回出演してくれた役者の皆さんはとても力のある方達でした。私達キングスメンは劇団という形式ではなく、主宰の平澤智之と絵里の二人以外は毎回オーディション等によって集まった個々の役者による期間限定のユニットです。ですから今回の公演に出演した役者達も皆それぞれの活動をしている個性的な面々でした。一人ずつの能力は非常に高く、魅力的な役者陣でしたので、MINoさまにとって心地よく感じられなかったのだとしたら、それはすべて制作・演出側の問題であって、出演した役者の皆さんの問題ではありません。今回の出演者の皆さんはこれからも様々な舞台に立って活躍していく方々ですので、どこかでまた再会されることもあると思います。別の舞台ではより素晴らしい演技をしていく方達だと確信しております。 この中で、名前を挙げていただきましたメアリー役の役者は、演技も人柄も素晴らしい人物です。お褒めの言葉をいただき、私達も心より嬉しく思います。 ダンフォース判事役の役者については、補足説明させていただきます。 公演直前に、もともとダンフォース役であった役者が喉の故障により降板となりました。ダンフォース役は三幕四幕のメインキャストであり、出番も台詞量も莫大です。しかし当役者が8公演を演じられる状態ではなかったため、主催者側の判断として降板となり、一幕にのみパットナム役で出演していた中島史郎氏にもう一役を兼任してもらうことになりました。本番一週間前に急な役の追加をお願いしたことはこちらの責任でありますが、中島氏はこの大役を見事に演じきってくれました。台詞に関しては、ご指摘の通り小道具に記載して読む場面もありましたが、問題はそのような形式的なことよりも、中島氏の創出したダンフォースという人物が、こちらの想定以上に魅力的であったことです。観た人達から「台詞を見ていることは気づいたが全く気にならないくらい素晴らしい」という意見が多く寄せられ、その演技が公演中も日に日に深化していく様相に、一緒に舞台に立っている私達役者も驚かされました。 私個人は、役者の魅力とは、技術以上に、その人が持つ人間性や内面の厚みが滲み出る部分にあるように思います。ダンフォース役以外の役者さん達にもすべてこのような魅力がありました。だからこそこの難解で重いと言われる作品を、一幕から温かみのある生きた舞台として演じてくれたのだと思っています。 もう一点、重要なことを記載させていただきます。 私達の団体では、毎公演ごとに障がいを持つ役者を幅広く起用しています。そのこと自体を売りにしているわけでも、助成を受けているわけでもないので、特にどの役者がどのような事情であるのかは公開していません。それは個人情報であり、個々の役者が進んで言うのでなければ、こらちから情報公開する類のものではありませんし、舞台上に出る以上は各人の事情をいちいち断ってから観ていただく、というものでもないと思うからです。 しかし、今回も複数名の障がいを持つ俳優が出演していたことは事実です。 観客席から見て、その人達が事情を持っていると見えなかったのだとしたら、それはとても嬉しいことですが、実際にはただ「寝ている」という行為だけでもその役者にとっては大変な演技である場合もあります。 知的障がいを持つ俳優が、作品を理解し、その中で自分の役を誠実に懸命に生きている、そのような姿に、私達は日々、心打たれていました。結果的には台詞自体を発することができなかったとしても、その場にその役として存在し、役者として素晴らしい演技をしていた。その演技は計算されたものではなく、本当の心から出たものであり、そのような真実の演技を舞台の上に載せることができたことは、何にも勝る喜びだと思っています。すべての観客にではないにしても、きっとそれが伝わった人もいたと確信しています。 私達は福祉を専門にしているわけではなく、接し方のノウハウもありません。自分達の芝居をするだけでも精一杯の中で、そのようなことに手を出すのはおこがましいと感じられるかもしれません。ですが、表現とはすべての人に平等に与えられているものであり、演じる側も観る側もそれを自由に享受していいはずであると、私個人は信じています。その中にこそ表現というものの本質的な光が見出せるのではないかと私は思うのです。 何をもって演技力とするのか、表現というものに於いて何を最も大切にするのかは、個人の趣向であり信念によるものであって、表現する側が押し付けられるものではありません。ただ、私達が求めるものは、人間の心であり、それはどのような゜作品を上演したとしても、変わることがないと思います。 詳細で積極的なご意見をいただき、本当にありがとうございました。いつかまたご観劇いただけますことを、心よりお待ちしております。
2024/10/05 20:57
ゴージャス
ゴージャスさま、ご観劇ありがとうございました。また、クチコミをいただきまして、ありがとうございます。 舞台装置や音響照明等を使用せず、衣装も普段着に近い形で上演する、という形は、主宰の平澤智之が長年所属しておりましたシェイクスピア・シアターで用いられてきた舞台形式で、創業当時は“ジーパン・シェイクスピア”と言われ人気を博したそうです。私達キングスメンでも旗揚げ公演からそれに準ずるスタイルをとっています。(プロジェクタ画像投影のみしています。) シェイクスピア作品は書かれた時代に素舞台で演じられていたのでそのように書かれていますし、アーサー・ミラーのように近現代の劇作家はそれとは異なるものではあっても、脚本の力がこれほどに強ければ、特殊効果なしで役者の表現で舞台は確立すると考えられるからです。 衣装については上述の通り、時代や場所の設定を“17世紀のセイレム”とはもとよりしておりませんので、現代の服装を中心としています。厳密にいえば“おそらく現代に近い時代の、どこかの国、どこかの地域”ということが今回の設定です。それはアメリカなのかもしれないし、日本なのかもしれない、ただ遠い時代の遠い国、ではないことは確かであると、観客に感じてもらうことが肝要でした。そのためジャイルズはハッピを着ていますし、パリスやヘイルも牧師の服装はしていません。 ご指摘いただきました主役のジョン・プロクターがラルフローレンの「NEW YORK」とロゴの入ったTシャツ(しかし着古された感のあるもの)を着ているのは、(実際にはプロクターの服装は毎公演ごとにすべて異なるので、残念ながらあのシャツは一度しか着用されていないのですが)、田舎町の労働者である彼の都会への泥臭い憧れを示すものであり、見た目のスタイルとしても特殊性のない一般の男であることをあえて示したものです。昔の物語だから、古典的な作品だから、そのような恰好をする、という先入観を持って観劇に来られたお客様に、そのようなある種類の“違和感”を感じていただけたとなれば、狙いの通りであり、大変嬉しいご指摘です。 ヘイル牧師が四幕でシャツの裾を出していたことにまで気づいていただいて、ありがたく感じております。この人物は牧師としての意欲に燃えて来村し、裁判に臨み、そして終盤では心崩れて嘗ての自我を失っています。その心の崩れたさまを、“シャツの裾を出す”という気づきにくい点によっても表現しておりました。そのような細部にまで目を向けてくださったこと、興味深く拝読いたしました。 また、メアリー役の役者について、お褒めの言葉をいただき、心より嬉しく思います。演技が素晴らしいだけでなく、彼女の努力や生き方は私達も頭が下がるほどで、このような立派な役者さんが表舞台で活躍していける世の中であってほしいと、ずっと願ってきました。その彼女に、温かい評価をくださったこと、主催者側として本当に嬉しく思います。ありがとうございます!
2024/10/05 11:59
Naoki007
Naoki007さま、ご観劇ありがとうございました。また、具体的なクチコミをいただきまして、ありがとうございました。 ご説明いただきました通り、本作品はアーサー・ミラー自身が直面したマッカーシズムに対して書かれた作品で、時代設定は17世紀のセイレムという魔女狩りで有名な事件の場になっていますが、実際の内容は当時のアメリカを描いたものであります。これは同時に、現在の世界にも通ずるもので、私達が今まさに直面している時代そのものでもあると考えられます。内容的には、派手な立ち回りの場面がなく、会話劇だけですべてが進行してしまうのですが、これもミラーの脚本の緻密で素晴らしいところなのでしょう。 舞台装置や音響照明等を使用せず、衣装も普段着に近い形で上演する、という形は、主宰の平澤智之が長年所属しておりましたシェイクスピア・シアターで用いられてきた舞台形式で、キングスメンでも旗揚げ公演からそれに準ずるスタイルをとっており、今回もこの脚本を活かすためにこの形式での上演となりました。ただノーカットだと三時間を超える大作で、カットを行ってもご指摘の通り休憩なし二時間半は長いと感じられるかもしれません。 キャストの力量についてもご指摘をいただき、今後の課題とさせていただきたいと思います。ただ、各役者は素晴らしい力を持っている人達でしたので、それを舞台上で全開にして見せることができなかったのだとしたら、それは個々の役者の責任ではなく、演出側の力不足のせいであると、重く受けとめております。客演として出演してくれた役者の方達はこれからも数々の活躍をされる方達ですので、他の劇場でご観劇の際にも再会されることもあると思います。どうぞこの方達の今後の活躍を楽しみにお見守りください。
2024/10/05 11:26
コナン
コナンさま、ご観劇ありがとうございます。また、あたたかく詳しいクチコミをいただきまして、感謝いたします。 「結束力の強い町内会の雰囲気がする劇団」と表現していただきましたことも、とても興味深く拝読させていただきました。私達は劇団員としては主演の平澤智之と絵里の二人だけのユニットで、今回の出演者の殆どはオーディションで集まってくれた個々の役者陣です。その人達が力を出し合ってこの難しい作品を創り上げてくれました。その姿を「結束力」と言ってくださったこと、嬉しく思います。役者とはこういうものでなければならないという垣根を外して、様々な人達が活躍できる場でありたいと、私達心から望んでいます。そのためにこれからも試行錯誤しながら取り組んで参りたいと思っております。 主役のジョン・プロクターは、はなから“信念の満ちた正義のヒーロー”ではなく、書いていただいた通り、「危険な据え膳に手を出してしまった」“迂闊な、普通の男”なんだと思います。その男が、物語の終盤で、自分の人間としての生き方に目覚めていく、その姿が人々の心を打つのでしょう。 ネタバレBOXに書いていただいた件についてですが、そのように温かく見守ってくださって、ありがとうございます。当団体では様々な障がいを持つ俳優を積極的に起用しております。それぞれの俳優の個人的な事情については特に公開しておりませんが、毎公演ごとに複数名のこのような事情わお持ちの役者が出演しているということはお伝えさせていただきます。私個人としても、稽古中、本番中に、コナンさまが感じられたように、計算から生まれたものではない素晴らしい結果を数々目にすることがありました。結果として、彼女は素晴らしい子役であると思っています。人はそれぞれ能力値が異なり、得意不得意の分野も様々ですが、彼女はこのような芸術作品の中で、たしかに物語を吸収し、他の役者と共にその世界を生きている、そして計算できない結果をもたらしてくれる、このような子役は類を見ないと思います。 次回作はシェイクスピア作品に戻ります。ぜひ観に来ていただけましたら大変嬉しく思います。
2024/10/05 11:01
あかりのこ
あかりのこさま、ご観劇ありがとうございました。またクチコミもありがとうございます。 私達はシェイクスピアを中心に演じてきたため、このような作品は大きな挑戦でした。この作品自体が難解と言われ、時代的な問題もあり、日本ではあまり上演されません。しかしそのメッセージ性は現代の世界を現したものであり、このような作品をも上演するという姿勢を、今後も続けていきたいと思っております。 次回作はシェイクスピアに戻ります。ぜひ観に来ていただけましたら大変嬉しく思います。
2024/10/04 11:44
キリエ
キリエさま、ご観劇ありがとうございます。また、励みになるクチコミをいただきまして、感謝いたします。 一人の役者が何役も兼ねるという形式は、シェイクスピア劇では普通のことなのですが、『るつぼ』は一場面が長く大人数が舞台上に滞在し続けるため、役者が複数役を兼任するのが難しい脚本でした。でも、三幕から登場するチーヴァー役のユウキさんが、一幕の少女役も兼任すると申し出てくれ、スザンナ役もお願いすることになりました。女の子の扮装が似合っていて、序盤では男性だと気づかない人も多かったようです。 チーヴァーは悪役として描かれることが一般的ですが、ユウキさんは人間味溢れる一人の生きた人物像を見事に創出して演じていました。この役に限らず、善玉・悪玉の区別のない、どちらにも転びうる人間の姿を、どの役に於いても表現したいということが演出の一つの意図でした。その内面性を感じ取っていただいて、大変嬉しく思います。 ご指摘の主役ジョン・プロクターを演じた平澤智之は、シェイクスピア作品以外の役は今回が初めての挑戦でした。“素朴な一人の農民の男”を演じ、多くの方に評価していただきました。 他のすべての役者が原作通りの役柄、またはそれ以上の役を見事に演じきり、素晴らしい功績を残してくれました。演技経験が少ない役者や、障がいを持つ役者、フルタイムで仕事をしながらの役者、様々な人達が出演しています。皆それぞれの立場で全力以上の力を注ぎ、この難しい作品を生きた舞台にしてくれたと思っています。その彼らを称賛するお言葉をいただきましたことに、心より感謝を申し上げます。 機会がありましたらまた劇場に足をお運びください。
2024/10/04 11:40
あおぞら
あおぞらさま、ご観劇ありがとうございました。また、嬉しいクチコミをいただきまして、感謝いたします。 やはりアーサー・ミラーの代表作として、素晴らしい脚本だと思います。内容は難解と言われるものですが、細部まで伏線や説明がきちんと描かれているので、脚本を読むだけでも非常に興味深く、様々に考えさせられる作品です。 日本では最近はあまり上演されないのですが、このような問題作をぜひ上演していこうということが、私達の団体の一つの目的でもあります。 難しい作品であり、アンハッピーエンドでもあるのですが、「凄く楽しめた」と言っていただきまして、とても嬉しく思います。 また機会がありましたらぜひご観劇いただけますことを願っております。 次回作はシェイクスピアに戻ります。ぜひ観に来ていただけましたら大変嬉しく思います。
2024/10/04 03:25
長寿郎
長寿郎さま、ご観劇ありがとうございました。また、クチコミをいただきましてありがとうございます。 舞台装置や音響照明等を使用せず、衣装も普段着に近い形で上演する、という形は、主宰の平澤智之が長年所属しておりましたシェイクスピア・シアターで用いられてきた舞台形式で、キングスメンでも旗揚げ公演からそれに準ずるスタイルをとっています。特殊効果等に頼らなくても、役者の表現で舞台は確立するはずだと、私達も考えています。 時代や場所の設定も、特に指定せず、現代に近い時空を想起させるものとし、あえて17世紀のセイレムの村であることは外して衣装等を決定しました。特にこの物語は現代の世界情勢とも類似するものであり、どこか遠い時代の遠い世界のお話、という印象を与えたくないという目的があったためです。 背後のプロジェクターに様々な絵画を投影しましたが、ご指摘いただきましたように、ラストシーンは『ゲルニカ』を使用しました。これを選択したことも、そのような象徴であったので、作品名を挙げて認識していただいて嬉しく思います。 台詞回しが聞き取りづらいところがあったというご指摘につきましては、今後の課題として取り組みたいと思います。シェイクスピア劇を上演する時と同様の発声で演技しておりますが、作品や劇場によってコントロールする必要がある場合があると思っています。 また機会がありましたらぜひご観劇いただけますことを願っております。
2024/10/04 03:18
ひろ
ひろさま、ご観劇ありがとうございます。また、あたたかいクチコミをいただきまして、感謝いたします。 仰る通り、初日は機材トラブルがあり、背景とするプロジェクター画像が一時停止してしまうなど、お客様にはご心配をおかけすることがありましたことを、お詫びいたします。また、役者の経験の差につきましてもご指摘いただきましたこと、今後の課題とさせていただきたく思います。 私達が目指している作品作りに於いて、役者の経験の差は最も重視する部分ではなく、技術よりも心を表現できる役者に出演してもらっています。また、障がいを持つ役者が毎公演複数人出演しています。立場や経験にとらわれず、多様性のある役者が共演する公演にしたいということも、一つの目的としています。 このような難関と言われる作品を上演することには、様々なハードルがあることは事実ですが、今後とも様々な作品に挑戦していきたいと思っています。ひろさまにまたご観劇いただけましたら心より嬉しく思います。
2024/10/04 03:05
パブロフの猫
パブロフの猫さま、ご観劇ありがとうございます。また、励みになるクチコミをいただきまして、感謝いたします。 舞台装置や音響照明等を使用せず、衣装も普段着に近い形で上演する、という形は、主宰の平澤智之が長年所属しておりましたシェイクスピア・シアターで用いられてきた舞台形式で、キングスメンでも旗揚げ公演からそれに準ずるスタイルをとっています。シェイクスピアやアーサー・ミラーのように脚本が力を持つ作品は、特殊効果等に頼らなくても、役者の表現で舞台は確立するはずだと、私達も考えるからです。 パブロフの猫さまが、それを「よかった」と言ってくださったことは、私達にとってとても嬉しいことです。ありがとうございます。 次回作はシェイクスピアに戻ります。ぜひ観に来ていただけましたら大変嬉しく思います。
2024/10/04 02:54
ハンダラ
ハンダラ様、今回も「観たい!」と思ってくださって嬉しいです。ありがとうございます!シェイクスピア作品でないので少し今までと勝手が違うのですが、戯曲が綿密に書かれているので、出演者側も観客席も共に魂をわしづかみにされる感覚の作品です。きっとお気にいっていただけるのではと願っております。ぜひご期待いただきたいです!
2024/08/18 03:57
パブロフの猫
『るつぼ』ご覧になったことがあるのですね!私もこれまでに何度か観たのですが、やはり衝撃的でした。ぜひご期待ください! もともとが長い作品なので、ノーカットだと3時間以上かかるのですが、短くして上演します。どうぞご観劇ください!!
2024/08/11 10:45
なお
テーマは深いですが、ミステリーやラブロマンスの要素が含まれていて、ひきこまれてしまう作品です。ぜひご期待ください!
2024/08/11 10:42
Shin
本当にアメリカの代表的劇作家だけあって、戯曲がすばらしいです!ご期待ください!
2024/08/11 10:40
hatayu
はい!ぜひご期待ください!色々な要素が織り交ざって、かなりハラハラドキドキです!楽しんでいただけると思います。
2024/08/11 10:39
Naoki007
『るつぼ』と『セールスマンの死』どちらも名作ですよね!ご期待ください!
2024/08/11 10:38
aoaioa
アーサー・ミラーは私達も初挑戦です!どうぞご期待ください!
2024/08/11 10:37
ハンダラ
ハンダラ様、ご観劇およびクチコミありがとうございました。 私達のこの作品への思い、上演意図をすべてわかってくださって、貴重なご意見をいただけましたこと、心より嬉しく、ありがたく思っております。 この作品を上演することの意味は、ご指摘いただきましたように、最後に付け加えたラストシーンに集約されており、これは今回の上演を決めて最も早く確定した演出内容でした。この場面に向かって、それぞれの人物が動いていったと言っても過言ではないかもしれません。 ハンダラ様が仰っていた「最も苦しんだ人々は、最後には赦す。そうすることにしか救いはないのだと、そういう人々こそが、誰よりも知っているから」という言葉、このことが身に沁みました。 私も苦しんだ人間の一人です。でも、赦すということは人間にはとても難しい。しかも報いもなく救いもない状況のなかで、罪を犯し続ける加害の側を無条件で赦すということは、およそ不可能なようにさえ思えることです。 ですが、であるからこそ、赦すことによってしか人は救われず、それによってのみこの世の中は救われるのだということが、それだけが唯一つの真実だと、私達はみな心の奥では理解して生きている生き物なのだと、そう思います。 今の世界が、ハンダラ様のクチコミに表されたように、 「矛盾だらけの前提の上にその矛盾をどうにか糊塗し己の利害を優先する為に謀略が実行され、謀略によってあからさまに実行されてしまった取り返しのつかない残虐によって後戻りできなくなった人間の喘いでいる時代」 である以上、私達の未来にはほとんど救いがないように見えます。正直な感覚として、この世の先に、未来に、ほんの少しの希望も見出すことが、私にもできるとは言えません。だからこそこのエピローグを、私は加えたかったのだと思います。自分が信じたいために。 闇の中に一点の光があれば、私達はそこへ向かうことができます。誰が信じてくれなくても、それがあると訴え続けること、それが誰か一人の見知らぬ人の心に届くことがあれば、それが、私達が演劇というものを上演していくことの、ほんの小さな意義なのだと、私は思います。 ハンダラ様、そのような願いを、未熟な表現も多々あったに違いない私達の舞台から、感じていただけましたこと、心より感謝いたします。 今後ともキングスメンの公演をぜひご覧いただけましたら幸いです。 シェイクスピアだけでなく様々な作品を上演してまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。
2024/06/02 17:08
ペンギンアート
ペンギンアート様、ご観劇およびクチコミありがとうございました。 今回の出演者の中で、シェイクスピア劇の出演経験がある俳優は、三名。あとは多様な出身の人達を起用しました。私達は「シェイクスピアとはこうあるもの」というステレオタイプな演技は取り除いて、作品を創ることを目指しています。 今回が初舞台という出演者も多数いる中で、一人一人の台詞が完璧に言いきれていない部分はあり、客席からは聞き取りにくい場合も見受けられたと思います。不備と感じられました箇所につきましては、大変申し訳ございません。 ただ、演出的観点からは、役者を技術力で評価して配役に就けるということは、私達は考えていないため、今後も役者として活動している人にかぎらず、様々な事情を持つ人と作品を創っていきたいと考えております。 歌とダンスの場面についてですが、例えば魔女ヘカティ登場の場面は、原作にあっても通常の上演の際にはカットされることが多い場面です。カットせずに生かした場合に、どうしても唐突な印象を客席に与えることが多いのは、もともと原作成立時に唐突に挿入された場面であるためだと言われています。実際にこの作品が書かれた時代には別の演劇作品の歌唱・踊りの場面をここに挿入して上演したことから、台本上にこの場面が残っていると考えられています。そのため、現在では上演の際にカットすることが多いのですが、今回はあえてカットせずに上演することを選びました。 また、他の場面や台詞でも、カットされがちな部分をできる限り残し、また付加されがちな演出を加えず、できる限り原作の台本を尊重して上演しました。 その結果、客席においては逆に唐突さが感じられたということは、逆説的で大変面白いご感想で、興味深く拝読させていただきました。 素舞台であること、音響や照明を使用しないこと、普段着に近い衣装であること、これらは劇団シェイクスピアシアターの形式に準ずるもので、私達もそれを特異なこととは感じていないのですが、初めてこのような舞台作品を観る人は、それを不思議と思うことが多いようです。 シェイクスピア劇は、16世紀に、もともと素舞台で、音響も照明も幕もなく、ただ晴天の下で行われ、それで成立するように書かれた作品です。ですからそれらを何一つ使わずに上演できる作品です。そうであるならばそのように上演したい、そのような効果に頼らずに挑戦したい、と私達は考えております。 ただ、素舞台ではありますが、今回私達は背景にプロジェクタ画像を投影しました。ただし、こちらも内容に準じた背景ではなく、あえて象徴的な画像を時間で機械的に投影されるようセットしています。これをどのように解釈するかは、絵画展を観る時の人の心の動きに準ずるもので、そのような芸術を重層的に重ねたいという意図によるのもです。 そのような意味での使用に限定しておりますので、物語の進行に関してプロジェクタを利用するということは企画の方向性にありません。手話の場面につきましても、字幕を出さないことにこそ演出意図をおいております。 このような趣旨から、今後も当団体がシェイクスピア作品を上演する際には、音響効果や照明の変化などに頼らない作品作りを継続していく所存です。これらの舞台効果におきまして、ご要望に添えず、申し訳ございません。 今後ともキングスメンの公演をぜひご覧いただけましたら幸いです。 シェイクスピアだけでなく様々な作品を上演してまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。
2024/06/02 16:45
鯉之滝登
鯉之滝登様、ご観劇およびクチコミありがとうございました。 私達の挑戦したかったことの数々を挙げてくださって、嬉しく思います。 日本ではシェイクスピア作品の上演は高尚でないといけないと思われているのか、普通の人間としてのマクベス夫妻の姿というものが描かれたことがあまりない点が、私は不思議でした。彼らは間違いは犯すけれど、一般の夫婦にすぎない。だとしたら愛も喧嘩も性的な感性もあるはずで、そのような生きた人間としての彼らを描きたいと思いました。 客席から見てそこまで生々しく淫靡と感じられたとは、予想以上のお言葉で、びっくりもしましたが、(実際にはキスシーンもなく、他はプロレス技のような動きであったので…) そう言っていただいて、とても嬉しいです。 そのようなマクベス像を細かく観て、人間味があると言っていただいたこと、 また、私の演じたマクベス夫人が発狂する場面についてもお褒めいただいたこと、 どちらも役者として励みになります!本当にありがとうございます! また、手話を使って演じたマクダフ家の子供達との場面を気に入っていただいたことも、演出家としてとてもありがたく思います。 今回、障がいを持つ俳優を複数名起用ししました。(※個人情報保護のため主催者としては出演者の障がいについて情報公開していません。) その中でもこの場面は、様々な事情を持つ俳優が自由に舞台上で演技をするという私達の方針の、最も明確な形を表すものであったとも言えるでしょう。その場面を好意的に受け入れてくださったことを、大変嬉しく思いました。(ちなみにアドリブはなしで、原作通りの台詞をやりとりしています。) 多くのご感想、ありがとうございます! 今後ともキングスメンの公演をぜひご覧いただけましたら幸いです。 シェイクスピアだけでなく様々な作品を上演してまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。
2024/06/01 01:56
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