実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/07/19 (水) 18:00
価格3,500円
初日及び楽を観劇。
ハッピーエンド路線を確立、公言する東京にこにこちゃんが描く大学生活のモラトリアム、そしてそこからの一歩を描く物語。
和光大学...をモチーフにした大学に入学した春瀬舞笑(大畑優衣)が演劇研究会に入部。様々な経験を重ねつつ成長も迷走もし、最後には周囲に力強く背中を押されて自分の意志で「ドア」を閉める。
団体側で不定期で過去作を無料配信している(本作も期待!)ので、以下ネタバレBOXへ。
ネタバレBOX
冒頭はサザンオールスターズになりたいと演劇研究会を訪れた新入生・豊丸光(四柳智惟)が2年生の大池奈々(菊池明明)、三町景(髙畑遊)に弄られるところから。豊丸は浪人して入学しているので2年生の両名と同い年なのだが、大学の上下関係は学年が基準なのだから敬語を使えと。こうしたちょっとしたネタでも笑いのギアが一気に入り、場内はドッカンドッカン沸いていた。この辺りの笑いの空気作りは本団体の得手だ。独特のリズムととぼけた持ち味の特撮サークルの里秋穂奈(立川がじら)、明らかに住み着いている感のフォークソング連合の中森悟(尾形悟)、出番は少し後だが、8年生から後に再入学の離れ業を行う奇人の鍛冶宮樹(武藤心平)が醸し出す雰囲気がにこにこちゃんらしさであり、1980~90年代の漫画的でもあり、(モデルの大学の特異な実態は知らないが)大学生活あるある感、こんなだったら面白いな感で何層にも面白い。
前述の彼らはにこにこちゃんへの出演がお馴染みのメンバーであったり、あるいは大変な個性を放つ芸達者達。そんな中に主役の舞笑に抜擢されたのは舞台出演が2作目の大畑優衣。どこか自信無さげで、何なら迎合する為の嘘も付いてしまう、舞台の演劇研究会への居着き方もふわっとなし崩し(入部自体はヘンなタイミングで決心している)と、万事何となくの等身大な揺れる若者像と言える。一方で好奇心旺盛で人当たりが良くてチャーミング。そんな両面を見事に体現していた。
時間軸は白幕の上げ下げと豊丸らの「〇月~」のような宣言で進行していく。舞笑は舞台の脚本を書いたり、音響を務めたりとサークルに勤しみつつ、初めての恋と失恋(相手はなんと鍛冶宮)のような経験も。愉快な先輩達にも可愛がられ、大学生活に居場所を見付ける。そして依存してしまう。日に日に目標を増やして部室の壁に貼り付けていく(友達を作る、授業を休まない、資格を取る、海外に行く...etc)。そんな前向きさと楽しみに溺れていく両面。どちらも極端に振り切ってはいないのが舞笑の在り方だ。前向きと言いつつも目標を叶えられていない焦燥、サークル活動を満喫しながらも先輩の卒業や新入生が居着いてくれない現実。バックボーン的なものは特に描写、説明は無いのだが、舞笑自身は元から自分に自信があるでもなく、序盤の振る舞いからしても強い意志を持った人物でもない。楽しみみに溺れつつ不安からの現実逃避。結果として部室で怠惰に過ごして昔話をするばかりのお荷物になってしまう。大学生活のモラトリアムは理解の無い人から見たら「楽しそうだね、甘えてるね」と切って捨てられるのだろうが、負の意識を自覚していないわけではないし、現実は直視出来ないが薄目で見えてはいて、きっかけや背中を押してくれる人や物事をうっすらと渇望しているのだ。甘えと言われたらそれまでだが。
さて、世知辛い現実とは違うので、舞笑は周りに恵まれていた。優しくそっと諭してくれる奈々、憎まれ口と力業でと強引さの景、一足先に現実に目覚めていた豊丸ら。景らは一緒に部室に住んで、昔話をしながら楽しく過ごそうと提案、そして舞笑がほったらかしにしている目標の全否定。感情的反発と大立ち回り。吹っ切れた舞笑は部室のドアを力強く閉めて出て行く。部室からの、モラトリアムからの卒業。終幕。
お馴染みのキャストも多い中で、今回は主演に抜擢した大畑優衣の働きも作風へのアクセント、新風として実に機能していた。役と存在感がマッチしていたという話だけではなく、細やかな部分の芝居も丁寧に取り組まれていた。奈々や豊丸がドアを閉めて去って行く時の「待って」はその人物への呼びかけの言葉であり、時間の経過と取り残される自分自身に対する心の悲鳴でもあり、静かな場面ながら作品の象徴的な部分と思う。その際の表情や声色には心を打たれた。鍛冶宮が「ここを出る」と言い出した時の、彼だけはいつまでもいると思っていたのにという驚きと残念さと取り残されてしまったという一瞬の表情、卒業した奈々が部室に来た時のバツの悪そうな負い目ある表情(普段なら嬉しそうなのに)。序盤の子供っぽい可愛らしさ、様々な試練でいじけてる様、景の好きな男を奪った件の感情の吐露など、振れ幅の点でも大変な見応え。抜擢に応える見事な芝居。
笑いの台風のようだった豊丸(舞笑を取り押さえる姿は寄り添う姿にも映って素敵)、お母さんのような優しさ、柔らかさの奈々(切ないラブコメ要素も!)、暴君だけれども一番力強く背中を押した景(風早くん...)、文科系サークルの先輩像で場を和ませた里秋(何たる朴念仁!)、ウザさ炸裂ながら本作最高の表現(飲み会~)の鍛冶宮、奴隷、盗聴、ワニワニパニックと要素多過ぎな中森。どの登場人物も面白く、人間臭く、愛くるしい。役者陣も流石。
ほろ苦さと苦難、終盤も笑いをてんこ盛り、笑顔と少し涙のハッピーエンド。象徴的な「ドア」の使い方。
本作も傑作だった。にこにこちゃんのアベレージは凄まじい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/07/07 (金) 14:00
価格8,800円
成河がまさに馬!
さらに音月桂、小西遼生ってケアード十二夜の同窓会みたい(^_^)
・・・なんてヌルい感想では収まるわけがない大変な傑作。以下長文。
ネタバレBOX
原作はトルストイの小説「ホルストメール」。恥ずかしながら本作は知らなかった。といっても、作者が書き上げてから刊行されるまで、ソ連国内で舞台化されるまではだいぶ時間が掛かったという独特な位置づけのようだ。日本でもこれまでに舞台化されたことはあったようだが、個人的には初見。
成河扮するホルストメールという馬が自身の生涯を振り返りながら、人間とは、生きることとはを考察する。ホルストメールは独白や馬同士の会話では舞台表現上、人語を用いているが、一般的な人との接し方の上では馬として徹している。いわゆる擬人化ではないし、カワイイ的な媚びも無い。成河のいななき、鼻音、尻尾の振り、近しい人物に甘える仕草などは動物園や競馬場で見てきたまさにそれ。特に軽快なステップは絶品。
なお、他のネームドの馬としてヴャゾプリハ(牝馬/音月桂)、ミールイ(牡馬/小西遼生)が登場するが、彼らは美男美女(?)としてのキャラ付けがもたらされており、リアリティよりかは多少デフォルメ寄りである。
序盤、価値の低いまだら模様に産まれ、それなりに雑に扱われながらも周囲の馬、人間と接しながら健やかに育っているホルストメール。この場面では特に厩頭(春海四方)、馬番ワーシカ(小宮孝泰)の人間臭さ、土臭さが良く機能している。だが、そんな穏やかな時期も、成長と性への目覚めが災いして去勢手術を受けさせられることで変わってしまう。以後、思索と人間観察にふけるホルストメール。ヒトというものの価値観、幸福感は所有(家、土地、女etc...)という概念で概ね表現し得るし、そんなものならば馬の方が幸福であり、上等であると喝破する。
そんなホルストメールだが、裕福で美しいセルプホフスコイ公爵(別所哲也)に駿馬としての資質を見抜かれて迎えられ、馭者フェオファン(小柳友)の世話を受けながら生涯最良の時を過ごす。この時期のホルストメールの幸福の根拠...それは愛情を受けている(公爵はあくまで駿馬としての価値を愛でているに過ぎない)からなのか、裕福な環境による美味しいエサやブラッシングなどの世話を受けられるからなのか、皆からの称賛からなのかはハッキリしないが、それはヒトでも馬でも竹でいちいち割り切るような話でもないだろう。そして、文字・言語の情報で最良な時と紹介されているだけではなく、称賛されている時の満足げな表情や公爵を待つときの誇らしげな表情、これを馬として体現している成河の芝居は圧巻というしかない。
公爵は地位もカネも何もかもを持ち合わせた人物。だが、何にも夢中になっておらず、空虚で地に足がついていない感(貴族だからでもあるが)がある。そんな彼にも愛人のマチエがいるが、ホルストメールを出走させ、逆転勝利して興奮さなかの競馬場で他の男に転んで付いて行ってしまう。つい先ほどまでホルストメールを友人だ、いくら積まれても売らないと誇っていた公爵だが、マチエを追うべく鞭を打ち、数十kmを無理やり走らせる...。結局マチエは取り戻せず、ホルストメールはこの時の無理、怪我が祟って以前のようには走れなくなってしまう。価値を失った彼は、老婆、農家、ジプシーなどへ次々と転売されて、転落、流浪の日々を送る。
ここで分かることは、公爵はホルストメールを愛でてはいたが、あくまで自慢の駿馬としての愛着に過ぎなかったこと。彼の趣味が絵画や骨とう品であれば、その知識と審美眼、愛着はそちらに向いていたであろうし、現代ならば車や自家用ジェットだったのかもしれない。所有物、その程度のことだったのだ。
「所有」と並ぶ本作のテーマは「老い」
まだら模様なうえに走れなくなった老馬ホルストメールへの周囲のヒト、馬の当たりは冷たい。だが彼は誇りを失っておらず、過去の栄華と転落をしっかりと受け止めながら、含蓄のある語りを続ける。
一方で公爵は資産を使い果たし、周囲からは厄介がられる存在となっていた。過去の自慢話ばかりをする姿は老害そのもの。
そんな二人が冒頭の将軍の厩舎で思わぬ再会をする。公爵はホルストメールに似たまだら模様の馬を発見するや、かつての愛馬の自慢話をする。だが、目の前のその馬がホルストメールである事には気が付かない。近寄ったホルストメールだが、公爵は一言「臭いな」と。この後に感動の再会を迎える前のフェイントの笑いかと思っていた。だが違った。気が付かないまま。
言語を交わさない馬だから分かりようがなかった、ホルストメールが老いぼれて様変わりしたから分からなかった、公爵が耄碌していたから。それらもあるかもしれないが、そうではない。単に自慢の所有物としてしか観ていなかったからだ。
そしてホルストメールは殺処分される。淡々と処分される馬と、落ちぶれ、老いぼれたヒト。どちらも一見は惨めな老後だ。
ホルストメールの肉は狼らに食われ、残った骨は農具として有効活用された。
一方の公爵の亡骸は地位に応じて立派な埋葬をされたが、そんなものはヒトの虚実と裏返しでしかなく、彼の肉も皮も何の役にも立ちはしない。
その点だけならば馬の老と死の方がずっと有意義で上等だ。
一貫して馬の目線から、ヒトや生きることを見透かす、問う、突きつける物語。
だが、この演劇の終末を以ってヒトと馬のどちらが上等かなどと言う必要もない。そんな説教のようなものは必要ない。
この戯曲の持つ圧倒的なリアリティは、観た人のリアルを捉える眼力、思考力を間違いなく刺激する。それで十分だろう。
戯曲の威力を的確に発揮させ、音楽劇としてのエンタメをも併せ持たせた演出。役者陣の好演。
必見の作品だった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/06/28 (水) 19:00
価格4,000円
少年フリックの冒険譚。
ザムザの木の空間の中には簡素なテーブルとイスだけがポツンと。鍛冶場の音とこわばった表情のフリックが印象的な緊張感ある導入。食器やパンを配る姉のポリーはフリックのところにだけは投げやりに、パンも少量だけ引きちぎって投げて寄越すような仕草。ポリーの夫のケリーは心優しい性格で、些細なきっかけで癇癪を起すポリーをなだめつつ、フリックにはパンを分けてあげたりもする。後に説明があるのだが、両親がいない中でポリーは一日も休むことなく働き、フリックを養ってきて消耗しきっているのだ。また、せっかく手に入れたケリーとの生活の為にフリックを追い出したいという願望もある。単に性格が悪いだとか狂人というのとは違う。
フリックも辛くないわけがなく、常に表情は引きつり、言葉もたどたどしい。外では小汚いノロマ呼ばわりも受けているようだ。先天的な障害ではなく、この家庭環境による抑圧の影響が大きいのかなと思う。
また、空想癖がある。イマジナリーな存在にロンリネスと名前を付け、語り掛けている。現実逃避の産物でもあるのだろう。そしてこの空想の向こうには「確かなもの」がある。後述。
そんなある日、フリックはケリーから横笛を贈られる。隠し事を嫌うポリーに咎められ、ケリーからも正直に言うよう促されるが、フリックは笛を隠し通してしまう。余程笛が嬉しかったのだろう。ずっとそのままなら隠し事では無いから許すとポリー。フリックが笛を隠した位置は股間。巨大なイチモツが屹立した状態にしか見えない。フリックはその姿のまま家を出る。
こうして冒険が始まるのだが、「ぷぷぷ」と紹介されている作品、毎回開演が押す(来るのがギリギリな人が多過ぎる)ような弛緩した流れ、フレンドリーな前説からの空気が文字通り一転して、会場全体が緊張感を帯びたのはお見事だった。
最初に訪れたのは孤児院。関西弁の男の子がリーダーとして盗賊団を名乗っている(本当に盗みを働いているのかどうかは描写がない)。設定がやたら細かく、どこか中二病的。盗賊団加入に際して、秘密を漏らしてしまった時の代償、通常であれば両親の命という脅しだが、両親がいないフリックはケリーを殺していいと提案、懇願する。こんな形で義兄への愛情、感謝を吐露する姿が切ない。
こうしてほうぼうを旅して沢山の人物と出会い、教訓を得ながらフリックは成長していく。この場面ならリーダーの男の子の「自分の舟は自分で漕ぐしかない」が印象的だ。
孤児院に中年の三銃士が登場する。湧き上がる孤児の子供たち。子供たちに下ネタを炸裂させたりと感心する大人像でもないのだが、笛を屹立させたフリックをダルタニアンと呼んで仲間に加え、会話の中で教訓を与えてくれる。なお、この時点でフリックの言葉遣いが滑らかになっていて、良い方向に向かっている感じが嬉しくなる。そしてやや唐突な三銃士との別れ。
舞台は変わって近世ヨーロッパのような街。街の人々とストリートパフォーマー。パフォーマーといっても現代の夢追い人のような立ち位置ではなく、チップを貰って生業としている人たち。3人の技はドラム、ジャグリング(玉投げ)、ブレイクダンスなのだが、これが賑やかで楽しく、エンターテイメントとして充実。世界が回っている。そんな彼らに刺激されるフリック。だが、口上は上手くなったが笛はまだロクに吹けない。
次に訪れたのは日本の江戸時代のような街。この世に飽き飽きしたお殿様は面白い人物を集めては飽きて投獄してしまう。牢屋にいるのは何故か昔話の面々で、花咲か爺さん、浦島太郎、雪女、三年寝太郎、そして一寸法師だ。一寸法師から笛の指導という名目でこき使われながら、フリックの笛が着々と上達していく。道化らしいパフォーマンスも体得しつつ。
一寸法師からはもう教えることはない、もっと上手くなりたいならと名人の西の魔女の元を訪れるよう促される。この時の「上手くなりたいのか」に対して「当たり前だよ!」の力強い返し。成長が見て取れて嬉しい。
また、この場面で見えない女性から自分の名前を呼ばれている感覚を覚えるフリック。単なる幻聴では無い不思議な感覚。同じ村にいても出会えない者もいれば、世界の両端にいても出会える者もいると一寸法師。
6人の西の魔女。笛吹きの名人という触れ込みだったが、どうやらアダルトなお店のようで、笛とは男性の…事のようだ。完全にズレたアドバイスなのだが、それでもフリックの笛は格段に上達。なお、この指導の影響か色気らしきものも帯びたようだ。
ヨーロッパの街に戻り、笛を披露すると人々の人気者になる。そこでパフォーマーの面々に仲間になりたいと申し出るも拒絶される。彼らも商売敵に成り得る存在には敏感なのだ。三銃士もそうなのだが、大人が決して甘やかしてはくれない辺りが本作の成長物語としてのリアリティ。
ここにきて迷いを感じるフリック。
場面は変わり、少女と少年。激高して家を出ると吠えているのは少女はエスメラルダ。自分は公爵(侯爵?)の血筋の特別な人間であると。更には遠くの果てに自分を探している男の子がいて、しかも自分の名前を間違っているから正しに行くのだと。同じパーティーに出ていても出会ない者もいれば、世界の両端にいても出会える者もいるのだと!
太陽のような女の子というより太陽のフレアのような女の子。途轍もない熱量、勢い、突飛な想像力に幼馴染のロドリゴもタジタジである。後に人を寄せ付けない生き方だったと語っているのだが、この激情ぶりに付いてこれる人がいなかったのだろう。フリックとは違う意味で居場所を求めていた少女。なんという運命!
後半になってからの登場で既に人物は出揃い、場も温まりきっていたのだが、登場するなり叫び、走り、一瞬で追いつくどころか更に加速、加熱させて行った。役者(有田好さん)としても途轍もない。
フリックを探して旅をするエスメラルダ。孤児院では関西弁のリーダーと張り合い、王侯貴族オタクの孤児にとまどいつつ、三銃士ならぬチン重視に襲われそうになりながらも西の魔女に助けられたり(三銃士と西の魔女で大人の時間に)、江戸っ子には投げキッスを振舞ったりの珍道中。
一方その頃、迷いの中のフリックだったが仲間たちの声に後押しされ、エスメラルダを探して走り始める。
お殿様に絡まれ、全力のエピソードトークもウケずに危機に陥るエスメラルダ。そこに淡々と走りながら到着するフリック。チン重視の場面で遠くからの笛の音と同時に現れてたら最高にカッコよかったのにあえての展開。遠く離れた距離にいながら空想を通じて繋がりあっていた二人の出会い。感動したお殿様に許され、この場の窮地は脱する。
苦しい生活、働きづめの日々で笑顔を失ったポリーとケリーを救おうと決意する二人。ボーイミーツガールの冒険譚、成長物語として最後の仕上げだ。またにその頃、ポリーとケリーは黒い影ロンリネスに襲われていた。世界中の悪意、負の感情の連鎖で増幅するロンリネス。対抗する為にこれまでの冒険で出会った仲間たちを次々に呼び寄せるフリック。強力なロンリネスピラミッド(組み体操)により悪に寝返る面々も。危機の中、お殿様はそんな珍奇な光景に笑いの声「面白い!」を上げる。認められたい欲求こそが存在の根源であり、弱点であったロンリネス。フリックの心の中に戻り、事態は無事に収束。これぞエンターテイメント!
40人の出演者が総出で、頭と身体をブン回しながらのエンディング曲。劇中のメッセージ、歌詞の内容、発散されまくるエネルギーに刺激され、笑顔でいながら涙が溢れた。
「エネルギーに満ち溢れた」「活気を貰った」という舞台の感想はあるあるなのだが、本作はまさにそう言うしかないし、その具合が飛び抜けていた。
以前に他の作品を観た時には癖のある作風の団体と受け止めていたのだが、本作ではその癖とファンタジー的要素とテーマの前向きさ、人数の多さとエネルギーが良い塩梅で融合。
登場人物も癖があったり何か欠けていたり、でも人間臭くて親しみが持てる。役者陣(当パンはなく、HP等にも記載が無いので役と一致させられないのがネック)も文字通りの熱演。個別の名前が無い(出てこない)役も多いのだが、しっかり区別、思い出せるぐらいに個性が整理されているし、声のマッチングも良かった。ケリーがポリーをなだめる際の声やお殿様の殿様らしい笑い方が良き。
そして改めて、エスメラルダ役の有田好さん。ここだけはお名前を知りたくてスタッフさんに訊きました。前述の通りで後半からの登場なのに、一気に追いつき、更に加速・加熱させた爆発力はまさに圧巻だった。セリフも膨大で常に絶叫気味で、でも全く噛まない。声も潰れない。声の通りもよく、声質もプリっと可愛らしい。「もう!」などは声フェチとして痺れた。お顔自体もとてもとても可愛らしいのだが、これでもかと表情も動く動く。出ハケも殆どが全力疾走。
作品を象徴するセリフ「この世は喜びで満ち溢れている」「楽しい事があり過ぎて嫌な事に目を向ける暇なんてない」を担うに相応しい存在感に生命力。
見とれてました。途轍もない役者さんでした。
素晴らしい作品、出会いに感謝。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/04/01 (土) 13:00
価格4,000円
4月1日(土) 13:00
A班
ネタバレBOX
路上で弾き語りの少女、ビラ配りの兄、登場人物の顔見せと賑やかで趣ある冒頭。※前説は聞き取りにくい
少女・真希は芸能事務所の詐欺に遭い500万円を抱える。それを知った兄・聡は返済の為に大学を中退し、ウリ専の仕事に身を投じることに。この場面、妹思いの大変な決断ながら、激情でもなく嫌々でもなく、淡々と受け入れている感。この性格は後の展開に影響してくる。ウリ専の仕事と知らずに面接に訪れ、一度は逡巡するも店長・桜田から覚悟・偏見を諭され受け入れる。
先輩ケイタによる研修。飄々としたムードメーカーでありつつ、この仕事の大切な心構えを教えてくれる。研修は音楽を流しつつどこかダンサブルな見せ方。照明、薄手のカーテンの使い方も上手い。
本作は全員(悪役そうな者もおちゃらけてる者も)が各々の道徳や倫理観、矜持、プロ意識を持ち合わせている。そして多様化だなんだと言われている昨今でも、受け入れられずに拒絶し合う悲劇に繋がる。
聡以外にも高校の同級生であり親友・康雄の恋人・翔子=カナもまた風俗嬢なのだ。
その風俗店の同僚クッキー。人好きでおちゃらけているが本質が見えてる人。ある意味でケイタと対になる存在。店長(同系列で兼任)の落ち着き、面倒見も併せて職場が居場所として機能している。
聡=カケルの店にはショウというNO.1の先輩が。彼もまた過去のトラウマを抱えており、聡にとって大事な役割を担う。
さて、聡は勤め始めた初日に常連客・田端と出会う。聡を気に入った資産家の彼は高額な裏引き・愛人契約を持ち掛けるが、聡はそれは拒否し、通常の接客を行う。
田端はプレイ時の妖艶な眼差しと後の語らいの時のクリっとした瞳のギャップが凄い。
関係を深めながら、彼の住むタワマンにお泊まりコースに出向く。そして事件が起こる。
とあるゴシップ誌の編集部。そこには生真面目な新人記者・金子とスレた編集長・吉岡。
トー横問題を社会派の記事として取り上げたい金子に、掲載の交換条件としてスキャンダル取材が命じられる。
…対象は実業家の田端の男漁りの件。
その頃、康雄は翔子の風俗勤め(会社の先輩の情報、写真、不自然な通帳)に疑念を抱き、聡に相談する。自分の事情も打ち明けたいと考えていた聡だったが、風俗の仕事への偏見、拒絶を見せる康雄には説明出来ず仕舞い。
逆に打ち解けたショウからは過去の経緯(差別、同僚の自殺、母親)を聞き、共感、肯定と同時に偏見をする側への反発も静かに強まった瞬間でもある。
そして田端との夜。全てを手に入れている彼からも話を聞く。全てを手に入れている彼が得られなかった普通の生き方。それを隠す、埋め合わせる為に成功を得たとも言え、同時に虚無感に陥ってしまっているのだ。
聡は自分に正直に生きて来なかったことを実感。これもまた新しい自分と居場所、今の感情、流れを前のめりに肯定する事(偏見への更なる反発の裏返し)に繋がる。真に視野や器が拡がった事とは少し違う。それを見越したのか、自分が分からなくなってしまう危惧を田端から釘刺されるのだが…。
そして、そんな流れの時にタワマンでの田端との姿を激写、取材されてしまう。
後に金子は編集長への報告と同時に記者を辞めるつもりであることを打ち明ける。下衆い仕事オンリーかのような編集長から記者を志した動機や仕事とは何たるかの話を聞き、自分なりのケジメを付けることに。
一方でケイタとのお喋りから翔子=カナの風俗勤めを確信(ケイタがカナを指名してプレイしている事は気にならないらしい)する。
ここで全ての伏線、秘密が繋がってしまう…。
兄妹の心の通いあった会話、温かい両親の存在、アコギの歌が却ってその後の悲劇を予感させる。
刺激的な設定、シナリオの作品だが一つ一つの会話の仕上がり自体が抜群に良い。言葉と芝居に没頭していてふと気付くと気の利いたBGMが鳴っている。この選曲もまた抜群に良い。
ストーリーに戻る。
ケイタと翔子=カナのプレイ時についに察知した康雄が殴り込んできてしまう。店長、ケイタ、クッキーが見守る中で話をするも、話し合いにはならない。康雄は風俗への偏見で怒りと拒絶の言葉を吐くばかり。
更には聡=カケルまで(翔子が聡に驚かないのは謎)が駆け付ける。この流れでウリ専の仕事を明かすことになり、康雄は更に混乱と怒り。そのまま康雄と翔子は破局となる。
ゴシップ誌が発売。田端の男漁りの件が掲載される。田端は責任を取って会社を退任して旅に出る。破滅を淡々と受け入れながら、見失っていた自分の再起を語れる田端は人生経験と物理的な余裕もあるのだと思う。聡との違いの一つ。
雑誌は真希の手元にまで。真希からは仕事を止めるよう懇願されるも、意固地になっている聡には届かない。もちろん他に返済の手段がないという切実な事情もある(序盤の追い込みの電話もしつこかったしヤバい筋の相手なのかもしれない)
「お前が借金さえしなければ」
借金が発覚して大学中退を決めた時には淡々としていたが、ここで本音が出てしまった。自分の心を守る為にも偏見への反発を強い言葉で吐く聡。
雨の中飛び出す真希。
駆け付けた康雄と押し問答。
「こんなこと」「そんなこと」
良く使う言い回しではあるが、意図的に多用している。
「汚れ」「醜い」「汚い」
感情のコントロールを失い康雄の首を絞めるも、元々待ち合わせをしていたショウが現れて解き払う。
康雄からは消えろと。目の前から、記憶から。
妹と親友と断絶。
おそらく親バレもしているのだろう。
慕っていた田端も去ってしまった。
ショウは抱きしめてくれる。
良い雰囲気の新たな居場所もある。
でも埋め合わせにならなかった。
若い聡には受け止めきれなかったのだろう。
分かって貰いたかっただけなのに全否定。
康雄と真希も特に偏見が激しいというわけでもなく、2023年の今でも「普通」の感覚なのだと思う。勿論瞬間的な反応でもあるから時間を掛ければ解決したのかもしれない。何にせよ皆が若過ぎた。誰かが悪いのではない。
ノンバーバルの後日談的なカーテンコール。
和やかな日常、門出、引き摺る壁や傷、記念の写真。
見守っていた聡は靴を脱ぎ、笑顔で電車に…。
この結末を選んで欲しくはなかった。
こんなバイバイは。
センシティブな題材をどこにでもいる若者の内面の描写に落とし込めている。
私は性自認も性的指向もストレートであり、聡とは共有出来る所はないが、自分の中の普通ではない部分、人とは違っている悩みと照らし合わせ、聡に浴びせられる言葉、聡から吐き出される言葉が痛かった。
どんな人間にも当てはまり得る普遍的な物語。
言葉選び、音、光も含めた演出、役者の熱演と申し分のない素晴らしい作品でした。