旗森の観てきた!クチコミ一覧

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何をしてたの五十年

何をしてたの五十年

劇団NLT

博品館劇場(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

フランスのブルヴァル喜劇は戦後しばらくは「しゃれた演劇」として演劇界でも世間でも人気があった。だから、NLTもテアトルエコーも喜劇を標榜して新劇界の一端に加えられた。事実、日本にはない独特の男女関係、家族関係、のモラルが基盤になっていて、アチラではそう生きるんだと、ヨーロッパのモラルのあり方を学んだものだ。それから50年(以上)…・・・世はすっかり変わって、今見ると、この舞台の物語はおとぎ話だ。古めかしい人物設定とすれ違いの笑いのドラマでは今の客には苦しい。だからと言って、まるでつまらないわけではないが、50年以上やっているNLTの俳優が台詞の多いこの芝居を懸命に勤めているのを見ると、その歳月が胸に迫る。木村有里も川端慎二も川島一平もみな役年齢を越えて、70歳を超えている年齢だ。二時間に足りない芝居が休憩入りだ。
劇場は博品館。ここでは「上海バンスキング」が大入り満員で長期公演をやった時の湧き立つような熱気が懐かしい。あのころは銀座にシャレた若者劇場ができるかと期待したものだ。いまならシブゲキか。この劇場でいまの時代の若者も、壮年層も楽しめる芝居・・・・それはやはり、ルッサンではなく、新しい喜劇だろう。NLTにそういうことを言うのは酷かもしれないが、芝居が今のものである限りその残酷は避けられない。

オーランドー

オーランドー

KAAT 神奈川芸術劇場 / PARCO

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2017/09/23 (土) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★

ユニークな舞台である。作がヴァージニア・ウルフ。詩的表現を舞台に立ち上げた作品だ。
オーランドー(多部未華子)と言う美しい若者が16世紀から21世紀までの時代を駆け抜ける。16世紀は女王に使える美青年の小姓。17世紀はトルコにわたって女性となり18世紀には植民地インドにわたり、19世紀には結婚・・と、オーランド―のお相手にはトルコの若者(小芝風花)、女王ほかの役には小日向文世が男女を交えて、いずれの時代もお相手となる。
テキストに筋はあってないようなもので、乱暴に言えば、人生の様々なトピックをいささかは演劇的に組んだ箴言集と言った趣である。
そうなれば、あとは舞台をどれだけ心地よく見せきるかと言う事が肝心になるわけで、そこは演出の白井晃は手慣れたものでうまいのだ。上記の三人に、脇役三人のキャストを加えた6人の俳優と3人の演奏者でかなり広いKAATの舞台を埋めてしまう。多部未華子は舞台は初めてか、ガラは少年と少女を行き来する若者役にはいいのだが、やはり台詞が後半になると辛くなってくる。いずれの俳優も多くの役をこなさなければならないわけで、そこは小劇場出身の俳優はうまく処理する。池田鉄洋などが神妙に付き合っていて六人でやったとは思えない広がりがある。ホリゾントには西洋絵画を大きな動画で見せ時代を移していく。衣裳の伊藤佐智子が大奮闘で、多部をはじめ時代ごとに見栄えのする衣装で場を引き締める。音楽の演奏も過不足なく、それぞれの場面が綺麗にまとまってよく出来ている二幕・2時間のステージなのだ。
さて、この舞台で感動するか? うーん。面白かったか? うーん。精巧なからくり覗き箱を見たような印象なのだ。それで贔屓の役者が生で観られればいい、と言う観客には満点で、ステージショーとしても出来はいいのだが、演劇としてはどうなんだろう。こういうのもたまにはいい、と軽く言うにはご、苦労さまの舞台であった。

33の変奏曲

33の変奏曲

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/08 (日)公演終了

満足度★★★★

芸術作品の謎を解くミステリだ。物語は、なぜベートーベンが、楽譜業者から提示されたつまらない主題から33もの変奏曲を書いたか、という謎だ。この謎を物語の軸に、老いやさけがたい病、人生を賭ける使命喉を織り込んだ芸術作品裏話ものである。このジャンルの芝居には名作も多く、並行して上演中の「アマデウス」や先に公演された「謎の変奏曲」は、芝居としてもよく出来ていて再演を重ねている。この「33の変奏曲」も再演だが、先行上演は黒柳徹子のコメディ・シリーズだ。改めて新劇団の老舗でもある劇団民芸が後追い再演をするからには演劇的な面白さの新しい発見があるかと思うと、それが案外薄い。看板女優?の樫山文枝が謎を解く現代の音楽研究者、西川明が過去のベートーベンを演じ、難病に苦しみながらも家族に支えられこの謎に挑む現代の研究者の苦闘と、楽譜業者や意に染まぬ秘書に囲まれて老いの中で聴力を失うベートーベンの自らの音楽追求が交錯して描かれる。なぜこの変奏曲が成立したかと言う解説としてはよくわかるが、芸術にかけた老作曲者の情熱や、難病と闘いながら遂にその情熱に行きついた研究者の足跡から、永遠に残る芸術作品の輝きやそこに賭ける人間が見えてくるかと言うと、そこは型通りだ。この戯曲もとはジェーン・フォンダの最後のブロードウエイ復帰で上演された作品(09年)だそうで、もともとスター・ショーの戯曲なのだ。脇役も、生真面目にやるよりは芸人風の方が面白いのかもしれない。民芸の俳優も、演技の度合いを測りかねて活気がない。
結局、一番舞台で目立つのは中央の紗幕の中で、全33曲の曲をピアノ生演奏するピアニストと言うことになってしまう。この音楽が気持ちがいいのか長年の民芸ファンらしき隣の席の老夫人はほとんど眠っていた。

エフェメラル・エレメンツ

エフェメラル・エレメンツ

ティーファクトリー

吉祥寺シアター(東京都)

2017/09/22 (金) ~ 2017/10/03 (火)公演終了

満足度★★★★

川村毅のスマッシュヒットである。80年代から鍛えられた小劇場魂。今だ老いず。
素材は使い古されたディック以来のアンドロイド物なのだが、この時期に見ると今の迫力がある。そこが演劇の怖ろしいところだ。
美術はクレジットがないから川村本人か。いつも川村の舞台は整理が行き届いていて、見ていて気持ちがいいが、今回も二百人足らずの小劇場の舞台に、廃炉の中から宇宙まで巧みな転換で見せていく。照明はベテランの原田保。音響が藤平美穂子で、いいスタッフを駆使するところなど、最近の若手の小劇場の及ぶところではない。さすが!!
堅い椅子で休憩はあるものの3時間は辛いが、飽きずに見てしまう。俳優も客演はあるものの、ベテラン新進でそれぞれの力を出している。
第三エロチカの80年代から、独自の演劇の世界にこだわってきた演劇人の作品に接すると、ある種の感動がある。MODEのカフカや、松本雄吉のジャンジャンオペラなど、唐や蜷川の大きな成功のもとに隠れた小さな宝石の輝きに触れたような懐かしさである。

ネタバレBOX

アンドロイドの活躍で廃炉の後福島にアンドロイドの人間の共生する独立国ができる。その名前が「希望の国」。観劇後帰宅して遅いテレビニュースを見ていると、小池新党の名前が希望の党!に決まったという。
舞台では希望の国の崩壊も描いているが、演劇の予見の力を感じさせつことであった。
謎の変奏曲

謎の変奏曲

テレビ朝日

世田谷パブリックシアター(東京都)

2017/09/14 (木) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★

二転三転、舞台の謎が次々と変わる。たった二人の出演者で2時間半、だれることなく観客を引っ張っていく。超絶技巧の見事な戯曲だ。
エニグマと言う曲が謎を象徴する音楽になっているが、音楽そのものは象徴的意味しかない。象徴するのは「愛」だ。北極を望む北欧の寒村に住むノーベル賞受賞の老作家(橋爪功)を訪ねてくる、いわくありげな新聞記者を名乗る30歳過ぎの男(井上芳雄)の二人芝居。ただの取材と思っていると、二人の関係は刻刻と変わっていく。一幕の終わりで、二人の関係が容易ならぬ愛の葛藤を含んでいることがわかる。そこからの二幕の展開がうまい。

ネタバレBOX

二人の間に置かれた老作家の新作に収められたかっての愛人から寄せられた12年間にわたる愛の手紙を巡って、次々と新しい真実が語られ、二人の間の関係も彼らと深い関係となった女性との過去も彩りを変える。そのサスペンスがこの芝居の見どころなのだ。二人が、姿を見せない第三の登場人物の女性に託した愛の姿がこの劇のテーマだ。
展開は実にうまい。事実が開いていく構成もよく計算されていて見事なものだ。面白い。芝居見物にはそれで十分、と言ってしまえばそれでいいのだが、ないものねだりをすれば、その「愛」はいささか作りぎで、真実性に乏しい。20年前に書かれて以来、日本でも三度目の上演で、老作家は仲代達矢、杉浦直樹、と言った癖のある「名優」がやっている。つまりはそういう俳優の力でこの作品の真実は担保されているのだろう。今回は橋爪功。うまい役者で、今までの役者に軽みを加えてさすがである。対する男に井上芳雄。劇場はこの俳優のフアンが詰めかけているようだが、残念ながら、長い間愛の谷間で過ごした男の苦悩が伝わってこない。表現されてもいない。橋爪につられたのか、軽すぎる。ただの謎解きエンタメ劇ならいいのだが、この芝居はいささか技巧に走りすぎているとはいえ、人間の「愛」のドラマである。観客のご機嫌伺いのような芝居もあり、そこが残念だった。
幻の国

幻の国

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2017/09/12 (火) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★★

古川健と言う作者が芝居を心得たうまい劇作家だということは、俳優座系、文学座系の二劇団の稽古場公演を、同じネタで(いい度胸だ)面白く見せてくれたことでよくわかった。ドイツを鏡にして、現代日本の状況を反面教師で見せるという趣向である。青年座の方は大衆扇動、こちら昴の方は市民社会の中の密告が主な素材で、要するにいろいろ大きな理想を掲げるが、全体主義の手法に騙されるな、と言う社会劇である。昭和前期の世代には、身に沁みた話ですぐに「大本営発表」と「隣組」が連想されるが、若い世代には目新しいだろう。こういう話を問題劇として面白くみせるのはいい企画だ。(だがここまでで充分だ)
ほめる人は多いだろうから、気が付いたところ。外国の話だから人物のパタン化は避けられないにしても、事件の方もパタン化している。観客との接点に乏しい。青年座の時と同じ感想だが、次は日本を舞台に書いてほしい。幕切れ、何かに感じが似ていると思ったら、「女の一生」の幕切れと同じではないか。カリドールを踊る代わりに、花火が上がる。こういうところは日本情緒で締めているわけだが、その辺をもう一つこの才能豊かな作者には工夫して欲しいところだ。
俳優はさすがに新劇系で、台詞は無難だが、ドイツの話と言うこともあってか、うごきに鮮やかさがない。舘田が目立つようではね。
老人の観客が多いせいか、トイレの時間が予定の休憩時間では間に合わず、間が抜けたのは、大当たりのご愛嬌と言ったところか(笑)

百鬼オペラ 羅生門

百鬼オペラ 羅生門

ホリプロ

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2017/09/08 (金) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★

劇場へ入って、今どき珍しい寓話風のプロセニアムアーチに布幕が引いてあるところで、??と黄信号がともったが、幕が開くと、もう「百鬼」といえば、コレと言うお化けの森のセットが現れ、ダンサー登場、型通りの鳥バタバタの群舞が始まって、赤信号。
「百鬼オペラ」とは何事かと見に行ったが、興業元は宣伝のキャッチフレーズに困って言って見ただけなのだ。1時間づつの2幕、何のことはないあまりうまくない名作歌入りショーなのだった。
ストーリーは芥川の中学生で必ず習う芥川の「蜘蛛の糸」、「藪の中」、羅生門、「鼻」を長田育恵が藪の中を軸に脚本にしたもので、構成台本としてはまずまずだが、せっかくの大冒険、イスラエルから演出・振り付けを呼んできても、途中で、歌謡曲まがいのの歌、急に暗黒舞踏まがいのダンスを、宙乗りと提灯の薄っぺらな日本画風セットでみせるのに忙しく、結局これが、愛の破綻、あるいは過剰の物語なのだと言われても、日本人にとっては、新しい発見とは言えず、一方かなり無理もあった。彼らと芥川作品との切実な接点が見えず、かといって娯楽に徹しましたと言うには程遠く、みる方も気合が入らない。何でイスラエルなんだろう、また、何をこの物語に乗せたかったのか、遂にわからずじまいだった。
大きな劇場でほとんどの席が一万円以上だ。せめて、俳優には「鼻」と「花」のアクセントの違い、読経は「ドキョー」で「ドクキョウ」ではない、と言うことくらいは日本人のスタッフが教えてやるべきだろう。せめてそれくらいはやってくれなければ、この席料には見合わない。 

DOUBLE TOMORROW

DOUBLE TOMORROW

演劇集団円

吉祥寺シアター(東京都)

2017/09/08 (金) ~ 2017/09/17 (日)公演終了

満足度★★★★

新劇団の円が、このような舞台をわざわざ外国の演出家を招いてやるのはどういう意図があるのだろう。確かにこのところヒット作はないが、何もこの程度のフィジカルシアターをやったからどうと言うこともないだろう。確かに俳優には刺激になるかもしれないし皆嬉々としてやっているが、内容が薄すぎる。これが人生だって?? さびしいではないか。チェルフィッチュや地点を引き合いに出すのは気の毒だが、こういう小ぎれいなだけ、内容も適当に時事に合わせ、と言うフィジカルの時代は終わった。こういうのはもうダンスの連中に任せて、外国と言うなら、米英の優れた新旧の本邦未上演の戯曲がいくつもあるではないか。そうなれば円の俳優も実力を発揮できるし、吹き替えで着いた悪い癖も取り払うことが出来るだろう。いわゆる新劇系の劇団(と言われるのが嫌のようだが)の中では最も視野も広く期待している劇団なのだから。しかし、2時間15分。吉祥寺で満席は何よりだが、隣の席の業界らしき観客は終始眠っていた。

CRIMES OF THE HEART ―心の罪―

CRIMES OF THE HEART ―心の罪―

シーエイティプロデュース

シアタートラム(東京都)

2017/09/02 (土) ~ 2017/09/19 (火)公演終了

満足度★★★★

アメリカの橋田寿賀子である。
地方都市の自堕落な中菱家庭の三姉妹の物語だ。祖父が死の床にあり、母は縊死しているというのに、長女はコンプレックスの塊で男が出来ず、次女は歌手と言うが仕事がなく、三女はなんと自分の浮気(相手は少年である!)の現場を押さえられて、亭主を拳銃で撃つ。その銃撃のシーンから始まり、三人の女の勝手放題の論理が、次々と狂騒的に事件を生んでいくホームドラマ!2時間45分だ。ピューリッツア賞を受けたというだけあって、三姉妹の無軌道ぶりは半端ではなく、30年前にはアメリカの家庭に潜在する危機を容赦なくあぶり出して評価されたのだろう。
この作品が賞を受けたのは1986年。今あらためて日本で見ると、もう日本でもこの時代は終わっているという感じがする。問題がなくなったというのではなく、もうこういうことでは驚かない、つまり、芝居で見ても改めて感動することもない。唯々笑ってみるテレビと同じだということになる。舞台は結構凝っていて、中央に張り出したテラス舞台で、観客と同じ平面で進んで、まるでご近所の家庭争議を見るような気分だ。
俳優では、小劇場出身の伊勢佳世(三女)、と行き遅れの雰囲気をうまく出した那須佐代子(長女)が好演。ことに伊勢はベテランに交じって臆することなくこのどうしようもない女をドライに演じきった。イキウメの俳優も幅が広い現代性がある。拍手。
現代のアメリカ演劇はこういう身もふたもない話が多いが、アメリカの観客はこれで楽しめるのだろうか?この自虐趣味には少々辟易する。演出の小川絵莉子は新国立の芸術監督になるそうだが、宮田慶子との違いを出そうと余り露悪的にならないように願ってしまう。

戦争、買います

戦争、買います

タテヨコ企画

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/08/29 (火) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★★

小劇場には珍しい直球型の政治ネタである。
演劇と社会はもちろんかかわりは深いのだが、日本の新劇の歴史からも、この両者はいかにも「政治的」な関係でぎくしゃくしてきた。この舞台は武器輸出と中小企業の話で、少し前にトラッシュマスタズが同じテーマで、家族劇でやっていた記憶がある。一口で言うのは難しい問題で、ことにこの素材から社会と家族の運命を描いて、観客を納得させるのは容易ではない。
かなり現実的な素材なので、社会人が見ると、設定の安易なところとか、現実の法制の無知とかが露呈するが、こういう素材に小劇場が取組み、しかもかなりの観客(私の見た会は満席)を集めていることは、ジャニーズの顔見世芝居(これも時に面白いものもあるが)や2・5デメンションだけが舞台と言うよりは、はるかに健康である。
俳優たちは妙に現実的でリアリティがあるが、役を通して長続きしない。地と役とがまだら模様で、そこはいますこし精進されると良いと思う。作演出は力みすぎ。役の解釈ももう少し深く見て演技をつけないと、言葉は悪いがマンガになってしまう。
しかし、1時間45分こういう堅いネタでよく頑張った。

八月納涼歌舞伎

八月納涼歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2017/08/09 (水) ~ 2017/08/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

夜の第三部「桜の森の満開の下」
野田歌舞伎の第四弾。今回は野田自身の戯曲を初めて上演する。ここまで新歌舞伎やオペラだねで十分様子を見たうえでの上演だ。野田は気合を入れたのだろうが、若い歌舞伎役者もすっかり野田演劇に慣れて、生き生きと演じて楽しい舞台になった。ことに七之助。華があって大舞台を支えるだけの力があった。勘九郎や染五郎は言わずもがな。裏方も大劇場の実力発揮。
野田がずっと通底音のようにテーマにしてきた日本の国の天皇制の謎をここでもうまく使って、「ワンピース」とは一味違う現代劇ドラマになった(もちろんワンピースも快作で、少し後の世代の横内謙介の別の面からの歌舞伎現代化は大いに評価するが)。坂口の原作もきっと、あれだけの敗戦があっても、根底では揺れもしなかったこの国の構造を気味悪いと思ったことが作品の動機になったのだろう。野田はそれを現代にもつづく謎と考えていて、ひつこくテーマにする。野田の場合は、社会一般に落とし込まないで、個人の運命に突き詰めて行くところがうまい。シェイクスピアにも通じる時代物の演劇の活かし方である。今回は最後に七之助が舞台から見事に消えて、芝居のたのしさも味わせてくれた。
ま、それにしても、一幕の設定(三人の職人や赤鬼青鬼などなど、いくら歌舞伎役者の数が多いからと言ってあれだけごちゃごちゃ登場すると客も混乱する)は少なからず過剰だったと思う。これだけ賑やかだと、深山の桜もひらひらと音もなくは降らない(原作引用部分は見事)だろう。
舞台ではオペラの名曲がうまく使われているが、こうしてみるとこの話は先のごちゃごちゃを整理してオペラにすれば、作曲に恵まれれば世界的にも公演できるのではないかと思った。武満が生きていたら、彼の作曲でオペラ版で最後のシーンが観たかったなぁ。

第23回稚魚の会・歌舞伎会合同公演

第23回稚魚の会・歌舞伎会合同公演

国立劇場

国立劇場 小劇場(東京都)

2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★

夏恒例の催しである。いずれは笑也のように大成するかもしれない若者と、終生歌舞伎の世界で脇役や裏方など何ほどかの仕事をしながら支えるものがまじりあって、一つの舞台を踏む。学校演劇のような青春が商業伝統演劇の中にもあることが楽しいのである。ここでご贔屓になって生涯つきあったりすれば面白い人生の彩になるかもしれない、などと思うのは観客のロマンでもある。
舞台の成果は勉強会なのだから云々するのは野暮でやめるが、演目には疑問がある。一つ目の「番町皿屋敷」はもう大正になってからの新歌舞伎で、こういう作品なら今後いつでも学べるし、新しい工夫を持ち込める。ここでやるのはどうだろうか。歌舞伎でも最近は近代劇的にやるのが多くなっている由(渡辺保さんによる)でそれももっともだが、そうなればここでやる意味はない。今回の公演は、結構古めかしい演出で、見得も台詞も形を作ろうとしていたが、それはどういうことなんだろう。二つめの「紅翫」は字を出すだけでもパソコンで苦労する(翫)ほどだから十分古典であろうが、舞踊の会の最後で見せられる総踊りみたいで、玉石混交の御稽古の成果を拝見した感じ。歌舞伎を志す若者もこの頃はすっかりジャニーズ風になっている。現代的な体型の若者が多く今はそれを隠そうとしない。芝居は今のものだから、それでもいいのだが、いずれ大歌舞伎で畳の上や御殿をやるときの立ち居振る舞い大丈夫だろうか、と気がかりになる。そう言う伝統演劇の基本演技はこういう所で叩き込まないと。板の上に出てからでは遅いのである。
最後は「引窓」。やっと伝統演劇になる。曲輪日記はずいぶん無理な筋立ての芝居と思うが、この親子兄弟の情愛を何とか客に納得させてしまうのが古典の力と言うものだろう。無理な筋立てだから、ハラで押し切らなければ進めないところも多く、こういう会の演目としては荷がおもすぎたかと思わないでもない。ずっと説明的で近代的な皿屋敷の播磨が、菊を成敗しようと気持ちを変えるところもできていない(橋吾は全体としては柄も芝居もいいのだが)のだから「引窓」は親子兄弟ながら戯曲の説明だけでは難しい・今回の芝居二演目ともわかりやすそうだが、そもそもが無理難題なのだから、伝統演劇の形にハマってようやく成立する。そこのところの覚悟があやふやな感じがした。
などと老人の繰り言だが、劇場は大入り、カップルで見に来ている若い観客も多く、時に転寝をしながら楽しい夏の午後を過ごした。

罠

サンライズプロモーション東京

サンシャイン劇場(東京都)

2017/08/08 (火) ~ 2017/08/15 (火)公演終了

満足度★★★

この芝居だけは、いくらネタバレ欄があっても、ネタをばらすわけにはいかない。それほど、ネタで引っ張っていく正当なミステリ劇である。しかも、傑作との定評のある戯曲。何度も上演されているからいいじゃないかとは言ってもネタバレはやはり自制すべきだろう。
こういう手のミステリ劇は、20世紀の日本の商業演劇では結構期待されていて、クリエの前身の芸術座などは、ロンドンにならってミステリ劇専門の劇場にしようと考えられたこともあると聞く。しかし、それが叶わなかったのは、やはり傑作の戯曲が少ない、逆に言うとつまらないホンでは舞台にならない、役者も出たがらない、客も飽きる、と言うような条件があったからだろう。今月は珍しく現代古典ともいうべきミステリ劇の傑作「死の罠」(アメリカ製)に続いてフランス製の「罠」が上演された。
「罠」には6人の主要人物が登場するが、どういう犯罪が行われたのか、だれが本当のことを言っているのか、ミスリード入れ方が格段にうまいので、二転三転する芝居は、つられて見られる。
だが、なんといっても20世紀の芝居である。いくら人里離れた別荘地でも今ならこのようなことは、条件的に成立しない。そこを現代風に変えてしまうとたぶん白けてしまうだろう。元の戯曲は設定だけでなくセリフも結構愉快なのだ。それを面白く見せる俳優の表現や舞台演出にはもっと工夫すべきところがあるだろう。
最近の翻訳劇で成果を上げた舞台は、ほとんど、見ている間人種的な制約を感じさせず、普遍的な人間の役として演じられることが多い。「罠」の場合はあまりにも日本人的でない話なので、翻訳調を残したのかもしれないが、フランス人にもなりきれず、なんとなく全体にアテレコ芝居のような演技のぎこちなさが付きまとう。この6人の駆け引きは、それほどフランス的でもないのだから、もっと、読み込んで普遍的な人間の演技でやれば、もっともっと、面白かっただろう。この戯曲初演の頃から喜劇新劇団が取り上げたせいか、喜劇的ににやることが多かったが、今回はそこは無理をして笑わせようとしていないところはよかった。それで却ってボロが出た、ともいえるが。
また、芝居のテンポが一本調子で、押し引きが足りない。一つ頭の出た役者が居ればそれで引っ張っていくということもあるだろうが、そこも、それぞれの役者が適当にやっていて、悪くはないがよくもない。かなり空席の目立つ劇場だったが、これでこの戯曲がつぶれるのは残念だ。落語の名作のようなミステリ劇なのだから。

旗を高く掲げよ

旗を高く掲げよ

劇団青年座

青年座劇場(東京都)

2017/07/28 (金) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

コメントするのが難しい芝居である。
まず、企画がいい。時宜を得た、と言う言葉がぴったりの内容である。ナチが隆盛となり、滅びるまでの約十年のドイツベルリンの庶民史が素材で、政治も政治なら庶民も庶民、と言う話である。もちろんそういうことに警鐘を鳴らすのは新劇団の役目ではあろうが、なんとか教条的なところを抜け出そうという意欲のある公演である。言うまでもないが、この話、いまの日本人は向き合わなければならない切実な問題をはらんでいる。。
だが、芝居の中身にはいささか苦しいところがある。日本の戦時中の話は山ほど見ているわけで、それでは情緒に流れて問題の焦点が見えにくくなるということで、ベルリンの話にしたのであろうが、ドイツの庶民の話だから、当時のドイツ国民でなければ委細のわからぬ設定はとれない。夫婦に老父、娘と言う平凡な家族設定も、味方、敵の隣人のキャラクター設定など殆ど類型的である。エピソード自体も、これだけドイツネタの映画が入ってきている今となってはおなじみのものも多い。それでもなお、二時間を面白く見られるのだから、この作者・只者ではない。しかし、突っ込めば、観客にとってはやはり、実感的には隔靴掻痒で、俳優たちも、地でやっていいのか、ドイツ人でやるのか、戸惑っている。こういう公演だと一人くらいダントツに目立つ役者がいるものだが、それもいない。
ナチを素材にすると対立項がテーマ明確で芝居が組みやすくなる。かつて三谷幸喜もナチ物で「国民の映画」や「ホロヴィッツとの対話」を書いて、これも面白かったが、こちらは日本の新劇独自の人物への視点があった。
今回の「旗を高く掲げよ」は両国に共通する問題に抽象的に迫ろうとしたのはいいのだが、問題劇にとどまったのは、やむを得ないというべきか。青年座劇場はほぼ二百人余、超満員。こういう問題系新劇が入るのは何はともあれめでたい。

「月読み右近の副業」

「月読み右近の副業」

劇団ジャブジャブサーキット

駅前劇場(東京都)

2017/07/28 (金) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★

名古屋の産業は日本国の中軸ともいうべき真っ当さで我々を支えてくれているが、演劇となると、斜めに見た作風が多いのはなぜだろう。この劇団のリーダーのはせも、天野天街もはぐらかしにかけては天下一品だが、はぐらかしたあとどこへ行くのか、その先は意外に既知の世界にとどまってしまう。「ね?」と言われてもなぁ、という感じである。しかしもう十年は軽く超えるだろう、この二巨頭は、北村想が去ってから、第三の都を背負って東京公演を続けてきた。しかし、ここで一発、かつて「寿歌」で東京演劇界に与えたような衝撃を、名古屋の演劇界に期待しているのだ。

Hallo

Hallo

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2017/07/29 (土) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★

東京芸術劇場が招聘する外国のパフォーマンスは一風変わっていて面白いものが多い。このところ、ダンス系、大道芸風のものが多いが、素人が外国へ突然行ってもみられるわけではないので、なるほどと思いながら見物するいい機会だ。税金ならではの企画で、ぜひ今後も大手興行資本に惑わされることなく、こういうことに使ってもらいたい。今回はスイスの一人芸(アシスタントはいるが)。外国のもので感心するのは動きが速いこと、振付がシャレていることで、この二点はなかなか追いつけない。体型の問題もある。(向こうには能狂言が出来ないのだからおあいこともいえるが)。音楽もよくあっている。大型の木枠を使ったナンバーはおおむね面白く、少し古くておセンチだが、旗を使ったナンバーも私は気に入った。体がバラバラになるのはその仕掛けが先に立ってウイットさが足りなかった。先に言ったことと矛盾するが、以前ここが招聘したルーマニアの演劇はよく出来ていて感動した。小さな国のいい芝居もこれこそこういうところでやってくれなければどうにもならない。一人芸より金はかかるだろうがお願いしたい。

Beautiful

Beautiful

東宝

帝国劇場(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/08/26 (土)公演終了

満足度★★★★

アメリカ最初のシンガーソングライターの青春ものだが、次から次にと出てくる曲になじみがない。それでもフィナーレで帝劇がお世辞でないスタンディングになる。平原綾香の初日。相手役のソニン、伊礼彼方、中川晃教も歌はうまいし、さらに脇に武田真治と剣幸。日本のミュージカルとしては技量的にはまず最高と言っていい顔ぶれだろう。その実力が遺憾なく発揮されて、新作ミュージカルとしては初演ながらまとまりもよく楽しい舞台となった。片親家庭の引っ込み思案の娘が二階級特進で進んだ高校で夫と巡り合い、歌も作るし、16歳で子供も産む。突進型に見えるが実質はそうでもなく地味なところを作者はよく書いている。平原も演技的にもこなして、ここがこのミュージカルのいいところだ。ソニンのカップルとの対比も生きた。伊礼と中川は、声域の関係もあるだろうが役者としては逆の配役の方が生きるのではないかと思ったが、どうだろうか。こういう場合原曲の歌詞を英語で歌いたくなるだろうが(その方が歌いやすいだろう)すべて日本語に翻訳してあり、歌の内容が観客につかめるところもドラマとしてみる助けになった。しかし、演出も振付もアメリカのスタッフによる。その方が、時折見せられる韓国版からの翻案よりも素直に見られるが、歌い手たちもこれだけうまくなったのだから、日本のスタッフもアメリカ版に頼らず日本独自の舞台つくりが(翻訳上演権の問題はあるだろうが)できるようになるのを期待している。

ネタバレBOX

なんて書いているが、タイトルのbeautifulをとった歌の時だけ、その部分が英語のまま、beautifulと使っていたのには笑ってしまった。いろいろお気遣い、御苦労がありますね!でもいい舞台でした。
怪談 牡丹燈籠

怪談 牡丹燈籠

オフィスコットーネ

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/07/14 (金) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

牡丹燈籠はもともと話芸だけに物語の筋も趣向も飛躍(意地悪く言えばご都合主義)が多い。歌舞伎脚本が最もよく知られているのだろうが、それでも≪通し≫と言って全部やったのは見たことがない。武士社会の敵討ちとそのお家の従者たちの世話物が二重になっていて、ことにかたき討ちの因縁など複雑に絡んでわかりにくい。怪談はこの二者をつないでいるのだが、幽霊が出る事にテーマがあるわけでもない。ぐちゃぐちゃの人間関係、この世もあの世もありますよ、因果は巡る尾車の…と言うドラマなのだが、今どきそれでは見物は満足しないだろう。
と言うわけで今回の新作、もろもろの牡丹燈籠の種本を渉猟して新しく編んだフジノサツコの脚本。演出は売り出しの森新太郎である。工場(倉?)の改装した小劇場の舞台はノーセット。代わりに横に回転する舞台いっぱいに張られたスクリーンがあって、これが回る間に俳優がその隙間で演技する。と書くと、せせこましいようだが、照明と、大道具操作(回転係)の息が演技とうまくいって、見たことのない抽象舞台を作り出した。スクリーンの奥に俳優が去って照明がすっと動くと闇に溶けるように見える。場数が多い構成が説明なしで次へ行ける(これは功罪あるがそれは後で書く)。衣裳は全員現代衣裳でこれが違和感が全くなかったのはお手柄だが(木下歌舞伎もうまくいった)これにはやはり大道具をスクリーン一つにした大技の力が大きいと思う。
しかし、歌舞伎だとここは武家屋敷、伴蔵うち、船の上、とセットと衣装でハッキリ解るが、これでは、エートここはどこだっけ、だれだっけ、と理解するのに時間がかかる。テンポが速いので飲み込む前に次ぎに行くところもある。これは、原作の筋立てによるところも大きい。この話、歌舞伎でも最近は随分はしょった上にほとんど半分しかやらない。百両降ってくる世話物の部分が面白いので、仇討は添え物になっている。文学座が新劇でやった大西本などは仇討はカットである。今回のフジノ本はよくばりでずいぶん原作を取り込んでいる。構成上、面白そうなところは全部やっちゃえ、という精神だが、やはり人間関係がお客によく呑み込めていないと面白くない。お化けの出る怪談は、いはば、陰の引く話だから、もったいぶった間がないと怖くならない。余り怖くしたくないのかと思ったら、パンフレットでは演出が怖くしたいと書いている。うーんこれは歳のせいか。だが正直、後半話が詰まっていくところは駆け足で見る方も大変である。
そういう辛さも有りながら、この公演が面白かったのはナマの、役者の力だと思う。今回はキャスティングがすごい。80年代後半から現在までの小劇場、初期の東京ボ-ドヴィルの花王おさむから、チョコレートケーキの西尾友樹まで、つかこうへいアり、野田秀樹あり、道学先生にテアトルエコー、シャンプーハットといはば、独立路線を歩んだ小劇場劇団出身者にカブキ大御所の娘・松本紀保を加えた独特の大一座。現代役者名鑑である。彼らをまとめた森の演出力に改めて感服した。先ほどの話をひきとると、役者を見ていると物語の筋はあやふやでも面白いのである。細かく言えばいくらでも注文が出てくる舞台ながら、それをすべて越えて、この公演は成功だった。

不埒

不埒

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2017/07/15 (土) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★

社会問題劇のトラッシュマスターズ。今回は東芝がメインテーマ。経済問題は、尖閣や外国人移民のように単純化できる点が見えにくいのでかなり苦労している。どこに問題点が隠されていて、どういう人間によって、そういう問題が動かされているか、と言うところに切り込もうとしているのだが、これを舞台で見せるのは難しい。やむなく、渦中の経営中間層の家庭を舞台に、労働問題から行こうとしているのだが、これもなかなか単純ではない。またまた、やむなく、市民運動や家庭内コミュニケーション、LGBTまではなしをひろげるが、こうなると新聞社会面の問題コラムのオンパレードの趣きになってしまう。何となく、ニュースペーパーのマジメ版みたいなところもあり、役者もうまくなったので、見ていれば飽きないが、尖閣を描いたときのようなドキッとする鋭さがない。東芝に絞って、問題点も仕事の意味とか、何か絞っていけば、話題を広げるよりは、標榜する社会性が生きたんではないか。しかし、この劇団が、旧左翼系のだらしない無気力劇団・作家に代わって、生きのいい社会問題に正面から向かおうとしているのは大いに期待している。作者にも何となく、現代版の宮本研を連想するのだ。

「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!」

「ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!」

椿組

花園神社(東京都)

2017/07/12 (水) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★

もう三十年になるのか、恒例の椿組の神社のテント夏芝居。今年は女性の作者、演出者、美術と女性に占拠された公演だが、その誰もが夏のこの芝居をよく心得ていて、今どき本当に珍しいビールや焼酎を飲みながら見てもいい芝居見物になった。昔ばなし時代劇ながら、お話は盛りだくさんで、ほとんど行き当たりばったりなのだけど面白く見せる(もちろん巧みに計算づくなのだが無鉄砲な生きの良さがあるように見える)。長崎おくにちのような龍まで出てきて盛り上がるし、幕切れの加藤ちかのセットが秀逸。舞台転換速度も、こういう芝居によく似合って、文学座と言う老舗から出てきた作・演出にこういう芸があるとは!!。もう少しみぢかければもっといいのだが。2時間4分。

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