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のん
私も舞台や映画の感想を書いて、作者本人から反論されたことは何度となくあるが、まあだいたいにおいて反論にもなってないろくでもないものが殆どである。こんな稚拙な反論をして、かえって創作者としての株を下げ ることになるんじゃないかと心配してしまうのだが、もともと稚拙だからつまらない反論をしてしまうのである。 自分が血の汗流し涙を拭かずに作った作品が、簡単に否定されれば激昂するのも心情的には理解はできるし、 作者として反論するのも自由ではある。ただ、これが論争に発展した場合、泥仕合になってしまうケースが多々あるのは、どうにもお互いの人格攻撃になりがちなせいで——実際、作品には創作者の人格が表れないはずがな いので、言い合えば言い合うほどに人格否定な面が露呈していくことにならざるを得ないのだが——だから私な どは逆に思い切って相手を罵倒し侮蔑し、「私の」人格が低劣なことを相手に示して論争を切り上げさせるとい う手をよく使うんだけれども、よいこはそんな喧嘩腰なことをしてはいけません(笑)。 でも絡んでくる相手って、建設的な論争をしようなん て気は最初からサラサラないんで、そういう「禁じ手」に出るしか仕方ないんだよね。 大塚ムネト氏の場合も、一見、冷静に見せかけてはい るけれども、まともに論争する気がないことは熟読して いくとすぐに分かる。 大塚氏がのんさんの文章について、「一方的な思いこみと間違いがある文章」と批判している点を要約すると こんな感じになる。 1、のん「JRの宣伝劇を有料で公演すべきなのか」→ 大塚「イベント公演だから当然です」 ※駅前広場で無料の寸劇でやったらいいじゃんってレベルだったけどね。 2、のん「過去作『天神開拓史』では西鉄や岩田屋をよいしょしていた」→大塚「してません」 ※これは観てないから分からない。 3、のん「今回の上演は観客からの要望」→大塚「あり ません」 ※のんさんは「ななつ星号の冒険」の前回公演が好評だったことを受けての再演だったことを言ってるんじゃ? 4、のん「お世話になったダイエーを揶揄するとは狂っ ている」→大塚「ダイエーの許可ももらってエンタメ化している。お客もよいしょと思っていないし、狂ってい るとは言葉の暴力だ」 ※「よいしょ」の話は2番のところで語っていたことで、この文脈で触れるのはおかしい。それと「言葉の暴力」は創作者が言っちゃったら自縄自縛に陥るよ? 5、のん「新体制になって上田裕子が初出演」→大塚「 2度目です。きちんと調べていない」 ※これは大塚氏の言ってることが正しいんでしょう。 でもその程度のミスで怒るほどのことじゃない。 6、のん「大塚ムネト以外にたいした男優がいない」→ 大塚「私以外の男優も受けている」 ※役者としてどうかという批評と、受けたか受けないかとは別次元の問題。 7、のん「進行の不手際があった」→大塚「すみません 。改善します」 ※段取りしか改善するところがないというのは三流の演劇人がよく言うこと。 8、のん「新キャラもなく、創作意欲が感じられない」 →大塚「新作も書いてるし新キャラも出してます。それに新作を書くも書かないも創作者の自由です」 ※もちろん自由なんだけど、なら批評するのも観客の自由。 9、のん「また『天神開拓史』をやるのか。もう観なくていいな」→大塚「意義があるからやるので、観たくないなら来なくていいです」 ※出たよ「来なくていい」発言。今後はそうするね。 10、のん「ギンギラは福岡の『宣伝別働隊だ』と毒づいたことがある」→大塚「胸を張ってそうだと言えます。『毒づく』あなたの方に敬意がありません」 で、最後のこの台詞だ。 全体的に大塚氏の反論はただの感情論に過ぎないが、 最後のは特に酷い。それって、「お客さんに敬意を持ってみろ」と要求してるってことじゃん?何様? のんさんの勘違いもありはするが、大塚氏も観客に「 敬意」を求める傲慢さには全く無自覚だ。 これも私が何度も書いてることだけど、作品批評は読者や観客が作者に読んでもらいたい、聞いてもらいたいと思って書くものじゃないんだよ。あくまで「受け手同士」のコミュニケーションのためにあるものだ。なのに 「最近のディカプリオは太ったな」と書いたらディカプリオが文句付けてくるんじゃないかとか考えてたら感想なんか書けるわけがない。作者に読まれることを前提と していない、というよりは作者はしゃしゃり出てくるなというのが感想や批評の在り方だ。 いちいち作者が出てきて勘違いの思い込みのを訂正して回るって、「誤読は絶対に許さない」ってことだよね?それって批評で一番やっちゃいけないことなんだけど。 即ち大塚ムネトには、創作とは何かという素養が全くない。「是々非々の批評は受け入れてる」という大塚ムネトの言葉が大嘘だというのがここで露呈してしまって いるのである。だから幼稚な人間は下手に観客の感想に絡んだら損だって言ってるのだ。 そして、大塚氏の反論で一番問題なのは、枝葉末節には絡んでるのに、肝心要の作品批評についてはスルーを決め込んでいることだ。 のんさんは作品内容について、痛烈にこう批判している。 「博多千年まんじゅうの旅」はストーリー展開がス ッキリせず歯切れが悪い。対立軸も戦いの状況もどこかあやふやで、話がループしているようなところもある。 悪に対抗する力はバラバラで協働しない。ラストでひよこ侍を出して解決してしまうのなら、何のために聖一国 師はタイムスリップしてきたの? 反論するなら、ここでしょうよ。大塚氏に演劇人としての矜持があるのなら、「芝居も何も分かってないやつが偉そうに言うな」の一言くらいあってもよかったろうに、全く触れなかったのは、「図星を刺された」と感じたからだろう。実際、『まんじゅうの旅』は博多銘菓を対立させる意図が全く分からないし(デパートのように勝敗がはっきりしてないしね)、演劇としてはまるでなってない。 肝心の作品評に対する反論はしないで、どうでもいい部分にだけ絡む大塚氏の姿勢は、「毒づく」以上に卑劣である。 ただ、大塚氏が言い訳している通り、彼が作る芝居は 、基本「博多の宣伝」のための「イベント上演」なので ある。くまモンやふなっしーのショーと同じで、そのことを誇りに思っているのだ(かぶりものだしね)。それも「演劇の在り方の一つ」だと言われればその通りである 。博多とか天神とかはあくまで題材で、それらを利用した「演劇」を作ろうとしているのではないかと思ってい た私やのんさんは、確かに「勘違い」をしていたのだ。 なまじ、昔は「そうではないところ」を目指していたように見えていたから、その「思い込み」が固定化してしまっていたのだろう。 大塚氏が目指すところは、ひよこ侍をかぶりものではなく完全着ぐるみにして、各種イベントに出向させるこ とであろう。ひよこ侍のテーマも作詞作曲して、ひよこ ダンスやひよこ音頭も作るべきだ。もちろん各種JR電車もかぶりものではなくぬいぐるみにシフトさせ、メディアミックスでマンガ連載も始めればいいと思う。 冗談ではなく、「博多を宣伝する」とはそういうことなのであって、妖怪ウォッチのようにヒットすることだって決して夢ではない。そうなれば「そんなの演劇じゃない」という批判だって鼻で笑っていられるだろう。大塚氏がのんさんの批判に対して、恥ずかしげもなく噛みついてきたのは、演劇だかイベントショーなんだがよく分からない中途半端な立ち位置にあって「焦って」しまったからなのだろうと思う。
2014/12/26 22:55
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