ギンギラ太陽‘s主宰 大塚ムネトの投稿したコメント

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のん のん ギンギラ太陽’s主宰の大塚ムネトです。 「福岡演劇の今」を読みました。残念ですが一方的な思いこみと間違いがある文章でした。ぜひ、このページを読んだ方は「福岡演劇の今」に目を通してください。その上で、再度ボクの文章を読んでもらえればと思います。 なお、これは、投稿者へのコメントというだけではありません。「一方的な文章」には、思いこみと間違いが多いので、ギンギラを一方的な文章で誤解されないように、ギンギラを初めて知った方に向けても書いています。以下、「福岡演劇の今」よりの引用部分を「>」と表記し、事実を書いていきます。長文ですが、ご容赦ください。 >JRがスポンサーとなって作ったJRの宣伝劇を、有料のこの公演で上演する感覚がわ >からない。 確かに依頼を受けて作った作品ですが、「もともと九州の鉄道が民間の心意気で生まれた私鉄だった」「明治時代に、幻のななつ星号の計画があった」と言う2つの事実は、取材した自分が感動し、地元のお客さまに知って欲しいと思ったモノ語りです。それにチラシや告知でも「イベントで制作した作品」と最初から発表しています。だまして見せたわけではありません。 >「天神開拓史」で西鉄や岩田屋をよいしょするのとはわけが違う。 これこそ、この投稿者の一方的な考えですので、そのまま受け取らないで欲しいと思います。赤字で苦戦した事、商売の戦略を誤って失敗した事、何より、街のために頑張った事などをキチンと描いています。格好悪いところも含めて、全部キチンと関係者に取材をして書いています。「よいしょ」と言う言葉のイメージで、作品を矮小化しようとする投稿者の悪意としか思えませんので、そのまま受け取らないでください。ぜひ「天神開拓史」をネットで検索して、ほかの方が書いている感想なども読んでもらえればと思います。もし観た知り合いがいれば、その方に感想を聞いて欲しいです。 >いくら観客からの要望があったとはいえ、それはやってはならないことだ。  要望などありません。本公演に関しては、ボクが作りたいと思ったモノ語りを作っています。この投稿者は、自分の文章を思いこみで書いているのがよくわかります。 >ダイエー華やかなりしころには持ち上げて連携しておいて、落ち目になったら揶揄する >とは。負け組になった恩人に後足で砂をかけるのかと、その何か狂っているとしか思え >ない冷たい仕打ちにガックリきた。 これもキチンと調べないで思いこみで書いています。ギンギラはダイエー華やかなりし時代のドーム公演で、「ダイエーが地元のユニードを飲み込む話」を生々しく書いています。当時大阪から来たダイエー関係者は、「今回は悪役キャラだけど本当の事だから書いて良いよ」と笑って許してくれていました。繰り返し書きますが、「良いところと悪いところ」を工夫してエンタメ化しています。 なにより声を大にして言いたいのは、一番事情をわかっている地元のお客さまが「ただよいしょ」するだけの安易な作品を、支持するはずがないということです。お客さまに対して失礼です。 それと「狂っているとしか思えない」と言う表現は、わざと刺激的に書こうとしているようにしか思えません。「狂っている」なんて書かれて、相手がどんな気持ちになるか想像できないんでしょうか?言葉の暴力だと思います。 >女優は、新体制になって今回初めてかってのメンバー上田裕子が出演し 初めてではありません。キャナルでの公演に出演しています。さらに書くと、中村雪絵、三坂恵美など、ほかにも昔からのメンバー(より正確に書くとギンギラ後期からのメンバー)は出演しています。投稿者がキチンと情報を調べることなく、一方的な事を書いているのが、これでもよくわかります。 >男性にはそれなりの存在感があって普通に決められる俳優は大塚ムネトだけだ。 笑いが全てではありませんが、会場の反応としてわかりやすい例なので書きます。会場を何度も笑いで包んでいたのは、ボクだけではありませんよ。それぞれのキャストがしっかり役割を果たしてくれていました。「大塚だけだ」と、根拠と技術的な検証もない一方的な書き方です。ボクは演出もしています。「お客さまに見てもらえるライン」まで、しっかり頑張ってもらって本番を迎えています。 >そのうえ今回の舞台では進行もギクシャクしていてピリッとせず、 >緊張感の欠如を露呈していた。 初日の昼の関しては、転換が上手くいかず、芝居が止まりかけた場面があり、大変申し訳なく思っています。それを「緊張感の欠如」といわれても、初日の昼に関しては、言い訳は出来ません。これについては、スタッフワークのあり方をしっかり再検証し、同じ失敗をしないように対策を取ります。この一点だけに関しては、指摘を受け止め、お詫びします。 >高い表現を目指すような創作意欲の減退は著しくて、このところ一晩物の新作はなく >新しいキャラも生み出せていない。 「創作意欲の減退が著しい」「新作はなく新しいキャラも生み出せていない」と断言されるのはなぜでしょうか?演劇とは、毎回決まった形で新作を書かなければいけないんですか?表現者の自由だと思います。前回の「ギンギラ鉄道の夜」は新作でした。今回も「ななつ星」以外は新作です。新キャラも続々登場しています。演劇以外でも、様々な創作活動をしています。 >来年6月はまた「天神開拓史」だ。今回は初めての劇場での公演なので久々に観たが、 >こんなレベルだとこの劇団の公演を観る価値はない。 「また開拓史だ」と書いていますが、やる理由は「来年が戦後70年」だからです。戦争を描いた作品を戦後70年の節目に、モノ語りの舞台となった天神のホールで、福岡大空襲があった6月19日に上演する。これが上演する理由です。終わりの挨拶でもキチンと趣旨をお話ししました。 前回上演したのは2008年です。今度の上演までの間に10作以上の別作品を上演しています。それでも「また」と書かれてしまう理由がわかりません。「作者が書けなくなって代表作にすがっている」と言う、思いこみの結論にしたいだけとしか思えません。 そして、この投稿者は「観る価値がない」とのことです。残念ですが好き嫌いは誰にでもあります。ですからこの投稿者は、今後観に来なくなるのでしょう。ボクにも好き嫌いはありますから、無理に来てくれとは言いません。 ですが、この投稿者の文章で初めてギンギラを知った方には、どうか、 「この一方的な文章」で結論を出さないでもらえればと思います。 ○最後に投稿者へお願いです。 ボクは、自分の価値観を持っているし、是々非々で語ってくれる「信頼する批評家」もいます。お客さまにも支えられています。それでも、正直、この文章には心が痛みました。一方的で、間違いだらけで、思いこみの結論ありきの文章。 あなたはこう書いていますね。 >“ギンギラ太陽’sは西鉄の宣伝別働隊だ”と書いたことがあり、“博多駅周辺が開発 >されればギンギラ太陽’sはJRの宣伝別働隊になるだろう”と毒づいたことがあった。 街の物語ですから、全てが題材です。もちろんエンタメですから、上演時期は、街の開発事情にあわせてタイムリーにしていますよ。その手法が何か問題ですか?胸をはって「福岡という街の宣伝隊だ」と宣言します。そう宣言して上演しています。 何より、投稿者の文章は一方的なだけでなく、投稿者自らが「毒づいた」と書いています。 なぜ毒づく必要があるんでしょう?そこに相手への敬意を感じる事は出来ません。表現者は、真摯な意見はキチンと受け止めると思います。少なくともボクはそうです。たとえ厳しい意見でも、是々非々で言われる分はありがたいです。もう一度書きます。なぜ毒づく必要があるんですか? ほかの公演への文章も読みましたが、「あえて刺激するような、きつい言葉」を使っているような印象を受けました。もしボクが若手だったら、耐えられなかったかもしれません。手加減しろと言っているのではありません。キチンと調べて、思いこみではない是々非々な文章をお願いしたいです。 ギンギラ太陽’s 主宰 大塚ムネト
2014/12/25 04:42

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