猿博打presents 優しい劇団の大恋愛volume賽『レイト・キャロル』
猿博打
インディペンデントシアターOji(東京都)
2025/12/30 (火) ~ 2025/12/30 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今年の観劇納め、勢いのある面白い公演。超満席、16時の回は当日客でも増席して なんとか全員観劇。(劇場)定員との関係で色々あろうが、そのサービス精神は嬉しい。上演中のスマホでの写真・動画撮影も可。
猿博打、優しい劇団のそれぞれの公演を観たことがあるが、良い意味での化学反応が表れていた と思う。
猿博打と優しい劇団によるコラボ公演…猿博打の3人が、「今、一緒に舞台に立ちたい役者」をそれぞれ1名ずつ呼んで、尾﨑優人氏の脚本・演出で一日限りの特別公演を実施。まさに演劇らしい一期一会、俳優と観客だけではなく俳優同士も同じ。物語は軽快に進むが、演じる俳優陣には刺激と緊張感が感じられた。
公演は、その日に会って稽古して本番を迎えたとは思えない面白さ。俳優の地力のような演技がガッチリ組み合っているよう。途中で台詞を忘れたかのような、それが本当なのか演出なのか判然とさせず、客席にも聞こえるプロンプターの声に笑いが起きる。観客を巻き込んで 場内一体となった楽しませ方が実に上手い。
(上演時間70分)
ネタバレBOX
素舞台で、照明は持ち込みのキャンプ用ライト、音響/音楽は持ち運び出来るスピーカー。全編 何らかのバックミュージックを流し 雰囲気を盛り上げている印象だ。演劇の持つ出会いと別れの成分を凝縮したその日限りの公演。猿博打の公演であるが、優しい劇団主宰の尾﨑優人 氏が開場からずっと前説を兼ねた話をしており、そのまま上演へ。
物語は4つの小話を交錯させ、それをクリスマスに因んでトナカイの姉・弟(本当は友達という設定のようだが、下野はな さんが思わず姉と言ってしまい、尾﨑さんが台詞を合わせたよう)の会話で包み込む。猿博打(メンバー)だけで描く話と メンバーが一緒に舞台に立ちたい役者(3人)を客演として呼び、猿博打メンバーと呼んだ客演をそれぞれペアにして3組の話を描く。
①猿博打だけの話、兄弟は 12月27日が誕生日の姉に誕生祝いを言い忘れ、姉は(クリスマス)プレゼントを渡し忘れる。しかし遅くなっても感謝の言葉は伝えるもの、その思いは日を過ぎても必ず通じる。②若社長と社員/運転手は、時計代わりに社員が予定を管理している。社員が遅刻すれば若社長も同じ、そのため社員は気を遣っている。③漫画家の先生とアシスタントは、いつも締め切りを叫ぶ助手の存在が気になる。この叫びによって先生の信頼と信用が成り立っている。④喫茶店の客と店員は、スイーツが嫌いな客のために 甘さの供給を止めてしまおうとする店員。オムニバスのような話は 交錯し怒涛のように展開していくが、その底流には 相手を思いやる優しさと感謝の言葉。
トナカイはサンタへプレゼントしようと毎年考えているが実行出来ずにいる。今年こそはと意気込んでいるが…。皆 心では感謝をしているが、それを言葉に出していない。冒頭 兄弟が寒い寒いと言いながら登場するが、その実感は自然と言葉になる。そんな素直な気持になれるような心温まる物語。ラストはトナカイ(尾﨑サン)が扉の奥にハケたメンバーにその気持を尋ねて…。アップテンポで気を逸らせない展開は、当日出会って 実質半日の稽古だけとは とても思えない。その瞬間だけ輝く清々しさ。
次回のコラボ公演を期待しております。
通る夜・樽水家の場合
劇団芝居屋
中野スタジオあくとれ(東京都)
2025/12/26 (金) ~ 2025/12/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
説明にある通り、樽水家当主の故 勝利の四十九日 納骨式を行うまでの約85分をリアルタイムで描いた物語。この話には 大きな山場が2つあって、まず当事者同士の憎悪・確執による口喧、次に 自分自身の存在に苦悩する人物の激白によって、その場にいない人物の思いが立ち上がるよう。少しネタバレするが といってもキャスト6名は記されている。登場しない7番目の人物として故 樽水勝利の人柄なりが浮き彫りになってくる。始めの山場は伏線であり、激白した人物と人知れず寄り添った人物の思い、それが北国の しかも厳冬にも関わらず、心温まる話へ。
始めの山場の後、一息ついたところで露天商組合長 瀬村五郎(作・演出 増田再起サン)が現れると、口喧していた者同士が「男なんて しょうもない」と共闘しだす。このコメディーリリーフ的な役回りを通して 次の山場に繋げる上手さ。人の機微を巧く表す役者陣、劇団芝居屋の真骨頂を覗くようだ。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手/下手に引き戸、中央奥にストーブ、その前(客席寄り)に大きな座卓と座布団の2セット。全体はシンメトリーで外では吹雪(または寒風)いているような音が寒々と聞こえる。また各人の年齢を明らかにし、関係した歳月の長さと 年齢相応の喜怒哀楽を表現しているよう。
舞台は、大乗寺の本堂に通じる控えの間。11時から四十九日 納骨式が始まる迄の物語。故人 樽水勝利(行年79歳)の妻である辰子が早々にやってくる。その後 故人の長女 (水原)弘子が来て、母に父との馴れ初めを聞き始める。辰子は この街の売れっ子芸者で、父が通いつめ求婚してきた とまんざらでもない様子。そこへ亡き父と駆け落ちした愛人 森田裕子(還暦)がやってくる。驚いた辰子は裕子を詰り罵るが、逆に裕子は辰子の知らないことを言い出す。勝利は更年期障害で悩んでおり、裕子が気遣っていたと打ち明ける。そして男女の仲へ…。諍いの張本人が亡くなり 今更揉めても しょうがないと諦める2人。そこに辰子の気っ風のよい芸者ぶりが表れている。表層の丁々発止だけ観れば、この場面だけが山場のようだが…。
そこへ村瀬五郎(80歳)がやってくる。女2人の口喧が収まり 一息ついたタイミングでの登場。故勝利の女癖 女遊びは村瀬が教えたことと 辰子と裕子が一緒になって責め立てる。それが「男なんて しょうもない」という呆れ文句。先の修羅場を和ませ 次に登場する人物の激白をお膳立てするかのような場面。
最後に裕子の息子 森田幸助(24歳 市役所勤務)が仕事の合間を縫ってやってくる。納骨式が終わり次第 仕事に戻るため作業着に喪章をしている。彼は勝利と裕子の間に生まれた子、弘子(46歳)の腹違いの弟になる。辰子と裕子の間だけの問題で簡単に解決出来ればよかったが、自分が生まれたことで浮気事情が複雑になった。自分のせいではないが、それでも自身の存在に悩み苦しんできた と泣きながら激白する。故勝利は生前 弘子に腹違いの弟がいることを話し、彼女はそれとなく年の離れた弟の様子を覗っていた。故勝利の最期は誰にも看取られず孤独死。
故人は、幼い息子(幸助)のことを心配し 腹違いの弘子に話してしまう。結婚する時の忠実(まめ)さ、女癖の悪さ その割に優しく謝り上手で ついつい許してしまう等、悪口とも惚気ともつかない会話で故人を偲んでいるような。登場しない人物の人柄が四十九日にしみじみと語られる人情劇。それを役者陣が実に上手く表現しており見事。ちなみに、ストーブや音響(吹雪or寒風)から冬を連想するが、死因が熱中症で 四十九日の季節感に合致するのかな?
次回公演も楽しみにしております。
サラリーマン!!!
床の間企画
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2025/12/25 (木) ~ 2025/12/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
物語への思い、当日パンフの主宰 相馬優輝 氏によれば「相馬の集大成を観て、家族愛のほっこりとした温かさ、アクションや魂の籠った言葉の熱さを ぜひ感じてほしい」と。表層的には、普通のサラリーマンがヒーローに憧れた娯楽劇のよう。ヒーローがいるということは悪者も登場し 勧善懲悪的な展開、それが夢オチかと思えば リアルな世界。子供の頃から腕力的には強くないが、正義感は強い、その思いは今でも変わらないが...。この物語で描き 伝えたかったことは何かが暈けてしまったようでもったいない。
少しネタバレするが、物語は 会社で「もう(午後)9時か」と呟き、他に誰もいないことを確認し 変身もしくはファイティングポーズのような動作をし悦に入っているところから始まる。勤続20年のベテラン社員?、しかし事務ミスや電話応対の不手際などを繰り返し、後輩の上司(課長)に注意される始末。ピーターパン症候群でもセルフ・ハンディキャッピングでもない普通人(サラリーマン)の世界。悪者も世の理不尽なことの比喩かと思ったが、そうでもない。
パンフにもある「生きづらくしている」のが何なのか。主人公 ハジメが、会社や家庭で何となく上手くいっていない状況を描いているが、その原因や理由の掘り下げが十分練れていたのだろうか。あたり前のように不安・心配・憂慮といった心の在り様を前提にしているため、埋めるべき課題や問題が暈けてしまったかのような印象。アクションはキレもスピードもなく、泥臭く立ち向かっていく姿、そこに妙な愛情を感じる。その必死さが格好悪くてもヒーローで、日常のことをあたり前のようにするサラリーマンこそ…。
(上演時間1時間25分 休憩なし)【ゲネプロ マフラーチーム】
ネタバレBOX
舞台美術、後景は中央に出ハケがあり 上手/下手は白紗幕で隠されている。上手は(黒い)段差、下手は(白い)長方体が4つ。情景に応じて会社の机や飲み屋、喫茶店のテーブルに見立てた小道具が搬入される。白と黒の配色は善と悪といった対比であろうか。
会社では後輩が上司になり、ミスをしては小言を言われる。家庭では高校生の娘に無視され妻ともしっくりしない。何となく旨くいかない日々、小学校からの親友と飲みに行き愚痴る。子供の頃は 弱い者を見ると助けに行って といったエピソードを話す。そんな義憤のようなものを今でも持って、自分がさもヒーローであるかのような幻想であり錯覚に陥っている。
悪の組織が、よく知られたチェーン店の 〇貴族、〇〇珈琲、〇〇良品を副業として営んでおり、その事業形態(実態)がブラック企業そのもの。昼は喫茶店、夜は居酒屋、合間に日用品販売と休む間がない。その悪の組織がハジメの娘を誘拐し身代金を要求する。そして妻まで拉致されてしまう。ハジメは自分がヒーローになったつもりで助けに行くが…。ヒーローの格好をした本物が現れ悪の手下を遣っつけてくれた。そしてボスも倒してほしい と他力本願。しかしヒーローに諭され自分が戦い勝利する。人にばかり頼るのではなく、自分で奮起する気概のようなもの、そこにハジメの成長を見るのではなかろうか。その前提としてピーターパン症候群やセルフ・ハンディキャッピングといったコト、もしくは自信を喪失したコトが描かれていないため、ハジメという人物の深層と魅力が表れてこない。
次回公演を楽しみにしております。
取調室ABC
はらみかプロデュース
JOY JOY THEATRE(東京都)
2025/12/25 (木) ~ 2025/12/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
説明にある通り、3つの取調室ABCで行われるオムニバス形式の会話劇。少しネタバレするが、警察で Aは詐欺罪または風営法違反、Bは道路交通法違反、Cは少年の傷害罪をそれぞれ取り調べるが…この3話に共通する人物がカギ。
それぞれ違う描き方によって、1話ごとにA.奇異な滋味、B.喧しい情熱、C.深い愛情といった人間模様が浮かび上がる。取調室だけにシンプルな舞台装置、そこで繰り広げられるのは軽妙・洒脱・濃密といった会話。公演の見どころは 何といっても会話の応酬と展開の面白さ。物語の通底には優しさ、それが滲み出るような味わいある作品。
(上演時間65分)【TEAM VENGUARD(現役チーム) 公開ゲネプロ 】 ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、中央にテーブルとパイプ椅子。その後ろに調書作成のミニテーブルと椅子。ミニテーブルは取調室ABCの順によって、下手・上手・中央の後ろに置かれる。それによって取り調べる刑事の立ち位置も決まる。
A.スナックげんこつが ボッタクリ営業をしており、客である建設会社 社長の妻が警察に被害を訴えた。水割り一杯2万円など法外な請求をしている。しかし社長はそれを承知でスナックへ通っている。取り調べを受けているのは、派手な服を着たママとチーママ。髪留めにチュッパチャプスという奇妙な出で立ち。取り調べているのはエリート女刑事だが、ワケありのよう。建設会社といっても中小または零細企業の社長、接待(経費)として支払い、スナックは水増し請求分を中元・歳暮に還元(主に飲料水)している。会社は それを従業員へ配給している。税法に抵触しない範囲の苦肉の策で、客と店は 持ちつ持たれつの関係。
B.緑川公園付近で大型ワゴン車が長時間停車している。しかも窓ガラスにはスモークフィルム、そして車内から大音量の音楽が流れている。近隣住民からの苦情で事情聴取。車の持ち主は共同名義の主婦3人。コスプレ好きの漫画オタクで、家族に内緒で執筆するため車を購入し、秘密基地のように使っている。取り調べをしているのは、自分も若い頃は小説家を目指していたが 挫折したというベテラン男性刑事。主婦たちの願いで 漫画の原作を提供することに、刑事もまんざらでもない様子。
C.引き籠りの少年(17歳)が、2階から道を歩いている男に向かって水晶玉を投げ 大怪我を負わせた。少年の母が事情聴取されており、普段は大人しいのに何故そんなことをしたのか。取り調べは ベテランの女刑事で、寄り添うような対応をしている。
全ての取調に立ち合い記録をしていた婦警が、3つの取調室の出来事から或る推理をする。最近管内で不審者が徘徊、緑川公園付近で女子高生が襲われそうになり 悲鳴を上げ、その様子を見ていた少年が男(犯人)に向かって水晶玉を投げたらしいと…。
取調をする刑事は、皆 黒いスーツで隙のない恰好。A.ではエリートらしいが最近起きている事件の捜査には関わらせてもらえない。B.は燻り続けている文学への憧れを忘れられない。C.では息子がかつて暴走族で警察沙汰になったと。一見ハチャメチャのような取り調べを通して、刑事の人間らしい面を浮き上がらせる。A.杓子定規のエリート意識が和らぎ、B.文学への思いを取り戻し 刑事と両立、C.自分も息子との関りで悩んだことがあったと弱みを漏らす。取調室という厳めしいタイトルとは逆に 優しさに溢れた内容。
オムニバスの取調室ABCが収斂し、まったく別の隠れた犯罪を炙り出す。調書を作成(記録)していた婦警が、事件の全貌を推理し 管内で起きていた不審者による犯罪が解決。警察の縦割り組織という弊害も浮かび上がる。しかし あんなにミニスカートの婦警がいるかなぁ(ミニスカポリスじゃあるまいし☜古い?)。
次回公演も楽しみにしております。
怪物の家
日本映画大学 身体表現・俳優コース
サンモールスタジオ(東京都)
2025/12/19 (金) ~ 2025/12/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
面白い、超満席。舞台と通常の客席との間にミニ椅子、さらに その前に座布団席。そして何故か大物芸能人も観劇していた。
説明にもあるが 笑いを交えた風刺劇。現代の政治を 或る政治家一家の跡目争いに絡めて描いているが、物語も面白いが、その舞台美術の造り込みが見事。この劇場で ここまで造り込んで、さらに変形させるという驚き。政界では「怪物」と呼ばれる大物政治家(88歳)が梗塞で緊急入院。留守の間に孫たちが跡目(地盤)争いをして立候補を画策。大物政治家の息子は自死し、その子供(孫)3人が虎視眈々と…。と言っても全員が政治家志望ではないようだが、その腹の内は分からない。
物語は どす黒くなりそうな設定だが、今 政治ネタを巧く取り 入れ分かり易い。偶然であろうか、高市総理(発言)を彷彿とさせるような場面などは、その現実と相まって迫力がある。もっとも右翼・左翼・中道といった分かり易い色分け(主張)が、その人物の性格や立場として描かれているが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、怪物と言われている政治家の家(居間)。中央奥はレトロガラス戸、座敷中央に大きな座卓、上手は神棚と床の間・床脇で掛け軸等・違い棚等。下手は襖の出入口。ちなみに上手 書院には茶室に入る にじり口のような隠し戸がある。
暴力団とも繋がりのある、というか自分も暴力行為をしていた。色々な意味で怪物として恐れられていた政治家である。彼が梗塞で緊急入院し、孫たちが跡目を話し合うために集まったが....。長女は結婚しており その夫は落選続き、弟で唯一の男は政治家には関心がなく、末妹は(衆議院)被選挙年齢になったばかり。しかし見せ掛けだけでも軍備増強を訴える。長女の夫は我が強くなく 主義/主張がはっきりしない。しかも突然寝てしまうという奇病もち。誰が祖父の後を継いで立候補するか喧々諤々。
登場人物は祖父(怪物)と孫3人と配偶者、そして女中と使用人の7人。女中の亡き母は入院した祖父と訳アリの関係。使用人は暴力団当時の祖父を尊敬していた といった一癖二癖もある人たちばかり。そんな騒動の中で祖父は後遺症がある体で政治家を続けると、しかも女中と結婚するという。女中の家系と怪物の家は確執があり、劇中の台詞では「ロミオとジュリエット」のようだと。女中は末妹と同じ歳(被選挙年齢=25歳)ということになる。使用人が 渡世気質が失せ 大人しくなる祖父の姿を見て幻滅し、日本刀で切りつける。狭い居間が 阿鼻叫喚の地獄絵図に化すが、何故か可笑しみもある。主義/主張なきテロ者の存在が一番厄介だと言う。
この乱闘騒ぎで次々と切られ死んでいく。政治という表舞台で自己主張を目論んでいた者達が、政治に無関心な男に殺され野望が潰える。その惨劇…襖が斜めに切り落とされといった見た目の驚き、しかも奥のガラス戸が鶴翼するように奥へ引き広がる。そこには庭の光景‐‐上手から松・灯篭・柳が配置され日本庭園のよう。最後は皆死んで 生き残ったのは部屋に居なかった長女の配偶者だけ。皆 舞台から下(降)りて横一列になって庭に並ぶ。選挙(立候補)という表舞台から降りて…そこに公演としてのシュールさを感じる。
次回公演も楽しみにしております。
『青の鳥 レテの森』『レテの霧 蒼の檻』
ハグハグ共和国
萬劇場(東京都)
2025/12/18 (木) ~ 2025/12/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。【青の鳥 レテの森】観劇
ハグハグ共和国の独特の世界観を堪能。表層的にはダーク・ファンタジーといった雰囲気だが、その内容は骨太で滋味に溢れるもの。物語の展開に惹かれ、段々と前のめりになる。森に立ち込める濃い霧 それが少しずつ晴れ 見渡せるようになる、そんな神秘性を醸し出す。良い意味での中毒性から ハグハグ公演から抜け出(観逃)せない。
物語は 撮影という劇中劇のようにも思えたが、その枠の構造よりも そこで描かれている「生きる」「繋がる」といった人の「思(想)い」が強く感じられる。劇中の台詞にもあるが「思い」を「繋ぐ」ことによって、段々それが「重く」なる。そこに生きているという実感が込み上げてくる。今年は戦後80年、この公演も反戦劇の1つだろう。
(上演時間1時間45分 休憩なし)㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台は、中央に階段があり 上った先に緑の網幕に囲われた枠。舞台の上手/下手に木々、全体が緑色に囲まれた森といったイメージ。枠の下は石垣で覆われた洞窟(or防空壕)のよう。
物語は、知らぬ間に「レテの森」に連れて来られた人々が、そこに居る妖(アヤカシ)からコロニー〈レテの川(通称:ゼロ地点)を渡った先〉に行くよう命ぜられる。何のために行くのか、そこに何があるのか教えてもらえない。訳も解らず武器を持たされ、森の中を進むことになる。ただ辿り着けるのは1人で、その者が望んだものは何でも手に入るという。
森に居る黒ずくめの妖は、この中を彷徨う魂…魂魄であることが明かされる。森は此岸と彼岸の境、黄泉の世界といったところ。レテ川はさしずめ”三途の川”といったところであろう。「ゼロ地点」そこは”始まりであり終わり”という台詞が劇中で繰り返される。それは冒頭の独白のような台詞が物語を支配しているかのようだ。宇宙が誕生し人類が生まれる、そこには「生」と「死」の繰り返しを象徴する。しかし、この世は不条理極まりない。森の魂魄は戦争によって命が奪われた者たち。コロニーへ行って(記憶が消え)戻った者はいないと、何となく輪廻転生といった感じだ。妖の黒衣裳は焼け焦げを表し、ラストは もんぺ姿で笑顔。
森に連れて来られた人々は、交通事故で生死を彷徨っている。死の淵にあって、現世ではそれぞれの人生に悩み、苦しみ生きる術(すべ)を見失っている。そんな人々がゼロ地点で見て感じることは…。生きることは「思い」であり それを受け継ぐことで「重く」くなっていく。それを感じることが生きる勇気になる。本筋に挿話として「オズの魔法使い」「桃太郎伝説」(少し緩すぎた笑い)等を取り込んでいるが、それは寓意を意識させる。現実と黄泉のような世界を ダイナミックに結びつけるアナグラムのような奇知。
テーマは「生きる」であり、合せ鏡として「反戦」である。敢えて森に連れて来た人々に殺し合いをさせ、憎悪・復讐という負の連鎖を通じて愚かさを悟らせるのか、もしくは自己犠牲を主張。一方、悩み苦しみに中に生きる勇気が備わってくる。迷えば それだけ地図が大きくなる。それは人間としての器量の大きさを意味する。他人任せのような”祈り”ではなく、自らが考え行動する、その先に”希望”が見えてくると…胸に迫る台詞の数々が、両手の指先から零れ落ちてしまうのが勿体ない。
骨太い脚本、それを重層的に構成して観せる。役者はそれぞれのキャラを立ち上げて物語の世界に引き入れる。もちろん演技同様、ダンスパフォーマンス(アンサンブル)も魅力的であった。ラストは 白衣裳の雫(月野原りんサン)が羽ばたくような、そこに<希望>が見える。「ハグハグ共和国」らしい印象付けと余韻…堪能した。
次回公演を楽しみにしております。
サイハテ
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
小劇場B1(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
タイトル「サイハテ」…どこを若しくは何を基点にしているのか判然としないが、その抽象性が物語の世界観そのもの。時として観れば現在否定の未来、心の在りようとして考えれば 自由とは?を追求することで、逆に不自由さや矛盾を生み出すようなパラドックス。
理屈でいえば、量的な時間と言われる「クロノス」から質的な時間「カイロス」の世界を望んだ男、言い換えれば 定年退職後、悠々自適(楽園)の生活を手に入れるための審問。それを通して人間(心情)や社会(制度)が内包する問題を炙り出すような。ちなみに登場する人物は、男・妻・娘・職員・先輩・後輩・部下そして旅人と記されており、そこから誰もが持つ普遍性を表しているようだ。また舞台美術から、この世とあの世の間(ハザマ)のようでもある。全体感は ハッキリしないが「知的」という印象、そこに不思議な魅力を感じる。見応え十分。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に白いシーツに覆われた円台。その上に上演前から1人の女性が後ろ向きに座っている。円台には携帯ラジオ、旅行鞄が開けられ 衣類が散らばっている。後々 シーツが取り払われ円台下への開閉通路が現れる。上演後 すぐにキャストが細長い白布を等間隔に吊るすが、場内の黒壁と相まって鯨幕に見える。この光景から死者との関わり 現世と来世の間(ハザマ)を連想する。
物語は、40年間勤めた国民汚物課 下水飲料班を定年退職した男(60歳)が、「サイハテ」に行くために国民管理局の審査を受けるところから始まる。以降 管理番号で呼ばれる。その第一次審査は1日1回のガラポン抽選、それまでの(勤務)貢献度などは斟酌されない。元職場の先輩(課長)は10年間くじ を引き続けているが…。その先輩が男の代わりに引いた くじが当たり 男は二次審査へ。男の身上調査が始まるが、理不尽な質問に困惑し怒りが込み上げてくる。男は非人戸籍という最低限の権利しか有していない。その出自ゆえ、人が嫌がる仕事にしか就けなかった。
この国民管理局には男女の職員とその部下がいる。女職員(高畑こと美サン)の口癖は「決まりですから」というルール至上主義、それに そぐわない対応をする部下(奥田努サン=Jr.5の代表)の頭をスリッパで叩く。持ち込み禁止物ー例えば爆弾や遺骨等、男は慌てて包み物を隠す。部下も非人戸籍で 男の幇助をしてしまう。客演にはさせられない叩かれ役だろう。物語は 軍服のような制服を着た管理局による統制、そこに不安・不穏といった不気味さが漂う。そんな中にスラップスティックな笑いの場面を挿入し和ませる。
男の目指していた「サイハテ」とはどんなところか。そして妻も一緒に連れていくことにしていたが、既に亡くなっている。男の妄想によって幻影を見ているかのよう。娘は父を諫めるが、今まで娘と向き合ってこなかった男は その言葉に戸惑うばかり。男は 妻もサイハテに行きたがっていた、妻のためにラジオを買ったと思っているが、実は 男の自分勝手な思い。サイハテに来てみれば、自由はあるが何をすればいいのか。そこで出会った旅人も放浪者のような出で立ち。
40年間働いて定年退職、「サイハテ」という地(自由)を手に入れるが、そこで待ち受けていたのは虚無の世界。しかし 元の世界へは帰(戻)れないし、そこでは銃声のような音が聞こえる。元の世界は社会という戦場であり生き残りをかけた戦いをしてきた。その安息の地が「サイハテ」ならば、そこでどう生き暮らすか模索しなければならない。それは誰にも頼ることが出来ない。相談する妻も亡く、遺骨を抱いてオロオロしているだけ。その精神的開放なのか自暴自棄なのか、遺骨の中のモノを投げ出す。そこに男の新たな一歩を見るような…。
次回公演も楽しみにしております。
パーク
甲斐ファクトリー
シアター711(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
2つのコトが緩く繋がって、人間と社会の或る共通の言葉「不寛容」が浮かび上がる。登場するのは普通の人々、そして街中にある公園のベンチを舞台に、得体の知れない心の桎梏のようなものを炙り出す。
人それぞれに正義や真実があり、そのぶつかり合いを通して蟠りを解消していくのだが…。それを日常の出来事に落とし込んで分かり易く描いている。少しネタバレするが、登場するのは 公園のベンチを大切にするオジサン 佐藤を中心に、近所にあるスーパーのパート職員、公園を管理する市役所職員という設定が妙。パートのシフト調整の場面や市民の声という建前で強権を振るう行政、そこに それぞれの思惑 そして軋轢が透けて見える。
一方、佐藤と公園の近所に住んでいる若い女性 リンコ、この2人は心に闇のようなものを抱え その心中は複雑。2人にもウソと真実があり だんだんと露呈、それが許容できるか否か、理屈では言い表せない心の内 感情を見事に描き出す。
この2つの話が絶妙に交差し 普通に潜む<闇>のようなものが怖い。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、全面芝床 中央奥に木製のベンチ その傍に街灯。何となく別役実の世界を連想。
物語は晩秋、昼頃やってきてベンチを拭き掃除する 佐藤を中心に何気ない日常に溢れている不寛容が浮き彫りになっていく。佐藤は、亡き妻がこの近くの病院に入院していたことがあり、2人で散歩にきては このベンチで語らった思い出の場所。しかし公園にある鉄棒でケガをした子供がおり、市役所が鉄棒の撤去を検討。砂場、ジャングルジムなど遊具が次々に無くなり…。ベンチも横になり そこで寝てしまう人もいる。これから寒くなり凍死でもされたら困るという危機回避から居心地の悪いベンチへ。
親にしてみれば、子供を守るという(正義の)主張があり、市役所は市民の声に耳を傾けるといった建前のもとに対処する。子供のケガは捻挫であったが、いつの間にか骨折という大袈裟な話へ、市役所は 市政に都合が良くなるように市民の声を誘導する。公園の在り様についても 遊具=危険と判断され撤去、そして子供の声が煩くて というのは現実にあった話で話題にもなった。遊育といった考え方は 難しくなったような。
佐藤の妻との思い出話は 嘘。リンコの友人 吉田が 別の街で佐藤を見かけたと。佐藤の話ー山梨でブドウ園経営、妻とは死に別れーに心酔していたリンコは怒る。彼女は子供の頃から 母に嘘はいけないと言い聞かされていた。佐藤の嘘を暴き糾弾、ここでは社会的な正義ではなく個人的な感情を露悪的に描く。子供のケガに端を発した遊具撤去、それに対応する行政、そしてスーパーのシフト表は、それぞれの立場による主張。しかしリンコの怒りは、佐藤の出来心(嘘)が許せない。先鋭化した正義感は、歪な人間関係によって 人を傷付けてしまうこともある。社会的風潮と個人的感情を巧みに絡ませ「不寛容」といった世相を炙り出している。
佐藤を演じたトラ丸(伊藤 順)さんの 貧乏ゆすりのようなしぐさ は心の落ち着きのなさを表し、それを強調するかのような照明の明滅が印象的。不穏を煽るようなピアノを始めとした音楽も効果的で、公園全体を覆う不安・不穏といった雰囲気を醸し出していた。登場するのは普通の人、その名字が佐藤を始め、鈴木・中村・山本・高橋など、ありふれており そこに一般(普遍)性を感じる。
次回公演も楽しみにしております。
横浜ヶ国
雀組ホエールズ
赤坂RED/THEATER(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
現代の政治問題の核心を突いた内容だが、雀組ホエールズにかかると笑い楽しみながら政治講座を観聞きしているような感じ。荒唐無稽な設定であるが、仮にそうなったら日本国民や横浜市民はどのような判断を下すのだろうか?観客という傍観者というわけにはいかない。当事者として「横浜ケ国」という舞台に上り主体的に考え動かなければならない。
公演は政界、いや正解を用意しているわけではない。しかし GHQによる戦後 占領政策や日米安全保障条約に関わる日本の対応をみると、真実なのではと勘繰ってしまう。政治の闇に潜む事実を面白可笑しく炙り出すような展開、その観(魅)せる巧さは見事!演劇としての隠されたモキュメンタリーといった印象を受けた。
少しネタバレするが、独立の噂が流れた横浜市陣営の市長 二俣川たか子(棚橋幸代サン)は赤いスーツ、一方 永田町陣営の総理大臣 石瓦一郎(阪本浩之サン)は白いスーツと対照的、それ以外の登場人物も原色基調の衣裳を着ており、立場の違いを鮮明にしている。そしてアメリカ陣営の謎の東雲タロウ(山下規介サン)は、コミカルな演技が多い中で ブレることなく芯ある人物を立ち上げ、物語の重しになっている。そのピリッとした存在が良い。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手/下手の幕にカラフルな布を張り合わせた大きな衝立。情景に応じて可動する平台が、衝立間の出ハケ口から現れる。また海を表すため舞台と客席の間に細長い薄布を波打たせる。冒頭 総理大臣 石瓦が、その海で東雲一味に拷問(吊り責め)されているところから始まる。
日本は、アメリカにとって東南アジアにおける橋頭堡。特に東西冷戦時においては重要な役割(地政学的)を担っていた。だからこそ、植民地化せず日本という”国”のまま存続させた と。歴代首相は「日本は独立」と言いつつ、アメリカと密約を交わし実質 植民地化を認めた施策を実施。それが「米国の傀儡国であり 『戦後100年目の2045年に日本が米国に吸収される』ことも密約」されている。劇中で憲法解釈、特に第9条を巡って二俣川たか子は戦争放棄を強調、そこに偶然であろうが現在の日中関係を考えさせる。高校生など市井の人々を前に政治の話をするが、それが「政治講座」のようで分かり易い。分かり易ければ良い という訳ではないが、下手にプロパガンダに陥るようなことはない。
「横浜ケ国」という設定が妙。物語は神奈川県陣営として座間市と横須賀市の市長を登場させている。勿論 駐留米軍基地がある市である。大局(国家)的見地からすれば、市(長)の思惑など取るに足らないー劇中でも永田町陣営とあまり絡まない。なぜ「横浜ケ国」の二俣川たか子が注目されるのか。実は石瓦総理と旧知の間柄で、昔ある約束をしていた という内緒話が…。アメリカ陣営の暴力的な脅しに屈しない 二俣川市長、東雲は 日本の政治家の資質を試していたような。政治家は信念を持って為政をしているのか、どこを向いた政治なのかを問うている。東雲曰く、日本は「ハラキリ・カミカゼ・カロウシ」といった自己犠牲で成り立っている。本来、政治や社会そして人間の関係は信頼に基づくもの と。
舞台美術はシンプルだが、場景に応じて可動する平台を搬入/搬出するなど観(魅)せる工夫をしている。政治という小難しい話だが、時に笑いを交え分かり易く描く。ラストは 日本人が横一列になって畳んだ段ボールを持っている。それは船べりを表し、まさに 日本人は泥船に乗っているという事らしい。なんと象徴的な。
次回公演も楽しみにしております。
「Collapse Of Values」Re:Mix
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場HOPE(東京都)
2025/12/09 (火) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
ダークサスペンス--緊張・緊迫感が容赦なく観る者を圧倒する、そんな見応えある公演。
物語は 説明にある通りだが、そのダークな雰囲気は想像を超え 嫌悪感を増幅させ痛みと悲しみを…。恐怖に支配された状況下で まともな精神状態を保てない。精神(感情)と肉体をぶつけ合いながら必死に生きようとする。
物語の展開には緩みを入れないが、登場人物の性格等で緩和させる、そんなバランス感覚が好かった。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)【裏チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、薄汚れた灰色の壁、中央に出捌け口があり 奥は玄関になっているらしい。室内の上手にソファ、下手にベンチがあるだけ。後々 分かるが、中央床にある仕掛けの出入口(地下へ通じる開閉戸と階段)。全体的に不気味な雰囲気が漂う。この空間は ある閉鎖された建屋の一角で、別部屋は客席通路を使用する。
或る事件の捜査をしていた警視庁刑事部捜査一課の佐々倉刑事(高田 舟サン)は、別件で 突然姿を消したサラリーマン2人の行方も捜査することになる。この2つの事件が結び付いてくるが、元々の事件の概要が分からないことから、繋がりの詳細は分からない。ただ、行方不明になっているサラリーマンの1人が自分の弟であることから強引に捜査を開始し始めた。その理由 動機は、ハッキリしていることから説得力はある。ラスト、影の真犯人と佐々倉の自殺を連想させる銃声音が衝撃的!それに至るアクションシーンも力強かった。
この(監禁)場所は、知らずに闇バイトへ応募してきた人々の人間性を奪い鬼畜へ追いやる。死体を解体し臓器を仕分けする。学費捻出や親の介護費用を稼ぐためにやってきた普通の人々、その心身を蝕んでいく。狂気じみた光景だが、目を瞑り顔を背けることなく見入ってしまう。物語は迫力・緊張感を持続させるといった集中力が凄い。怖いのは、慣れの感情ー始めこそ 死体を切り刻むことに抵抗・躊躇っていたが、そのうち 何とも思わなくなる。
佐々倉刑事が潜入捜査を開始する前、相棒であり後輩の山崎鈴音(西脇彩華サン)とのお喋りが場を和ませる。その一服の清涼剤(コミカル)的なバランスが良かった。
公演の緊迫感は、迫真の演技にある。表面的な悪役である佐伯龍(サン)は、そして監禁している女性の髪の毛を掴み 容赦なくビンタもする。拳銃の発砲も威力を感じさせる。舞台技術は薄暗い建屋(倉庫風)に低重音の響くような音楽、朱色の閃光だが 発砲時と血飛沫によって照明色彩を諧調させるなど細かい工夫が好い。ダークサスペンスという謳い文句で、真犯人へ辿り着くような伏線も死に際の譫言として回収していく。
次回公演も楽しみにしております。
劇場版 ツインルームス
丸福ボンバーズ
APOCシアター(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。3つの観点によって構成されているようで、その総体が舞台となる この「HOTEL HEAVEN」を表しているよう。物語では、単純に「天国」というよりは「たいへん幸福な場所、状態」と捉えたほうが しっくりくる。「温かい」とか「優しい」といった表面をなぞるだけの容易い表現では言い尽くせない。
少しネタバレするが、3つの観点は そのまま見所に直結する。第1は、ホテルの常連客(夫婦)の話、第2は、ホテルにある予備の部屋(SPARE ROOM)のようなところで語られる3つの話、第3は、ホテルで演奏している設定の生演奏。全ては、ホテルを舞台にしており、存在そのものが物語になっている。「敷居は低いけど、質の高いエンターテインメント」の謳い文句通り 見応えがあった。
(上演時間1時間50分)㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は中央上部にスクリーン、その下に横並びの演奏スペース。その前(客席寄り)に白いソファが2つ。所々に瀟洒なランプシェード。ホテルの人々は同じ制服で雰囲気を醸し出す。
3つの観点は次の通り。
●物語は、羽深泰治(41歳)が ふみ(25歳)に色々な名言を用いて結婚を申し込むところから始まる。2人の歳の差は16歳。泰治は、ニーチェの「未来は過去と同じくらいに現在に影響を与える」といった有名な言葉を用い、今の自分の幸福の有り様を説明する。そして これはラストシーンにも使われる。ちなみに「泰治」は 皆から「先生」と呼ばれている。
●ホテルには予備の部屋(800号室、幽霊も出るという噂)のようなものがあって、そこでバンドメンバーが経験した3つのエピソードが語られる。このシーンのストーリーテラーがヴォーカルの通称リヴで、自分のことではないので喜々として紹介していく。1つ目は、通称チャックが財閥 三ツ葉家の令嬢 ひめかと その父 一郎との仲を取り持つ心温まる話。2つ目は、通称フラップが自分の音楽的才能に見切りをつけてオーナー濱口瞳子に辞表を提出するが…の哀愁話。3つ目は、通称テールの双子の弟 美鶴とその娘 めぐみの 遣りたいこと巡りと思い出話。この室内ストーリーは3人のゲスト脚本家が担い、テイストは違うが それぞれ滋味溢れる物語。
●最後は、羽深夫妻、そして800号室に登場したゲストを招いてのホテルバンド「チャックテールフラップ with リヴ+ガン)による生演奏。上手からフラップ(ギター&ヴォーカル)、チャック(パーカッション=ジャンベ?)、リヴ(ヴォーカル)、エキストラで来たベーシスト通称ガン(ベース)、テール(ギター)が見事な演奏を披露する。数年経っており、既に ふみ と めぐみ(2人は浮遊感ある白衣裳)は亡くなっており、体はこの場所にないが 魂は来て演奏を聴いていると。そして ふみ はヴォーカルとして歌う。
当日パンフによれば、劇中で演奏しているのは6曲。ホテルでの演奏という設定で、物語に巧く取り入れており充実した空間を創り出している。またホテルが海の近くという立地や館内・室内も映像で映し、情景も分かり易い。さらに波の音など効果音で臨場感を漂わす丁寧さ。最後にホテルのような受付対応、実に好印象。
次回公演も楽しみにしております。
ある日、僕らは夢の中で出会う
S企画
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/12/05 (金) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
高円寺K’sスタジオ10周年記念企画、無料公演。
上演は 高橋いさを氏の脚本、それを梶原航氏が演出したコメディ系メタフィクション。役者は4名、全員が刑事と誘拐犯の1人二役で描く。立場が変われば思考や意識が変わる、まるでオセロゲームのように白が黒へ 黒が白へ反転する。そもそも白と黒で どちらが表で裏なのか決まっていたのだろうか。自分は 何となく白=表、黒=裏という先入観に捉われていたような気がする(初手は決まっている)。
物語は、刑事部に配属になった新人刑事の 実務研修のようなことから始まる。映画やTVの刑事ドラマに毒されているような新人、先輩曰く 実際の刑事は あんなにドタバタ動き回らない。事件が起きない日は、ただ ボーッとしているだけで 報告書なんか書かない と。そして警察用(隠)語にしても拳銃はチャカではなくビー玉と笑わせる。1人の人間が 既知の理想と未知の現実の間で翻弄され、諸々が曖昧になっていく不条理劇。
先入観、思い込みに潜む危うさが、刑事と誘拐犯との交渉(1人二役だから自分自身?)を通して浮かび上がる。最初と最後の台詞は同じ、何気なく使っている時候の挨拶(言葉)は無難のような。その無意識こそが最強にして最高の在りようだ。物語は面白いが、なぜか〈観劇〉ではなく〈観察〉している といった醒めた見方(意識)になった。
満足度は辛口の★3。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
中央にドア、その両横に回転する衝立壁が4枚。それはオセロのように裏表が黒と白になっており、場景に応じて変わる。中央にテーブルと黒電話。登場人物は4人で刑事の時は黒スーツ、誘拐犯の時は白っぽい続服(ツヅクフク)。黒と白は 衣裳にも拘りを見せる。
当日配付された案内によれば「刑事と誘拐犯という立場にいながら、どちらも『自分はホンモノの人間として生きている』と信じたい人たちの物語」とある。今の世の中、ホンモノとニセモノの区別が曖昧になりイメージが先行する風潮にある。そのイメージにどれだけ近いかが ホンモノへのメルクマールになっているのかもしれない。劇中にもあるが、「モナ・リザ」の複製が多く出回り 本物との区別が付かなくなり…といった場面がある。その絵画は唯一無二で、本物と偽物を峻別する必要があるが、例えば その人でなければ といった絶対的な存在は稀(芸術家や技能者など)。物語では”つくられた姿”が先に広まって、そのイメージに合わせて行動することへの可笑しさを描いているよう。
物語でも刑事の外見は、黒いスーツでそれなりのイメージ。そのイメージこそ世渡りでは大切。周りの視線が気になり、普通に あてはまらないと仲間外れにされてしまうのではないかと怯えて過ごす。それは子供から大人まで どの世代でも同じ。しかし何が「普通」かは曖昧、そこに自分らしさを見出せるか否かも大切。イメージがあっても 必ずしもそれが正解とは限らない。この作品は男優4人の物語らしいが、本公演では男優1人と女優3人、すでにイメージを壊しにかかっており、刑事と誘拐犯の電話口での対応も可笑しい。
この戯曲は1983年に書かれたそうだが、時代の変化は速く イメージも多様化している。TVなどのメディアはもちろん、SNSなどによって情報はアッという間に拡散され、その真偽が分からないまま拡大していく。物語は、自分がホンモノとして生き(信じ)ているかではなく、第三者にそう思わ(信じさ)せるかといった展開のようで、そこにイメージという虚像に内在している怖さを感じる。今 自分は刑事なのか犯人なのか錯綜、だから最後のシーンが活きてくる。演劇は、虚構の中で役者はホンモノらしく演じ 自分を表現するそうだが、この公演では、共感・没入感ではなく その外観を観察したといった印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
ロカビリーに恋をして
タマかけるモノ
ザ・ポケット(東京都)
2025/12/04 (木) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人や地域コミュニティの優しさ大切さ と時代/世相を描いた物語。地域愛に溢れた公演だなぁ。
物語は、説明にある多摩市の永山駅からバスを利用した或る公団、エレベータもない5階に住む一人暮らしの老人が倒れ、病院に搬送されたがそのまま亡くなった。子供たちは、葬儀の準備を通して この街で父(登場しない)がどのような思いで過ごしていたのかを知っていく。話は1974年 子供たちがまだ小学生だった頃から始まる。
1957年と2020年に1974年の物語が交差する音楽劇…そこに描かれているのは 亡き父と既に3年前に亡くなった母の出会い、そして2020年の今現在を交差して紡いでいく。親子関係というよりは、その時代の世相・世情を描くことによって、地域コミュニティとの関わり方(重要さ)が浮き彫りになる。子供たちが知らなかった父の一面を知り、近所の人たちに愛されていたことを知る。団塊世代の夢であった多摩ニュータウン、しかし、それから半世紀を経て 様変わりした事情や様子を垣間見せることによって、隔世の感を抱かせる。
公演は、スラップ奏法のベースで幕が開くロカビリーナンバー。当時の衣装を着た女優陣の歌と溌溂とした踊り、それを2020年の葬儀と対比。それは活況だった頃の多摩ニュータウンと今、さらに夢や希望に溢れていた青春期と 年老いて5階まで歩くのが大変な現在、そんな充実感と寂寥感がくっきり浮かび上がる人生劇。高度成長期とコロナ禍といった社会事情も影響しているのであろうか(多摩ニュータウン編)。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、正面に正方形の出臍舞台にスタンドマイク、下手に演奏スペース。衝立を用いて 「JAZZ喫茶 エーシーズ」(1957年)と「団地の一室」(2020年)を交差して現す。団地の室内は、中央奥に和箪笥とエアコン、卓袱台、下手に仏壇が置かれている。息子の光太郎は 参列者も多くないので、費用的なことも考え 火葬式にしたいと。
物語は1974年、光太郎と妹の照子が小学校から帰るところから始まる。光太郎が描いた母の顔の絵が 金賞になり喜んでいる兄妹。後々 分かるが、この日は父が工場長に昇進した日でもある。光太郎は母の喜ぶ顔が見たかったが、父のせいで喜びが半減した。子供心に小さな蟠り。父は母を深く愛しており、話は2人が出会った1957年へ。
母は、集団就職で青森から上京し クリーニング店で住み込みで働いていた。そこへ近所の工場で働いていた父が 工場着を持って通い 見初めた。同じように上京し一緒に働いていた友達からロカビリーへ誘われ、JAZZ喫茶エーシーズで同郷の幼馴染 嘉門六郎と出会う。1958年2月の日劇ウェスタンカーニバルに向けてファンが推しを応援する。今も昔も変わらない光景、しかし何かと金が掛かる。そんな時、クリーニング店の社長を通じて父が結婚を申し込んだ。父は母だけを愛し続けた。
母が3年前に亡くなり 父は一人暮らしだが、パソコン教室やボイストレーニングに通い地域社会と接点を持つよう努めた。そして近々 カラオケ大会に出場する予定だった。父の祭壇がなく、焼香にも事欠き寂しさが募る近所の人たち。独居老人の孤独死が言われる昨今、それでも逞しく生きようとする父の姿が目に浮かぶようだ。光太郎と照子は、早々に帰ることにしていたが、この部屋に泊まり父を偲ぶことにした。ベランダに出れば夜空に満天の星が輝いている。
1957年、女優陣は当時の衣装で歌い溌溂と踊る、六郎はリーゼント・スタイルにし雰囲気を漂わす。公演の目玉である歌と踊りは楽しくノリノリで会場を沸かす。ビリー諸川の歌、生演奏(ウッドベースとエレキギター)も上手い。キャストと観客が一体となって盛り上げている公演。
次回公演も楽しみにしております。
交差点のプテラノドン
演劇集団 Ring-Bong
座・高円寺1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
フライヤーの絵柄と言葉に物語が凝縮されており、プテラノドンは そういう意味で使っているのかと納得。そもそもプテラノドンとは何か知らなかったので、少しネット検索してみた。それによると翼竜だが翼を羽ばたかせて飛ぶのではなく、滑空(風に乗って)ということらしい。劇中で、子供の時に持っていた羽が、成長し大人になっていくにしたがい 小さく無くなっていく といった旨の台詞がある。言い得て妙だと感心(いや寒心)した。人でいえば、飛び方は人それぞれ違う。
説明の「葬式であぶり出される家族の本音から・・・『家族とは』を問いかけていく」は、同じ家庭で育ち 同じ方を向いて歩んでいると思っていたのに、いつの間にか反対や横の方へ歩いている。まさにスクランブル交差点で、下手をすれば ぶつかってしまう。そんな危険な状態を笑いを交えて描く。昭和の典型的な父親の急死、そして産婦人科クリニックの院長という設定が巧い。そこには誰も逃れられない「生」と「死」という問題が横たわっている。
舞台美術、冒頭は素舞台だが情景に応じて構築・変化していく。それは夫婦だけの暮らしから子供が生まれ育ち、そして孫が生まれる。何もない空間に情景が立ち上がるように、家族という最小単位の集団が形成されていくようだ。しかし緊密な造作ではなく、隙間だらけというところに この家族(里中家)の今の状況が透けて見える。俳優陣は普通にいそうな人物を演じているが、いつの間にか個性溢れる人物像を立ち上げている。その人々の濃密であり 時として粗密(とぼけた)な会話が面白い。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は素舞台と思っていたが、上演が始まると俳優陣が白テープで間取りを区切るように床にテープを貼付、それを壁に見立て白枠(ドア)、テープ枠内に本棚や机を配置する。途中でバミリを加え、書斎から居間へ転換する手際も見事。骨組みだけで隙間風が、この様子こそ里中家の現況を表しているよう。物語は、或る夏 里中産婦人科クリニック院長の里中こうたが熱中症で急死したところから始まる。
物語は説明にあるように、里中産婦人科クリニックの院長である里中こうたの通夜。こうた には三人(姉妹弟)の子供がいる。次女は大学病院の産婦人科に勤務。長男で末っ子は形成外科医、そして長女の唯は、母の遺言もありクリニックを守ろうと必死。遺言状が遺されているのか、遺産とクリニックの今後をめぐり姉妹弟は意見がぶつかる。そんな中、唯の娘 花音(17歳)が妊娠していることを告白する。そして亡くなった こうた とあの世への案内人 さつきが幽霊として彷徨っている。
こうたは、自分の(現実の)葬儀に(仮想の)幽霊として第三者的に表れ、俯瞰的に様子を見守る。そしてちょいちょいと口をはさむが相手には聞こえない。重くなりがちな葬儀、それをコミカルに描きつつ 家族の本音を炙り出す。集まっているのは普通の親族、それを建前・傲慢・強欲・理屈などの性格を誇張し人間臭さを描破する。娘 花音の妊娠(21週目)について話し合う過程で やっと本音が出てくる。そこには彼女の将来と生む生まないといった「生死」の問題があるため。こうた は望まぬ妊娠に特別養子縁組を働きかけていた。この縁組によって救われたのが、あの世への案内人さつき。さつきも望まぬ妊娠をし、自分は亡くなるが 赤ん坊は助かり こうたが縁組に関わってくれた。
家族といっても 皆同じ方向を向いているわけではなく、その立場や事情が優先する。それは我儘のようでちょっと違う。その表現し難い微妙な感情を役者陣は巧く体現している。また 唯が信じている風水や奇妙な宗教踊り、こうた と顧問弁護士 森塚晶子の共通の趣味など横道へも逸れるが、コミカルなタッチを大切にしているよう。脚本の面白さや演出の巧さもあろうが、役者が漂わす空気感のようなものが現実と幻想が交じり合う不思議な世界を創り上げる。普遍的かつ超越的な物語は、観客の感情を揺さぶり 考えさせる秀作。
次回公演も楽しみにしております。
青少年版 フランケンシュタイン 青田の影
芝居処 華ヨタ
劇場MOMO(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。東京に来て2回目の公演らしいが、今後 注目していきたい団体。
物語の設定というか 構成は少し複雑で なかなか全体像が掴めないが、それでも観(魅)せる 力 はある。タイトルにある「青少年版 フランケンシュタイン」は、人の生と死の比喩であり、「青田の影」はそれを意識し始めた主人公 健一と彼の心に忍び寄る得体の知れないモノに思えるが…。心にある生と死に関わる複雑な思い、それを色々な角度から捉え <芝居処 華ヨタ>らしい独特な世界観を構築しようとしている。当日パンフに演出の内田達也氏が「面白い演劇を全部詰め込みまして」とあるが、これ以上盛り込んだら物語が破綻するのでは というギリギリのところまで攻めた公演のよう。
少しネタバレするが、物語は小説「フランケンシュタイン」の概観(手紙という形式<枠物語>)に準え、過去と現在の情況、生者と死者の(魂の)共鳴といった異なる世界観を錯綜させ展開していく。そのため役者陣は皆 複数役を担っている。勿論 演技で違う人物像を立ち上げるが、衣裳替えや小物(例えば帽子など)も活用する。また魅せ聞かせる 女優2人による歌と振付も楽しめた。そして何より舞台装置とそれを活かした情景描写の演出が巧い。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は段差を設え、上部に街(ビル)の風景 高架送電線に雑草、天井部には豆電球による星々。遠景を表現するかのようなミニチュア造作。中央に電柱/街灯、上手/下手には変形の障子戸があり、特に下手にはウッドデッキのようなスペースが張り出している。そこで食事の光景や自動車内を表す。全体的に古材を使用した古民家のよう。
健一は、夏休みに オートバイの購入と免許取得の資金稼ぎのため 叔父の家でアルバイトを始めた。3時起きの農作業、田舎ゆえ早く閉まる店(カラオケ)。眠れぬ夜とゼミ課題の「フランケンシュタイン」の読了と研究。小説を準えるように 博士によって創造された怪物は、醜い容姿によって迫害を受ける。孤独感から怪物は伴侶となる異性の怪物をもう1体創ってほしいと頼むが先送りし…。
冒頭 健一と話している姉がいつの間にか母になり、しかも既に亡くなっていると。物語を繋ぐ 世界と世界の境界が曖昧となり、健一の現況が浮き彫りになる。健一とフランケンシュタインの息子が重なり、孤独を抱えている。一方、従兄弟とカラオケに興じるが 22時が閉店という田舎の地域性、舞台美術と相まってノスタルジアが感じられる。カラオケによる女優2人(畑中咲菜サンと森岡朋奈サン)の歌と振付が楽しい。従兄弟 拓哉との会話は現実、しかし 健一の心は 虚実の裂け目を彷徨っている という奇怪さ。
物語の世界観はそんなに暗澹・憂鬱ではなく、坦々としている。むしろ演出の過度な盛り込みが気になった。<影:柴野航輝サン>が デーモン閣下のような怒髪と異様なメイク、<影の影:北中僚介サン>が スティルトに乗って不安定に歩く、唐突な歌謡シーンや 上手/下手から扇風機を使った紙吹雪など、その見た目の派手さが印象的。また至近距離で そうめん を実食するなど、諸々の試行を共振させるかのような。表面的な演出は目立っているが、肝心な物語の世界観に入り込めないのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
籠鳥ーCAGOTORIー
ショーGEKI
小劇場B1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。初日観劇、その特典として 劇中に登場する曲すべての歌詞が載っている『ブックレット』がプレゼント。
全10曲が載っているが、物語はその曲にある情況を紡いでいく、逆にその物語用に曲を作詞/作曲したかのような相乗効果を発揮している。謳い文句にある「小劇場ではありえない!生バンドでのミュージカル!」は誇張ではなく、歌って踊り そして観客を楽しませるエンターテイメント。表層的な面白さだけではなく、物語の奥に「古くて新しい問題 というか意識」を潜ませ、悩ませ 考えさせるといった深味のある公演。現代のジェンダー問題にも繋がるような話。
説明の 「鳥籠の中で12人の女たちが、3人の男をめぐり、歌い!叫び!弾けて!求婚! 恋愛サバイバル」であり恋愛は命がけ。まさに3人の男にとっては 生き残りをかけた崖っぷちである。少しネタバレするが、12人の女のうち、適齢期と言われる女5人と男3人が昔 TVで流行った「パンチDEデート」「プロポーズ大作戦」等のような、恋を成就させる物語だが…。今でもあるのか「結婚適齢期」という言葉、たとえ死語だとしても その意識はあるのだろう。物語が面白いのは 男女の恋の駆け引きだけではなく、人の心にある思いそのものを描いているところ。そして1人ひとりが思い描いている<恋>とは を突き詰めていく。それを体現する役者陣のコミカルな演技が面白い。生演奏もすばらしいが 演奏者3人も劇中に入り込んで笑わせる。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は2か所にベンチ状の長椅子。その近くにスタンドマイク2本。壁には格子状のオブジェ、そして舞台を囲うように天井から等間隔に半パイプが吊るされている。舞台上はグリーンで統一、まさに鳥籠の中。この劇場は2面(L字)客席だが、その一部を演奏スペース。女優陣は ヘッドセットマイク使用。
ある日、12人の女の中から適齢期と言われる女5人を選び、男3人と恋の成就を目指す物語。ルールは、女から好みの男を選ぶことは出来るが、男が女を選ぶことが出来ない(好きと言えない)。男が出来るのは女からのアプローチを断るだけ。そして男は恋の成就が出来なければ処分される という まさに命がけ。
恋愛につきもの、女は自分の好みと相手に求める条件をいう。曲でいえば「M3 プロフィール 私は何者?」を歌い 「まずは年齢 そして職業、学歴あるいは出身、星座に血液型 だけど見た目 結局顔にスタイル 単純に好き好きが優先」といった外観重視。そして男は「M4 ONE WISH」で「僕の望みは一つだけ 僕だけを見て 僕だけを愛して」と。しかし男は自分の声で歌えない。自分に自信が持てないといった心象表現。女らしさ、男らしさ という曖昧な「らしさ」という意識に自縄自縛されている。例えば 女は「僕」という言葉に嫌悪感を抱き、「俺」と言えと強要する。
またコロラルド効果を用い、恋愛において周囲からの反対や障害があると、かえって恋愛感情が高まり燃え上がるという心理状態を歌う。一方、愛に慎重になる、そして愛は危険だと自分に暗示をかける。自分勝手に 片思いを決め込む、そんな自己逃避がいじらしい。カラフルな衣裳を着た女たちが(複雑な女心を)切々と歌い上げる。全体的に明るくポップな印象であるが、それぞれを見れば皆 個性的だ。
次回公演も楽しみにしております。
『いつかへ』(アーカイブ配信)
アンティークス
「劇」小劇場(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
物語は、横浜大空襲を始まりとし 命の繋がり 人の絆を情感豊かに紡いだヒューマンドラマ。少しネタバレするが、3つの時代を往き来し それぞれの時代で共感するようなエピソードを点描する。三世代にわたる 長い時間軸の中で、人の想いがゆっくり収斂していく。各時代に感動的な場面を描き、泣きそうと思った瞬間 明るく歌い楽器(ハーモニカ)を吹く。それの繰り返しのようで、感情を波動のように揺さぶり 高揚感を満たしていく。もう このまま泣かせてよ というところで寸止めするような感覚、そしてラストには大きな感動が…。
けっしてお涙頂戴といった物語ではなく、生きることのすばらしさ、人の縁や絆の大切さが感じられる滋味溢れる話。物語を支えているのが照明と音響/音楽=歌と1つの楽器。叙事的なことを背景にしているが、舞台としては抒情的に描いている。そこに人生のリアリティが垣間見えてくる。ただ、途中で不可思議なことー現実の中に仮想的な描き方を紛れ込ませる、それをどう解釈するのか ちょっと悩む。
上演前に脚本・演出の岡﨑貴宏 氏が 当日配布した人物相関図は、観劇後に見てほしいと。1人複数役を担うキャストもいるが混乱することはない。ちなみにタイトル「いつかへ」は 時制ではない。
(上演時間2時間 休憩なし) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に寄木細工のような文様の平台、その上に同じ文様の箱馬2つ。上手/下手にも同じような箱馬があり、舞台袖あたりに平板で作った出入口。床には 枯れ葉。上演前には「ゴンドラの唄」など懐かしのメロディが流れている。
戦時中の照明・音響は 空襲時の濃朱色、けたたましい空襲警報が緊張感と緊迫感を煽る。モンペ等の衣裳に煤けた顔が当時を思わせる。そして中央の平台や箱馬の上り下りが逃げ惑う様子を表す。
物語は1945年、1985年そして2021~2025年の3つの時代を往還する。そして説明にある母まい の葬儀から始まる。
●1945年、横浜大空襲時に両親に連れられ逃げ惑う まい(3歳)の姿。防空壕はどこもいっぱいで入れない。空襲時のドサクサで まい は両親と逸れてしまい直前に知り合った母ますみ 娘くみ と一緒にいたが…。まい は両親に見つけられたが、彼女を庇う様に母娘は亡くなっていた。
●1985年、まいは民宿を営んでおり 子供にも恵まれた。空襲時、まいの母は妊娠しており、その後 まいの弟が生まれた。ある日、自殺を図ろうとしていた女 ゆきこ を助け、民宿を手伝ってもらうことにしたが…。その後 彼女は妊娠したが 余命数か月。出産しても育てられない。
●2021~2025年、コロナ禍が背景。中学生の いつか は一人ぼっち。転校してきて友達もいない。そんな時 声を掛けてくれたのが小百合。小百合は体質的なこともありマスクは出来ない、そのため担任から注意される。そんな小百合を あすかが庇う。が 小百合は幼児を庇い交通事故で亡くなる。
まい は、ゆきこ の亡き後、その子 いつかを実の孫のように育てている。空襲で助かった命、それを自殺しようとした ゆきこを助け、その子を育てる。血の繋がりはないが、人の縁と絆といった理屈とは別の感情が動いた物語。居るのは当たり前、日常の暮らしの中に埋没してしまう意識を丁寧に掬い上げた作品。ハーモニカで吹く曲は”故郷”、それは人の心にある原点(拠所)ではなかろうか。まい が気に入っている場所、それは ヒマワリ畑の向こうに海が見える丘。そのヒマワリは自分を助けてくれた母娘のために…。
なお、途中で大人の まいが 子供になって存在する(1役2人:子供時代と大人時代)。非現実的な描写はどのような事を意味しているのか(出番の関係)?
次回公演も楽しみにしております。
劇団鹿殺し Shoulderpads 凱旋公演+abnormals 3作同時上演
劇団鹿殺し
駅前劇場(東京都)
2025/11/30 (日) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。Shoulderpads SP Japanese Version 「銀河鉄道の夜」観劇
冒頭 菜月チョビさんが、挨拶として劇団草創期の頃の話をしていたが、この公演にピッタリのような。そう 「裸一貫」という言葉に相応しく、何もないが その向こうにある事が想像できる、そんなロマンを感じさせる。「銀河鉄道の夜」という不思議な物語だけに、舞台という虚構性の魅力、観客の想像力を最大限に引き出し 楽しませるのに相応しい。同時にジーンとくるものがある。
自分が知っている「銀河鉄道の夜」に沿った内容…ジョバンニ(菜月チョビサン)とカンパネルラ(丸尾丸一郎サン)が中心になって物語を牽引し、それ以外の役者は1人複数役を担い 旅の世界へ誘ってくれる。この旅の中で、学び 絆を育み深めながら困難を乗り越えていく過程は、冒頭のチョビさんの挨拶を彷彿とさせる。台詞は 詩的で哲学的な言葉だが、情景は 漫画のコマ割(緩急)のように面白い。その一コマも見逃せない。
公演の特長である〈Shoulderpads〉だけで、飛び跳ね、ムーブメント、フォーメーション、パフォーマンスといった動き 躍動感で観(魅)せる。また 手作り感のある小物を活用し色々な場景を紡ぎ出す。小劇場で 衝撃にして笑劇的な観せ方、俗用で言えば デジタルの時代にアナクロ的な魅力、けっしてCGで代替できない手作りエンターテイメント公演だ。
(上演時間1時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕に囲まれ、正面に豆電球の電飾ー銀河イメージ だけの素舞台。物語の展開(情景)に応じて椅子やビニールプールを持ち込む。
公演は、ショルダーパッズとゴム紐だけで股間を隠しただけの、まさに この身ひとつで演ずるのだが、その表現力が巧みで情感に溢れている。表層(例えばチラシ)だけ観れば、キワモノのようだが、いつの間にか「銀河鉄道の夜」の世界観に浸っている。Galaxy Trainのノートを持って銀河を旅する。人間は素粒子で出来ており、どこへでも自由に行ける。カンパネルラは 見え(居)なくなっても、いつもジョバンニのそばにいる。
原作は 抒情的な内容だが、それを体現するのが生身の裸体というアンバランス。そこに鹿殺しの独創的な物語を立ち上げる。小劇場では敬遠される水(川で溺れるイメージ)まで使用する、どこまでも場景はリアルを追求するような。
次回公演も楽しみにしております。
あたらしいエクスプロージョン
CoRich舞台芸術!プロデュース
新宿シアタートップス(東京都)
2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
説明通り「戦後直後の日本でカメラもフィルムもままならない時代に、邦画史上初のキスシーンを撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた物語」であるが、そこには復興にかける多くの人々の夢と希望が内包されている。映画を撮ることは<復興>の象徴、何かに(本作では「映画」)情熱を燃やす者たちの群像劇といえる。それを6人の役者がそれぞれ複数役を担い、1人の演奏者が多くの楽器を奏でることによって多重的に紡いでいく。公演は、分かり易い 質の高いエンターテイメントといった印象だ。
今年は戦後80年、劇中の台詞にもあるが 焼け野原にポツンと見えるのは東本願寺(建物外部)だけ、その焼失と心の喪失を乗り越えた先に光る絆と癒しの光景を描き出す。公演の魅力は、役者や演奏するキャスト陣の熱演と舞台装置や小道具・小物を巧みに使って観(魅)せる場景描写、その演出がすばらしい。謳い文句にもある「ユーモアとペーソスを織り交ぜた緻密な構成」、そして圧倒的な台詞の味わい深さー言葉が心を紡いでいくような秀作。岸田國士戯曲賞 受賞作。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、可動クローゼット(裏板なく通り抜け)3つ、その間に姿見2つ、更に その間に椅子が半円を描くように並んだ だけのシンプルもの。後々 分かるが中央床が開閉し、登場人物が出入りする。上手奥が演奏スペース。場景に応じて クローゼットや姿見を動かし情景や状況を作り出す。物語の最初と最後に玉音放送。
物語は説明にある通りだが、そこに戦前と戦後の撮影事情が大きく違って 戸惑いを隠せない映画人の姿を描く。価値観や考え方等が180度転換する。12月の邦画といえば「忠臣蔵」が定番、しかしGHQ 軍属のデビッド・コンデは、日本の映画会社に軍国主義的・封建主義的な内容の映画製作を禁じた(検閲で許可されない)。そこで 城内での刃傷沙汰を止め、浅野と吉良が接吻して恋沙汰(虜<トリコ>)にし、さらに2人の立場を入れ替えた。また戦時中に 杵山康茂が戦意高揚を謳った映画を撮り、裁判になったが、大した影響力もなかったことから無罪。ホッとした反面、映画人としてプライドが傷つけられ複雑な思い。GHQの進言を聞きながら、日本映画の復活を目指す若者たち。また闇市や街娼など、当時の世相を挿入し混乱と退廃した状況も描く。戦後直後の混乱期、映画とは無関係 しかも法律や道徳といった建前ではなく 強かに生きる若者をキャスティングする、そこに新しい人材発掘/登用を見せる。
戦時中の悲惨な出来事も描いている。大陸(満州)に渡り 家庭を築いた女性 石王時子。終戦のドサクサになんとか帰国したが、夫は戦死し 子も亡くす。夫との約束、生きて日本の土を踏ませ 撮ること、それが果たせなかった彼女の慟哭。彼女は オジサン姿(付け髭)で男として生きていた。撮る対象(子)を喪ったが、どうしても撮影をはじめ映画技術の全てを習得したい。子を撮るという限りなく近いところまで という切なる願い。この個人的な思いと映画事情という社会的な世情を巧みに絡ませたドラマ。
可動クローゼット内には多くの衣裳(普段着)が吊るされ、人物や場景に応じて早着替えする。また役者以外にトルソー(それも色や大・小といった大きさの違い)を用いて 多くの人を現す。それは主役級だけではなく、大部屋や現場にいる映画人全てを表し称えているよう。音響/音楽も生演奏だけではなく、例えば雨音は役者が床や物を叩く音で表現するなど細かい演出に拘る。客席との間にある白幕をスクリーンに見立て、映写(影絵)も映画をテーマにしているだけに面白い。この奇知ある<舞台演出>を通して<映画技法>を思わせるようで、実に巧い。
次回公演も楽しみにしております。
星降る教室
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2025/11/22 (土) ~ 2025/12/01 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
2016年にラジオドラマとして書き下ろした作品。昨年12月に青☆組オリジナルの朗読劇、青色文庫の様式による初の演劇化。場内は、ノスタルジックで夢幻のような雰囲気を作り出し、女性教師の回想を通して紡ぐ心温まる物語。
青☆組公演の魅力は、じっくり作品を育て 物語に新たな息吹を吹き込んでいくような丁寧さ。本作は宮沢賢治の世界観に呼応したもので、その情景が次々と心に浮かび上がる。舞台美術や技術と相まって表出し 観客の心を静かに揺さぶる。発語を意識し大事にしたといった印象だ。
舞台装置はシンプルだが美しく、優しく、そして温かい雰囲気を醸し出す。キャストはデザインは違うが白地基調の衣裳で統一し、女性教師(現在と過去の2人)は同じ色調の上下服のお揃い。オールキャスト続投によるリクリエイション 珠玉作。
(上演時間65分)
ネタバレBOX
舞台美術は、正面奥の幕に豆電球の電飾、その下に灯がともったミニツリーが置かれている。色彩は、全て暖色の単彩だから温かく優しく感じる。天井にはレース状の白布、銀河イメージであろうか。両壁際には丸椅子が5つずつ並んでいる。吉田小夏さんは、劇中にも入り 歌を口ずさみ ミニグロッケンの演奏を担当する。
教師の森山雪子(32歳)は、20年前に卒業した雫の森小学校の恩師から1枚のはがきを受け取る。それは卒業生代表として卒業式での祝辞を依頼するもの。しかし転校を繰り返していた雪子は、6年生の1年間しかいなかった学校での思い出はほとんどない。雪子は、人間の言葉を話すウサギに導かれて だんだんと奇妙な世界へ誘われていく。雪子の記憶の底に沈んでいた、卒業式当日の出来事が…。
宮沢賢治の童話らしいアニミスティックな世界観、そこに30代になった女教師のリアルな心情を持ち込んでいる。転校を繰り返し 故郷らしき所がない。雫の森小学校は既に無く桜の木だけが…しかし そこには確かに自分はいた。自然云々といった世界と雪子の今の状況(暮らし)を照らし合わせ、忘れてしまった記憶の中に大切なものがあったことを気づかせる。
物語は 美しく抒情的な言葉で紡いでいく。しかし それは浮遊感のようなものではなく、大地に根を下ろした確かさ。人間と自然の共生(キャスト全員の存在/表現)した営み、そこに このドラマの新たな息吹を感じる。朗読劇とは違った魅力、それは人間(役者)が生き生きと動き回り、躍動感(生)を感じさせる。まさに舞台化と呼ぶにふさわしい。
次回公演も楽しみにしております。