青少年版 フランケンシュタイン 青田の影
芝居処 華ヨタ
劇場MOMO(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)上演中
予約受付中
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。東京に来て2回目の公演らしいが、今後 注目していきたい団体。
物語の設定というか 構成は少し複雑で なかなか全体像が掴めないが、それでも観(魅)せる 力 はある。タイトルにある「青少年版 フランケンシュタイン」は、人の生と死の比喩であり、「青田の影」はそれを意識し始めた主人公 健一と彼の心に忍び寄る得体の知れないモノに思えるが…。心にある生と死に関わる複雑な思い、それを色々な角度から捉え <芝居処 華ヨタ>らしい独特な世界観を構築しようとしている。当日パンフに演出の内田達也氏が「面白い演劇を全部詰め込みまして」とあるが、これ以上盛り込んだら物語が破綻するのでは というギリギリのところまで攻めた公演のよう。
少しネタバレするが、物語は小説「フランケンシュタイン」の概観(手紙という形式<枠物語>)に準え、過去と現在の情況、生者と死者の(魂の)共鳴といった異なる世界観を錯綜させ展開していく。そのため役者陣は皆 複数役を担っている。勿論 演技で違う人物像を立ち上げるが、衣裳替えや小物(例えば帽子など)も活用する。また魅せ聞かせる 女優2人による歌と振付も楽しめた。そして何より舞台装置とそれを活かした情景描写の演出が巧い。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 追記予定
籠鳥ーCAGOTORIー
ショーGEKI
小劇場B1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)上演中
予約受付中
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。初日観劇、その特典として 劇中に登場する曲すべての歌詞が載っている『ブックレット』がプレゼント。
全10曲が載っているが、物語はその曲にある情況を紡いでいく、逆にその物語用に曲を作詞/作曲したかのような相乗効果を発揮している。謳い文句にある「小劇場ではありえない!生バンドでのミュージカル!」は誇張ではなく、歌って踊り そして観客を楽しませるエンターテイメント。表層的な面白さだけではなく、物語の奥に「古くて新しい問題 というか意識」を潜ませ、悩ませ 考えさせるといった深味のある公演。現代のジェンダー問題にも繋がるような話。
説明の 「鳥籠の中で12人の女たちが、3人の男をめぐり、歌い!叫び!弾けて!求婚! 恋愛サバイバル」であり恋愛は命がけ。まさに3人の男にとっては 生き残りをかけた崖っぷちである。少しネタバレするが、12人の女のうち、適齢期と言われる女5人と男3人が昔 TVで流行った「パンチDEデート」「プロポーズ大作戦」等のような、恋を成就させる物語だが…。今でもあるのか「結婚適齢期」という言葉、たとえ死語だとしても その意識はあるのだろう。物語が面白いのは 男女の恋の駆け引きだけではなく、人の心にある思いそのものを描いているところ。そして1人ひとりが思い描いている<恋>とは を突き詰めていく。それを体現する役者陣のコミカルな演技が面白い。生演奏もすばらしいが 演奏者3人も劇中に入り込んで笑わせる。
(上演時間1時間55分 休憩なし)追記予定
『いつかへ』
アンティークス
「劇」小劇場(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)上演中
予約受付中
実演鑑賞
満足度★★★★
物語は、横浜大空襲を始まりとし 命の繋がり 人の絆を情感豊かに紡いだヒューマンドラマ。少しネタバレするが、3つの時代を行き来し それぞれの時代で共感するようなエピソードを点描する。三世代にわたる 長い時間軸の中で、人の想いがゆっくり収斂していく。各時代に感動的な場面を描き、泣きそうと思った瞬間 明るく歌い楽器(ハーモニカ)を吹く。それの繰り返しのようで、感情を波動のように揺さぶり 高揚感を満たしていく。もう このまま泣かせてよ というところで寸止めするような感覚、そしてラストには大きな感動が…。
けっしてお涙頂戴といった物語ではなく、生きることのすばらしさ、人の縁や絆の大切さが感じられる滋味溢れる話。物語を支えているのが照明と音響/音楽=歌と1つの楽器。叙事的なことを背景にしているが、舞台としては抒情的に描いている。そこに人生のリアリティが垣間見えてくる。ただ、途中で不可思議なことー現実の中に仮想的な描き方を紛れ込ませる、それをどう解釈するのか ちょっと悩む。
上演前に脚本・演出の岡﨑貴宏 氏が 当日配布した人物相関図は、観劇後に見てほしいと。1人複数役を担うキャストもいるが混乱することはない。ちなみにタイトル「いつかへ」は 時制ではない。
(上演時間2時間 休憩なし)追記予定
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に寄木細工のような文様の平台の上に同じ文様の箱馬2つ。上手/下手にも同じような箱馬があり、舞台袖あたりに平板で作った出入口。床には 枯れ葉。上演前にはゴンドラの唄など懐かしの歌が流れている。
物語は1945年、1985年そして2021~2025年の3つの時代を往還する。
1945年、横浜大空襲時に両親に連れられ逃げ惑う まい(3歳)の姿。防空壕はどこもいっぱいで入れない。空襲時のドサクサで まい は両親と逸れてしまい直前に知り合った母ますみ 娘くみ と一緒にいたが…。まい は両親に見つけ出されたが、彼女を庇う様に母娘は亡くなっていた。
1985年、まいは民宿を営んでおり、2人の子供にも恵まれた。そして空襲時、まいの母は妊娠しており、その後 まいの弟が生まれた。ある日、自殺を図ろうとしていた女 ゆきこを助け、民宿を手伝ってもらうことにしたが…。彼女は妊娠しており、自身は余命数か月という。
劇団鹿殺し Shoulderpads 凱旋公演+abnormals 3作同時上演
劇団鹿殺し
駅前劇場(東京都)
2025/11/30 (日) ~ 2025/12/07 (日)上演中
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。Shoulderpads SP Japanese Version 「銀河鉄道の夜」観劇
冒頭 菜月チョビさんが、挨拶として劇団草創期の頃の話をしていたが、この公演にピッタリのような。そう 「裸一貫」という言葉に相応しく、何もないが その向こうにある事が想像できる、そんなロマンを感じさせる。「銀河鉄道の夜」という不思議な物語だけに、舞台という虚構性の魅力、観客の想像力を最大限に引き出し 楽しませるのに相応しい。同時にジーンとくるものがある。
自分が知っている「銀河鉄道の夜」に沿った内容…ジョバンニ(菜月チョビサン)とカンパネルラ(丸尾丸一郎サン)が中心になって物語を牽引し、それ以外の役者は1人複数役を担い 旅の世界へ誘ってくれる。この旅の中で、学び 絆を育み深めながら困難を乗り越えていく過程は、冒頭のチョビさんの挨拶を彷彿とさせる。台詞は 詩的で哲学的な言葉だが、情景は 漫画のコマ割(緩急)のように面白い。その一コマも見逃せない。
公演の特長である〈Shoulderpads〉だけで、飛び跳ね、ムーブメント、フォーメーション、パフォーマンスといった動き 躍動感で観(魅)せる。また 手作り感のある小物を活用し色々な場景を紡ぎ出す。小劇場で 衝撃にして笑劇的な観せ方、俗用で言えば デジタルの時代にアナログ的な魅力、けっしてCGで代替できない手作りエンターテイメント公演だ。
(上演時間1時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕に囲まれ、正面に豆電球の電飾ー銀河イメージ だけの素舞台。物語の展開(情景)に応じて椅子やビニールプールを持ち込む。
公演は、ショルダーパッズとゴム紐だけで股間を隠しただけの、まさに この身ひとつで演ずるのだが、その表現力が巧みで情感に溢れている。表層(例えばチラシ)だけ観れば、キワモノのようだが、いつの間にか「銀河鉄道の夜」の世界観に浸っている。Galaxy Trainのノートを持って銀河を旅する。人間は素粒子で出来ており、どこへでも自由に行ける。カンパネルラは 見え(居)なくなっても、いつもジョバンニのそばにいる。
原作は 抒情的な内容だが、それを体現するのが生身の裸体というアンバランス。そこに鹿殺しの独創的な物語を立ち上げる。小劇場では敬遠される水(川で溺れるイメージ)まで使用する、どこまでも場景はリアルを追求するような。
次回公演も楽しみにしております。
あたらしいエクスプロージョン
CoRich舞台芸術!プロデュース
新宿シアタートップス(東京都)
2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
説明通り「戦後直後の日本でカメラもフィルムもままならない時代に、邦画史上初のキスシーンを撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた物語」であるが、そこには復興にかける多くの人々の夢と希望が内包されている。映画を撮ることは<復興>の象徴、何かに(本作では「映画」)情熱を燃やす者たちの群像劇といえる。それを6人の役者がそれぞれ複数役を担い、1人の演奏者が多くの楽器を奏でることによって多重的に紡いでいく。公演は、分かり易い 質の高いエンターテイメントといった印象だ。
今年は戦後80年、劇中の台詞にもあるが 焼け野原にポツンと見えるのは東本願寺(建物外部)だけ、その焼失と心の喪失を乗り越えた先に光る絆と癒しの光景を描き出す。公演の魅力は、役者や演奏するキャスト陣の熱演と舞台装置や小道具・小物を巧みに使って観(魅)せる場景描写、その演出がすばらしい。謳い文句にもある「ユーモアとペーソスを織り交ぜた緻密な構成」、そして圧倒的な台詞の味わい深さー言葉が心を紡いでいくような秀作。岸田國士戯曲賞 受賞作。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、可動クローゼット(裏板なく通り抜け)3つ、その間に姿見2つ、更に その間に椅子が半円を描くように並んだ だけのシンプルもの。後々 分かるが中央床が開閉し、登場人物が出入りする。上手奥が演奏スペース。場景に応じて クローゼットや姿見を動かし情景や状況を作り出す。物語の最初と最後に玉音放送。
物語は説明にある通りだが、そこに戦前と戦後の撮影事情が大きく違って 戸惑いを隠せない映画人の姿を描く。価値観や考え方等が180度転換する。12月の邦画といえば「忠臣蔵」が定番、しかしGHQ 軍属のデビッド・コンデは、日本の映画会社に軍国主義的・封建主義的な内容の映画製作を禁じた(検閲で許可されない)。そこで 城内での刃傷沙汰を止め、浅野と吉良が接吻して恋沙汰(虜<トリコ>)にし、さらに2人の立場を入れ替えた。また戦時中に 杵山康茂が戦意高揚を謳った映画を撮り、裁判になったが、大した影響力もなかったことから無罪。ホッとした反面、映画人としてプライドが傷つけられ複雑な思い。GHQの進言を聞きながら、日本映画の復活を目指す若者たち。また闇市や街娼など、当時の世相を挿入し混乱と退廃した状況も描く。戦後直後の混乱期、映画とは無関係 しかも法律や道徳といった建前ではなく 強かに生きる若者をキャスティングする、そこに新しい人材発掘/登用を見せる。
戦時中の悲惨な出来事も描いている。大陸(満州)に渡り 家庭を築いた女性 石王時子。終戦のドサクサになんとか帰国したが、夫は戦死し 子も亡くす。夫との約束、生きて日本の土を踏ませ 撮ること、それが果たせなかった彼女の慟哭。彼女は オジサン姿(付け髭)で男として生きていた。撮る対象(子)を喪ったが、どうしても撮影をはじめ映画技術の全てを習得したい。子を撮るという限りなく近いところまで という切なる願い。この個人的な思いと映画事情という社会的な世情を巧みに絡ませたドラマ。
可動クローゼット内には多くの衣裳(普段着)が吊るされ、人物や場景に応じて早着替えする。また役者以外にトルソー(それも色や大・小といった大きさの違い)を用いて 多くの人を現す。それは主役級だけではなく、大部屋や現場にいる映画人全てを表し称えているよう。音響/音楽も生演奏だけではなく、例えば雨音は役者が床や物を叩く音で表現するなど細かい演出に拘る。客席との間にある白幕をスクリーンに見立て、映写(影絵)も映画をテーマにしているだけに面白い。この奇知ある<舞台演出>を通して<映画技法>を思わせるようで、実に巧い。
次回公演も楽しみにしております。
星降る教室
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2025/11/22 (土) ~ 2025/12/01 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
2016年にラジオドラマとして書き下ろした作品。昨年12月に青☆組オリジナルの朗読劇、青色文庫の様式による初の演劇化。場内は、ノスタルジックで夢幻のような雰囲気を作り出し、女性教師の回想を通して紡ぐ心温まる物語。
青☆組公演の魅力は、じっくり作品を育て 物語に新たな息吹を吹き込んでいくような丁寧さ。本作は宮沢賢治の世界観に呼応したもので、その情景が次々と心に浮かび上がる。舞台美術や技術と相まって表出し 観客の心を静かに揺さぶる。発語を意識し大事にしたといった印象だ。
舞台装置はシンプルだが美しく、優しく、そして温かい雰囲気を醸し出す。キャストはデザインは違うが白地基調の衣裳で統一し、女性教師(現在と過去の2人)は同じ色調の上下服のお揃い。オールキャスト続投によるリクリエイション 珠玉作。
(上演時間65分)
ネタバレBOX
舞台美術は、正面奥の幕に豆電球の電飾、その下に灯がともったミニツリーが置かれている。色彩は、全て暖色の単彩だから温かく優しく感じる。天井にはレース状の白布、銀河イメージであろうか。両壁際には丸椅子が5つずつ並んでいる。吉田小夏さんは、劇中にも入り 歌を口ずさみ ミニグロッケンの演奏を担当する。
教師の森山雪子(32歳)は、20年前に卒業した雫の森小学校の恩師から1枚のはがきを受け取る。それは卒業生代表として卒業式での祝辞を依頼するもの。しかし転校を繰り返していた雪子は、6年生の1年間しかいなかった学校での思い出はほとんどない。雪子は、人間の言葉を話すウサギに導かれて だんだんと奇妙な世界へ誘われていく。雪子の記憶の底に沈んでいた、卒業式当日の出来事が…。
宮沢賢治の童話らしいアニミスティックな世界観、そこに30代になった女教師のリアルな心情を持ち込んでいる。転校を繰り返し 故郷らしき所がない。雫の森小学校は既に無く桜の木だけが…しかし そこには確かに自分はいた。自然云々といった世界と雪子の今の状況(暮らし)を照らし合わせ、忘れてしまった記憶の中に大切なものがあったことを気づかせる。
物語は 美しく抒情的な言葉で紡いでいく。しかし それは浮遊感のようなものではなく、大地に根を下ろした確かさ。人間と自然の共生(キャスト全員の存在/表現)した営み、そこに このドラマの新たな息吹を感じる。朗読劇とは違った魅力、それは人間(役者)が生き生きと動き回り、躍動感(生)を感じさせる。まさに舞台化と呼ぶにふさわしい。
次回公演も楽しみにしております。
一九一四大非常
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2025/11/25 (火) ~ 2025/12/07 (日)上演中
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日観劇。超面白い!お薦め。
タイトルは、ちょっと調べれば分かる大惨事。前作との関りもあるが、別に観ていなくても十分解る。事実(記録)を準えた展開であるが、その奥に隠された事(記憶)を虚実綯交ぜにして描いた骨太作。「一九一四大非常」は、111年後の「ニ〇二五大傑作」だ と思う。
物語の展開は、或る有名な洋画を連想する。いや ラストシーンを考えたら…感動で心魂震える。少しネタバレするが、今まで観てきた桟敷童子公演に比べると ラストの舞台装置によるインパクト(ダイナミックさ)は小さい。その代わり、劇中で鏤められる印象そして余韻ある演出は、瞬時にその情景を表象する。
場内が現場を表し、役者陣の迫真ある演技が緊張感と緊迫感を漂わす。勿論 衣裳やメイクが当時の凄惨さを物語る。また状況や情況が刻々と伝わるよう、日にちや時間を繰り返し言う。現代と地続き、そこで何を伝えるのかという社会性は、国家(戦略)に翻弄される虐げられた人々の思いではなかろうか。
(上演時間2時間 休憩なし) 追記予定
百年の孤独
月蝕忌実行委員会
オメガ東京(東京都)
2025/11/22 (土) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
千穐楽観劇。面白い!
久し振りの寺山修司作のアングラ劇。物語の筋を追うというよりは、その場面ごとの特異さを紡ぐことによって全体像が明らかになる といった感じ。些細なことに拘っていては、物事の本質を見失ってしまいそうな危うさ。
「百年の孤独」は、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説。ブエンディア一族が「蜃気楼の村」マコンドを建国し、その隆盛と滅亡に至るまでの100年間を描いた物語。それを寺山修司が上演 そして映画化しようとしたが、係争になり改題(『さらば箱舟』)等して上映。現在は無関係な作品として扱われるらしいが、ストーリーは共通している と。
相当 刺激的な作品で、独特な世界観に魅了される。勿論 その世界観を立ち上げていくキャスト陣の熱量が凄い。少しネタバレするが、小さな貞操帯を付けただけの全裸の女優、その貞操帯を外して情交したい光景が至近距離で繰り広げられる。性的な場面だけではなく、現世と来世を繋ぐアナログ的な奇知が面白い。脈絡が有るのか無いのか判然としないが、ラストは そういう事なのかと…。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕で囲い、中央上部に柱時計が吊るされている。その下に箱馬が3つ。上手/下手に物語を暗示するような支柱。上手は冥途/一族/手紙、下手には極北/魔境/科学と書かれた矢印。中央客席寄りに平箱が1つ。劇中やカーテンコールでの役者紹介でマッチを擦り火を灯す。その儚くも幻想的な光景が印象的。公演の妖しい魅力は、特殊なメイクや衣裳、光と影の陰影(モノトーン)の中で紡がれる幻想的な妄想。
物語は、世間の中傷や因習の中にありながら 従兄姉同士で愛し合う一組のカップル(近親婚による「豚の尻尾を持つ子」が生まれるというと迷信に捉われ貞操帯を付けている)。神父不在で結婚式を挙げられなくなってしまうカップル。身に覚えのない夫から次々に遺品が届く年増おぼこ(処女)。村人の手紙を冥土へ送る郵便配達人。やがて彼ら全員で記念写真を撮るに至るまで綴る。遭遇する不可思議な出来事の数々、それは夢と現、または過去と現在を彷徨する迷宮(もしくは迷走)する村のよう。
公演の表現的な魅力は、得体の知れない世界観とそれを表出していく偏執的とでも言う情熱。1人ひとりの独特な存在感と奇妙なパフォーマンス、その表現し難い魅力に圧倒される。当時の社会情勢など関係なく、ひたすら自分たちが信じた道を突き進む。そんな熱に浮かされた心象。シアトリカル(=劇的)に演じ、語り、怒り、笑いといった素直な感情が炸裂する。
この村から出られない不自由と閉塞感等、それは当時の時代の情勢を表しているのではなかろうか。人は社会(村/国)という共同体の中で生き、そして死んでいく。死は本人の肉体の焼失だけではなく、他人の記憶の消失によって その存在が亡(無)かったことになる。ラスト、平箱に入っていた過去帳を取り出し、百年経ったら(皆)記憶から抹消され村が消滅する。そこに救いがあるのか否か。
次回公演も楽しみにしております。
お寺でポンポン‼︎
劇団娯楽天国
ザ・ポケット(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
劇団の特長である舞台美術、その見事な造作の中で紡ぐ家族と衆人のスラップスティック・コメディ。劇中の言葉(台詞)を借りれば 「我欲」が爆発したようで収拾がつかない。その壊れた家族をいかに再生させるかが見所の1つ。勿論 舞台美術がその比喩になっている。
少しネタバレするが、主人公の澤瀉長一郎が定年退職し、縁もゆかりもない田舎に家を買って一人住まい。悠々自適な暮らしを満喫しているが、亡き妻の七回忌法要の件で子供達(娘3人)と相談することに…。娘たちもそれぞれの生活と思惑があり、早い段階で一筋縄ではいかないことが透けて見える。法要に絡み お寺との関りが物語をとんでもない方向へ。
衆人の我欲が、時事問題に絡むような描き方ー例えば SNSを使った選挙運動、宗教と政治の関係・影響、ジェンダー問題、投資の自己責任などーで、社会性が垣間見えてくる。家族という「人間」とは 切っても切れない「社会」を さり気なく繋げる巧さ。
(上演時間2時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほんとうに住めるような造り。正面奥には障子戸、それを開けると山並みが見える。天井には太い梁。上手は仏壇と床の間 上部は欄間、下手は階段があり2階へ。畳の居間に和箪笥が置かれている。最初と最後は 色違いだが お揃いの法被を着た群舞。
長一郎は写経をするなど スローライフを楽しんでいたが、妻の七回忌の相談のため娘たちを呼び寄せた。そんな時、昔 寺で修行していた時に世話になった住職とその妻が巡礼の途中で立ち寄ったと。そして2人は 法要を依頼した尼寺の悪い噂を言い出し…。御仏に仕える僧侶が金儲け(投資)や政治家(選挙活動)、さらにはインバウンドを当て込んだ観光施設の誘致など<仏>ならぬ<物>欲にまみれ、それに澤瀉家の相続問題が絡んでトラブルが勃発。再演であるから、”令和の不謹慎エンターテインメント”といったところ。
僧侶と言えど人間、生きていくためには我欲もあろう。それが罪深きことなのか自然なのか、僧侶という立場が物語を面白く味わい深くしている。長一郎の暮らしは、変な者たちに翻弄され 当たり前の生活が崩壊していく。しかし ご立派で窒息しそうな日々が、騒動によって何故か生き生きとしてきたように思える。暮らしは消費され田舎と都会という境界線を越えた。物理的には、煙草の引火爆発によって家が崩壊/焼失したが、一方 家族(娘たち)との蟠りは霧消したようだ。まさに家族の崩壊/炎上であり再生/出発が描かれる。この家屋(舞台装置)の崩壊シーンが 歌舞伎で言うところの屋台崩しのようで 迫力がある。
この劇団の強みは、役者陣のチームワーク。ベテラン団員だけというマンネリ化ではなく、ワークショップ生を順次登用する新鮮さ、そのバランスある構成が好い。例えば、澤瀉家の父親役の鷲巣知行さんは2003年から客演し団友といった存在。長女 高子の沢井エリカさんは2011年、次女 咲子の梨本りえ さんは2012年、三女 友子の寺岡遥さんは2024年、そして居候を決め込む住職 音羽澄珍の小倉昌之さん(座長) とその妻 菊代の高畑加寿子さんは創団間もない頃からのメンバー。チャイナ服を着た<小美人>2人はまだワークショップ生。まさに家族ぐるみの安定感ある公演。
次回公演も楽しみにしております。
山吹
遊戯空間
六本木ストライプスペース(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。泉鏡花原作「山吹」の独特の世界観を見事に表しており観応え十分。心地良い緊張感に包まれた舞台空間、そこに妖しげな物語が描かれる。まさしく「妖話会」に相応しい話。キャストは3人(篠本賢一サン、中村ひろみサン、加藤翠サン)、その少ないメンバーによる濃密な会話が観客の心を捉えて離さない。
原作の魅力もあろうが、物語に登場する人物の心情が切々と伝わり、その情景/状況を生演奏(設楽瞬山サン)が支える。また この会場の特徴を活かした演出が余韻を残す。物語全体の世界観というか情景は上演前から既に始まっており、その雰囲気作りが実に上手い。客席配置は観客をも劇中の民衆として取り込むような工夫であろう、その没入感に浸る。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
この会場は、中央に折り返しの階段があり、これをどう使う(演出する)か関心があったが、本作ではラストに活用。舞台を中央にした対面客席で、劇中にある<祭>の見物客(群衆)に見立て 物語へ誘うよう。会場入り口近くの紗幕、上演前に<祭>の映像を映して雰囲気を盛り上げる。逆に、奥に 語りと登場人物の島津正(洋画家)を演じる 中村ひろみ さんの立ち位置。イーゼルとその足元に絵画が数点。中央階段下に演奏スペースで和楽器(チベットベル、能管等)が置かれている。
物語(2場)は、時・場所・候を語り 始まる。舞台は修善寺温泉近くの山中。人形遣いの辺栗藤次は、寺の祭りの日に、木に人形を立てかけたまま 酒屋で飲んでいる。そこへ洋画家 島津正と小糸川子爵夫人の縫子が現れる。縫子は 料理屋の娘として働いていた頃 島津を見かけ、密かに憧れていた。嫁ぎ先での惨い仕打ちもあって家庭を捨て島津の許へ。しかし、芸術にしか興味を持たない島津は彼女の想いを受け入れない。絶望した縫子、そこへ酔った辺栗が現れる。縫子は、自暴自棄になり辺栗に「何でも言うことをきく」と。辺栗の望みは「女に(鞭で)打たれること」、縫子は傘骨で打つ。辺栗は若い頃、女絡みで罪を犯し その罪悪感から折檻されることで贖罪している と。縫子は島津に問う、「応えてくれなければ、この人形遣いと生きる」と。島津は「仕事がある」と答え 拒絶。縫子と辺栗は、念仏を唱えながら闇(階段を上り階上)へと消えていく。
物語は現実か夢想か、または現世か来世か そんな揺蕩うような雰囲気を漂わせている。その曖昧さが島津の「仕事が…」という逃げ口上を巧く引き出している。そして この「仕事」こそが洋画家としての島津の関心事ー縫子と辺栗の道行を絵に描きたいのでは と思ってしまう。能でいえば、縫子と辺栗はシテで、島津はワキ(始めに登場し時間や場所、状況を語る)のような役割を担っている。また傘骨で半裸になった辺栗を打つ、その異様にして耽美的な光景、それを(生)楽器の効果音によって艶めかしく響かせる。
謳い文句にある―魔界の誘惑、現世と来世のはざまで揺れる、女と男たちの一瞬間のドラマが、鏡花の豊饒な言葉で浮かび上がる―、それを見事に体現する3人の役者の演技が見事。至近距離で異様にして唯一無二の世界観を堪能する喜び。
次回公演も楽しみにしております。
朗読活劇 信長を殺した男 2025
ハピネット・メディアマーケティング
THEATRE1010(東京都)
2025/11/20 (木) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!朗読と演奏のコラボによって臨場感と迫力溢れる情景が立ち上がる。
物語は 史実と虚構を綯交ぜにした世界、その内容はタイトルのような主君殺しの非道な人物像ではなく、いかに世の安寧と家族愛を願ったかを紡いだもの。
戦国時代を背景にしているが、合戦シーンはほとんどなく 信長を殺した男 明智光秀の半生 その機微を中心に紡ぐ。キャストは わずか5人、光秀役以外は1人複数役を担う。また舞台美術、その造作はシンプルだが中央の櫓状に組んだ所には 織田信長1人が座る。主人公となる明智光秀を含めた人物は板の上。等間隔に4つの演台とスタンドマイクが横に並ぶ。勿論 高い場所から信長が睥睨していることを表し、板の上で(4人)は演台を移動し 固定した場所はない。そこに光秀の流浪人生が垣間見える。
(上演時間1時間45分 休憩なし)【桔梗】
ネタバレBOX
舞台に演台が並び、上手奥に演奏スペース…法螺貝・太鼓・三味線等 情景に応じて演奏し分ける。後景は、焼けたような薄汚い平板が組み合わさったオブジェ。戦国の世…焼け野原といったイメージだろうか。
またキャストや演奏者は皆 和装で男優は袴、女優は着物姿。また信長だけはマントを羽織って威厳を漂わせている。
戦国時代ー強烈な戦国武将たちが各地で死闘を繰り返し、その攻防の末 崩れる勢力図。光秀は、美濃国の戦国大名 斎藤道三とその息子 義龍の争いの中で 道三に従ったが破れて越前 朝倉家へ。そこでの働き、後の室町幕府15代将軍 足利義昭との関りなど、通史(史実)の出来事が語られていく。織田家へ仕え 武芸に秀でた光秀は頭角を現していく。信長による天下統一が進む中で、小さな綻びが広がり始める。中国・四国への政略戦。大陸(明)侵攻計画。そして極端な成果主義など……。特に荒木村重の謀反と明智家の関り、そこに時代という<社会>と明智という<家族(個人)>が繋がってくる。信長の意に添わぬものは排除、そして皆殺しという歴史(事実)を語る。
一方、光秀とその正室 熙子との出会いと思いやりは、歴史に刻まれない心の奥底にあるもの。それを情感たっぷりに表現する。光秀に熙子が嫁ぐことになったが、疱瘡を患い 顔に痘痕が残る。破談を恐れた熙子の父は彼女の妹・芳子を身代わりに立てるが、光秀はこれを見破り熙子を正室として迎え入れる。のち 朝倉家のために歌会を催すことになり、光秀がその資金に困っていると、熙子は黒髪を売って金を用立て助けた と。正確な記録もなく、語り継がれの美談のような出来事を虚構の舞台として立ち上げる。
演出は、場面の強調や場景の変化の時、演台に扇子を張り扇のように叩きつけて、緊張とリズム感をもって展開する。また 信長が本能寺で討たれ、退場する場面では紙吹雪が舞い印象と余韻を残す。
演技(朗読)は、声量や声色を変え 複数の人物や情況や状況を巧みに立ち上げていく。声の変化と同時に扇子を叩くタイミングが難しく、叩いた音が響かずスッたような音は愛嬌か。
次回公演も楽しみにしております。
MOON 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました!
KUROGOKU
シアターシャイン(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前公演に続いての如月小春 作品、面白い。
初演は バブル経済全盛期の1989(平成元)年、自分は未見。タイトルが「MOON」であるが、劇中では別の形でも表現される。詩的な印象であるが、内容は極めて私的であり人の心情をクッキリ表している。そして時代背景から長時間 過密労働という社会問題や疎外感といった事象が垣間見えてくる。労働者の代替など何人もおり、馘になっても無関心・無関係を装う。公演は 時代感覚/状況も大切にしており、携帯電話もパソコンも出てこない。
荒唐無稽のような展開に思えるが、それは比喩を紡ぎ人の心の空虚さ…「私はとても素敵なトースターを持っています・・・朝、夫がでかけたあと、私は一日中トースターを抱いています」を表している。そして物語の舞台となる夫婦の住居(マンション)も老朽化すれば取り壊し、新たな建物へ。人もモノも古く使い物にならなくなれば捨て 壊してしまう。今の時代に この演目を上演するのは、何となくコロナ禍を経て不寛容で無関心といった風潮に似ているような気がしてならない。勿論 労働環境(事情)は異なるが…。
少しネタバレするが、物語の中心になる夫婦の夫 ウエシタコーゾが、事件の概要を独白するところから始まる。夫が主人公で その観点で展開していくのかと思っていたが、いつの間にか 妻 のの が主役に代わっている。その視点こそが物語の芯であろう。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は 中央に階段を設え、上部にカラフルな箱馬が5つ。左右にはビルを模った張り板。下手には屋外ゴミ箱。劇中、中央正面に大きな丸い照明、それが「月」であり「穴」を表す暗喩。この舞台美術と舞台空間の作り方が巧い。
物語は、平凡なサラリーマン夫婦の生活を風刺した喜劇。いつもと同じ光景、朝 夫を送り出し 帰宅を待ちわびて暮らす妻 のの。その孤独に いつの間にか見知らぬ男が入りこみ、夫になり変わって一緒に暮らす。さらに男は職場で夫の地位も奪う。地方から出てきた夫の母親も 粗大(可燃)ゴミとして捨てられる。 やがて 夫と男は銃で決闘することになるが、夫の不倫相手のOLララが妻に対して という三つ巴の決闘。なんとも荒唐無稽な展開。
見知らぬ男が夫になり変わるが、真に自分が夫であることをどう証明するか。妻は闖入してきた男を夫と言い、マンションの住人(管理組合)は夫を見たことがないと。家庭の中に”MOON”のような丸い穴がだんだん大きくなる、それは夫婦間(心)の溝の深まりの比喩のよう。それを埋めるように男が闖入してくる。何となく安部公房の「友達」を連想させるが、それとは別の怖ろしさ。妻の視点へ変わり、寂しさ虚しさに忍び寄る孤独、それを癒すかのような偽りの愛に縋る。
「日々の生活の中で見失われつつあった自己のアイデンティティ、社会に翻弄される人々を痛烈な風刺を込めて描いた不条理コメディ」。今の時代、さらに 他人に対して無関心であり不寛容、近所の人の顔さえ知らず 挨拶もしない。同時にバブル期における交換可能な人間の空しさ、しかし 今は機械(AI等)が代替する非情さも。初演当時とは別の意味で 観応えある作品になったよう。
結末は、夫が妻を後ろから抱きしめるシーンで終わる。虚無の象徴だった月は、2人を見守る優しさの表象へ。
次回公演も楽しみにしております。
星の流れに
羽原組
赤坂RED/THEATER(東京都)
2025/11/18 (火) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
1948(昭和23)年の東京 上野を舞台にした群像劇。公演の魅力は、表層的には 戦争による荒廃とそこから立ち上がろうとする人々の姿を 昭和歌謡とダンスで観(魅)せる。その奥には戦争という最悪の不条理が描かれている。登場する人物の1人ひとりに戦争がもたらした精神・肉体などの苦悩や痛みを点描させ、劇中の言葉にある「戦争は理不尽な怪物」を表していく。
説明にある「この焼け跡にアタシらの為のアタシらの国、独立国を作ろう!」と、そこには国の言うことを信じてばかりではダメ。物語の核心でもある自主/自立の精神が芽生え、戦後の混乱期を生き抜いてやろうという気概が立ち上がる。歌とダンスシーンを支えているのが音響/音楽と照明効果で、素舞台にも関わらずエンターテインメントの魅力を存分に発揮している。重厚な内容を軽妙な展開で という不思議なアンバランスが見所の1つ。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台奥に集合写真を撮るような平行3段。舞台前方は、群舞を観(魅)せるため広いスペースを確保している。物語は昭和23年であり、モガ風の衣裳で軽快に踊るところから始まる。物語は、惣田紗莉渚さんと伊藤わこ さん演じる姉妹が中心で、2人は戦災孤児。そして何故か 惣田さんには亡き母が見えてしまう。そこに彼女の悲しみが秘められている。母の口癖「ズルしても幸せにはなれない」は、物語の底流にある思い。
戦時中 軍需工場で知り合った仲間とダンスホールを開く、そこが自分たちの独立国。惣田さんは工場で班長をしており、今もその通称で呼ばれている。GHQの倉庫から武器を盗み転売して資金調達をしようと企む。その直前になって 仲間が脱落していく。その1人ひとりの事情ー出征した夫の安否確認、広島原爆の二次被爆による破談等ーが戦争の傷跡そのもの。そして妹 伊藤わこ さんも浅草の歌舞団で踊っていたが、戦時中の慰問公演に自分の代わりに行った友人が爆死。いわゆるサバイバーズ・ギルトのようで、罪滅ぼしのように診療所で働いている。また 医師も特攻隊員へヒロポンを注射していたことへの罪悪感に苦しんでいた。そこに通院している外科患者、コメディ・リリーフのようだが、上野という場所や白地の衣裳を考えると傷痍軍人を現しているよう。
惣田さんは、東京大空襲の時 母と一諸に逃げたが母が瓦礫の下敷きになり助けることが出来なかった。その時のことが悔やまれ、今でも亡き母が見える。姉妹は戦災孤児になり親戚に身を寄せたが居心地が悪い。1人上京し上野で佇んでいたが…。強がりな言葉は、自分自身を奮い立たせ、仲間を心配させない虚勢のようでもある。この1人ひとりの戦災事情を描くことによって、戦争の愚かさを浮き彫りにしていく。同時に社会(国)に対峙する見方も考えさせる。ちなみに、刑事の「文句があるならマッカーサーに言ってくれ」は 当時の統治能力の無さを皮肉った台詞。
群舞で華やかさを演出するが、その魅せる世界の裏に潜む悲惨な世界 その落差が物語を牽引していく。ダンスは情景や状況が変化するといった場転換を表す。また多彩で強烈な照明も場転換を促す。
タイトル「星の流れに」は 戦後の流行歌…焼け野原で家族もすべて失われたため、「娼婦」として生きるしかないわが身を嘆いた。戦争への怒りや、遣る瀬無い気持ち、そして こみ上げてくる憤りを叩きつけた哀歌。その思いは時間で断つ事はできない。暗転/明転ではなく、別の方法を用いているのは、時間の断絶を防ぐためであろうか。
次回公演も楽しみにしております。
喜劇王暗殺
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
1932(昭和7)年の五・一五事件と喜劇王チャップリン暗殺未遂、それを虚実綯交ぜにして描いた喜劇であり反戦劇。声高に反戦を訴えているわけではなく、舞台となる「カフェ ハル」の店主 春(ハル)の言葉が当時の空気感に対する警鐘に聞こえる。公演はコメディタッチだが、鏤められたチャップリンの映画のワンシーンや名言による揶揄や皮肉、さらに春の重石のような言葉が物語を引き締める。
公演には出てこなかったが、「人生は近くで見ると悲劇だが 遠くから見れば喜劇である」といった旨の言葉も残している。昭和7年といえば軍靴が高く鳴り響き始めた頃、近くの足元どころか 遠い将来も危ぶまれていた。今も、世界のどこかで紛争や戦争が起きている。けっして他人事ではないのだ。この公演には 喜劇の底に悲劇が見え隠れしており、観応え十分。
シンプルな舞台装置のワンシチュエーション、そこに集う人々の思いと優しさが きな臭い社会情勢の対比として描かれている。勿論、喜劇王を助けたい思いが中心だが、同じように傍にいる大切な人への思い遣りも しっかり描く。当日パンフにも記されているが、この物語は あくまでフィクションで人物や事件などとは無関係のコメディだと…。笑いと胸に迫るシーン、その感情の揺さぶりが みごと。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に衝立2つ、その間を店の出入り口に見立て 上手/下手に丸テーブルと丸椅子がいくつか。また下手客席寄りに別スペース。シンプルな装置で「カフェ ハル」の店内を現す。上演前には格子状の照明が斜めに射し抒情的な雰囲気を漂わせている。
物語は1932年5月。銀座に店を構えるカフェが舞台。この小さな店に世界的スターの喜劇王が来るという噂に湧きたっていた。実は同じく銀座にある「サロン ハル」と間違えたらしいが、それが喜劇王にとっては幸いした。日本は、だんだん きな臭い情勢になってきており、日米の戦争が実しやかに言われていた(事実そうなる)。国(軍)はその嚆矢となる口実を探していた。そんな時、アメリカから喜劇王が来日する。そこで喜劇王の暗殺が…。社会的には史実、そこに集う人々の思いを虚構として絡ませ、見応えのある舞台を立ち上げている。
喜劇王は、当時の首相 犬養毅から官邸での歓迎会に呼ばれていた。カフェの人々は暗殺の噂を聞きつけ、なんとか官邸に行かないよう画策する。喜劇王は「行くな」と言えば「行く」ような変人のような性格として描く。当日パンフには「(喜劇王=チャップリンの)実際の出来事をベースにしているが、あくまでフィクション」とある。それでも劇中、彼の映画の名場面ー例えば「街の灯」や名言「下を向いていたら 虹は見つからない」等を鏤めて 彼の人柄なりを垣間見せる。劇中ではチャーリーと呼ばれているが、その容姿/風貌はチャップリンそのもの。
カフェには、お見合いをするため占い師が来店していた。本人曰く「占い」ではなく「ご神託」らしいが、その話の中で「鑑定が良くない」が「官邸が良くない」といった言葉遊び(誤解)や、登場している人物が同時多発的に台詞を発する。そこに混乱と戸惑いといった騒動が巧く表現されている。また少し先は「右傾化」といったご神託。その後を知っている者には胸を突き刺されるような思いだ。
次回公演も楽しみにしております。
【急募】20 代⼥性限定/短時間⾼収⼊/髪⾊ネイル⾃由/未経験可/容姿端麗な⽅歓迎/誰にでもできる簡単なお仕事です
人間嫌い
Paperback Studio(東京都)
2025/11/14 (金) ~ 2025/11/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
3か月連続公演 2025の第2弾。長いタイトルの仕事は何か、その仕事をすることになった原因は何か が興味を惹く。仕事が現代的でありながら、その原因となったことは以前からあったこと。そこにリアリティを感じる。
前説で 主宰の岩井美菜子さんが 昨年10周年を迎えた劇団が3か月連続公演を行い、今年上半期は虚脱したような話をしていた。今上演しているのは、ミニマムに"等身大を繕う"3作品(3か月連続)を予定していたが、楽しいので連続公演を延長すると なんと2026年3月迄。要チェック!
さて 物語は、他劇団へ提供した戯曲らしいが、自分で演出してみたくなったという思い入れのあるもの。前説を終え そのまま劇中の人物になり物語が始まる。
(上演時間50分)
ネタバレBOX
舞台美術はブルーとピンクの箱馬が各2 計4つ、ほぼ素舞台といっていい。全体的に明るくポップな印象、そして微笑ましい。
大学新卒で入社し ほぼ6年ほど勤めて寿退職する女 るか(28歳)。理想的な歩みで 周りから祝福されて幸せの絶頂。イケメンのエリート、2人で喫茶店経営という夢があったが…。
相手の口車に乗せられ金を貢いだが、そのまま逃げられ残ったのは多額の借金。典型的な結婚詐欺。知り合ったキッカケは結婚のマッチングアプリ。消費者ローンからの返済催促に日々苦悩するばかり。そんな時に見つけた「急募」の求人広告。はじめは闇バイト、売春、AVといったネガティブなことを想像するが、内容は動画サイトのモデル。動画サイトのクリエータ 千葉と るか が意気投合して 生き生きと活動する様子が良い。
物語の中で、AIを使用すれば簡単に しかも安価に製作出来るのにといったクライアントの言い分がある。しかし クリエーター の千葉は、AIで製作せず 人間(モデル)を撮影し架空/仮想のような画像処理によって独自性を出す。バーチャルの中に実在/存在感を出す手法、その出来「映え」に拘っている。また会社の先輩が作る子供の弁当にも「拘り」と「映え」が描かれている。
本公演のことを、当日パンフで岩井さんが「映え」好きな私が「映え」の酸いも甘いもぎゅぎゅっとまとめた作品と紹介している。この公演そのものが小品だが拘りのあるものに思える。もう少し物語の続きが観たいのだが 惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
『はりこみ』
殿様ランチ
駅前劇場(東京都)
2025/11/12 (水) ~ 2025/11/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
タイトルと説明だけみると、緊張感溢れる物語のように思えたが、実際は ほどよい緊張と弛緩が絶妙に組み合わさった公演。まず前説が警察 無線通信のように音声で注意事項を伝達、繰り返し緊張しないように と笑わせる。が、冒頭シーンから緊迫感を漂わせ、警察隠語が飛び交う。
公演は、舞台装置とその使い方が上手い。単に はりこみ する<静>のイメージと監視する対象者の<動>への切り替わりが巧みで、物語が生き活きとしている。街の風景が台詞の端々で説明され、それを表わすかのように電車の走行音が聞こえる。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は駅前ロータリーガ見渡せる 或るビル(マンション?)の一室。上手に玄関ドア、下駄箱や流し台、中央に押入れ、下手にはカーテンが閉められた窓。そこへ はりこみ用の機材を搬入し手際よくセッティングしていく。玄関の外や窓の外もしっかり作り込まれている。押入れが別空間への出入り口にもなる。場景に応じて、はりこみ する部屋、スポーツジム、警察病院カウンセラー室 そして警察研修センターを表す。勿論、衣裳替えも併せて行う。
物語は説明通り、強盗殺人容疑の男が元カノに接触する可能性を考え、彼女の行動監視を始める。彼女は監視にも気づかず、単調で平和な生活(スポーツジム通い)を繰り返すだけ。刑事たちは それでも監視を続ける。そして…結末は ぜひ劇場で観てほしい。
はりこみ を通して警察内のセクト主義や先輩/後輩といった上下関係、さらにメンタルケアといった、どこの会社組織と変わらぬ光景を描く。そんな中で、最初と最後の場面で警察研修センター教官が新任刑事を教育するシーンは、警察ドラマならではの緊張感があった。映画やTVで見るような緊張や緊迫した物語ではなく、どちらかと言えば 刑事という職業にある人間ドラマを見るような印象。刑事になった動機や人間性を巧みに織り込み、時に笑いを誘う。
公演が面白いのは、計算されつくした構成の精緻さ、それに基づく場面転換の巧みさ、そして絶妙な会話。なによりも登場人物たちの多彩な魅力が物語を生き活きとさせている。神奈川県警本部と所轄(川崎警察)署、さらに後々判るが、警視庁が抱えた事件との競合等 ありそうな場面を盛り込み、現実社会にありがちな鬩ぎ合いを見せる。同じ警察組織でありながら、事件の重大性/話題性ー例えば詐欺と殺人ーといった(罪状の)軽重意識を垣間見せる。また、はりこみ時 定番となる飲食(あんぱんorおにぎり)は…先入観/固定観に捉われず、時代や人の嗜好で異なるといった笑わせ方。そこにコンプライアンスと合わせて、「令和版」としての面白さを盛り込んだよう。
公演では、はりこみ する警察(監視する)側だけではなく、対象となった女性の日常も描く。その大半がスポーツジムでの様子。自分が監視されていることなど知る由もない。そこに日常に潜む狂気や恐怖ー例えば ストーカー等の行為ーを感じさせる。はりこみ という行為の中に人間や社会の不気味な関係性が浮かび上がる好公演。
次回公演も楽しみにしております。
蜜柑とユウウツ ~茨木のり子異聞~
WItching Banquet
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2025/11/11 (火) ~ 2025/11/13 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
茨木のり子の半生を俯瞰的(この世界観が妙)に回想した物語。演じるのは 全員女優。
編集者が、彼女の甥に遺稿がないか 訊ねるところから 物語は始まる。彼女の考え方、生き方等を「詩」の朗読(抜粋も含め8編)を交えながら抒情的に紡ぐ。その内容は、戦争・女性・世相といった普遍的なテーマを扱っているが、すべて日常に根ざした視点で綴っている。
朗読劇だが、役者は 台本を持ち動きながら朗読していく。主人公の茨木のり子 役を情況に応じて代わるがわる演じ、1人の人間が持つ多面性を表現しているようだ。前々作の「AIRSWIMMING -エアスイミング-」と同じ演劇的手法。それを すんなりと受け入れて楽しめるか否かによって評価が異なるかも知れない。
彼女の「詩作」は、戦争体験が原点になっている。自分で考え判断する といった自立した生き方をすることの重さ。けっして時代(風潮)に流されないこと、そんなことを伝える。公演は、茨木のり子という人物(詩人)を通して、反戦・平和を訴えているよう。そこに単なる人物評伝に止まらない奥深さ、メッセージ性を感じる。
少しネタバレするが、(1960年)安保闘争時、のり子と夫 安信が議論する場面がある。その観点が それぞれ主観的な「世情」と客観的な「世相」のようで、フィクションであろうが 実に興味深かった。時代や社会背景こそ違うが、その議論の根本は今でも通じるもの。第19回鶴屋南北戯曲賞受賞作。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、3つのミニテーブルを横に並べテーブルクロスで被う。周りにいくつかの丸椅子。テーブルの後ろには一見 抽象画のような絵画、しかし物語の展開から、のり子の家にある蜜柑の木と実を表しているよう。上手/下手にもミニテーブルと絵画。
のり子の死後、編集者が遺稿を探すため彼女の家を訪ねる。甥はそんなモノは知らないと言うが…。場面は変わり此岸と彼岸の間(ハザマ)、そこで のり子は<きがかり>と呼ばれ、そこにいるモノと一緒に自分の半生を顧みる。輪廻転生を信じ 人は生まれ変わるが、それには今までの生き様が影響するという。戦後は、戦前・戦中に受けた教育や思想とは全く違った考え方、自分は幼子ではなく1人の人間として精神的に自立できる年齢(19歳)であったにも関わらず、自分で考えることもせず 言われたままを妄信していた。この戦争体験を通して、女性(自分)にも(戦争)責任があったのではないか と自問自答する。
彼女の詩は 普遍的で自立した生き方をテーマにした作品らしいが、その視点は日常生活にあり、綴る言葉も平易であったという。その分かり易さにして強靭性が、時代を超えても共感を呼んでいる。物語は、俯瞰することによって、存命中には知り得なかった世界観の広がりを見ることになる。それは いつも彼女を見守っていた存在ー蜜柑の木、もっと言えば自然と再生。そこに転生と戦後(焼野原)からの復興を感じる。
女優7人で抒情豊かに紡ぐ。時代に翻弄され、悔悟や苦悩に駆られる1人の女性ー茨木のり子の内面に迫る。また良き伴侶を得て愛を育む。女性としての幸せと生き様(詩作に励む)、そこに市井の暮らしが垣間見える。同時に自分の周りの狭い世界だけではなく、社会に目を向けるといった時代性も描く。そんな詩人のフィクションとノンフィクションが綯交ぜになった人間ドラマ。観客の想像を刺激して、彼女の思考を覗き見るような好公演。
次回公演も楽しみにしております。
雷ノ鳥
劇団カルタ
インディペンデントシアターOji(東京都)
2025/11/07 (金) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
脚本の勢いを演出で支えるといった印象の公演。
現代的な犯罪、その広域組織と対峙する警察組織、さらに その内部で刑事部と公安部の立場と思惑が複雑に絡んだサスペンス劇。「正義」などは組織の思惑の前では、有って無きに等しい。公演では目に見える犯罪より、隠れた もしくは隠された悪事のほうが より醜悪だと訴えているよう。
物語は 序盤に壮大感を出すため、国家的な対応 例えばPKOー自己防衛・防護以外の武力行使はしないーのような現場のリアルな葛藤を描く。公演は休憩をはさんで前半・後半とすれば、前半では物語の舞台設定・雰囲気を表す意味での世界感と、説明にある娘が誘拐された事件の導入部が描かれている。後半は、犯罪組織内の人間関係と警察組織内のセクト主義が強く現れてくる。内部の捻じれを描くことによって、立場や行動といった観点で人物の人間像を立ち上げていく。
脚本は、公安の潜入または囮捜査によって 多くの人物が登場し、1人複数役を担うためストーリーが解り難くなる。また場面転換が早く、映像でいうカット割りが多いため、整合性や細かいところは観客の想像力で補う必要がある。良くも悪くも余白が多い。一方、演出は ある舞台装置で都内にある老舗ホテル「ホテルニューシラキ」の空間的な広がりを巧みに現わして物語のプロットを支えている。また客席配置から、この劇場ならではの別空間を利用することは 容易に分かる。
(上演時間2時間25分 休憩10分)
ネタバレBOX
舞台は会場入り口側に設え、必然的に客席は入口とは反対側。この配置によって地下にある劇場の中二階的なところにある回廊も別空間として使用する。舞台装置は、中央に半円を描くように可動する重厚なドア2つ。上手/下手に丸テーブルと椅子の組み合わせが各1セット。ドアを動かすことによって、ホテル内の部屋の違いや別空間を演出する。
物語は 説明にある通りだが、序盤にある誘拐事件で犯人を追い詰めた刑事2人、それが佐原信一、そして今 記者になっている有馬拓海。2人の間には、緊急時の犯人逮捕における現場対応が異なり、警察組織に嫌気(or限界)がさした有馬は職を辞した。因縁ある2人が別々の事件を通して再会する。1つは、佐原が広域連続強盗事件の黒幕 志羽チカナを護衛する、もう1つは有馬が三舟夫妻の子の誘拐事件、何の関係もないと思われた2つの事件が繋がっていく。
現代の犯罪は、いかに強請りの情報を入手し活用するか。その情報を収めたUSBを巡って犯罪組織 そして警察内部の刑事・公安の思惑によって争奪が繰り広げられる。情報には、三舟夫妻の子の誘拐や警察上層部の醜聞等が含まれていることから、公安は未然に対処したいところ。物語は個々人の感情や組織内の思惑など、人間と社会という両面を巧みに描いた重層的な内容。さらに犯罪組織への潜入や囮といった捜査が、人間関係を複雑にしていく。一方、三舟曜子は単独でチカナへ接触を図り といった個々の動きが加速する。それがカット割りのようにテンポよく展開するため、観客が追い付けないといった感覚になる。
人物の苦悩や葛藤する内面を描き、犯罪現場という緊張感による理性の動揺や喪失を表そうとしている。そのリアリティがもう少し分かり易く描かれると、会場に緊張した時空間が生まれる。公演は観客の想像とともに舞台を創るという点では、観客の負荷が大きかったかもしれない。脚本、演出そして舞台技術も良かったが、この勢いある劇作を いかに削がないで観客に解らせるかが課題のように思えた。
次回公演も楽しみにしております。
Cordemoria
縁劇ユニット 流星レトリック
ザ・ポケット(東京都)
2025/11/05 (水) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
愛しく大切な人に書いた、世界に一冊しかない本もある不思議な古書店を舞台にしたオムニバス3短編。
3編は時代こそ違うが、その地に戦後間もなくからある書店に集まる人々の思いにそっと寄り添うような物語。とても心が癒されるような。それを印象付ける ピアノの優しく包み込むような音色が 実に効果的だ。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術はカフェ古書店内、中央に階段があり二階部にも本棚、一階は上手にカウンターがあり上手/下手に多くの本棚に本が収まっている。3話は時代や人物は違うが、店は共通しているよう。ちなみに3話目「コルデモリア」が、終わりの始まりになっている。3話オムニバスで綴るが、共通しているのは優しさ 寄り添い、そして希望といったところ。ワン・ドリンクで何冊も読める すてきな古書店。
●「めくり めぐる」(脚本・演出:沢田美佳さん)
子供の頃、母が読んでくれた本を求めて古書店へ。その本は、糸音(イト)のために母 聡音(サトネ)が書いた世界に一冊しかない本。優しいと思っていた母が突然、自分と父を捨てて家を出る。糸音は悩み苦しみながら育ち、今も心は荒んでいる。今 不倫相手の子を身ごもり…。母は治療のため服薬していた副作用で居眠運転で事故を起こし、5歳の子を轢き殺してしまった。被害者の母の執拗な嫌がらせと脅しで、家族が危険な目に遭わないよう家を出た。糸音の 想い出は真実だったのか?
●「素晴らしき人生」(脚本・演出:吉原優羽さん)
会社(仕事)で失敗し 自信を喪失した真壁悠平、今では引き籠っている。彼の祖母が古書店の常連客で、そこに集う人々の力を借りて悠平を立ち直らせようとする話。皆で一芝居打つ、その気づかれないように奮闘する姿を面白可笑しく描く。また中学の同級生は起業を考えており、悠平に一緒にやらないかと誘う。人間ひとりではない、時には頼ることも大切だと…挫折を乗り越え 希望へ繋がるような。
●「コルデモリア」(脚本:沢田美佳さん 加筆・演出:吉原優羽さん)
戦後間もない頃、焼け残った店。そこには何も無い空の棚箱があるだけ。買主 真壁八重子(悠平の祖母?)と売り手の商談が成立し、八重子が残されたモノ(黒衣裳で役名なし=書の霊的な存在)に向かって、希望を繋ぐような言葉。古書店側が客の求めるものを聞いてはいけない。あくまで寄り添うような存在であり続けること。コロナ禍以降、無関心・不寛容といった風潮と向き合うような描き方。
1話目は現在から過去を見つめ、2話目は現在から未来を見つめる、そして3話目が人生(人間)の循環を示唆しているようだ。
全編、優しいピアノの音色が流れる。セリフに被らない工夫、そして暖(茜)色の照明が心温まるような雰囲気を醸し出す。そうした情景の中で、役者陣が中央の階段を上り下りする動きは、まさに生きているといった息遣いを感じる。
次回公演も楽しみにしております。
クレマチスの小屋
劇団大樹
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2025/11/06 (木) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い。劇団の最終公演、その初日 初回に観劇。別れを惜しむファンで超満員。
カーテンコールで主宰の川野誠一さんが感極まって千秋楽のような挨拶をして、場内から「まだ初日だぞ!」といった温かい励ましの声が飛ぶ。劇団大樹は1995年10月19日に 今はなき銀座小劇場で産声を上げたらしいが、物語に登場する人物の誕生日も同じ日にして、その想いを紡いでいく。
物語は、喫茶ミミズクを舞台に繰り広げられる記憶と思い出の彷徨。そして柑橘系の別の芳香が、物語の内容と相まって優しく 癒してくれるよう。また毎公演、花美術が見事だが、本公演でもその魅力を十分表現していた。大地に根を下ろした大樹、それは まさに劇団名そのもの。もう一つが生演奏、アコーディオンの音色が情緒的な雰囲気を盛り上げる。
少しネタバレするが、店に飾られている人形と猫を擬人化して、人の心に寄り添うような描き方。人は時代の中で生きており、その生き様は人それぞれ。しかし心の奥底にある芯は、どんな時代でも変わらないのではなかろうか。そんな気概と優しさが感じられる好公演。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、上手は喫茶ミミズクのカウンターや食器棚、その横に飾り棚があり おさげ髪の人形や本など。ほぼ中央に天井近くまである大樹、その枝は喫茶店(上手)の方まで伸びている。中央に丸テーブル。下手 客席寄りに別空間、ここがヒロイン町田マチコの家。床には枯れ葉が…。上演前から飾り棚の横にある椅子に腰かけている おさげ髪の役者(役名:人形)、勿論 棚の人形の擬人化。
物語は説明にある通り、マチコの祖母から母の遺品が送られてくる。遺品の中に手紙と写真があり、その裏面に「1990年1月 店の前にて 君ちゃんの退職の日」とある。封書の差出先住所を訪ねたところから物語は始まる。店には近所の陶芸家 柳沢涼介と常連客 すみれ が店番をしていた。マチコが来訪の趣旨を告げるが、涼介の対応は素っ気ない。実はマチコの母は涼介にとって思慕の人。その娘が突然現れて驚いたが、それにしても少し様子が変。そこから涼介の心の彷徨、思い出を通して35年前の出来事を紡いでいく。
涼介の父は芸術家、母は病で入院中という寂しさを 君ちゃんは癒してくれていた。自分にとって大切でかけがえのない人、その人に子供(娘)がいたショック、しかも涼介の父が関係しているような…。この本筋とは別に、脇筋として社会に出ることを躊躇い全国を旅している青年 友也や、近所に住む すみれの生き方の模索を描いている。漠然とした不安や希望をさり気なく描くことによって、若者がどんな形にせよ 前に向かって歩む準備をしているといった姿を見るような。物語は、本筋の涼介とマチコの新たな関係性、そして脇筋の若者たちやミミズク店長の新たな旅立ち、そこに最終公演を機にした「終わり」から「始まり」を感じる。
店の移ろいを35年以上見続けてきた人形、上演前から物語(時代)をそっと見守るように佇み、踊る(バレエ)ことによって優しく寄り添う、そんな愛らしさが印象的。それは 今という時を見つめる猫 トラも同じ。そしてアコーディオン奏者も座って演奏するだけではなく、動きながら物語に溶け込んで…その音色によって余韻付けする。勿論、場景に応じて衣装替えするなど丁寧な演出が好かった。
30年間お疲れさまでした。また機会があればー当日パンフにある「僕(川野誠一さん)が演劇をやめるわけではありません」とあるので…。