タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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誰々

誰々

劇団5454

すみだパークシアター倉(東京都)

2026/07/31 (金) ~ 2026/08/11 (火)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
チラシにもあるがテーマは「役割」、同時に「立場」といった言葉を連想した。意識的であろうが無意識であろうが、人は或る状況下で色々な判断をする。その連続が生きていくこと と考えれば実に面白い着想の公演。分かったような分からないモヤモヤとした感情、劇団5454のコンセプトでもある「日常で見聞きする事物をテーマにして、誰もが無意識に受け入れている感覚を物語化」を見事に表しており、まさに劇団の真骨頂をみるようだ。

タイトル同様、登場人物は姉・母や彼氏・彼女そして友達・先輩・後輩といった一般的な呼称を使っている。そこに誰もが持つ「役割」であり「立場」が透けて見えてくる。それは観客の誰にでも当てはまるものであり、共感しやすい設定が巧い。それを視覚的に分かり易くした舞台美術がよかった。演出も「役割」を着ている、その表現を上着を着ることによって場転換していく。お母さんの「ご飯食べた~」の台詞は、日常を示している。文字で表現し難い内面を演劇という役者の体現をもって観せた秀作。
(上演時間1時間55分 休憩なし) 

ネタバレBOX

中央に演壇ポータブルステージ、その上にテーブルや椅子が無造作に置かれ または倒れている。ステージ上は白線で区切られ、その線上に杭のようなもの。天井から紐が垂れ下がっている。ステージの周りにもソファや椅子が置かれ倒れている。全体的に荒廃し殺伐とした印象。冒頭と最後はこの光景になるが、始まると主人公である姉が片付け始める。姉の心的拘束に耐えられず 家出した弟がスズランテープで自分の居場所を確保する。
音響は泡のような不確かで不穏な音、照明はだんだんと狭まり または広がりを絶妙な諧調で照らし出す。

舞台そのものが姉の心象風景であり、その変化が心情そのものを表している。物語は姉の視点または役割を担わされた人物の相対的な観点で展開していく。姉は物事に対して「こうあるべき」という思いが強い。例えば家族の中で長女の自分がしっかりしなければ、母は家で家事を、弟は男で跡継ぎだから、妹は まず大学を卒業して就職を といった役割を負わす。自分は同棲して実家にいないが仕送りはしている。

また 友人との集まりでも必ず3人揃わないと会っている感じはしない。そして自分が飲み物を淹れるといった役割を担っている。自分で役割を担うことによって安心しているよう。姉の家族に対しての「役割」だけではなく、会社内では「立場」が人を作っているよう。新人(後輩)教育は誰がどのように行うのか。一方 新人はどんな雑用も引き受けてしまい、仕事の重要度・優先順位がわからない。先輩の叱責、逆に新人は頼まれなくなったら自分の存在価値が見出せないと、そこに立場の違いによって抱く感情が異なる。役割・立場の視座によって見え方・考え方が違うという妙。それを端的に表した姉と弟の会話ー人間は平面ではなく立体的で 色々な側面がある と。

乱れた舞台美術を整理(配置)していく姉、性格的なものもあるだろうが 家族の中で母・弟・妹が担う役割、それを定位置として固定=拘束する行為となっている。意識的な行為、それが自分の家族内に彼氏を招き入れたことによって だんだんと居場所を侵食されていく不安。舞台が紐でだんだんと狭まっていく、自分にとって居心地の良かった場所が窮屈になっていく。家族という存在を借りた心象、少し離れたところから見守る父。姉は何かしなくては という自縄自縛から解き放たれるのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
『コインランドリーカタルシス』

『コインランドリーカタルシス』

πTokyo

πTOKYO(東京都)

2026/07/25 (土) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「また会おう」 そう言って別れたが…。冬、東京の或る街にあるコインランドリーでの奇妙な話(抒情劇)。3年間同棲した彼女と別れて2年、いまだ未練を残す俺。家に洗濯機はあるが、彼女と閉店間近のコインランドリーに行っていた習慣だけが続く。

彼女曰く「(洗濯機は)くるくる回る」 同じように見えるが、少しずつ違っている。それは2人の意識や生活を表している。俺はカフェバーで働く夜型人間、稼ぎも少ない。彼女は結婚し子供もほしいようだが、俺は踏ん切りがつけられない。そんな彼に関心を持った男が話しかけてくる。前(深)夜から翌日の同じ頃までを描いた物語。
(上演時間1時間20分) ㊟ネタバレ

ネタバレBOX

朗読劇だから腰高丸椅子が4つ。後ろには白シャツ等の衣類が掛けられている。コインランドリーのイメージと白は劇中の台詞に関係している。ちなみに俺が着ているのは黒シャツ。コインランドリーの内は洗濯機が回る音、外は車の騒音など。

登場人物は4人。閉店間近のコインランドリーに駆け込んできた俺①、その彼女②、コインランドリーのオーナー③(本業は作家)、そして俺に話しかけてきた奇妙な男④。男はオーナーと顔見知りで色々と便宜を図ってもらっていた。そして彼もまた作家の卵で習作に励んでいる。男は 俺と彼女の生活を聞きたがり、ポツリポツリと話し出す。淡々とした暮らし、他愛ない会話が愛おしく思い出される。男は俺に向かって彼女を捜しに行こうと言う。

2人で見知らぬ街をあてもなく歩く。そして偶然にも銭湯に併設されたコインランドリーで彼女を見つける。彼女は赤ん坊を抱き あやしている。結婚し幸せに暮らしているようだ。消沈したまま いつものコインランドリーへ。男と過ごした昨日からの顛末をオーナーに話したところ、とても驚き信じられないと言う。男は亡くなっている と。男の無遠慮でズケズケ言っていた言葉がよみがえる。普段の言葉遣いの中に 「星になって照らす」等、詩的なフレーズを挿入することによって抒情感--朗読劇の醍醐味を出す。そこに人の温もり優しさが滲みでてくる。

親密感であり距離間、その関係性を朗読する際の席によって表す。席を移動し 隣り合わせ または離れて座る。また皆の衣裳はカジュアルであるが、俺だけは黒づくめ。劇中、俺はいつも黒い服を着ている。だから彼女が白いシャツをプレゼントしてくれた。変化を求めない俺、一歩を踏み出したかった彼女との心のすれ違いと別れ。一方 オーナーは男に好意を抱いていたが死別。一夜を死者と旅した俺、今度はオーナーと世界を巡る旅へ、そこに心境の<変化>をみることが出来るような。
次回公演も楽しみにしております。
cogito

cogito

O企画

小劇場 楽園(東京都)

2026/07/23 (木) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

公演は二部構成、一部はチラシにある説明の物語。ニ部は観客も加わった哲学対話。千穐楽に観劇したことから、「おわり」とは というテーマ。発言してもよし、しなくても構わない。けっこう多くの人が発言し、なかには複数回 発言していた方もいて参考になった。同時に自分の考えもまとまった気がした。

ほぼ素舞台。楽園の中央にある柱の下の周りに芝と石。舞台上も含め 囲み客席で 中央に丸太2つ。上演後 哲学対話がしやすい配置になっている。また観客は「石」という設定らしい。そういえば当日パンフの重しに石が置かれていた。物語がもっと人の機微に触れ、想像力が膨らむような空間演出が出来れば…。多少の間(ま)があっても、それは物語の余白であり余韻。小説でいえば行間を読むといった感覚だろうか。

物語は、偶然同じリックサックを背負った 見知らぬ女と男が 街中の公園で出会う。観客は石であるから、公園内(客席通路)を上り下りする。お互いが気になるが話しかけるキッカケがない(間の広がり)。男が裸足になって、直に土の上を歩くといった行為を通して、「感動」「もやもや」といった心の在り方を語り合う。いつの間にか2人の会話は現実と幻想、「生きること」「死ぬこと」といったことが交錯し、曖昧なまま哲学問答へ繋げる。上演内容を深化させるような手法に思えた。
(上演時間1時間 上演と対話の間が休憩か)【A】

血の婚礼 【劇団うつり座】

血の婚礼 【劇団うつり座】

劇団うつり座

上野ストアハウス(東京都)

2026/07/22 (水) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
篠本賢一 氏が、ロルカの「血の婚礼」を慣習に縛られた日本の寒村で起こった悲劇にアレンジして描いた愛憎劇。物語の概要こそ原作を準えているが、その奥底にあるドラマは違った印象だ。

見所は、日本を舞台にして慣習や道徳を解放と自由といった別の視点で浮かび上がらせるところ。もう一つは 足の運びに見る能の様式、和楽器による生演奏といった観(魅)せ聴かせる演出がすばらしい。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、床と三方(奥と上手/下手)の暗幕に白布を重ね、所々に石柱らしきもの。中央にも石柱と骸(むくろ)らしきもの2つ、始めは抽象的な美術が、最後には そう連想できる。黒と白の重ね合わせは鯨幕のようだが、花嫁の帯と死(乞食の老婆)のマントが赤色。そこに別の意味が込められているよう。

舞台は 日本/東北地方の寒村。梗概は原作を準えている。婚約した男女が互いの家族の期待を背負い結婚式を迎えようとするが、そこに花嫁の昔の恋人 連太郎が現れ花嫁を連れ去ってしまう。が、まだ花嫁にも抑えきれない情愛があったのだろうか、たいして抗うことなく付いて行ってしまう。花婿は2人を追いかけ森の中へ…そして悲劇の結末 というもの。連太郎には妻と生まれたばかりの子がいる。なにより花嫁とは従兄妹同士である。血の宿命、燻り続けた果ての激情愛、地の因習<赤い糸 毛玉で表現>などが絡み合い重厚なドラマ。今の時代に圧倒的に足りない、生身の人間の剥き出しの熱情を舞台上から浴びる、そんな情熱的な作品だが…。

痩せた土地を代々受け継ぎ、慣習・因習に縛られた家族。狭い土地柄、確執ある家族間でも婚姻せざるを得ない。婚姻を終えた花嫁を連れ去らうといった暴挙、それは道徳的な観点でみれば問題だろう。しかし理屈では割り切れないのが男女の情愛。設定を日本にしたことによって、慣習・因習といった閉塞感を分かり易くしている。そして一度は別れた男女の激情を通して物理的・精神的な解放・自由が浮かび上がる。一方、旧弊を象徴する花婿の母親の慟哭が痛々しく切ない。

役者の演技は、一定の距離を置き顔を合わせない。それは寒村という家と家の間の距離があること、同時に本心を表さない心の隔たりを示しているよう。動きも直線が主で、向きを変える場合は直角を描く。すり足に この動きは能の様式そのもの。型に嵌まったようだが、花嫁と連太郎の激情は型から外れた動き。そこに物語と連動した演出・演技を観るようだ。そして和楽器の演奏が 情景と心情をしっかり立ち上げる。
次回公演も楽しみにしております。
桜舞~花征きて~

桜舞~花征きて~

演激集団INDIGO PLANTS

R's アートコート(東京都)

2026/07/24 (金) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観応え十分、お薦め。
反戦劇、特攻を描いた作品としては秀逸。場内は嗚咽、天気も上演前はカラッと晴れていたが、終演後は豪雨で 空も泣いているよう。特攻は、その事実を忘れてはいけないが、美化してもいけない と。特攻「桜花」を題材にしており、その名は聞いたことがあったが、実態は知らなかった。資料が配付され、冒頭「桜花」の説明があったが、理不尽極まりない作戦であったことがよく解る。

この作品には多くの見所がある。まず物語のテーマ…死ぬ意味を探し求めている桜花搭乗員・秋山勇と生きる意味を問い続けている従軍看護婦・山際響子の出会いと別れ。命とは 生きるとは の意味を見つけていく重厚な内容。穏やかな日常と戦闘という非常時、そのメリハリの利いたシーンが物語に緩急をつける。

舞台美術は、「桜花」に因んで桜の大木を配し 全体的にスタイリッシュで美的に優れている。またラストのプロジェクションマッピングは見事な効果--印象と余韻--を発揮している。勿論 桜の木は靖国を象徴。特攻隊員が「靖国で会おう」と言いながら出撃したことが分かるシーンが厳かだが痛ましい。

次に方言等を使った演技・小物が臨場感を漂わす。鹿児島県鹿屋市の海軍航空隊を舞台にしていることから地元民の鹿児島弁(小物は鹿児島名産の月日貝)、そして秋山勇の出身地である広島弁で両親との別れ。そこに生きているという証、実感が感じられる。

戦時中の状況を点描し、いかに戦争が残酷で無情かを訴える。育てた息子との別れ、生きることの大切さを説いた女教師を特高警察が連行等、多くの不条理を描きつつ それでも「桜花」に乗り込まざるを得ない情況を切々に綴る。
(上演時間2時間 休憩なし) 

大礼服・壜の中の鳥

大礼服・壜の中の鳥

巴プロデュース

南青山MANDALA (東京都)

2026/07/22 (水) ~ 2026/07/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「寺山修司ラジオドラマ選集」それを南青山MANDALA という優雅な雰囲気の中で聴く、いや~贅沢な一夜を堪能した。聞かせるだけではなく、観(魅)せるも意識しており、ラジオドラマだが、動き回り 衣裳替えも頻繁に行う。

寺山修司の20代に書かれた作品。後々のアングラ--カウンターカルチャーの片鱗が見えるようで、興味深かった。「大礼服」は1965年(昭和39年)作で 寺山29歳。冒頭 出演者全員でその時代の出来事を紹介していく。それによって作品が創られた世相なりの背景が分かる演出が妙。
(上演時間1時間30分 途中(作品間)休憩10分)

ネタバレBOX

南青山MANDALA のほぼ中央空間が舞台。朗読とピアノの生演奏という雰囲気にのまれながら、いやビール等を飲みながら楽しんだ。以下、上演順の感想。

●「壜の中の鳥」(1979年)
幻想的な話…人々が次々と鳥になって消えていく奇妙な世界。孤独は人を変身させ逃避、または己を縛っている柵(シガラミ)から飛び立つのか、そんな人間の内面を巡る寓話のよう。例えば 窓から迷い込んで寝室に住みつく鳥、3人で乗り込んだタクシーから降りるときは2人になるなど、次々に人が鳥へ変身して人口減になっていく。作中で「トリは鳥はでも飛ばない鳥はなぁんだ」というなぞなぞが出され、その答えは「ひ-とり」だと。何となく危うい幻想世界が抒情的に語られていく。この危うさは この時代だけではなく、コロナ禍以降 不寛容・無関心が言われ始めた現代にも通じるような気がする。

●「大礼服」(1965年) 
この年は、前年の東京オリンピック特需の反動で景気が冷え込み、倒産が相次いだ。公共料金や生活必需品の価格が上がり、庶民の暮らしを圧迫。また戦後初の赤字国債の発行を決め、財政悪化への懸念が広がった。そんな年に発表された作品。
「大礼服(たいれいふく)」を着た正体のわからない男が突如として現れると、人々は非日常的な世界へ逃げ込む。人々の心が現実離れすることで、社会秩序が混乱する。部長刑事は、その男の素性を探るため探偵に調査を命じる。浮かれた心や体=オリンピック後の不安経済や社会制度を引き締めたい「権力」は、現実世界を取り戻したい といった風刺のよう。

一人何役も担い、声色/声質も子供から大人・年配者まで演じ分け そして歌う。また舞台上を動き回り、「壜の中の鳥」では頻繁に衣裳替えを行う。一方 「大礼服」は、基本 白ブラウスと黒ズボンというシンプル色。そこには個性はなく統一または規制された世の中といった印象を持つ。また大礼服に対しての敬意かも。
次回公演も楽しみにしております。
「水平線の歩き方」【Mura.画】

「水平線の歩き方」【Mura.画】

Mura.画

北池袋 新生館シアター(東京都)

2026/07/24 (金) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
公演は 「Mura.画」の演劇研究会として2回目の上演。前回の研究会も成井 豊の作品で、丁寧な演出が印象的だった。本作の演出は 爽口穂夏さんで やはり素晴らしい。成井作品の面白さ-滋味溢れる内容、それを見事に描き出していた。

作品の肝は 世界観にある。どうしてという不思議さ、何故という謎をどう演出するか。物語に明確な前半・後半があるわけではないが、或るシーンを境に雰囲気がガラリと変わる。それまでのユーモアを交えた明るい話が、悲嘆にくれた落涙へ。研究会公演ということもあろうが、成井ワールド( 演劇集団キャラメルボックス)を忠実に表現した手堅さが観てとれる。
(上演時間1時間10分)【A】㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は、上手にソファーと変形楕円のテーブル、下手に飾り棚で中段にラグビーボールが置かれている。中央に玄関に通じる出ハケ口、下手にダイニングに通じる通路。最後に分かるが、このシンプルな造作に意味がある。

物語は説明にある通り、 或る夜、自分のアパートに帰ると、部屋に女がいた。 どこかで見た顔でアサミと名乗った。 それは、幸一が小学6年の時に病気で亡くなった母。 親子二人で暮らした日々が、幸一の脳裏に鮮やかに蘇る。 あの時 母は大人に見えた。 が、今 目の前にいる母は、明らかに自分より歳下だった……。 母が死んでからの自分の人生を語ってきかせる幸一。 アサミの弟夫婦に引き取られ、有名企業にラグビー選手として就職、怪我を乗り越えて現役選手(35歳)として活躍中、医者の恋人までいる。

後半、話に綻びが見え始める。 止めたはずの酒の瓶が並び、恋人からの変な電話。 実は、半年前に試合で無茶をしたため、ステッキ無しでは歩けない大ケガを負い 自暴自棄になっていた。 飲酒運転の末に事故を起こし、昏睡状態になったまま魂だけが自宅に帰って、そこで死んだ母と再会した という話。 タイトルの「水平線」とは、死後の世界との境界のことで、その向こうはアサミのいる世界。 幸一が読んだ本の中に出てきた、ケルト 神話にある死者の島の話。理科教師の叔父は、幸一に あると思うと聞かれ「分からない」 と。逆に自分の得意とする科学から「水平線までの距離を知ってるか」 と聞き返す。 「死者の島」までの距離…幸一の母までの距離は約4㌔、歩いてだって行ける距離に死者の国はあって、そこに母もいるんだ と。

一変、事実が明かされて緊迫した雰囲気へ。 自分1人で生きていくんだ、誰かに迷惑をかけて生きていくなら死んだほうがマシ。 その幸一の耳に 家族・恋人・友人からの、「帰って来い」という言葉。彼岸と此岸の狭間、だからこそ幽霊の母と会い話をしている。 料理があまり上手でなかった母、しかし おじやだけは美味かった。最後に作ってあげたおじや、食べ終わったら皆のところへ帰る息子に、母が一言。 「本当は時々見ていた」 「声も掛けてた」 「聞こえなかったのなら、もっと大きな声で言うね」 これからも「頑張れ」って、そして生きろって言い続けると。自分1人で生きてきたつもりになっていたが、実は周りの人々に助けられていた。それがオープニングの全員でのダンスにも表れているよう。
次回公演も楽しみにしております。
太鼓

太鼓

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2026/07/23 (木) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

お薦め、見応え十分の作品。
暗闇と静寂の中で語られる心情、その切々とした思いが重く響く。当日パンフによれば、1976年9月が初演で 約半世紀を経て6回目の上演とあるが、自分は初見。しかし世界のどこかで紛争や戦争が勃発しており、「平和」には程遠い。作品は色褪せることなく、今に通じる反戦劇であり心情劇。

説明にもある、最前線に歩哨として出された少年兵の耳に、どこからともなく太鼓の響がきこえてくる。それは鼓動であり生きたいと思う魂の叫び だと思う。漆黒・静寂だからこそ一層鮮明に感じる命の音。「戦争」という不条理に対し「生命」という命脈で向き合った力作。

重厚な物語…重苦しく緊張を強いる内容だが、演奏舞台の特長である音楽(生演奏)と照明の諧調が絶妙で印象的だ。また 昨年入団した佐竹駿さんが主人公の少年兵を演じているが、終始 愁いを帯びた涙目で熱演、好かった。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 追記予定

フランケンシュタイン対地底童子(クラボッコ)

フランケンシュタイン対地底童子(クラボッコ)

劇団 枕返し

小劇場 楽園(東京都)

2026/07/16 (木) ~ 2026/07/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

公演は、話を多重構造にすることによってミステリアスさを、その関心・興味を惹き 観(魅)せるを意識しているよう。物語は主人公 実が5歳から23年後(28歳)の世界へ、しかし途中の過程はほとんど描かれない。時間(過去と現在)の往還と場所(実家と病院)の移動、その組み合わせにフランケンシュタインと地底童子(クラボッコ)を巧みに絡ませ重層的に展開していく。(無難に)辻褄合わせというよりは、勢いで持っていった印象。

フライヤーの絵柄というかデザインが昭和の映画ポスターのようで、おどろおどろした雰囲気を醸し出している。しかし公演は、怪物や妖怪が登場するにも関わらず 奇妙さの中にユーモアを交え楽しんで観ることができる。台詞は科学的な理論や理屈というよりは、こじつけや屁理屈として捉えたほうが物語を楽しめる。勿論 フランケンシュタインの物語そのものの体裁(書簡体形式)などを挿入していることは分かる。外見のビジュアルーメイクや衣裳などは、劇団枕返しらしい特長で好感。詳しく あらすじ などは書ず、どの公演もそうだが 特にこの公演は一見に如かず。
(上演時間2時間弱 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央の柱を現世と来世の境界、実家の内/外といった結界(多くの封印紙)に見立て面白い。中央に長方体、奥に直方体とその横に雑多な物が載った飾り棚。全体的に薄暗く不穏な雰囲気を漂わす。

実(5歳)は、クラボッコと かくれんぼ をして遊んでいる。そして28歳になった実は 父が亡くなり実家に戻ってきた。それから奇妙な出来事が次々と起こり、虚実が綯交ぜになり意識が混乱するばかり。意識が混濁した世界では、いろんな人はもちろん、怪物や妖怪も自然に存在している。フランケンシュタインの物語や座敷童の伝承などを巧みに散りばめ、不思議な世界観を築いていく。奇妙なものたちを日常の延長として描くことによって、幅広い意味での共存共栄といった問題意識を感じる。

実の記憶はツギハギだらけ、その意識とフランケンシュタインの外見を重ねる奇知。どうしてという謎の解明こそが、実の現状を知る術(すべ)。一見 難解という現象だが、今 表れている事象こそが実の無意識下の幻視/幻聴だ。
次回公演も楽しみにしております。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2026/07/17 (金) ~ 2026/07/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
劇団化15周年の集大成として満を持しての上演。未見の作品で 仮チラシを手にしてから待ち望んでいた公演をやっと観ることが出来た。1970年代の横浜を舞台にした群像劇。そこにあるパール食堂を中心に 市井の人々を優しく見守るように綴った珠玉作。冒頭 全ての人物が舞台に上がることによって、この街が主人公と言っているよう。舞台美術がすばらしく、下手が変形遠近法を用いたようで、歴史の刻みと当時の世相が浮かび上がる。夏から秋にかけての物語、その季節の花である「芙蓉(フヨウ)」の響きが物悲しく聞こえる。

チラシにある「私は今日、死にました。この道、あの空。錆びた色のゴミバケツ」は、名もなき人々、特に女性 それも母に焦点を当てている。名も「無き」であり「泣き」そして「亡き」である。そこには戦後の影が色濃く投影されている。少しネタバレするが、白塗り娼婦ーハマのメリーさんーを連想させるMという女性が登場する。「GIベイビーを生み育てた無数の名も無き母たちの幻影を彼女に重ね、戦後の横浜を描く 傑作戯曲」の紹介文は誇張ではない。まさに鎮魂の祈り、人間賛歌を高らかに謳った作品。見応え十分。
(上演時間2時間 休憩なし)

あきらめて明日

あきらめて明日

青春事情

新宿眼科画廊(東京都)

2026/07/17 (金) ~ 2026/07/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

何となく生き、時だけが流れていくような、そんな惰性の暮らしに意味を見つけようとする物語。そこに緩いSFファンタジーといった要素を纏わせ、意味なんてそんなに重要ではない、生きていることが大切だと。「青春事情 Presents 群青劇シリーズ vol.1」…どこにでも居そうな人 ありそうな様相を坦々と描いているが、観ている人の心を満たしてくれる好公演。

明日こそは充実した日を過ごそう、そう願い足掻いている姿に微笑む。それは人の不幸を見て喜んで というよりは立ち止まり、彷徨いながら必死に生きていることへエールを送るような気持ち。どんなに悲しく辛く、そして挫折しても時は流れていく。過去に囚われていては…タイトル「あきらめて明日」は、拘りを捨てることによって 前を向く といった応援歌のよう。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

対面客席、中央に白い箱馬がいくつかあるだけ。その箱馬の配置を変え、積み重ねることによってリビングやコンビニのカウンターに見立てる。パンフにある登場人物も「青年」「父」「同僚」といった普通名詞で、人の名前ではない。そこにどこにでもありそうな(一般的な)物語といったことが読み取れる。情景や状況は箱馬の配置だけではなく照明の微妙な明滅/諧調によって表す。

リストラされた父が或るセミナーに通い、コンサルに儚い夢物語を聞かされた挙句 自死し、今 幽霊となって青年(息子)と話している。父亡き後、大学を辞めコンビニでバイトで生計を立てている。コンビニは人手不足、店長は気の休まる時がない。女子大生の同僚は遅刻や欠勤が多く、シフトの変更が大変。そんな時起きた万引き、その犯人の独特の雰囲気や嚙み合わない会話が妙。

人は少し先の未来が知りたい、この先 自分はどうなるのか。セミナーのコンサルがコンビニ店長の諸々の相談に乗っているシーン、一方コンサルの彼女が占い師に占ってもらっているシーンがシンクロする。この2組の会話が物語の肝で、相手を騙すか寄り添うかといった違いが鮮明になる。足元を見つめたリアルな光景、そこに万引き犯の達観したような言動が違う意味合いをもって響く。宇宙(出来事)から見れば店長の悩みなんて という壮大な世界観へ。

物語には、スマートフォンやインターネットといった利器は使わず、対話・会話で紡いでいく。声はあふれているが本当に相手に届いているのか。物語には不器用な人々が語り合う といった生きていく上で大切なことが描かれている。
青年の頑なさ、バイト同僚の陽気さ、占い師の妖しさ、コンサルの怪しげさ、店長の焦燥、父の見守り、コンサルの彼女の不安そして万引き犯の不思議 といった各々の人物像が世間の誰かと結びついているよう。そこに普遍性ある物語を感じる。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻

調布市せんがわ劇場(東京都)

2026/07/11 (土) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

ここ数年、桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演を観ているが、今年は残念ながら1日(2演目)だけ。しかし 未見の作品で潤色しているとは言え 観応え十分。それだけ学生の演出と演技が素晴らしい。
公演は教員の監修のもと、学生が自ら作品を選び 上演する。学士「芸術学(演劇)」取得の審査対象になり、上演作品の映像を独立行政法人大学改革支援・学位授与機構に提出することになっているため、★評価はしない。

●「またここか」(作:坂元裕二 潤色:片野彩加) 
●「夢を見る」 (作:石原燃 潤色:小野七実、小野萌香)

(上演時間「またここか」85分 「夢を見る」60分)追記予定 

迷妄曲論

迷妄曲論

藍澤慶子一人芝居

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2026/07/07 (火) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

或る女性の小学生から三十代半ば迄、その綴られた日記の舞台化のよう。藍澤慶子さんの一人芝居 そのモノローグは内省と激情の繰り返し。ダイアローグ その姿の見えない相手は衣類という小道具を使って対話する。Kという女性の伝聞というスタイルで語っていくが、実は語っている本人の物語と言う。登場する人物そのものの存在があやふやで、一見 迷妄していくようだが…。早い段階で 性格の欠点が語られるが、そうなった原因は 今 社会問題になっていること。それ以降の彼女の人生に大きな影を落とし生き辛くしている。紆余曲折しながら懸命に生きてきた女、その成長譚のようでもある。

公演の魅力は 勿論 藍澤さんの演技力だが、その熱演を邪魔しない演出が好い。一人複数役を担うが、その情景・状況作りは飽くまで一人。音響はなく 音楽も奏でることなく、最後に一曲流れるだけ。照明も過度な照射はなく 淡く柔らかい光が射す、そんな僅かな諧調のみ。それだけに芝居の中の人物がくっきりと立ち上がる。
(上演時間1時間25分)追記予定

夏のおどり

夏のおどり

東京レビュー

浅草花劇場(東京都)

2026/07/09 (木) ~ 2026/07/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

魅力的なパフォーマンス。「夏のおどり」ということもあり「南へ!」をキーワードに構成した12演目。日本の沖縄民謡だけではなくブラジルのサンバまで幅広く取り入れており、踊る姿態と衣裳の華やかさは眼福。レビューの魅力は華やかさであるが、幕が下りれば夢(酔い)から醒めたような虚無感、その儚さ潔さが好い。だからこそ踊っている最中は夢中になって観る、その姿を目に焼き付けようとする。

本公演、実はすでに音源がない演目もあり、残っている映像で音源を再現したらしい。そんな努力と苦労が実を結び、ダンサーは熱量と鼓動が共鳴し合い、力強いステップが地響きのように会場を揺らす。個々人の力の調和が「生きている」を主張しているよう。
(上演時間1時間)

煙の汽水域

煙の汽水域

ムシラセ

小劇場B1(東京都)

2026/07/11 (土) ~ 2026/07/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人は その時々の状況や環境に対して 抵抗したり受容したりしながら生きている と思う。そんな人の生き方をタイトルにある汽水域として捉えているよう。もっとも その人の本質は変わらないようでもある。

物語はある男の30年間ー20歳・35歳・50歳ーの時々を切り取った話。必ずしも一般的にある状況ではないが、隣の隣 さらにその隣ぐらいにはあるかも知れない、そんな微妙な距離感の設定。時代に応じた三場面だが、薄暗がりの中でキャストだけで場転換している。その無言の人影に時の流れを感じさせる。まさに演出の妙。

公演の魅力は、現実と虚構の境界線上を揺蕩うような描きで、その世界を役者の自然な演技が飄々と紡いでいくところ。淡々としているが何故か生き活きとしており観入ってしまう。台詞にもあるがデジャブ、そこに目に見えない家族(父と息子)の絆というか不思議な縁を感じる。
(上演時間1時間20分)追記予定

おいしいディストピアの作り方

おいしいディストピアの作り方

MEMELT

すみだパークシアター倉(東京都)

2026/07/08 (水) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

AIを通して人間とは、その存在の在り方を描いた野心作。テーマを物語の中へ巧みに落とし込んで観(魅)せている。そのエンターテインメント性--櫓状の回転舞台、モニター映像などを駆使し役者の躍動感を巧く演出し立体的に展開していく。AIの功罪を印象付けるため敵国という存在を作り、AIの戦術的利用価値を設定。敵国と時間軸の変化が 何となく臨場感を誘う。一方、もともとAIの使用目的とは…その有用性まで台詞で説明したのは丁寧なのか描きすぎたのか、観客によって好みが分かれるかも。
(上演時間2時間15分 休憩なし)追記予定

野火

野火

世田谷シルク

サンモールスタジオ(東京都)

2026/07/08 (水) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
小説 原作の力もあろうが、演出とテキレジが秀逸、それを体現する永井秀樹さんの演技が凄い。舞台は敗戦間近のフィリピン・レイテ島、肺病を患った田村一等兵の飢えと孤独を凄絶に描いた力作。いまだ戦争は終わることなく、世界のどこかで勃発し 不安定な状況にある。それだけに80年以上前の最悪な不条理ではなく、今を考える作品といえる。

登場人物を1人にすることで心情表現を際立たせ、同時に語りをすることで客観的というか俯瞰的に眺めているといった感覚。戦争を実体験として知らない後の世代、だからこそ主観と客観を織り交ぜた描き方にリアリティを感じるのでは…少なくとも自分は怖さを覚えた。また信仰は極限(飢餓)状態の人間(精神)を救えるのか、その内なる葛藤も見どころの1つ。

公演の魅力は、小説と違い生身の人間(俳優)が極限状態に置かれた人物を演じ、その心情に迫ろうとするところ。フライヤーの永井さんの表情(頬コケ、無精ひげ等)、その外見から圧倒的な存在感の田村一等兵を立ち上げる。そして ほぼ素舞台を森林・原野のように見立て動き回るさまは狂気そのもの。その姿を効果的な照明と音響・音楽が支えている。
観応え十分、必見の作品。
(上演時間1時間30分) 追記予定

マクガフィンを待ちながら

マクガフィンを待ちながら

ゴセキカク

水性(東京都)

2026/06/30 (火) ~ 2026/07/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

近未来の不思議な物語、しかしその奥には人の複雑な思いが見え隠れする。本人とクローン、<記憶>まで受け継いだら そんな複雑で微妙な思いが静かに揺れる。捉え方によっては、クローンを通じて記憶の中にある思(想)い=確執の氷解どころを探しているようだ。案外それが〈マクガフィン〉だったりして。

人の心は得てして多面的で、時々の心境の変化で異なった思いをする。本作は、記憶に謎を絡ませており、登場人物の繋がりに深みを持たせている。この謎が分かったようで分からない、そんな曖昧さが記憶に重なる。

現実には、まだクローンを身近に受け入れていないが、物語では日常の延長として描いている。書類上の手続き等も描かれているが、あくまで〈心情〉を抱きしめた公演。観応えあり。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台美術は、会場の特徴である正面のカウンターを活かしたカフェ。カウンターの上にあるミニ本箱に置かれている絵本。中央にテーブルと椅子、上手に机と椅子。下手に飾り棚。シンプルな作りだが物語を紡ぐには十分。時間の流れは、照明の諧調や衣裳替えで表現する。

カホ(祖母)、里佳子(母)、美生(孫)の三世代の女性が紡ぐ記憶の話。カホの葬儀のため実家に戻ってきた里佳子と美生の親子。そこへクローンを扱う団体の若林が訪ねてくる。カホはクローンを嫌っており、何かの間違いではと訝る2人。そんな2人の前にカホを名乗る若い女がやってくる。今度は戸惑う2人を尻目にカホと名乗る女が居つく。女の正体を探るため思い出話をするが、いつの間にか懐かしさがこみあげ 親近感を抱き始める。

カホは人が亡くなっても クローンによって それまでと変わらぬ日々が耐えられない。不遜のように思え、人のアイデンティファイはどうなるのか、といった素朴な疑問を持っている。一方この店の常連客 大塚広大は亡くなって 今は彼のクローンがやってくる。大塚は死ぬのが怖くクローン生成を行ったと。人の思いや考え方は千差万別、もちろん記憶もそうなのだがクローンによって記憶まで共有できてしまう。カホと里佳子の長い間の確執はクローンを巡っての対立。里佳子はクローン生成に携わっており、若林との会話から それとなく分かる。何故 カホがクローンを受け入れたのか、そしてカホと里佳子がいずれ美生にも話さなければ といった意味深な会話が関心を引く。

里佳子と美生は既に亡く、今いるのは彼女たちのクローンでは?と想像した。大切な人にもう一度会いたい。カホは今までの考えを翻し2人のクローンを望んだ。人としてのカホと里佳子はクローンの在り方で対立したが、クローンの2体は記憶の中での対立はあるが、今の在り様から受容は早い。曖昧な感情は、その時々で変容する そんなシュールさを思わせる公演。
次回公演も楽しみにしております。
HUG!!!

HUG!!!

ギギ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2026/07/02 (木) ~ 2026/07/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観る者に媚びを売らず、それでいて飽きさせない 力 のある公演。一瞬 パンクロックのような印象を受けたが、描かれているのは 時の流れに身をゆだねながらも 懸命に生きている若者像。若気の中にチラッと見える気恥ずかしさ、真っ直ぐな情熱の迸りが綯交ぜになったよう。会場に入ると、そこはクラブ(自分世代だとディスコ)の空間、天井には大きなミラーボール、演奏ブースにはDJらしき人物が円盤を回す(ターンテーブル)。重低音が響き、会場が振動しているような錯覚。スモークの中に照明の強烈な明滅、その光景は幻想的でもある。

登場人物は2人、若い俳優の瑞々しさが 観ていて気持ち良い。色々な話を断片的に繋ぎ脈絡があるのか否か、そんな不思議な物語を展開していく。妙なリアリズムが観客の心を捉え、観終わってみればエッジの効いた物語だ。よく動き回るかと思えば、並んで立って接客しているだけ。メリハリのある動/静演技、そしてモノローグ的な表現によって伝える。もう病みつきになる公演。
(上演時間1時間15分 途中休憩3分)

ネタバレBOX

舞台は正面奥にスクリーン、真ん中に演奏ブース。その前に学校のスチール机と椅子1つ。客席は半円形にして囲むような配置。ここは東京の渋谷 道玄坂にあるクラブという設定。出演は川合凛さん、笹川幹太さんの2人、狭い空間だがワイヤレスマイクを使う。

●このクラブでボーイをやっている幹太サン、卓球界では知られた存在。場転して後景にスクリーンに真っすぐな道の映像。そして凛サンは二卵性双生児の幹太サンを探していると。2人は交わらず それぞれモノローグで話は進む。
●上から制服(上着)が投げ入れられ、着替える2人。今度は2人並んでコンビニで接客している。そのうち名前を始め、自分自身のことが分からなくなって戸惑う。何者にもなっていない若者の不安や焦燥といった気持を表しているよう。
●突然 舞台中央に円形を組み 2人+他のメンバーを加え合奏。優しく心地良い音色、そのしっかり聴かせる上手さ。

色々な観せ方、パフォーマンスは試行錯誤の実験的な公演といった印象。ジャンル問わずの表現、そこに怖いもの知らずといった若者の特権を見るよう。実にアグレッシブな。チラシにある「月面に行きたい」は未知への挑戦であり、公演の表現そのもの。
次回公演も楽しみにしております。
 杏仁豆腐のココロ

杏仁豆腐のココロ

演劇ユニット「みそじん」

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2026/06/30 (火) ~ 2026/07/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
タイトルにある 杏仁豆腐のような柔らかく甘いといった内容ではなく、けっこうシビアでヒリヒリするような印象。説明にもあるようにクリスマス・イヴ、離婚を決めた2人の漂流するような会話劇。物語はどこに辿りつくのか分からないが、離婚する原因が切ない。

脚本の面白さ、演出の巧さ、役者の演技(体現) その総合力が観客の関心を惹き 飽きさせない。最後の夜、思い出すのはどうでもいいことばかり。日常の些細なことから旅行先での出来事、そして身の上話からだんだんと身の下話へ変化し…。会話の流れに 離婚する理由が見え隠れしてくる。
ちなみに 前説が面白い仕掛け。
(上演時間1時間25分)🟠橙チーム

ネタバレBOX

舞台美術は引っ越し間近の居間。中央に炬燵とソファ。周りに多くの段ボール箱。後景の窓/カーテンが斜めになっており、半円形の舞台と相俟って何となくゲルの中といった感じ。下手の置台に電話、時々鳴るが留守番電話に設定。そこに吹き込まれるメッセージが前説になっており、既に物語は始まっているよう。寒風吹きすさぶ音や犬の遠吠えが聞こえ、深々とした静けさが伝わる。

小夜子の実家/稼業は廃業し、年明けには引き払う予定。同居している達郎とも離婚し新たな生活を始めようと…。小夜子は弁当屋で働き、達郎は仕事を辞め2年、今では 立派な主夫。性格も違いルーズな小夜子、ストリクトな達郎、引っ越しの手際にも表れている。そんな2人だが、いざ別れるとなると名残惜しい。

小夜子の実家は ちんどん屋、しかし父の放蕩等で廃業、母は父を見限り若い時に家を出て再婚。そんな母が認知症になり徘徊を始めた。一方、達郎は再就職が儘ならないことなど、それぞれの近況を話す。しかし 離婚する決定的な理由は語られない。そのうちセックスレスという身の下話へ。実は小夜子は死産を経験しており、妊娠することが怖い。達郎は死産した子の葬儀を執り行う。死産を通して それぞれが違った辛さ悲しみを抱えていた。自分も達郎の悲しみ、そして遣る瀬無さが何となく解る。

物語に明確な前・後半があるわけではないが、始めはコミカルに飄々とした語りだが、セックスレスあたりから様子が一変し、2人の激情がぶつかる。それまでの建前的な会話から本音が…そこに劇的な要素が仕込まれており 観応えある物語になる。何と言っても 大石ともこサン、菊池豪サン、2人の熱演がみごと。
次回公演も楽しみにしております。

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