タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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GOOD NEIGHBORS

GOOD NEIGHBORS

ハイワイヤ

OFF・OFFシアター(東京都)

2026/08/19 (水) ~ 2026/08/25 (火)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
現実にありそうな話から妄想そして狂気へ 、その境界が暈けて曖昧になる。まさに舞台ならではの醍醐味が味わえる作品。また雰囲気の変わり目が自然とわかる演出が妙。昔ながらの自治会(コミュニテイ)は、民意による話し合いのようで、実はそれぞれの立場や思惑が蠢いている。物語は奇声を発する住人の騒音、それをどうするかといった身近な問題から始まる。誰が誰のために といった話し合いと行動が漂流するようで、どこに辿り着くのか混沌とした展開に目が離せない。

少しネタバレするが、冒頭 奇声を発する裏井戸鏡子の憔悴したような表情、主人公 覗見明の妻 万里の能面のような表情、その外見的な姿から不穏な雰囲気を漂わす。また舞台美術は 狭いコミュニティをしっかり作り込んでいる。見応え十分。
(上演時間2時間15分 休憩なし)㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は各戸が横並び、古びた街灯や看板。下手はカーテンで仕切り覗見家の室内、隅には多くのゴミ袋。雑然としているが、東京の或る街といった情景。覗見明は自治会長(持ち回り)で住民からの苦情に真摯に対応している。目下の課題は 裏井戸鏡子の騒音(奇声)をどうするか から物語は始まる。

明には万里という病身の妻がいる。後々 分かるが末期癌で余命いくばくもなく、自分が死んだ後の明のことを心配している。明は夫として献身的に看病をし、自治会長としての責務も果たそうと頑張っている。そこに精神的な余裕のなさが透けて見えてくる。彼は公務員で、同僚の真摯な仕事(住民対応)振りに感心していた。その住民こそ鏡子で、生活保護の件で無理を求め同僚は疲弊していく。その姿を見ていた明は鏡子へ復讐しようとするが…。鏡子の狂態した踊りは一瞬アングラ劇を見ているような錯覚。

明は 自分が公務員であったことを独白する場面では、一歩 立ち位置を変え客観的に話し出す。また万里(介護)を背負いベットに寝かせる、鏡子(苦情)を背負い舞台を回っている姿は日常的に追い詰められていく様子。冗長かと思われる場面に明の精神的な疲弊を描く。それは姿なき恐怖、鏡子からの嫌がらせを牽制する意味での防犯カメラ。それは逆に自分自身の姿を映すことになる。統合失調症になり幻聴や妄想などの症状が現れる精神疾患、なんと狂気の元凶は自分だったのか。

物語は万里の死後、自治会長を解任される後日談まで描く。小さなコミュニティでは、ちょっとした噂がだんだんと大きくなり影響を持ち始める。その同調圧力のような目に見えない不安・不穏そして恐怖を見事に表出させている。親身になるご近所=クリーニング 小河原春、上京して在学中に住んだが 卒業と同時に郷里へ帰るタカトくん。そして いつの間にか知らない人(多い苗字での表現=佐藤、鈴木、高橋)が住んでいる。東京のどこかにありそうな街と人々を巧みに立ち上げている。
次回公演も楽しみにしております。
はねやすめ第2回公演『cocktail』

はねやすめ第2回公演『cocktail』

はねやすめ

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2026/08/15 (土) ~ 2026/08/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初見の劇団 といっても第2回公演だから当然か。内容は 人間の承認欲求のような感情を 或る動物を通して描き出した物語。2幕 年代は異なる連作もの。公演の魅力は観劇歴が浅い人でも分かり易く、それでいて滋味溢れる内容にグッとくるところ。大人になると自分の気持を曝け出すことが恥ずかしくもあり怖い。素直になれない苛立ちに向き合うような物語。

2幕だが、休憩を挟まず手早く場面転換する。暗転してから始まる というスタイルではなく、定刻になったら明転したまま酔っぱらった女性が下手から登場する。さぁ始まりますよ といった構えさせるような出だしではないところが 実に自然体だ。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

1幕目は、2幕目にスナックのカウンターになる台や腰高スツール、上手/下手に散乱しているゴミ袋に網が掛けられている。また所々に工事現場で見かけるカラーコーン。後景は「ポイ捨て禁止」「あまい誘惑に負けない」といった看板。ここは深夜の新宿歌舞伎町の路地裏にあるゴミ捨て場といったところ。

終電はなく 缶ビールを何本も飲み干し 酩酊状態の女がゴミ袋に寄りかかって寝ている。そこへ黒ずくめの人、後々 分かるがカラスの擬人化。カラスは女の胸にある光物(ブローチ)が欲しく近づいたが、女が起きたため愚痴を聞くはめになる。女は自分が思っているほど母は自分に関心を示さず、会社での人間関係にも不満と嫌気がさしている。自分の感情を押し 殺し相手の顔色を見て迎合することに耐えられない。本音と建前の使い分けに疲れている。カラス曰く困ったら大声で泣(鳴)けばいい。野生のカラスは一羽では生きていけない、本音で向き合わないと。

2幕目はゴミ袋等に掛けられていた網を取り除き、後景は先の看板を裏返し「スナック 野生」の看板やメニューに変わる。1幕目のカラス、そしてスナックママ、そこへ若い女性が入って来る。初めからボッタクリのような説明--1杯5万円、サービス料400%--しかし身の上話--自分の悩みなどを打ち明ければ90%OFFという奇妙な設定。女は自暴自棄で 金はあるから好きなように飲むと頑な。そんな女を見守るママ、それは遠い若かりし頃の自分をみているようだ。愚痴、弱音は吐かないと言っていた女はポツリポツリと語り始める。1幕 泥酔女=2幕 スナックママという時代間隔ある連作で、あるがままの自分とは、その内省する姿をカラスとの会話を通して描いた心情劇。素直で丁寧な劇作といった印象だ。

野生のカラスは本音で鳴かないと生きられない、一方 人間は本音と建前を上手く使い分けないと世渡り上手とは言えないかも。そこに人間社会の苦悩と妙味があるのかも知れない。明け方近くの星々、夜が白白明といった抒情的な光景が目に浮かぶような台詞。深夜ということもあり1幕目は少し昏く、2幕目は店内の明るさ、その情景変化を表す照明の諧調。音響は カラスの鳴き声や車の騒音といった都会らしさ。その雰囲気作りが良かった。
次回公演も楽しみにしております。
ダニーと紺碧の海【salty rock】

ダニーと紺碧の海【salty rock】

salty rock

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2026/08/14 (金) ~ 2026/08/15 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2幕 二人芝居。刹那的に生きている男女の息詰まる会話劇。前夜から翌日夕刻迄、その短い時間の中でいかに生きてきたかを荒々しく語る。男 ダニー(石原嵩志サン)は、何に苛ついているのか 「わからない」 大した理由なんかいらないのだ。自分の内にあるライン、その境界を越えてズカズカ入ってくる奴は否応なく殴る。女 ロバータ(伊織夏生サン)は、離婚歴があり子供がいるが、男性に声をかけセックスすることによって寂しさを紛らわせている。

会場がレンタルスペース+カフェ 兎亭ということもあり、舞台と客席は至近距離 というより一体化しているといった感覚。そこで繰り広げられる荒い息遣い まさに生きているといった迫力を感じる。映像では味わえない舞台 それも小演劇ならではの醍醐味。だた 舞台がアメリカ・ブロンクスの治安の悪い地区、それゆえ 日本人が身近に感じることが出来ないところもある。それでも心に響く魅力ある脚本、それを翻訳した鈴木小百合サン、演出の斎藤可南子サンの手腕は見事。
(上演時間1時間30分)追記予定

ネタバレBOX

1幕目 アメリカ・ブロンクスの治安の悪い地区にあるBAR、奥の壁際にテーブルと腰高スツール2つ、中央にテーブルと箱馬2つ。場所がら、常に音楽が流れている。
2幕目 ロバータの部屋。奥の壁にカーテン、下手にネオンらしきものが光る。上手に飾り棚があり、可愛い人形が置かれている。中央テーブルはなくなり、床上に寝転ぶ2人。
~以降、追記予定
卓

風雷紡

小劇場B1(東京都)

2026/08/12 (水) ~ 2026/08/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
戦前からの家制度と戦後の世相、それを諏訪の旧家藤盛家を通して紡いだ社会劇でありサスペンス劇。狂言回しというか 語り部による抒情的な台詞が 家業である蚕糸業に擬えた象徴的なもの。蔟、蚕、繭、蛹そして蜘蛛といった言葉、そこに込められた思いこそ柵(シガラミ)であり自由に飛べない当時の状況を端的に表している。

出征した兵士、そこには お国のために という思いと死にたくないといった人としての葛藤、苦悩が描かれている。そして帰還しても なお戦争責任を負わせる理不尽さ。蜘蛛と巣にかかった獲物との関り、それが空虚や虚脱という社会状況を表しているよう。戦争を背景に、家族(制度)の中に人間や社会といった関係性を巧みに描き重層的に観せる。そこに作・演出の吉水恭子さんの問題意識を観るようだ。

全体的に戦後という混乱期、先の見通せない不安 そして柵的な意味で蔟を象徴しているような舞台美術が秀逸。シンプルであるが重厚といった雰囲気、しかし実際は 柱と梁だけという隙間の大きな空間、そのアンバランスさが当時の状況そのもの。ただサスペンス/ミステリーとしての動機が しっくりこないところが気になった。
(上演時間2時間10分 休憩なし)追記予定

幸せの方程式

幸せの方程式

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2026/07/29 (水) ~ 2026/08/03 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
コミュニティラジオのDJが本番前のリハーサル(原稿読み)、それが前説になり そのまま本編へ。物語は東京から1時間の距離にある離島・三国島にあるライブハウス兼ラジオの10周年記念イベントの開催までを回想形式で描く。説明にもあるが伝説のジャズシンガーを招聘しての記念ライヴ。

公演の魅力は、演劇なのかジャズライヴなのか 錯覚するぐらいの一体感、それは観客も歌に合わせて自然にクラップするほどの盛り上がり。この劇場は二面客席だが、今回は一方向からの観劇スタイル。当然キャストの視線はその方向で熱く語り聴かせる。回想形式だから、今に繋がるシーンをDJが紐解いていくといった観せ方で興味を惹く。最後にタイトル「幸せの方程式」と名付けた意味が…そこには或る曲が物語のモチーフになっていることが分かる。
(上演時間1時間45分) ㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は、一段高くなった演壇にON/AIRのランプ。コミュニティラジオの放送ブースで、ライブハウスを兼ねているから横にキーボード、天井にミラーボール。普段は近所の人たちがカラオケに興じている。

物語は 説明にある通りで、島出身のジャズ歌手 神崎澄江に出演依頼し、まさかの快諾。そこには彼女の隠された過去と思惑が秘められていた。結婚/離婚を繰り返し5回目の結婚をしようと…そして どうしても一人息子 雄次に会いたい想いが募る。彼女が突然倒れ 体調不良というフェイクニュースを流し、それを信じた息子がライブハウスにやってきて という話。

一方 オーナーの様子が少し変。実は事業拡大のツケで多額の借金、そして税金の滞納でライブハウスが差押え 競売の危機にある。母 澄江と子 雄次は確執があり音信不通の状態であったが、わだかまりを捨てライブ共演。澄江を反面教師にした雄次が店の滞納金を肩代わりし、何とかイベントを催行する。母の結婚は奪略婚ばかり 「幸せとは奪うことではなく、与えるもの」、それが幸せの方程式だという。ライヴは当初予定していた歌を変更して槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」へ。その歌詞のメッセージが「(他者へ)与えることで自分も幸せになる」といったもの。

とても優しく温かい気持に満たされる。が 否定するわけではないが、分け与えるだけで好いのだろうか。少し観点は違うが、映画「釣りバカ日誌」で主人公 ハマちゃん(浜崎伝助)がみち子さんに言ったプロポーズの言葉は、「僕はあなたを幸せにする自信はありません。しかし 僕が幸せになる自信は絶対ある!」と。そこには自分も幸せになるといった主体性(奪略とは違う意味で)が、それも尊重したいと思うが…。
次回公演も楽しみにしております。
誰々

誰々

劇団5454

すみだパークシアター倉(東京都)

2026/07/31 (金) ~ 2026/08/11 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
チラシにもあるがテーマは「役割」、同時に「立場」といった言葉を連想した。意識的であろうが無意識であろうが、人は或る状況下で色々な判断をする。その連続が生きていくこと と考えれば実に面白い着想の公演。分かったような分からないモヤモヤとした感情、劇団5454のコンセプトでもある「日常で見聞きする事物をテーマにして、誰もが無意識に受け入れている感覚を物語化」を見事に表しており、まさに劇団の真骨頂。

タイトル同様、登場人物は姉・母や彼氏・彼女そして友達・先輩・後輩といった一般的な呼称を使っている。そこに誰もが持つ「役割」であり「立場」が透けて見えてくる。それは観客の誰にでも当てはまるものであり、共感しやすい設定が巧い。それを視覚的に分かり易くした舞台美術がよかった。演出も「役割」を着ている、その表現を上着を着ることによって場転換していく。お母さんの「ご飯食べた~」の台詞は、日常を示している。文字で表現し難い内面を演劇という役者の体現をもって観せた秀作。
(上演時間1時間55分 休憩なし) 

ネタバレBOX

中央に演壇ポータブルステージ、その上にテーブルや椅子が無造作に置かれ または倒れている。ステージ上は白線で区切られ、その線上に杭のようなもの。天井から紐が垂れ下がっている。ステージの周りにもソファや椅子が置かれ倒れている。全体的に荒廃し殺伐とした印象。冒頭と最後はこの光景になるが、始まると主人公である姉が片付け始める。姉の心的拘束に耐えられず 家出した弟がスズランテープで自分の居場所を確保する。
音響は泡のような不確かで不穏な音、照明はだんだんと狭まり または広がりを絶妙な諧調で照らし出す。

舞台そのものが姉の心象風景であり、その変化が心情そのものを表している。物語は姉の視点または役割を担わされた人物の相対的な観点で展開していく。姉は物事に対して「こうあるべき」という思いが強い。例えば家族の中で長女の自分がしっかりしなければ、母は家で家事を、弟は男で跡継ぎだから、妹は まず大学を卒業して就職を といった役割を負わす。自分は同棲して実家にいないが仕送りはしている。

また 友人との集まりでも必ず3人揃わないと会っている感じはしない。そして自分が飲み物を淹れるといった役割を担っている。自分で役割を担うことによって安心しているよう。姉の家族に対しての「役割」だけではなく、会社内では「立場」が人を作っているよう。新人(後輩)教育は誰がどのように行うのか。一方 新人はどんな雑用も引き受けてしまい、仕事の重要度・優先順位がわからない。先輩の叱責、逆に新人は頼まれなくなったら自分の存在価値が見出せないと、そこに立場の違いによって抱く感情が異なる。役割・立場の視座によって見え方・考え方が違うという妙。それを端的に表した姉と弟の会話ー人間は平面ではなく立体的で 色々な側面がある と。

乱れた舞台美術を整理(配置)していく姉、性格的なものもあるだろうが 家族の中で母・弟・妹が担う役割、それを定位置として固定=拘束する行為となっている。意識的な行為、それが自分の家族内に彼氏を招き入れたことによって だんだんと居場所を侵食されていく不安。舞台が紐でだんだんと狭まっていく、自分にとって居心地の良かった場所が窮屈になっていく。家族という存在を借りた心象、少し離れたところから見守る父。姉は何かしなくては という自縄自縛から解き放たれるのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
『コインランドリーカタルシス』

『コインランドリーカタルシス』

πTokyo

πTOKYO(東京都)

2026/07/25 (土) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「また会おう」 そう言って別れたが…。冬、東京の或る街にあるコインランドリーでの奇妙な話(抒情劇)。3年間同棲した彼女と別れて2年、いまだ未練を残す俺。家に洗濯機はあるが、彼女と閉店間近のコインランドリーに行っていた習慣だけが続く。

彼女曰く「(洗濯機は)くるくる回る」 同じように見えるが、少しずつ違っている。それは2人の意識や生活を表している。俺はカフェバーで働く夜型人間、稼ぎも少ない。彼女は結婚し子供もほしいようだが、俺は踏ん切りがつけられない。そんな彼に関心を持った男が話しかけてくる。前(深)夜から翌日の同じ頃までを描いた物語。
(上演時間1時間20分) ㊟ネタバレ

ネタバレBOX

朗読劇だから腰高丸椅子が4つ。後ろには白シャツ等の衣類が掛けられている。コインランドリーのイメージと白は劇中の台詞に関係している。ちなみに俺が着ているのは黒シャツ。コインランドリーの内は洗濯機が回る音、外は車の騒音など。

登場人物は4人。閉店間近のコインランドリーに駆け込んできた俺①、その彼女②、コインランドリーのオーナー③(本業は作家)、そして俺に話しかけてきた奇妙な男④。男はオーナーと顔見知りで色々と便宜を図ってもらっていた。そして彼もまた作家の卵で習作に励んでいる。男は 俺と彼女の生活を聞きたがり、ポツリポツリと話し出す。淡々とした暮らし、他愛ない会話が愛おしく思い出される。男は俺に向かって彼女を捜しに行こうと言う。

2人で見知らぬ街をあてもなく歩く。そして偶然にも銭湯に併設されたコインランドリーで彼女を見つける。彼女は赤ん坊を抱き あやしている。結婚し幸せに暮らしているようだ。消沈したまま いつものコインランドリーへ。男と過ごした昨日からの顛末をオーナーに話したところ、とても驚き信じられないと言う。男は亡くなっている と。男の無遠慮でズケズケ言っていた言葉がよみがえる。普段の言葉遣いの中に 「星になって照らす」等、詩的なフレーズを挿入することによって抒情感--朗読劇の醍醐味を出す。そこに人の温もり優しさが滲みでてくる。

親密感であり距離間、その関係性を朗読する際の席によって表す。席を移動し 隣り合わせ または離れて座る。また皆の衣裳はカジュアルであるが、俺だけは黒づくめ。劇中、俺はいつも黒い服を着ている。だから彼女が白いシャツをプレゼントしてくれた。変化を求めない俺、一歩を踏み出したかった彼女との心のすれ違いと別れ。一方 オーナーは男に好意を抱いていたが死別。一夜を死者と旅した俺、今度はオーナーと世界を巡る旅へ、そこに心境の<変化>をみることが出来るような。
次回公演も楽しみにしております。
cogito

cogito

O企画

小劇場 楽園(東京都)

2026/07/23 (木) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

公演は二部構成、一部はチラシにある説明の物語。ニ部は観客も加わった哲学対話。千穐楽に観劇したことから、「おわり」とは というテーマ。発言してもよし、しなくても構わない。けっこう多くの人が発言し、なかには複数回 発言していた方もいて参考になった。同時に自分の考えもまとまった気がした。

ほぼ素舞台。楽園の中央にある柱の下の周りに芝と石。舞台上も含め 囲み客席で 中央に丸太2つ。上演後 哲学対話がしやすい配置になっている。また観客は「石」という設定らしい。そういえば当日パンフの重しに石が置かれていた。物語がもっと人の機微に触れ、想像力が膨らむような空間演出が出来れば…。多少の間(ま)があっても、それは物語の余白であり余韻。小説でいえば行間を読むといった感覚だろうか。

物語は、偶然同じリックサックを背負った 見知らぬ女と男が 街中の公園で出会う。観客は石であるから、公園内(客席通路)を上り下りする。お互いが気になるが話しかけるキッカケがない(間の広がり)。男が裸足になって、直に土の上を歩くといった行為を通して、「感動」「もやもや」といった心の在り方を語り合う。いつの間にか2人の会話は現実と幻想、「生きること」「死ぬこと」といったことが交錯し、曖昧なまま哲学問答へ繋げる。上演内容を深化させるような手法に思えた。
(上演時間1時間 上演と対話の間が休憩か)【A】

血の婚礼 【劇団うつり座】

血の婚礼 【劇団うつり座】

劇団うつり座

上野ストアハウス(東京都)

2026/07/22 (水) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
篠本賢一 氏が、ロルカの「血の婚礼」を慣習に縛られた日本の寒村で起こった悲劇にアレンジして描いた愛憎劇。物語の概要こそ原作を準えているが、その奥底にあるドラマは違った印象だ。

見所は、日本を舞台にして慣習や道徳を解放と自由といった別の視点で浮かび上がらせるところ。もう一つは 足の運びに見る能の様式、和楽器による生演奏といった観(魅)せ聴かせる演出がすばらしい。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、床と三方(奥と上手/下手)の暗幕に白布を重ね、所々に石柱らしきもの。中央にも石柱と骸(むくろ)らしきもの2つ、始めは抽象的な美術が、最後には そう連想できる。黒と白の重ね合わせは鯨幕のようだが、花嫁の帯と死(乞食の老婆)のマントが赤色。そこに別の意味が込められているよう。

舞台は 日本/東北地方の寒村。梗概は原作を準えている。婚約した男女が互いの家族の期待を背負い結婚式を迎えようとするが、そこに花嫁の昔の恋人 連太郎が現れ花嫁を連れ去ってしまう。が、まだ花嫁にも抑えきれない情愛があったのだろうか、たいして抗うことなく付いて行ってしまう。花婿は2人を追いかけ森の中へ…そして悲劇の結末 というもの。連太郎には妻と生まれたばかりの子がいる。なにより花嫁とは従兄妹同士である。血の宿命、燻り続けた果ての激情愛、地の因習<赤い糸 毛玉で表現>などが絡み合い重厚なドラマ。今の時代に圧倒的に足りない、生身の人間の剥き出しの熱情を舞台上から浴びる、そんな情熱的な作品だが…。

痩せた土地を代々受け継ぎ、慣習・因習に縛られた家族。狭い土地柄、確執ある家族間でも婚姻せざるを得ない。婚姻を終えた花嫁を連れ去らうといった暴挙、それは道徳的な観点でみれば問題だろう。しかし理屈では割り切れないのが男女の情愛。設定を日本にしたことによって、慣習・因習といった閉塞感を分かり易くしている。そして一度は別れた男女の激情を通して物理的・精神的な解放・自由が浮かび上がる。一方、旧弊を象徴する花婿の母親の慟哭が痛々しく切ない。

役者の演技は、一定の距離を置き顔を合わせない。それは寒村という家と家の間の距離があること、同時に本心を表さない心の隔たりを示しているよう。動きも直線が主で、向きを変える場合は直角を描く。すり足に この動きは能の様式そのもの。型に嵌まったようだが、花嫁と連太郎の激情は型から外れた動き。そこに物語と連動した演出・演技を観るようだ。そして和楽器の演奏が 情景と心情をしっかり立ち上げる。
次回公演も楽しみにしております。
桜舞~花征きて~

桜舞~花征きて~

演激集団INDIGO PLANTS

R's アートコート(東京都)

2026/07/24 (金) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観応え十分、お薦め。
反戦劇、特攻を描いた作品としては秀逸。場内は嗚咽、天気も上演前はカラッと晴れていたが、終演後は豪雨で 空も泣いているよう。特攻は、その事実を忘れてはいけないが、美化してもいけない と。特攻「桜花」を題材にしており、その名は聞いたことがあったが、実態は知らなかった。資料が配付され、冒頭「桜花」の説明があったが、理不尽極まりない作戦であったことがよく解る。

この作品には多くの見所がある。まず物語のテーマ…死ぬ意味を探し求めている桜花搭乗員・秋山勇と生きる意味を問い続けている従軍看護婦・山際響子の出会いと別れ。命とは 生きるとは の意味を見つけていく重厚な内容。穏やかな日常と戦闘という非常時、そのメリハリの利いたシーンが物語に緩急をつける。

舞台美術は、「桜花」に因んで桜の大木を配し 全体的にスタイリッシュで美的に優れている。またラストのプロジェクションマッピングは見事な効果--印象と余韻--を発揮している。勿論 桜の木は靖国を象徴。特攻隊員が「靖国で会おう」と言いながら出撃したことが分かるシーンが厳かだが痛ましい。

次に方言等を使った演技・小物が臨場感を漂わす。鹿児島県鹿屋市の海軍航空隊を舞台にしていることから地元民の鹿児島弁(小物は鹿児島名産の月日貝)、そして秋山勇の出身地である広島弁で両親との別れ。そこに生きているという証、実感が感じられる。

戦時中の状況を点描し、いかに戦争が残酷で無情かを訴える。育てた息子との別れ、生きることの大切さを説いた女教師を特高警察が連行等、多くの不条理を描きつつ それでも「桜花」に乗り込まざるを得ない情況を切々に綴る。
(上演時間2時間 休憩なし) 

大礼服・壜の中の鳥

大礼服・壜の中の鳥

巴プロデュース

南青山MANDALA (東京都)

2026/07/22 (水) ~ 2026/07/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「寺山修司ラジオドラマ選集」それを南青山MANDALA という優雅な雰囲気の中で聴く、いや~贅沢な一夜を堪能した。聞かせるだけではなく、観(魅)せるも意識しており、ラジオドラマだが、動き回り 衣裳替えも頻繁に行う。

寺山修司の20代に書かれた作品。後々のアングラ--カウンターカルチャーの片鱗が見えるようで、興味深かった。「大礼服」は1965年(昭和39年)作で 寺山29歳。冒頭 出演者全員でその時代の出来事を紹介していく。それによって作品が創られた世相なりの背景が分かる演出が妙。
(上演時間1時間30分 途中(作品間)休憩10分)

ネタバレBOX

南青山MANDALA のほぼ中央空間が舞台。朗読とピアノの生演奏という雰囲気にのまれながら、いやビール等を飲みながら楽しんだ。以下、上演順の感想。

●「壜の中の鳥」(1979年)
幻想的な話…人々が次々と鳥になって消えていく奇妙な世界。孤独は人を変身させ逃避、または己を縛っている柵(シガラミ)から飛び立つのか、そんな人間の内面を巡る寓話のよう。例えば 窓から迷い込んで寝室に住みつく鳥、3人で乗り込んだタクシーから降りるときは2人になるなど、次々に人が鳥へ変身して人口減になっていく。作中で「トリは鳥はでも飛ばない鳥はなぁんだ」というなぞなぞが出され、その答えは「ひ-とり」だと。何となく危うい幻想世界が抒情的に語られていく。この危うさは この時代だけではなく、コロナ禍以降 不寛容・無関心が言われ始めた現代にも通じるような気がする。

●「大礼服」(1965年) 
この年は、前年の東京オリンピック特需の反動で景気が冷え込み、倒産が相次いだ。公共料金や生活必需品の価格が上がり、庶民の暮らしを圧迫。また戦後初の赤字国債の発行を決め、財政悪化への懸念が広がった。そんな年に発表された作品。
「大礼服(たいれいふく)」を着た正体のわからない男が突如として現れると、人々は非日常的な世界へ逃げ込む。人々の心が現実離れすることで、社会秩序が混乱する。部長刑事は、その男の素性を探るため探偵に調査を命じる。浮かれた心や体=オリンピック後の不安経済や社会制度を引き締めたい「権力」は、現実世界を取り戻したい といった風刺のよう。

一人何役も担い、声色/声質も子供から大人・年配者まで演じ分け そして歌う。また舞台上を動き回り、「壜の中の鳥」では頻繁に衣裳替えを行う。一方 「大礼服」は、基本 白ブラウスと黒ズボンというシンプル色。そこには個性はなく統一または規制された世の中といった印象を持つ。また大礼服に対しての敬意かも。
次回公演も楽しみにしております。
「水平線の歩き方」【Mura.画】

「水平線の歩き方」【Mura.画】

Mura.画

北池袋 新生館シアター(東京都)

2026/07/24 (金) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
公演は 「Mura.画」の演劇研究会として2回目の上演。前回の研究会も成井 豊の作品で、丁寧な演出が印象的だった。本作の演出は 爽口穂夏さんで やはり素晴らしい。成井作品の面白さ--滋味溢れる内容、それを見事に描き出していた。

作品の肝は 世界観にある。どうしてという不思議さ、何故という謎をどう演出するか。物語に明確な前半・後半があるわけではないが、或るシーンを境に雰囲気がガラリと変わる。それまでのユーモアを交えた明るい話が、悲嘆にくれた落涙へ。研究会公演ということもあろうが、成井ワールド( 演劇集団キャラメルボックス)を忠実に表現した手堅さが観てとれる。
(上演時間1時間10分)【A】㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は、上手にソファーと変形楕円のテーブル、下手に飾り棚で中段にラグビーボールが置かれている。中央に玄関に通じる出ハケ口、下手にダイニングに通じる通路。最後に分かるが、このシンプルな造作に意味がある。

物語は説明にある通り、 或る夜、自分のアパートに帰ると、部屋に女がいた。 どこかで見た顔でアサミと名乗った。 それは、幸一が小学6年の時に病気で亡くなった母。 親子二人で暮らした日々が、幸一の脳裏に鮮やかに蘇る。 あの時 母は大人に見えた。 が、今 目の前にいる母は、明らかに自分より歳下だった……。 母が死んでからの自分の人生を語ってきかせる幸一。 アサミの弟夫婦に引き取られ、有名企業にラグビー選手として就職、怪我を乗り越えて現役選手(35歳)として活躍中、医者の恋人までいる。

後半、話に綻びが見え始める。 止めたはずの酒の瓶が並び、恋人からの変な電話。 実は、半年前に試合で無茶をしたため、ステッキ無しでは歩けない大ケガを負い 自暴自棄になっていた。 飲酒運転の末に事故を起こし、昏睡状態になったまま魂だけが自宅に帰って、そこで死んだ母と再会した という話。 タイトルの「水平線」とは、死後の世界との境界のことで、その向こうはアサミのいる世界。 幸一が読んだ本の中に出てきた、ケルト 神話にある死者の島の話。理科教師の叔父は、幸一に あると思うか と聞かれ「分からない」 と。逆に自分の得意とする科学から「水平線までの距離を知ってるか」 と聞き返す。 「死者の島」までの距離…幸一の母までの距離は約4㌔、歩いてだって行ける距離に死者の国はあって、そこに母もいるんだ と。

一変、事実が明かされて緊迫した雰囲気へ。 自分1人で生きていくんだ、誰かに迷惑をかけて生きていくなら死んだほうがマシ。 その幸一の耳に 家族・恋人・友人からの、「帰って来い」という言葉。彼岸と此岸の狭間、だからこそ幽霊の母と会い話をしている。 料理があまり上手でなかった母、しかし おじやだけは美味かった。最後に作ってあげたおじや、食べ終わったら皆のところへ帰る息子に、母が一言。 「本当は時々見ていた」 「声も掛けてた」 「聞こえなかったのなら、もっと大きな声で言うね」 これからも「頑張れ」って、そして生きろって言い続けると。自分1人で生きてきたつもりになっていたが、実は周りの人々に助けられていた。それがオープニングの全員でのダンスにも表れているよう。
次回公演も楽しみにしております。
太鼓

太鼓

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2026/07/23 (木) ~ 2026/07/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

お薦め、見応え十分の作品。
暗闇と静寂の中で語られる心情、その切々とした思いが重く響く。当日パンフによれば、1976年9月が初演で 約半世紀を経て6回目の上演とあるが、自分は初見。しかし世界のどこかで紛争や戦争が勃発しており、「平和」には程遠い。作品は色褪せることなく、今に通じる反戦劇であり心情劇。

説明にもある、最前線に歩哨として出された少年兵の耳に、どこからともなく太鼓の響がきこえてくる。それは鼓動であり生きたいと思う魂の叫び だと思う。漆黒・静寂だからこそ一層鮮明に感じる命の音。「戦争」という不条理に対し「生命」という命脈で向き合った力作。

重厚な物語…重苦しく緊張を強いる内容だが、演奏舞台の特長である音楽(生演奏)と照明の諧調が絶妙で印象的だ。また 昨年入団した佐竹駿さんが主人公の少年兵を演じているが、終始 愁いを帯びた涙目で熱演、好かった。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 追記予定

フランケンシュタイン対地底童子(クラボッコ)

フランケンシュタイン対地底童子(クラボッコ)

劇団 枕返し

小劇場 楽園(東京都)

2026/07/16 (木) ~ 2026/07/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

公演は、話を多重構造にすることによってミステリアスさを、その関心・興味を惹き 観(魅)せるを意識しているよう。物語は主人公 実が5歳から23年後(28歳)の世界へ、しかし途中の過程はほとんど描かれない。時間(過去と現在)の往還と場所(実家と病院)の移動、その組み合わせにフランケンシュタインと地底童子(クラボッコ)を巧みに絡ませ重層的に展開していく。(無難に)辻褄合わせというよりは、勢いで持っていった印象。

フライヤーの絵柄というかデザインが昭和の映画ポスターのようで、おどろおどろした雰囲気を醸し出している。しかし公演は、怪物や妖怪が登場するにも関わらず 奇妙さの中にユーモアを交え楽しんで観ることができる。台詞は科学的な理論や理屈というよりは、こじつけや屁理屈として捉えたほうが物語を楽しめる。勿論 フランケンシュタインの物語そのものの体裁(書簡体形式)などを挿入していることは分かる。外見のビジュアルーメイクや衣裳などは、劇団枕返しらしい特長で好感。詳しく あらすじ などは書ず、どの公演もそうだが 特にこの公演は一見に如かず。
(上演時間2時間弱 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央の柱を現世と来世の境界、実家の内/外といった結界(多くの封印紙)に見立て面白い。中央に長方体、奥に直方体とその横に雑多な物が載った飾り棚。全体的に薄暗く不穏な雰囲気を漂わす。

実(5歳)は、クラボッコと かくれんぼ をして遊んでいる。そして28歳になった実は 父が亡くなり実家に戻ってきた。それから奇妙な出来事が次々と起こり、虚実が綯交ぜになり意識が混乱するばかり。意識が混濁した世界では、いろんな人はもちろん、怪物や妖怪も自然に存在している。フランケンシュタインの物語や座敷童の伝承などを巧みに散りばめ、不思議な世界観を築いていく。奇妙なものたちを日常の延長として描くことによって、幅広い意味での共存共栄といった問題意識を感じる。

実の記憶はツギハギだらけ、その意識とフランケンシュタインの外見を重ねる奇知。どうしてという謎の解明こそが、実の現状を知る術(すべ)。一見 難解という現象だが、今 表れている事象こそが実の無意識下の幻視/幻聴だ。
次回公演も楽しみにしております。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2026/07/17 (金) ~ 2026/07/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
劇団化15周年の集大成として満を持しての上演。未見の作品で 仮チラシを手にしてから待ち望んでいた公演をやっと観ることが出来た。1970年代の横浜を舞台にした群像劇。そこにあるパール食堂を中心に 市井の人々を優しく見守るように綴った珠玉作。冒頭 全ての人物が舞台に上がることによって、この街が主人公と言っているよう。舞台美術がすばらしく、下手が変形遠近法を用いたようで、歴史の刻みと当時の世相が浮かび上がる。夏から秋にかけての物語、その季節の花である「芙蓉(フヨウ)」の響きが物悲しく聞こえる。

チラシにある「私は今日、死にました。この道、あの空。錆びた色のゴミバケツ」は、名もなき人々、特に女性 それも母に焦点を当てている。名も「無き」であり「泣き」そして「亡き」である。そこには戦後の影が色濃く投影されている。少しネタバレするが、白塗り娼婦ーハマのメリーさんーを連想させるMという女性が登場する。「GIベイビーを生み育てた無数の名も無き母たちの幻影を彼女に重ね、戦後の横浜を描く 傑作戯曲」の紹介文は誇張ではない。まさに鎮魂の祈り、人間賛歌を高らかに謳った作品。見応え十分。
(上演時間2時間 休憩なし)

あきらめて明日

あきらめて明日

青春事情

新宿眼科画廊(東京都)

2026/07/17 (金) ~ 2026/07/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

何となく生き、時だけが流れていくような、そんな惰性の暮らしに意味を見つけようとする物語。そこに緩いSFファンタジーといった要素を纏わせ、意味なんてそんなに重要ではない、生きていることが大切だと。「青春事情 Presents 群青劇シリーズ vol.1」…どこにでも居そうな人 ありそうな様相を坦々と描いているが、観ている人の心を満たしてくれる好公演。

明日こそは充実した日を過ごそう、そう願い足掻いている姿に微笑む。それは人の不幸を見て喜んで というよりは立ち止まり、彷徨いながら必死に生きていることへエールを送るような気持ち。どんなに悲しく辛く、そして挫折しても時は流れていく。過去に囚われていては…タイトル「あきらめて明日」は、拘りを捨てることによって 前を向く といった応援歌のよう。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

対面客席、中央に白い箱馬がいくつかあるだけ。その箱馬の配置を変え、積み重ねることによってリビングやコンビニのカウンターに見立てる。パンフにある登場人物も「青年」「父」「同僚」といった普通名詞で、人の名前ではない。そこにどこにでもありそうな(一般的な)物語といったことが読み取れる。情景や状況は箱馬の配置だけではなく照明の微妙な明滅/諧調によって表す。

リストラされた父が或るセミナーに通い、コンサルに儚い夢物語を聞かされた挙句 自死し、今 幽霊となって青年(息子)と話している。父亡き後、大学を辞めコンビニでバイトで生計を立てている。コンビニは人手不足、店長は気の休まる時がない。女子大生の同僚は遅刻や欠勤が多く、シフトの変更が大変。そんな時起きた万引き、その犯人の独特の雰囲気や嚙み合わない会話が妙。

人は少し先の未来が知りたい、この先 自分はどうなるのか。セミナーのコンサルがコンビニ店長の諸々の相談に乗っているシーン、一方コンサルの彼女が占い師に占ってもらっているシーンがシンクロする。この2組の会話が物語の肝で、相手を騙すか寄り添うかといった違いが鮮明になる。足元を見つめたリアルな光景、そこに万引き犯の達観したような言動が違う意味合いをもって響く。宇宙(出来事)から見れば店長の悩みなんて という壮大な世界観へ。

物語には、スマートフォンやインターネットといった利器は使わず、対話・会話で紡いでいく。声はあふれているが本当に相手に届いているのか。物語には不器用な人々が語り合う といった生きていく上で大切なことが描かれている。
青年の頑なさ、バイト同僚の陽気さ、占い師の妖しさ、コンサルの怪しげさ、店長の焦燥、父の見守り、コンサルの彼女の不安そして万引き犯の不思議 といった各々の人物像が世間の誰かと結びついているよう。そこに普遍性ある物語を感じる。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演

桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻

調布市せんがわ劇場(東京都)

2026/07/11 (土) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

ここ数年、桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演を観ているが、今年は残念ながら1日(2演目)だけ。しかし 未見の作品で潤色しているとは言え 観応え十分。それだけ学生の演出と演技が素晴らしい。
公演は教員の監修のもと、学生が自ら作品を選び 上演する。学士「芸術学(演劇)」取得の審査対象になり、上演作品の映像を独立行政法人大学改革支援・学位授与機構に提出することになっているため、★評価はしない。

●「またここか」(作:坂元裕二 潤色:片野彩加) 
●「夢を見る」 (作:石原燃 潤色:小野七実、小野萌香)

(上演時間「またここか」85分 「夢を見る」60分)追記予定 

迷妄曲論

迷妄曲論

藍澤慶子一人芝居

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2026/07/07 (火) ~ 2026/07/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

或る女性の小学生から三十代半ば迄、その綴られた日記の舞台化のよう。藍澤慶子さんの一人芝居 そのモノローグは内省と激情の繰り返し。ダイアローグ その姿の見えない相手は衣類という小道具を使って対話する。Kという女性の伝聞というスタイルで語っていくが、実は語っている本人の物語と言う。登場する人物そのものの存在があやふやで、一見 迷妄していくようだが…。早い段階で 性格の欠点が語られるが、そうなった原因は 今 社会問題になっていること。それ以降の彼女の人生に大きな影を落とし生き辛くしている。紆余曲折しながら懸命に生きてきた女、その成長譚のようでもある。

公演の魅力は 勿論 藍澤さんの演技力だが、その熱演を邪魔しない演出が好い。一人複数役を担うが、その情景・状況作りは飽くまで一人。音響はなく 音楽も奏でることなく、最後に一曲流れるだけ。照明も過度な照射はなく 淡く柔らかい光が射す、そんな僅かな諧調のみ。それだけに芝居の中の人物がくっきりと立ち上がる。
(上演時間1時間25分)追記予定

夏のおどり

夏のおどり

東京レビュー

浅草花劇場(東京都)

2026/07/09 (木) ~ 2026/07/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

魅力的なパフォーマンス。「夏のおどり」ということもあり「南へ!」をキーワードに構成した12演目。日本の沖縄民謡だけではなくブラジルのサンバまで幅広く取り入れており、踊る姿態と衣裳の華やかさは眼福。レビューの魅力は華やかさであるが、幕が下りれば夢(酔い)から醒めたような虚無感、その儚さ潔さが好い。だからこそ踊っている最中は夢中になって観る、その姿を目に焼き付けようとする。

本公演、実はすでに音源がない演目もあり、残っている映像で音源を再現したらしい。そんな努力と苦労が実を結び、ダンサーは熱量と鼓動が共鳴し合い、力強いステップが地響きのように会場を揺らす。個々人の力の調和が「生きている」を主張しているよう。
(上演時間1時間)

煙の汽水域

煙の汽水域

ムシラセ

小劇場B1(東京都)

2026/07/11 (土) ~ 2026/07/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人は その時々の状況や環境に対して 抵抗したり受容したりしながら生きている と思う。そんな人の生き方をタイトルにある汽水域として捉えているよう。もっとも その人の本質は変わらないようでもある。

物語はある男の30年間ー20歳・35歳・50歳ーの時々を切り取った話。必ずしも一般的にある状況ではないが、隣の隣 さらにその隣ぐらいにはあるかも知れない、そんな微妙な距離感の設定。時代に応じた三場面だが、薄暗がりの中でキャストだけで場転換している。その無言の人影に時の流れを感じさせる。まさに演出の妙。

公演の魅力は、現実と虚構の境界線上を揺蕩うような描きで、その世界を役者の自然な演技が飄々と紡いでいくところ。淡々としているが何故か生き活きとしており観入ってしまう。台詞にもあるがデジャブ、そこに目に見えない家族(父と息子)の絆というか不思議な縁を感じる。
(上演時間1時間20分)追記予定

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