近い劇空間
長いお芝居ですが、客席を含めた空間が素敵で、
ゆったりとした席で楽しめます!
太田さんのひとり芝居ですが、それが想像力をかきたてます!
ワンマンショーをお楽しみください!
ネタバレBOX
客席を含めた舞台空間がバーのようになっており、
実際、水やジュースがふるまわれ、
テーブルにコップを置いて、劇中も飲め、
3時間半の芝居ですが、ゆったりと楽しめました。
おそらく、劇中で語られるスコットランドのエディンバラのバー、
ある登場人物がゲイであることを告白するバーなのでしょうか、
この劇も、主人公の半生の告白なのかもしれません。
物語は、太田さんが演じる主人公アダムの12歳から18歳の回想、
あるいは、その時々のアダムの語り、として進行します。
(うろ覚えですが、成長につれ、一人称が僕からオレに変わったり、
アダムの登場人物の評価が、現在形の語りで変化した、
彼女は最高なんだ!、から、もう顔も見たくない、など。)
その半生は、多くが女、セックス、暴力に関わるもので、
また、主人公のイングランドの田舎の故郷で完結します。
1980年代、
アダムは、12歳から18歳まで、常に女の子に恋をしており、
誰が最高だ、今の彼女はいまいちだ、などと、言い続け、
それ以外のことはほとんど語られません。
それ以外に語られることとしては、
自身が受けた、隣人が行った、自身が行った、暴力、
ふるわない学業、水道の補修という、ある種冴えない仕事に就くこと、
また、立派な軍人であり、アダムの誇りであった、おじいさんのことで、
彼自身の希望や生きがいなどはほとんど描かれません。
タイトルは『ここからは山が見える』、”You can see this hill”
ですが、作品中で山について語られるのは、二度のみで、
物語の中盤で、彼自身が初めて直接的な暴力をふるったとき、
この町は山に囲まれ、いつも霧に覆われ、山が見えない、
というのと、
物語の終盤、学校で唯一のアジア系の女の子で、パキスタン人である子と映画を見に行った時、
その映画はイラン映画で、イラン人がトルコ、中欧、スイスに渡り、
というものなのですが、
この映画を観つつ、アダムは涙を流し、
そこにいながらにして、自分の町を囲う山を見た気がした、
と語ります。
物語は、山に囲われた小さな町で、ほぼ完結し、
物語全編にわたる、セックス、暴力の話題も、
アダム自身が女好きであるのもあるでしょうが、
それ以外にすることもない、小さな退屈な世界、田舎である、
ということなのかもしれません。
(主人公は、ロンドンではなく、マンチェスターにすら上京することをためらうのです!
それだけ、都会とは距離感がある世界なのでしょう。)
アダムが、故郷から離れた視点を持つことがわずかにあります。
ひとつは上記のイラン映画であり、
もうひとつは、彼が女の子と一緒にエディンバラのバーに行った時のことです。
バーで、自分はアラスカ?(うろ覚えです)にボランティアに行く、
といったことを言った青年が、ステージに上がり自分がゲイでエイズであることを告白し、
周りの人がその勇気を讃え、拍手します。
アダムはそれに感動し、ゲイでエイズであると告白した勇気を讃えるとともに、
自分が以前、友人をゲイ呼ばわりし、いじめたことを告白します。
アダムも、また、そのことを告白した勇気を讃えられ、拍手をうけます。
この出来ごと、また、イラン映画を観たことにより、
彼は、小さな世界から少し飛び出した視点を持てますが、
結局、物語の最後には、下水道の修理業に就職することになり、
町から逃れることは出来ません。
また、物語中でアダムが語るように、
彼の子供たちも、同じように、その町でセックスと暴力にまみれ、
また、町を出られないのかもしれません。
非常に地域に視点を置いた戯曲でしたが、
現代日本にも、地方を描く戯曲があってもいいのかな、
と刺激を受けました!
上演形態としても、
バーの中を、お客さんの間をすり抜け、
太田さんが演技をする、といった形式で、
役者さんとお客さんのコミュニケーションの関係が、近いように感じ、
いわゆる劇、というより、もっと漫才のような語りかける、ショー、
のような感じもし、楽しかったです!
満足度★★★★★
ダブルデック健在!!
パフォーマンス性が高く、ネタや強烈なキャラが多いながら、
"日常"についてしっかり描くダブデクスタイルは健在!!
ダンスが素敵だなぁと思いました!!