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藤原ちから
広田淳一さま。長文の応答をありがとうございます。日々セリフを変えていったというその試行錯誤の感覚や、稽古場での反応など、まざまざと伝わってきました。演劇というものを、ほとんどの場合(仕事上、稽古場見学などをさせていただくケースを除けば)、わたしのような観客はできあがった「公演」ないし「作品」としてしか享受することができないのですが、それは氷山の一角のようなものであり、しかも日によってさまざまに形を変えているのだ、ということをあらためて感じた次第です。 私事になりますが、わたしが演劇に深くコミットするようになったきっかけは幾つかありまして、その最も忘れがたいものは、「キレなかった14才♥りたーんず」という企画公演にパンフレット(雑誌)の編集者として関わった際に、劇場に毎日張り付いて、そのほとんど全ての公演を観た、という体験です(6演目が、各6回ずつありました。そのうち4〜5回は劇場内や2Fのブースで観て、あとはロビーの映像で観ました)。出来、不出来は回によって違ったし、お客さんの雰囲気も異なりました。そして、それらが演劇をつくっているのだと感じたのです。いや、当時はそう明確に思ったわけではなくて、ただそこで日々生成されていた熱気にシビれていただけですけども。 わたしは基本的に、いち観客としては、どんな公演であれ、やはり初日に完璧に近い状態に仕上げてほしいと思っています。そこでしか作品に触れられない人もたくさんいるわけですから。とはいえ毎回「反復」されていくことを避けられない演劇にとって、完璧な状態、という発想自体が一種の幻想だとも考えられます。それは常に変化している生き物なのだ、と考えれば、時には試行錯誤を通じて、より面白い状態に持って行けるのかもしれない(リスキーですが)。広田さんの回答を拝読して思ったのですが、『うれしい悲鳴』はそもそもそうした変化の可能性を大きく含んだ戯曲なのかもしれません。テーマがかなり普遍的なものだと思いますから、その時々で、どこにピントを絞っていくかによって、引き出されるものが変わってきうるのではないでしょうか。仮に再演するとして、その時の座組や、広田さんの興味関心や技術の進展度合い等によって、今回消されたようなところが復活したりもするのかも(しないのかも)? いずれにしてもぜひ拝見したいと思っています。 仰るように、きっと演劇は、意味と無意味、ロジックとパッションといった諸要素がぶつかり合うようなところで成立しているのでしょう。あるいはそうした二項対立的な図式の罠(?)を飛び越えて、そもそもその境界が溶けてしまうようなところに成立しうる演劇もあるのかもしれません。つまり通常の(日常的な)言語感覚や価値体系を改変したりひっくり返してしまうようなたくらみに、演劇は(芸術は)通じているということだと思います。そこに演劇の可能性、楽しさ、そして恐ろしさがある。果たして本当に成立するのかどうか際どいところ、最初から勝算があるわけではないような未踏の領域にこそ、恐るべき芸術の力があり、人を震撼させるものが眠っているのではないかと思っています。刺激的な対話をありがとうございました。またぜひ作品を拝見したいと思います。
2012/06/16 03:21
藤原ちから
広田淳一さま。ご丁寧な反論、ありがとうございます。拝読しました。確かに「官僚」との表記は説明不足であったかもしれません。作り手が長い時間と労力をかけてつくりあげた作品に対して、審査であれ劇評であれ、何かを書く以上は責任感が必要だとあらためて感じ、気が引き締まる思いです。ただ、「国家の命運を左右しているエリート官僚」という表現によってわたしが言いたかったのは、なにも「密室である会議室において政策決定をしている人々」のことではありませんでした。そうではなく、「官僚機構(国家的な権力機構)の中にあって、その重要な部分を担う者たちとして選ばれた人々」のことです。近代化以降の現在の日本では、官僚の地位は異様なまでに高く、事実上、政治家を凌駕して国家を運営してきた面もあるわけですが(したがってエラい人だというイメージが否応なくありますが)、官僚というのは基本的には国家権力の歯車の一部であり、国民という主体に奉仕するservantだというふうにわたしは考えています(政治学における官僚論にもこうした見解を見出すことができるはずです)。その意味ではオヨグサカナのメンバーは、選良として、国家権力の機構の中に組み入れられている、という点で「エリート官僚」だと考えて表記しました。ただ「国家の命運を左右する」というところが、国家的な意志決定の主体であるかのような誤解を招きかねなかったとは思いますし、それは広田さんの意図するところと全然逆でしょうから、広田さんの反論はもっともですし、わたしも説明があまりに足りなかったのかなと反省しています。わたしの意図としては、彼らの実行部隊的な行為そのものの蓄積が、国家の命運を(おおむね悪い方に)変えていってしまう、という意味でした。基本的には『うれしい悲鳴』において広田さんが描きたかったのであろう、主体なき権力によって世に悲劇が起きていき、それを誰も止めることができない、といったディストピアについては、理解しているつもりではあります。(そしてその構造は、現在の日本にもかなりの部分通じるものがあるわけですよね……) あの長い議論のシーンが、わたしは今作のネックになってしまったのではないかと感じています。もちろん広田さんは、彼らの議論を「浅薄に」描きたかったのだと思います。つまり、彼ら自体は意志決定の主体ではないし、ただの実行部隊にすぎない。上層部から命令されたことに従うだけの、いわば「犬」なのであると。しかも「感じない男」というエモーションに欠けた人物もいるわけだから複雑になるし、あるいは近代文学的な苦悩(という言い方も大雑把ですが)を描くことも広田さんの意図するところではなかったかもしれません。ただそれでも彼らにあるだろう渇いたシリアスさというか、主体なき権力性の中に絡め取られ、なおかつ、その実行部隊として権力の一部分(それもかなり重要な先端部分)を担った人間たちならではの葛藤というものが、あのシーンでは本来もっと表現されるはずだったのかな?、と推察しました。あるいはもっと浅薄でもよかったのかもしれませんが……(時間も短めに)。「思想的葛藤や知的蓄積が感じられず」というのもそういった意味においてです。実行部隊であるとはいえ、やはり彼らは結果的には選ばれた人たちではあり、それなりの年月をその行為に費やしてきていると思うので、それにしては……と。ただ、わたしは彼らをそれなりに知的な選良集団ではあると考えていました。広田さんの中で、もっとそこらへんから寄せ集めてきた愚連隊(?)的なイメージが強かったのだとしたら、そこに読解の齟齬はあったかもしれません。 もっといえば、そもそもオヨグサカナとアンカの成立根拠ということに疑問がありました。これも広田さんの意図としては、「なぜかそういう組織が出来てしまい、しかも歯止めが効かなくなっている」状態を描きたかったのだとわたしは理解しましたが、だとしたらまずその自動機械的な恐ろしい組織が出来てしまう動機付けが(説明的だったわりには)弱すぎるように感じられました。確かかなり適当にデタラメに政策決定されることになった、という設定だったと思いますが、さすがに人類がその結論に至るまでには相当なディザスターがないと難しいのでは……? 加えて、あのオヨグサカナのリーダーというか、上層部の意向を伝えに来る人がいたと思うのですが(誤解のないように言い添えれば、あれを演じていた俳優さんが悪かったとは全然思っていません)、むしろああいうキャラクターを配する形ではなく、誰からの指令かさえも分からないようなメッセージのみが届く、というひりひりと渇いた形でも良かったのかもしれません。……ここから先は、広田さんの想像力と、それをリアライズしていく創作の領域に踏み込んでしまうことになるので、ここで留まります。とにかくオヨグサカナとアンカを成立させるためのリアリティの不足が、「敵」の見えない社会/時代における「痛み」という今作のテーマの持っている物悲しさを十全に伝えることに対して、足を引っ張ってしまったようにわたしとしては感じています。 これは完全に余談になりますが、演劇は、小説やマンガや映画やアニメやゲームなどといったジャンルに比べて、そのようなリアリティを構築することが難しいジャンルなのかもしれません。リアルタイムに駆動している時間があり、その中で使える要素もかぎられてくるので。特に90年代以降だと思いますが、どうしても「日常」的な風景を描く芝居が増えていった背景には、そうした理由もあったのかもしれない。しかし、様々な具体的な制約があるからこその演劇の可能性もあるのだと思いますし、それが荒唐無稽な(奔放な)想像力をどのようにリアライズしていきうるのか?、といったことは今後も考えていきたいと思っています。長文失礼いたしました。いただいたご質問・反論を超えて、少し書きすぎたかもしれません。
2012/06/15 13:49
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