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ヒロタジュンイチ
お返事本当にありがとうございました。まずは数ヶ月も前に観た舞台について記憶を頼りにここまで詳細な論述をしていただけたことに本当に驚き、恐れ入りました。「書きすぎた」などということは一切、ございません。すばらしい誠意に満ちた返答をいただきまして、本当にありがたく思っております。そしてまた、藤原さんの側に基本的な誤読があるのではないか、などと疑ってかかった自分の不明を恥じるばかりです。 一度観ていただいただけで、ここまでこちらの意図したこと、戯曲における問題意識を見通していただけるとは本当に驚きました。10年以上活動してまいりましたが、なかなかこれだけのレベルのまとまった文章に触れる機会はありませんので、藤原さんのこの返信が今回の僕にとっては賞金のようなものとなりました。藤原さんの誠意に、尽きせぬ感謝を捧げます。 さて、せっかくですから以下、藤原さんのご指摘に対して自分の感じたことを述べていきたいと思います。(さらなるご返信を求める文章ではございませんので、ご安心ください……) あの長い議論のシーンが「うれしい悲鳴」のネックだった、というのはまさしくおっしゃるとおりだと思います。確か藤原さんは本番日程の最初の方にご覧いただいたかと思うのですが、実は本番中にどんどん書き換えていったのがあのシーンでした。そんなことは初日までに済ましておかなければいけないことなのですが、あのシーンは僕としても「何を、どこまで、どんな言葉で語るのか?」最後の最後まで試行錯誤をひたすら繰り返したシーンだったのです。毎日のようにセリフを変え、あるいは付け加え、客演の荒井志郎さんをとんでもなく困らせたものでした(笑)。 「泳ぐ魚」という組織の成立根拠が曖昧なのではないか? というご指摘も大変鋭く、大いに納得できるところでした。そこに関しては僕自身も強い興味をもっていたからです。実は、執筆当初には、なぜ「泳ぐ魚」という組織が誕生するに至ったのか? という疑問に答えるべく、政治劇のようなダイジェストのシーンをほとんど論文のような調子で実際に用意していたのです。そのシーンは国会答弁やら、独裁者の演説やらを交えたかなり固い文章で、貧しいながらも私の政治的な知見を総動員して、かなり踏み込んだ表現で現代日本の政治状況への現状認識と、その社会がいかに「泳ぐ魚」を生み出すに至るか、というプロセスを自分なりに詳述したものでした。 ある時、実際にその台本を稽古場で俳優達に演じてみてもらったのですが、まあ、なんといいますか、あの時の俳優たちの呆然とした反応は今でも忘れられません。何人かの俳優、特にゲキバカの西川康太郎くんなどは大興奮して「ぜひこのシーンをやりましょう!」なんて言ってくれていたのですが、大半の俳優達はそのあまりに文語的でガチガチの政治話にポカーンとしてしまい、ちっとも実感が持てない様子でした。 俳優達のリアクションが悪かったというだけで自分の戯曲を引っ込めたわけでもないのですが、そのことは大きな転換点になりました。具体的なことを、リアリティを追求して詳述すればするほどに、大きく観客の想像力は奪われてしまうのではないか? 自分の戯曲に対してそんな葛藤を抱くことになったのです。最終的には、そういった文語的でロジカルな言葉の冒険は、小説という形式でやった方がより面白いような気がしてきてしまって、そのシーンは丸ごとボツとなったのです。 藤原さんもご指摘のように、私も演劇がSF的、あるいは社会的・政治的なリアリティを駆動するのは、現代においてはとても難しいと感じています。確かに、難しいのです。具体的に語れば語るほど、言わずもがなの想像力つぶしになってしまうし、話し言葉でやる以上、活字ほど複雑な内容のことを大量には詳述できないし……。 ただ、かといって私は、言語のパフォーマティブな側面ばかりが前面に出なくても、舞台表現として豊穣な言語は成立可能と思うのです。意味のある、筋の通った物語を構築しようとすればするほど事実確認的な言語の使用は必然的に多くなり、いわゆる「説明ゼリフ」のようなものが不可避的に発生してきてしまいます。それでも私は、言語芸術としての側面も強い演劇が真にその力を発揮するのは、ロジックとパッションが両立するような瞬間、長い時間を扱うストーリーと何気ない一瞬が拮抗するような瞬間、あるいは、意味と無意味が同時多発するような瞬間にあると信じているのです。意味を通って、意味を突き抜けていく瞬間をこそ、私は演劇に求めているのだと思います。 完全に余談ではありますが、千秋楽において我々は、「うれしい悲鳴」の持っているアクチュアリティを最大化することに成功したと思っています。あの日は、少しだけ何かのリアリティを駆動させることに成功したような実感がありました。その日はかつての劇団「ひょっとこ乱舞」の千秋楽、大爆破の日であり、あの3月11日から1年という日であり、福島の劇団「郡山演劇研究会 ほのお」さんが、福島の現在についてのリーディングを我々の上演に先立って行なってくださった日でした。僕は合計で3時間近くに及んだあの千秋楽終わる時に、お客様にとってまた一層大きなインパクトを持って作品が届いたことを感じました。少なくとも、戯曲の持っている力の限界を越えた高みで、上演としての何かが成立しえたのではないかと思ったのです。 なんだか夢中になって思い出話を語ってしまいましたが、僕はあの戯曲を近い将来、もう一度やることになると思っています。その価値のある戯曲だと確信しているのです。ぜひその際には藤原さんにもう一度観ていただけることを願ってやみません。違う演目であれ、またぜひ我々の作品をご覧いただき、さまざまご指導の言葉をちょうだいしつつ、また再び挑発しあえるような創作者と批評家の関係を築いていければと、切に願っております。 この度はお忙しいところ、また、本当におつかれのところ全身全霊の返信、誠に、誠に、ありがとうございました。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
2012/06/15 15:28
ヒロタジュンイチ
コメントありがとうございます。広田淳一です。長文の感想、大変ありがたく、多くのご指摘には納得する部分も多々ございましたので、あれこれと得心しながら拝読いたしました。ただ、藤原さんの作品読解に関して少し違和感を感じる部分もございましたので、僭越ながら補足で説明をさせていただきたく思います。私は、藤原さんがご指摘になった、「『オヨグサカナ』のメンバーの議論には、思想的葛藤や知的蓄積がほとんど感じられず、とてもこの人たちが国家の命運を左右しているエリート官僚だとは思えない。」という部分に関して違和感を覚えました。というのも、そもそも私には「エリート官僚」を描いたつもりが無かったからです。「オヨグサカナ」のメンバーを、私はあくまでもひとつの「実行部隊」として描いたつもりでした。どちらかいえば官僚機構というよりは組織の末端、一兵卒たちとせいぜい中隊長ぐらいまでを描いたつもりだったのです。そのことを明らかにするために、彼らが実行部隊として現場仕事に勤しむシーンも描きましたので、その部隊を指して、「国家の命運を左右しているエリート官僚」を描いたとのご指摘はどうもあたらないように思ってしまったのです。そもそもこの作品の設定は、「権力者たちが国家の運命を左右する主体たることを止めてしまったら?」という想像力、言うなれば、決断を下せないことを「アンカ」という「制度」にまで高めてしまったら? という発想がメインとなって構成されておりましたので、「エリート官僚」たちが「国家の運命を左右する」ような議論をしている様子を、私は最初から描こうとしていなかったのです。いかがでしょう? ……せっかくご来場いただきました上に貴重なご意見まで賜りましたのに、反論のような形となって恐縮ではございますが、相手が藤原さんということもあり、胸をお借りするような思いで書いてみました。欲張りな望みかもしれませんが、さらなるご意見などいただけましたら幸いです。
2012/06/14 11:54
よーぴん
コメントをありがとうございます! 心よりお待ちしております。 tsumazuki no ishi 制作部
2012/03/20 02:10
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