満足度★★★★
コレでもかっ!
前回の「新・芸術とは?」に続いた今回、セリフガたくさん、ダンスもたくさん。そんで、駄洒落や、ちょろっと下系のネタがちりばめられ、「コレでもかっ!」っていう感じ。意欲は良く伝わった・・。
ネタバレBOX
島の中で敵対しあって生きている。片方の住民がセキが出て全滅。残された若者が、敵対しあう、もう一方に住民に知らせようとするがなかなか受け入れられない。そんな筋道だけど、農民が死体を積んで神様に頼みにいくとか、もうひとつの住民の村の番人と女神が兄弟だとか、みんなで逃げりゃいいのに、殺しあうとか、「何で、こうなってるの」とよくわからない。大きな筋はなんとなくわかった。でも、そこにいたる必然性が私には理解が難しい。
でも、ダンスとか身のこなしとかはすごく楽しめた。病気の苦しみとかすごかった。
植物の肥料は窒素、リン酸、カリが必要だ。大きく育てようといきなり堆肥を入れようとするが、それでは失敗する。
なぜか?有機質肥料の堆肥などは窒素、リン酸、カリにまで、分子が分解されてなければ、植物は吸収できずに栄養にする事はできずに枯れてしまう。
今回は、コレでもか、とセリフやダンス、いいだろうと堆肥を目一杯突っ込んだみたいだ。でも、自分の理解力では分解して自分の養分として消化しきれなかった。
一人一人の技量や工夫は伝わるけど、物語りとしては理解できない部分があってしんどかった。でも、INGらしいのか、やる気や意欲は良く伝わった。
あと、朝10:00はいいね。終わって花見をした。今日は天気もよく桜がきれいだったよ。
満足度★★★★★
あたたかい
先週の「新・芸術とは」を見て、自分なりの答えを求めに今週も朝から劇場へ向かった。今回は「仮病」をテーマにした奇想天外な物語だ。げらげら大笑いはしないが、静かに笑える。先週の時代劇とは違って、温かみのあふれた感じだった。
感想はネタバレに
ネタバレBOX
仮病といえば、ずる休みだ。しかし、この劇では仮病とは何かの壁を乗り越える意味を持たせているらしい。詳しいところはセリフが速くてうまく聞き取れなかった。とにかくまじめな人々が心に住んでいるもう一人の人格と語りながら、仮病の人たちが集う集合バスに乗っていく。
乗り合いバスのシーンはいろんな雑多な感じの椅子をバスの座席に見立てて並んでいる。きれいな色合いだ。
こちらは、「しょせん、ズル休みだろう」と思うのだが、仮病の中身と言うのか、追い詰められた登場人物が、仮病に引きずり込もうとするがごとくのもう一人の自分の心と思しき登場人物に突っ込まれる感じで笑ってしまう。仮病を使おうとしている人々の葛藤する心理描写がわかりやすい。そしてこの劇は女子高生が青空を見つめながら終わる。
観劇初心者の自分はそれにつられて空を見上げてしまう。当然だが、そこには暗い天井しかなかった・・
この劇団(楽園王)は、しばらく諸般の事情にて劇団の公演はお休みするそうだ。仮病なのか?いや、次に向かうための仕込みをするらしい。いつか、この劇団を劇場に、連れて帰ってきてくれるだろうか? 3.11以降の劇団のありようをこの公演の演出者は色々考えたそうだ。今回の公演を通して2つの劇団の演出家たちは何かふっきれたのではなかろうか?そんな気がした。最後の青空はその気持ちを伝えたかったのかもしれない。帰り、自分も上野駅前の大きな歩道橋の上であらためて空を見上げてみた。この2回の公演は観劇初心者の自分には大きなインパクトを与えてくれた。楽しいひと時だった。再開するときは駆けつけようと誓った。
満足度★★★★★
あとからじわじわ効いて来る感じ・・
演劇というモノにはまったく興味はなかった。ひょんなきっかけで「来て、観て、くださいな」と言われて、お義理で小劇場なるものにはじめて足を踏み入れた。自分は場違いじゃないのだろうか・・と思いつつ。
しかし、そんなことは杞憂であった。会場は4~50代と思しき観客が多い。日曜朝10時という設定が我々中高年者には好ましい時間帯であるからか。会場はびっしりの満席。劇自体は良くわからない。
でも、あとからじわじわ効いて来るそんな感じ。
感じた事はネタバレにて・・・
ネタバレBOX
白衣の人が昔の言い回しで話したり、暴れん坊将軍のテーマに乗せてふんどし将軍が、「何じゃこりゃ~」と出てきたり。ちょっと、フリーズする事もしばしば。良くわからんうちに劇が終わり、入口で手渡された、ちっちゃな字の案内を電車の中で苦労しながら読んでみた。
これは20年間も劇団を守り続けた演出家の、これからの演劇への迷いへの回答をあらわす劇であるという。みんなが3.11で大きな絶望を感じ、これまでの生き方に疑問を抱く。そんな中、この劇は生まれたという。案内を読んで、やっとこの公演の趣旨がわかった。3っの古典をアレンジし、オムニバス風に仕上げてある。流行おくれの浄瑠璃作家が命をかけて作品を書くさま。妥協を許さない面作り職人の執念。自殺寸前の俳句書き。現代風なアレンジ、スピード感とちょっとはずし気味のパロディあふれるアレンジ、 枕元で「お前も作品を書いてみろ」と言われても、やみくもに紙をふっ散らかしているだけで、「そんな~できません。」と言ってしり込みする浄瑠璃書きの弟子、適当に妥協して、「いいよ、いいよ、殿様はこのお面で喜んでるんだからこれでいいよ、早くわたしな」と権力に媚を売る茶坊主。無邪気に、「お父さん死んじゃいや~」とわめく娘。これらはまるで、妥協を重ねて生かされている、今を生きる自分達の姿そのものだ。そして最後に「芸術とは」の言葉で劇は終わる。
実はよくわからんと思えしこの劇は、この劇団のこれからの生きざまを表明していたのではあるまいか?ふと、「狭き門から入れ、滅びに至る門は広い」と言う言葉を思い出した。この二つの劇団はこの劇を通して、芸術とは、命がけ、妥協しないぞ、死にそうになっても死なないぞ、まっすぐに最高のものを最善を尽くして作り続けるぞ、あきらめの中には芸術はない!との意気込みを表していたのだ。この劇を通して私がえた回答は狭き門を突っ走る決意の中にこそ芸術は存在すると見た。 この劇を見て、自分はその気づきにたどり着くのに時間を要してしまった。演出者はこの劇を通して観客がじっくり時間をかけて考えてほしいと願ったのであろうか。時間をかけて自分の頭や心にべったり張り付き、大きく心が動かされてきた。今になってようやく、劇の意味を自分なりに見出せたうれしさが湧いている。観劇初心者の私はラディー・長堀両氏のねらいに、すっかりはまったのかもしれない。
チケットの半券は、別の日に開催する公演を見られるそうだ。自分なりの回答への答え合わせのために、この劇団のもう一回の公演にも行かねばなるまい。