暗くなるまで待って 公演情報 「暗くなるまで待って」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 2.9
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    盲目のスージーの、怪しい男たちとの奮闘ぶりに引き込まれていきます。
    キーのグローリアは登場時はやな女の子でしたが、スージーと協力するようになってからは、よくやった、です。

    クローカーとスージーが暗闇で戦うシーンは、会場内が真っ暗となり臨場感ありです。
    あとの警察とサムが入ってくるところもです。

    ネタバレBOX

    悪役三人は顔を合わせているのに住宅の外で何でグローリアを捕らえなかったのかな。
  • 満足度★★★

    ハラハラする展開で上質なサスペンス
    スージー役の凰稀かなめさんの演技が素晴らしい。
    目が見えないというのを大袈裟ではない演技で見事に表現されていた。グローリアの心情変化もとても伝わってきた。
    ロート・マイク・クローカーが出てくるしーんはちょっぴり緊張感が走った。

    ネタバレBOX

    警官、サムが駆けつけるラストシーンは、階段を上がってくるスージーをサムが見守るのではなく、少し駆け寄ってあげたらいいのに…と思ったが、目が見えないからこその配慮なのか?
    盛り上がった気持ちが最後の最後で少しだけ下がった気がした。
  • 満足度★★★★★

    昔テレビの洋画劇場でハラハラしながら見た覚えがありましたが、舞台版も2時間ドキドキしっぱなしでした。ロートは本当にわざわざ変装してたの?それともあれは別人と思ったスージーの想像の外見?などと後で考えたりしましたが面白かったです。
    電話のベルが2回なった時は、分かっているはずなのにスージーの気持ちと一緒になって背筋が凍りました。
    映画版もまた見てみようと思いました。

  • 満足度★

    最初から芝居が臭くて見てられないという感想を持ったが、一体最後のあれは何なのか? 夫はどうして外に行っちゃった? ボロボロになったスージーに何故「手を貸しちゃダメッ!」なのか?
    宝塚のフィナーレにしたかったということなのか。あ〜あ。

  • 満足度★★

    「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
    原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
    今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
    ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
    少女(黒澤美澪奈)は脇のいい役どころなのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
    戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
    それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。




  • 満足度★★

    「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
    原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
    今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
    ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
    少女(黒澤美澪奈)はいい脇役なのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
    戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
    それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。




  • 満足度★★★★

    日常の憂さを忘れて、手に汗握るサスペンスの2時間を体験できる極上エンターテインメント。人生や社会への新しい発見は乏しいが、そんなものはくそ食らえ。観客を舞台にひきこんでなんぼという、美的価値と非日常の体験価値という点では群を抜いた舞台だった。

    盲目の妻を演じる凰稀かなめは芯の強さを、極悪人の加藤和彦は底知れない怖さを、悪党だけど実は善人の高橋光臣は板挟みの切なさを、よく出していた。題名通り、暗闇がカギになるだけに、様々な光を使い分けた照明も出色だった。

  • 満足度★★★


    事故で視力を失った若妻・スージー(凰稀(おうき)かなめ)と3人の犯罪グループ(加藤和樹、猪塚健太、高橋光臣)とが麻薬入りの人形を巡ってアパートの一室で騙し騙され、そして闘う。1967年にはオードリー・ヘップバーン主演で映画化された。

    最初は3人を夫の友人や刑事だと信じていたスージーが次第に彼らの本当の姿に気づき、一計を案じる。題名からもわかるように、それは夜になって電燈を消した真っ暗な部屋で対決することだった。うまく主導権を握ったと思ったそのとき、大きな見落としが明らかになる…。

    シリアスなサスペンスだと思っていたら、最初に登場する犯罪グループの様子がどうも柔らかい。やがて登場した主役の凰稀さんの声が少しアニメ声で動作がかなりコミカルなことで、この舞台の性格付けがわかった。あれまあ、そっちだったかといささか落胆した。まあ映画もYouTubeムービー(400円)で観るとそれほど怖くは作っていない。映画は最初に人形に麻薬を隠すところから始まり、場所も場面も沢山変わり、わかりやすいが冗長でもある。この舞台は固定場面であって余計な部分がそぎ落とされてすっきり、しっかりとした印象である。比較的若い俳優さんで固めていることを好ましく感じる方にはお勧めである。

    この作品でも電話は鬼門だ。犯人が公衆電話を使うところで「3人もいて誰も携帯を持っていないのか」と不思議がる若者もそろそろ出てくるだろう。さらに写真家の旦那が赤い灯りの下で写真の現像をしている場面もほとんどの人には意味不明であろう。しかし、この灯りがないとクライマックスは長時間真っ暗になって映画にも舞台にもならないのである。

    ところで映画のマイク役のリチャード・クレンナって「ランボー」(1982年)の上官のトラウトマン大佐じゃあないですか。芸風は同じで何か嬉しい。

    ネタバレBOX

    映画では一人で部屋と廊下の電球を割って行くが舞台では配電盤のヒューズを外してグローリア(黒澤美澪奈)に場所ごとに確認してもらう。失明してからそれほど経っていないので視覚以外の感覚がそれほど鋭敏になってはいないという前提なので、映画の電球を一人で残さず割るというのは無理があるともいえるがこの事件を通して能力が発達したともいえる。舞台では衝突ばかりしていたグローリアとの和解の場面を一つ多く描いているともいえる。
    冷蔵庫の音は映画では不自然になるので大きくすることはできないが舞台ではできる。それが非常に効いていた。

    最後の場面で舞台では冷蔵庫のドアの裏で二人がもみ合いになったところでコンセントが抜けて暗転したのでスージーが反撃したとも受け取れた。映画ではスージーだけがドア裏にいて犯人はすでにヨレヨレでようやくドアの前まで来たところで暗転する。そのまま、犯人がこと切れたとも見えるが少し謎も残る。

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