赤道の下のマクベス 公演情報 赤道の下のマクベス」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★★★★

    とても素晴らしい舞台だった!!
    怒り、悲しさ、切なさ、やり切れなさ、色んな感情が揺さぶられた。郭さんの熱い想いが溢れた芝居だった。
    素晴らしい!!

  • 満足度★★★

    韓国で上演された脚本を日本で上演という。鄭義信さんしかできない技と思う。

  • 満足度★★★

    鄭󠄀 義信さんならではの描き方です。
    ただ今回は、在日朝鮮人よりも前になります。
    旧日本軍に利用されるしかなかった朝鮮人が、日本人と同じように戦犯となり処刑されていく。

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/03/16 (金)

    作・演出 鄭 義信さんです。

    舞台両端に並ぶ独房、奥には大きな厳重な扉、下手手前に簡単な水道、中央の広場には縁台が置かれ、そして正面奥の高いところには絞首刑台がある・・・・囚人たちを見下ろすように。

    ここはシンガポールのチャンギ刑務所、ここにいるのはBC級戦犯たちで、捕虜収容所監視員をしていた者たちだ。その中には、朝鮮人の若者も3人いた。

    暑い太陽が降りそそぐ日も、雨の降る日も彼らは日中は広場に出され、ビスケットとスープの日に二度の食事で、刑の執行する日を待たされていた。



    父親に反抗し、日本の軍隊に志願した若者(池内博之)は役者になりたかった。マクベスを片手に、陽気で、粗雑な振る舞いをするが、みんなのムードメーカーだ。でも、死を意識しながらの毎日にぎりぎりの精神状態にいるのが、苦しいほどに伝わってくる。

    彼が陽気に振舞えば、振舞うほど、悲しくて、切なくて・・・・。



    一番の年長で、辛い行軍の中、人を殺めてしまった男(平田満)は、いつも穏やかな笑顔で、苦しむ若者たちを慈愛に満ちた目で見ている。だけど、彼が経験した飢餓に苦しんだ戦争体験は凄惨で、非情だった。人間の限界を見てしまった彼の死を既に受け入れている気持ち・・・・普通に暮らして、温かな父親だった人が最後に行き着いた場所が、ここだったなんて。

    平田さんの温かさ、深さに若者たちがどんなに癒されたか・・と地獄の中の救いのような気がした。



    厳しい軍曹(だったかな?)、ただ静かに死を待ち、皆から憎しみの言葉を浴びせられたも顔色一つ変えず、背筋を伸ばしている男(浅野雅博)は、何を思っていたのだろうか・・・酷い体罰を部下にしたり、命令を下したり・・・一切の言い訳はしなかったけれども、彼もまた命令を受けていた一人には違いない。部下の妻への手紙を代書した時に彼が自分の妻への気持をこめたことが、彼もまた一人の人間であり、愛する気持ちを持っていたことに胸が詰まる。

    浅野さんの軍曹からは繊細に心の動きが伝わってくる、彼の持つ矜持、責任の重さ・・・最期までそれを貫いたのだ。死への旅だちは、とても静かだった。



    まだ少年のあどけなさが残る一番若い朝鮮人の若者(尾上寛之)は、看守からもいじめられ、母を想い、涙の止まらない日々を送っている。病気に苦しむ捕虜さえも労働に送らなければいけなかったこと、同じ年くらいの若者たちを見殺しにするようなことになってしまったこと・・・・彼が背負うには酷すぎる、重すぎる。

    こんな子どもにもこんな酷いことをさせるのが戦争なんだと、あらためて心に刻む。



    故郷に新妻を残し、無学の彼(木津誠之)はただ誠実に自分の人生を生きた。捕虜とも気安い仲だったであろうが、上官の命令は絶対だった。それがどんなに相手を傷つけたか知るよしもない。

    彼の主張こそが、あの時生きていた日本人の気持だった気がする。彼に何が出きただろう、一番下っ端の彼が捕虜を呼びに行き、拷問される捕虜をただ見ていることしか出来なかった。それが正しいことではないけども、彼にいったい何が出来たというのだろうか・・・。死刑に値することなのだろうか。



    死刑宣告をされたが放免され、また捕らえられ、そしてまた無罪になる朝鮮人の若者(丸山直人)は、希望と絶望の間を行き来する。これもまた相当辛い・・・怒りをどこにぶつければいいのか、彼の悔しさ、憤りは、自分を気絶するまで殴り、親友を自殺へと追いやった山形(浅野雅博)に向けられ爆発する・・・でも、なんてむなしいんだろう、本当に彼が怒るべき相手は別にいる。不条理の極みを見ているような気がした。誰も彼もが不条理の中にいるんだけども・・・。



    本当に死刑に値する人たちは生き延び、彼らのような人がBC級戦犯として死刑になる。

    朝鮮人だった若者たちは好き好んで、日本人として戦争に関わってはいない。そうしなければ、その当時、家族たちも生きられなかったからだ。決して、祖国を裏切ったわけではないのに、彼らは生き残ったとしても辛い人生が待っていたそうだ。

    一般の日本人にしても赤紙が来たら、拒否することなど出来なかった。

    戦争とは、何と酷いことなんだろうか。



    限られた時間、閉塞された空間で、彼らは残り時間を懸命に生きた。命の輝きは最期まであったし、最期にはしっかりと自分と向き合っていた。

    涙はとめどなく流れ、私は心の中で手を合わせた。



    渾身の舞台・・・作り手皆がこの物語を咀嚼し、滋養とし、融合し、見事にその世界を作り上げた。

    鄭 義信さんの作品は、見事な役者さんたちによって、観客へと届けられた。





    私は戦争を体験していないが、私の伯父はフィリッピンのルソン島で戦死した。まだ20歳そこそこだったから、陸軍の歩兵であっただろう。実家に残されたはがきには、当時小学生だった弟(私の父)に両親を大切に・・と、後を託した言葉が並んでいたのを思い出す。

    雪国で生まれ育ち、暑さの中で死んだのか・・・・と、そのはがきを読んだときに無性に悲しくなった。



    ラストシーンは悲しいほどに美しかった。



    素晴らしい舞台でした。

    再演を望む舞台です。

    ありがとうございました。


  • 満足度★★★★★

    鄭義信らしい作品であるのは勿論だが、戦後在日三部作に比べれば舞台設定からしてシリアス。戦犯収容所での「日常」と、その場所が必然にもたらす展開と。前者あっての後者である所の徹底した作りは鄭氏の信条でもあろうか。演技は喜劇色を帯びていて、一見過剰にみえるが、笑いが最終場面での泣き笑いを準備する。そうしながら国家の罪、戦争の罪、民族差別を掘り下げている。

    ネタバレBOX

    理不尽に「日本軍の罪」を背負って処刑されていった朝鮮人たちの叫びが、我々の心に沁み込むようにと願うかのように最後に雨が降る。雨季が来た!と、生きる実感をかみ締める残った二人の姿が、私たちの希望に思えた、鄭義信マジック。
  • 満足度★★★★

    戦争は大多数の「普通の人」が行ってきた。
    なぜ彼らはそれを実行したのか、誰が、何が、彼らをそうさせたのか、観客は考えなくてはならない。答えが出なくても。
    それが次の戦争につながらないためにも必要なのではないか。

    (以下ネタバレBOXに書いています)

    ネタバレBOX

    1947年、刑の執行を待つBC戦犯の死刑囚が収監されているシンガポール・チャンギ刑務所。
    そこには泰緬鉄道建設のためにイギリス兵捕虜を収容していた収容所の看守だった朝鮮人軍属と日本兵、彼らのかつての上官、ニューギニアで戦っていた下士官がいる。

    彼らがなぜ死刑囚になってしまったのか、の問いかけは重い。
    観た者はそれを考えなくてはならない。

    この作品の優れているところは、「誰かのせいにしない」ところではないだろうか。
    つまり戦争責任がどこに(誰に)あるのか、というところに向かいがちな物語を「個人の問題」として示したことにあると思う。

    彼らが死刑囚になったことの理由には、当然「戦争」があるのだが、その戦争はどうして始まってしまったのか、の答えは「自分が自分にとっての最悪の選択をしてしまった」という朝鮮人軍属・ナムソンの台詞に重なる。
    マクベスは3人の魔女にそそのかされたが、戦争をそそのかした魔女はどこにいるのか、外にいるのか自分の内にいるのか。両方にいるのか。マクベスのように。
    観客はナムソンの言葉をそのままにしてしまってはいけないのではないか。

    すべての登場人物がそれぞれの背景を持っている。
    朝鮮人軍属たちも家族のために志願した者や半ば強制的に連れて来られた者もいる。
    日本兵も朝鮮人軍属たちに暴力を振るっていた大尉もいれば、文字の読み書きもできないような兵隊もいるし、ニューギニアで過酷な撤退をしてきた下士官もいる。彼らの想いはさまざまであり、そのさまざまさが、日本が行ってきた戦争の一面を見せる。

    無実を主張する日本兵は実は凄まじい拷問を「見ていただけ」だと言う。それは無実なのか。
    上官に命令されてやったことであるという朝鮮人の軍属には罪があるのか。
    はずみで村長を切りつけて殺害してしまった下士官の男はどうなのか。

    戦犯の1人ひとりが悪人ということではない。普通の市井にいる人たちである。親もいれば妻も子どももいたりする。
    その大多数の「普通の人」の彼らがしてきたこと、なぜ彼らはそれを実行したのか、誰が、何が、彼らをそうさせたのか、観客は考えなくてはならない。答えが出なくても。
    「誰が」「どうして」「なぜ」「なぜ」「なぜ」の問いは続く。その問いを考えることが次の戦争につながらないためにも必要なのではないか。
    したがって、とても苦しい作品である。

    この作品ではチャンギ刑務所の様子もきちんと描かれている。
    日中は雨だろうが、太陽が照りつけていようが独房の外に出される。食事は2回。朝はビスケット2枚とお茶。夜はおかゆのようなものだけ。しがって収容者は常に飢えている。
    連合軍看守による刑務所収容者への暴行は日常茶飯事。しかも弱い少年兵のみを夜中に集中的に暴行するという陰湿さ。

    最も驚いたのは、セットの仕様かと思っていた、独房と死刑台の近さ。
    実際に処刑執行される音が収容者たちにしっかりと聞こえたほどの近さだったらしい。

    こうしたことが勝者である連合軍看守たちの「報復」として行われていたという。
    こうなると「誰が」「何を裁いた」のかがわからなくなってしまう(そもそも「戦犯」とは「何なのか」ということもあるのだが)。

    そのあたりも単なる戦争責任を追及するだけの作品とは違うところではないか。
    人を殺すことが正当化される戦争はそもそもが歪んでおり、そこには正義はまったくない。戦争が終わっても。

    作・演出の鄭義信さんの父親は旧日本軍の憲兵だったことで、戦後「対日協力者」として村八分にされたこともあるという。その鄭さんが描く朝鮮人軍属への想いはまた特別のものがあったに違いない。

    この作品は韓国で初演され、中国でも公演が行われ、今回、新国立劇場で上演をするのにあたり大幅に改訂されたという。
    オリジナルの形でも観てみたいと思った。

    朝鮮人戦犯の1人を演じた池内博之さんは熱演だったが、先に書いたとおりに食事は生きるために最低限しか与えられていないので、カラ元気があったとしても、その後でぐったりする、などという様子が必要だったように思う。ずっと元気なので。
    元大尉役の浅野雅博さんは、きちっとしていて日本兵の部下に慕われていたが、実は朝鮮人軍属を蔑み体罰をしていたことがわかるという展開にふさわしい雰囲気が出ていた。つまり軍服をまとっている=建前のみでしか生きられない男が、だ。
  • 満足度★★★★

    鄭義信さんの舞台は重いテーマの中に笑いあり、ハズレなし。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/03/18 (日) 13:00

    パンフレットを読むと、鄭義信氏の「影の昭和史」3作品につらなる作品ということである。これらは、2016年にこの新国立劇場で、連作で拝見した。
    確かに3作品は、1950,60,70年代となっており、今回1940年代というのは収まりもよい。
    ただ、鄭氏のこれらの作品は、在日朝鮮人という立場の(今回は若干異なるけれど、朝鮮人に重点を置いた、物語であることに変わりはない)物語であり、その上「影の」と付けることに、どうしたも抵抗感が付きまとう。
    鄭氏自身が、そう名乗っているようには思えないので、別の呼称を期待したい。

    さて、朝鮮人BC級戦犯の話である。まあ、この舞台について語ること、朝鮮人BC級戦犯について語ることは分けて考えないといけない、と思う。

    そこにあるのは、理不尽な状況下でも、人は食事を求め、笑いを求め、自由を渇望するということ。もちろん、理不尽な状況には何の慰めも意味をなさない。ただ、死にゆくことを待つだけだ。ましてや、個々に描かれる戦犯たちは、故郷から遠く離れた地で裁かれ、死んでいく。彼らを家族が訪ねることもない。

    鄭氏はタイトルを「マクベス」では「オセロー」で当初考えていたとのこと。でも、きっと「ハムレット」も考えたでしょうね。だって、そっちの方が物語の推移を比して見れば、ピッタリな感じがするし。でも、あまりに当てはまりすぎて、照れ臭くなったのだろうなあ、と勝手に推測します。

    ネタバレBOX

    うーん、面白いけれど。どうも居心地が悪い舞台だった。
    何か、途中で責め苦を与えられそうで。
    でも、結果、そんなことはなく、それはそれで居心地が悪いような。

    観る価値は十分にあります。でも、それと心情は別だから、万人には薦めません。
  • 満足度★★★★

    会場は見渡す限りの白髪と薄毛のオンパレードである。平均年齢は優に70歳を超えているだろう。
    この世代は親が戦争に行ったのである。私も子供のころ夕食で父親がお酒を飲むと戦地の話をするのを(父さんそれはもう何回も聞いたよ)と心の中で言いながらも、毎回相槌を打ちながら話し相手になる母親の手前おとなしく聞いていたことを思い出す。

    舞台は終戦から2年を経過したシンガポールの死刑囚収容所である。3人の日本人と3人の朝鮮人が暮らす独房が6つ並んでいる。日本人BC級戦犯については裁判の理不尽さは常に語られることであるが朝鮮人BC級戦犯になると胸中の思いはそれをはるかに超えるものだろう。日本人3人それぞれに事情や思いがあり、朝鮮人3人もここに至った経緯は一様ではない。巧みな表現で6人の6つの人生が自然に見えてくる。

    状況設定から見て一方的に日本人が非難される展開も覚悟していたのだが、作者はかなり抑えて書いていて刺激的な問題作となるよりも普遍的な作品を目指したように感じた。

  • 満足度★★★★

     鄭義信が2010年に韓国で上演した作品を大幅に書き直して日本で上演する。1947年のシンガポール・チャンギ刑務所にあったという、死刑の確定したBC級戦犯を収容する施設での群像劇。日本人は3人、そして、日本人として判決を受けた朝鮮人が3人の6人が収容され、いつやってくるとも知れない執行の日を待つ日々を描く。重たいテーマにもかかわらず、登場人物はその危機を笑い飛ばすような生活を送るというのは、鄭の過去の作品でもあった。タイトルに含まれるマクベスというのは、池内博之演じる主人公が役者を目指した朝鮮人で、唯一の出演作。その選択あたりのバランスがよく取れた秀作である。池内や平田満が軸にはなるが、浅野雅博演じる元大尉の寡黙な演技が目を引いた。80分(休憩15分)65分は流石に長いが、それだけの価値はある。

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