コーカサスの白墨の輪 公演情報 コーカサスの白墨の輪」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 実演鑑賞

    瀬戸山美咲による古典作品の翻案の大きな舞台、と言うとKAATホールでの「オレステスとピュラテス」(2020年/演出=杉原邦生)、以後の瀬戸山氏の活躍は世田谷パブリック「現代戯曲集」や「ペーター・ストックマン」等が記憶にあるが、それ以外では劇作家協会会長に就任したくらいで舞台情報はあまり入ってこなかった。が、海外作品の日本輸入版の演出を結構やっている(商業演劇のチラシは小劇場の公演にはあまり入って来ない)。何時からこういう大御所な立ち位置となったのか、と調べると・・、コットーネ「埒もなく汚れなく」(2016)、ミナモザ「彼らの敵」(2016)、青年劇場「オールライト」(2017)、流山児「わたし、と戦争」(2018)、コットーネ「埒もなく汚れなく(改)」(2019)など作・演出をやる小劇場演劇人の仕事を見ていた所、2017年グローブ座系で「グリーンマイル」をやっていた。以後海外物などの大型舞台を手がけている。その合間に利賀演劇人コンクールにも実力派俳優を引き連れて上演。演出のみの仕事も多く、よく書いている。
    そんなこんなで暫く見なかった女史の仕事を久々に観に出かけた、というのもあった。
    中々無理がある設定や翻案、そして生演奏の音楽の使い方に、大変難ありを感じてしまったのであった。俳優に関しては小劇場でお馴染みの実力は西尾氏、森尾氏らが脇でよく演じていたので嬉しくはあったが・・いずれ書いてみたい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『ブレードランナー』と『ターミネーター』のせいでそれっぽい安い日本映画が量産された80、90年代。Vシネマみたいなスカスカの世界観、ファッション・パンクみたいな雰囲気を味わう為だけのイメクラ。今観ると懐かしささえ覚える世界観。
    今作は人類が滅んだ地球でアンドロイド達が紛争を続けている。一路真輝さんが古代の人間の演劇を余興として演ることを提案。流石の一路真輝さんの風格。時折、渡辺美里っぽい歌声。

    太守=領主のゲオルギ(辰巳智秋氏)はさる国の傲慢な独裁者。その夫人(saraさん)は贅沢好きで高慢な嫌な女。臣下のカズベク(西尾友樹氏)が裏切りクーデターを起こす。ゲオルギが処刑された混乱の中、夫人は他所の国に亡命。洋服を持って行くことに夢中で培養器に入った受精卵の息子ミヘルを忘れて置き去りに。ゲオルギの腹心だった大公(武谷公雄氏)も命を狙われ野に下る。料理女のグルーシェ(木下晴香さん)もアンドロイドの侍女(加藤梨里香さん)達と逃げようとするがミヘルを置いて行けずに一人抱きかかえる。(登山用リュック位の大きさ)。

    木下晴香さんは大塚寧々と上戸彩を足したような魅力。鼻歌を歌いながら培養器に手編みの帽子を被せる名シーン。
    加藤梨里香さんもやたら気になった。
    下手で生バンド、Bassの木村朋徳氏がノリノリのグルーヴうねるうねる。Guitar大舘哲太氏、Drums小牧佳那さん。

    グルーシェには徴兵され戦争に行った婚約者シモン(平間壮一氏)がいる。彼が帰って来るまで兄夫婦の暮らす遠い北の山の農場に住まわせて貰おうと歩き出す。(※シモン役は平間壮一氏が体調不良の為、現在は大久保祥太郎氏が代役)。
    内戦で何処もかしこも混乱状態。クーデター派の重騎兵達は逃がした太守夫人、息子、大公の行方を追う。若きグルーシェは女手一つでミヘルを守って逃げおおすことが出来るのか?

    西尾友樹氏と森尾舞さんが何役も兼ね、歌ったり踊ったりするのが新鮮。ちゃんと見せ場を用意してくれている。

    ネタバレBOX

    ちなみに通貨の単位はピアストル。
    通路を多用した演出。
    眞島秀和氏は観客を盛り上げようと大ハッスル。ユースケ・サンタマリアみたいなキャラ。酔っ払いアズダクはトリックスター、論理が破綻しているのだが民衆の心を惹き付けていくイカれた英雄。そこが難しい。一歩間違えるとただの人気取り。妙な一貫した美学がないと観客は心を託せない。

    小劇場的に皆一人何役もやるのだがそれも何か逆効果。コントみたいで重要な役がハッキリしない。ギャグばかりなのも話にのめり込めない理由。全てが適当。

    ラストの合唱の歌が印象的。
    「愛が戦争を止めると言うなら
     愛に戦争をさせないでくれ」
    国や家族を大事に想う気持ちを転化して戦争をさせないでくれ。良い言葉。

    この演出家と自分の相性は悪いと思う。この物語の何が面白いのかを見誤っている。培養器に入った受精卵のままじゃ母の愛は表現出来ない。(グルーシェの歌った鼻歌を覚えていて卵が口ずさむのかとも思ったが)。伝わらない異化効果に何の意味があるのか?培養器をロープで引っ張り合っても何とも思わない。こんな描き方ではミヘルがどっちの子供になろうが観客はどうでもよくなる。感情移入の取っ掛かりがない。まだ飼っていた犬か猫かの取り合いにした方がマシな話。無理矢理エピローグの語りでまとめたがこの劇をわざわざアンドロイド達が演る意味が見えない。徹底して争いの行く末、戦争の虚しさを表現しないと。こんな事を繰り返していたらどんな知性なんかにも意味はない、アウフヘーベン(どちらの意見も否定しつつ共通の上の次元に高めていく)の方法は必ず見付かる筈だと。

    今回期待外れだった人は東京演劇アンサンブルが去年演った『白い輪、あるいは祈り』を観て貰いたい。脚本・演出は鄭義信氏。来年再演するそうなので。

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