我ら宇宙の塵 公演情報 我ら宇宙の塵」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    あまり没入できなかった

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    最高でした 最後は泣きました お父さんは地球のどこかにいるんです

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    良かったです。
    内容を全然把握しないまま観に行ってしまったので、最初とまどってしまいましたが・・・

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    客入れSEにデヴィッド・ボウイ「I Wish You Would」が流れる。何故かそれだけで気分が良い。

    ステージ上に置かれた椅子に突っ伏して寝ている宇佐美星太郎(しょうたろう)少年のパペット。幼稚園児位の大きさ。肌はフェルト生地っぽく見える。毛玉が付いている。背面は全て壁面に貼り付けたようなLEDビジョン。どうなっているんだか分からないが迫力満点。星太郎は首の後ろの下辺りにグリップが付いている。後頭部の真ん中にも掴む部分が。左手でグリップを掴み、右手で頭部もしくは他の部分を動かす。歩く時は自分の靴の上に星太郎の足を載せて一緒に動く。床に大量に散乱している紙には何がが書かれている。床の穴から次々と人々が出て来て開幕。

    多分、今作が評価されているのは語り口なのだろう。一見何の話なのか全容が見えない。『インターステラー』的なものを期待していたが全く違った。どちらかと言えばジョディ・フォスターの『コンタクト』か。

    小沢道成氏を初めて認識した。星太郎を操演。
    異儀田夏葉さんは観る度に美しくなっているように感じる。プラネタリウムの背景が高速で移動する度、一人パニックを起こす設定は面白い。
    渡邊りょう氏は今回も流石の強キャラ。今年何度観たことか。泣き上戸、笑い上戸の発達障害。彼の小太郎のエピソードからぐんと面白くなった。

    ※しょうたろう=正太郎だと思っていたので「鉄人28号」から名付けたのかと誤解。

    ネタバレBOX

    5年前にトラックに撥ねられて亡くなった父親。星太郎は父親が何処に行ったのか知りたかった。毎日骨壺を見つめ続ける。母親(池谷のぶえさん)は「お父さんはお星様になったのよ。」と伝える。その日から毎晩毎晩夜空の星を数え出す星太郎。一体どの星なんだろう?その内、学校でも家でも会話をしなくなる。毎日夜空の星の数を記録し続ける。そしてある朝、家からいなくなった。

    ジャイアント・インパクト説(=原始地球に原始惑星が衝突し飛び散った破片が地球の軌道上で合体し月になった)を知った星太郎は亡くなった父親はその周辺にまだ漂っていると仮定。事故現場に向かう。当時の事故現場は工事中だった。頭の中を整理する為、石で地面や壁に絵を描いて考えをまとめる星太郎。落書きを注意しようと見ていた作業員・ぎたろー氏。

    父親が運ばれて行った病院に行き、看護師・異儀田夏葉さんに質問する。病院で治療できなかった者は最終的に火葬場に行くことを伝える。

    火葬場で立ち昇る煙を眺め、職員・渡邊りょう氏に焼かれた者は何処に行くのか尋ねる。渡邊りょう氏は愛犬・小太郎を亡くした経験を語る。遺骨でも墓でもない、一番思い出のある場所に行った時、小太郎と過ごした日々の記憶が溢れ返ってきた。小太郎はここに居る、と思った。

    父との思い出の場所、ぎたろー氏が経営する個人経営のプラネタリウム。星太郎を捜して池谷のぶえさん、異儀田夏葉さん、渡邊りょう氏が訪れる。星太郎はぎたろー氏の語る「地球から夜眺めている月は太陽の光を反射しているから目に見える。月側の時間としては昼間。」という言葉にハッとする。月から見れば地球も星の一つ。

    焼かれて煙になったとしても宇宙までは行けない。激しい火山の噴煙でも成層圏止まり。父は地球という星にいる。地球という星を構成するマテリアルになった。

    ※質量保存の法則、エネルギー保存の法則から、人間が死んでもこの世界の総量は決して変わりはしないことが真理。この世に存在するエネルギーの総量は決して変わらない。増えもしなければ減りもしない。死んだ人間の肉体は化学変化を起こすがそれは原子の組み合わせが変わるだけ。別の形態に変換されエネルギーとしてこの世に存在し続ける。意識や感情や思考も一種のエネルギーだとしたらそれもこの世に形を変えて存在し続ける。そういう意味からは生命は永遠なのだ。
    (『あるアルル』の時に書いた文章の再録)。

    一体どんな所にまで連れてってくれるのか、発想の飛躍先に期待していたのだが凄く古典的。渡邊りょう氏の「小太郎はここにいる!」の感覚の方がぐっと来た。理性でまとめ上げているので感情が揺り動かされないのか。人や動物は亡くなっても優しい想い出はいつまでも色褪せない。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/10/29 (水) 19:00

    100分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    2023年の夏に偶然新宿の小劇場で見て、マッピングを上手に使った生きの良い新時代ファンタジーだと感心した。それから2年。
    その間に、23年度の読売演劇大賞は「作品賞、「演出家賞。「主演女優賞を受賞、今年はロンドン公演もやってのけ(まぁ小劇場だろうが)多くの新聞があって劇評の多いロンドンでも、絶賛の星が並んだという(チラシの宣伝)。解らぬでもない。
    演劇界を見れば、野田秀樹は確かに日本演劇のリーダーの作者だが、なかなか追いかける若者が出てこない。いつも、野田が焦れている。エポックマンは野田系のインプルーブ版であるが、まだ余力もあるし、期待も持てる。。
    かつて初演(23年)を見たときは、パペットやマッピング、物語の作り方など、新しいセンスに感心したが、一方で登場人物の意外に地に着いた現代の単親の一人っ子物語(その子をパペットにしたところなど秀逸なアイデア)が生活感を持ってきめ細かく出来ているところ、などもよかった。(例えば、全自動シアターなどは、同じ路線で一人っ子モノで成功したが、結局、世相ギャグに終わって、野田を超える力がなかった。ようやく、最近リアリズム路線で横山拓也が追撃して見せたが、こちらは自分の世界のリアリズムへのこだわりが強くで野田の上を行稿とは考えていないだろう)。ここは野田と違うところで、野田はファンタジーに現実も寓話もなじませてしまウが、小沢は現代の現実の中にファンタジーを溶けこませてしまう。野田を追っても、独自性もしっかりあって。他の作品でも独自性を持ち、観客への訴求力(オセンチ)も上手い。再演(今回)はラストに近い父親とのシーンを固めに仕切り直している(後半)。ロンドンではこうしないとメルヘンに逃げて腰砕けと言われそうなので直しているのだろうが、そこをどうするかは課題だろう。
     作風が現代の都会的センスで、しかも頭デッカチでないところも、野田のように最後に何が何でも情感に持っていき少女ファンを訳も分らず泣かせてしまおうとしないところも、(ことに80年代まではその傾向が強く野田クライマックスに閉口した見物も多かったのだ)新しい作家の登場を感じさせる。(私はラストの処理は初演の方が好きだが、もちろんロンドン帰りと思えば、そこでこれに変えられるのもたいした物だとは思う)。まぁこの三年ほどの中でみたもののなかでは必見の秀作とは言えよう。
    一言付言すれば、作る側が、芝居は見せ物であることを忘れていないのが素晴らしい・



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