満足度★★★
表現方法としての様式?
話の内容は好きな傾向だし、試みであった表現が洗練されてきているのが分かったし、仮想敵をつくることの空しさや、仮想敵をつくらないと自分の正義を保てないというひととか集団とか
そういう話なのかな?間違ってるかも。
でも、出だしは中央の彼の脳内妄想が女の姿で現れたのかと思って正直怖かった。精神やんでるひとの話を見る気力がない日だったので。
違ってよかった(よかった?)
主役不在の誰のための物語なのか分からず、誰もがこの物語の主役になりうる、という状況のままで終演してしまったので、個人的な趣味としては、もうちょっと絞り込んでいるものも観たくなりました。
満足度★★
自己満足に陥ってはいないか
セットはほとんど用いず、ライティングもいい感じで非常に興味をそそられる舞台だった。
だが、それは芝居が始まるまでの話。
先ず、オープニングの役者たちのマイムが雑過ぎて観る気を失う。
本編らしきものに入り、その設定に興味をひかれ、ワクワクしたものの、いつまで経っても話は始まらない。
結局、話は始まらぬままに舞台は終わってしまった。
観客は、中学生の悶々とした苛立ちを観るために集まってきたわけではない。
これが実際の中学生の作った舞台だったなら、「自分の頭で考え、照明も工夫している。素晴らしい。」となっただろうが、大人が作って堂々としていられる舞台だとは思えない。
一番の疑問として、背景に原発のことを匂わせながら、何ら新しいことを提示できていない舞台に何の意味があるのかということだ。
福岡に住む人間にとって福島は遠く、「同じ日本」程度の認識しか持っていないと思う。知人でも住んでいれば別だろうが、ほとんどの人間は「大変だな」ではないだろうか。
この作品を観ると、「遠い地からの問題提起」などは全くなく、「話題だから自分も作りたい」程度にしか感じられない。
設定だけで終わることで満足せず、話を始めることからスタートさせてもらいたい。
それから、「思いつき」をそのまま舞台に上げず、自分の頭で考え、咀嚼したことを舞台に上げて欲しい。
満足度★★
貧相な自己満足の舞台
いろいろやっているけれど、基本的な方向性がまちがっていて、貧相な舞台だった。
詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」 http://f-e-now.ciao.jp/ に書いています。
ここまで来たら、とことん息苦しくなってみたい
登場人物それぞれの世界の狭さが強調されていて、
息苦しさを覚えました。
演出は内容に対して開放的な作りになってて、
見やすい感じでした。
とことん息苦しさを味わってもいいと思いましたが、
照明とかきれいでした。