歌舞伎・伝統芸能

梅津流二十五周年記念

第十三回 梅津貴昶の会

実演鑑賞

松竹

歌舞伎座(東京都)

2009/09/27 (日) ~ 2009/09/27 (日) 公演終了

上演時間:

公式サイト: http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/09/post_47.html

※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
 昭和五十九年三月三日に梅津貴昶を名乗り、梅津流を立ち上げ、その披露の会として、国劇の殿堂とよばれる歌舞伎座の檜舞台で、「第一回梅津貴昶の会」が開催されたのは昭和六十年十一月。貴昶、三十六歳の時でした。そして、七年間の闘病の後、平成四年以後は、ほぼ毎年一回、着実に回を重ね、この間、人々の記憶に...

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公演詳細

期間 2009/09/27 (日) ~ 2009/09/27 (日)
劇場 歌舞伎座
出演 貴昶、勘三郎、貴昶
脚本
演出
料金(1枚あたり) 4,000円 ~ 23,000円
【発売日】2009/08/29
1等席:18,000円 2等席:14,000円
3階A席:8,000円 3階B席:4,000円 1階桟敷席:23,000円
公式/劇場サイト

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2009/09/post_47.html

※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
タイムテーブル
説明  昭和五十九年三月三日に梅津貴昶を名乗り、梅津流を立ち上げ、その披露の会として、国劇の殿堂とよばれる歌舞伎座の檜舞台で、「第一回梅津貴昶の会」が開催されたのは昭和六十年十一月。貴昶、三十六歳の時でした。そして、七年間の闘病の後、平成四年以後は、ほぼ毎年一回、着実に回を重ね、この間、人々の記憶に長く残る数々の名舞台を生み出してきました。第十三回となる今回は、来年から始まる建て替えのため、今の歌舞伎座では最後の会となります。また、このたび貴昶が還暦を迎えたこともあり、これらを記念して、いつにもまして意欲的で魅力あふれる番組となりました。


一、京鹿子娘道成寺
 歌舞伎の女形舞踊の最高峰とされる大曲です。題材となったのは、紀州(和歌山県)道成寺の鐘にまつわる「安珍・清姫伝説」。男を恋い慕うあまり大蛇と化した女が、男の逃げ隠れた釣鐘に巻き付き、ついには鐘ごと焼きつくしたというお話です。
 能の『道成寺』は、この話の後日譚を創作したもので、ようやく釣鐘が再興された日に女の亡霊が白拍子(女芸人)の姿で現れ、人々の隙を見て再び鐘に向かって恨みを晴らそうとする、という物語になっています。
 『京鹿子娘道成寺』は、この能をもとに作られた歌舞伎舞踊ですが、白拍子が舞を披露するくだりを思い切りふくらませ、ここに女形舞踊のあらゆる技法を盛り込んだことが大曲とされるゆえんです。しかも、白拍子とはいいながら、『京鹿子娘道成寺』という題名にも示されているとおり、恋する町娘の華やかでみずみずしい姿を描いているところに、近世の歌舞伎舞踊らしい特色があるといえるでしょう。
 冒頭は、満開の桜のなかを、白拍子が道成寺へと急ぐ風情を描いた「道行」。続いて、独特の足使いを見せる「乱拍子」や「急の舞」など、能から写した芸を演じますが、あとは純粋の歌舞伎舞踊となり、鞠唄に乗った手踊り、花笠の踊り、手拭を使ったクドキ、鞨鼓の踊り、可憐な手踊り、鈴太鼓の踊りなど、さまざまに趣を変えた芸尽しが華麗に展開していきます。
 梅津貴昶にとって、『京鹿子娘道成寺』との出会いはわずか二歳半の時。歌舞伎座における六代目中村歌右衛門の舞台に魅せられ、連日通ったといいます。その後、踊りを始めて、七歳の初舞台で演じたのも『京鹿子娘道成寺』でした。そして、記念すべき第一回の「梅津貴昶の会」でも、この『京鹿子娘道成寺』を踊っています。
 通常の上演では、踊りが変わるたびに、それに合わせて衣裳を変えていきますが、この時、梅津貴昶は、色紋付の素踊りの形で、それぞれの踊りの色合いを演じ分けるという偉業を成し遂げました。また、この時は、一旦、鐘に飛び込んだ白拍子が蛇体となって鐘から現われるくだりまで完演しています。その後、「梅津流十周年記念」をうたった「第四回梅津貴昶の会」でもこれを踊りましたが、この時は歌舞伎舞踊らしいまとまりに重点を置き、「道行から鐘入りまで」の上演としました。
 今回も記念の会として、再度、この大曲に挑みます。

一、三社祭
 浅草寺の本尊である一寸八分の観世音菩薩は、昔々、浜成・武成という二人の漁師が、宮戸川(隅田川)から網で引き揚げたものだと伝えられています。その二人の漁師と彼らの親方の三体を祀ったのが浅草神社、いわゆる「三社さま」。現在も、毎年五月(江戸時代は旧暦の三月)に盛大な祭りが催されていることは、よく知られているところでしょう。
 舞踊の『三社祭』は、この祭りに因んだ『弥生の花浅草祭』という四段返しの舞踊組曲のうち、眼目の場面が独立して残ったものです。初演は天保三年(一八三二)三月、江戸・中村座。四代目中村歌右衛門、四代目坂東三津五郎という好敵手の共演が話題をよびました。
 山車に飾られた人形が動き出した心で、二人の漁師が登場し、浅草寺の由来を語ります。続いて、空から「善」「悪」二つの玉が降ってきて二人に取りつき、これから善玉・悪玉の踊りが展開します。これは、当時流行した「心学」という、庶民のための実践道徳を説く教えにもとづくもので、善悪両面が一人の心のなかで入り乱れるさまを描いた踊りです。が、そうした由来はともあれ、この踊りは古典舞踊には類を見ないほど、軽快で躍動感溢れるもので、名手二人の競演となると、実に息もつけないほどの面白さとなります。
 当代きっての歌舞伎舞踊の名手・中村勘三郎を悪玉に迎え、貴昶が善玉を勤める『三社祭』は、平成九年の「第五回 梅津貴昶の会」でも上演され、大評判となりました。一日限りの、まことに贅沢な企画でしたが、今回、待望の再演となり、さらに磨きのかかった二人の妙技に、大きな期待が寄せられます。
その他注意事項
スタッフ 一、京鹿子娘道成寺
  道行より鐘入りまで
                  貴 昶


一、弥生の花浅草祭
  三社祭
                  勘三郎
                  貴 昶

[情報提供] 2009/08/22 12:29 by CoRich案内人

[最終更新] 2009/08/22 12:57 by CoRich案内人

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