公演情報
「お気に召すまま」の観てきた!クチコミ一覧
シェイクスピア作『お気に召すまま』を“テキスト”として使用し、ヌトミックという集団にとっての新しい演劇表現に挑戦したという印象で、別に他の戯曲でもよかっただろうと思いました。詳しい目の感想:http://shinobutakano.com/2019/05/12/14778/
満足度★★★★
言葉や場面とズレたちぐはぐな動きと
ひねくれた戯曲への接触方法を見せる本作が
難解な前衛芸術と決定的に異なるのは観客へ見せる愛情、それ
何を演っていたって愛があれば大丈夫
個人的にはしあわせ学級崩壊を思い出す作風
矢野昌幸さんが徹底的に素晴らしい
実演鑑賞
満足度★★★
「お気に召すまま」だと思って観ると(頭ではなく)気持ちがついていけないので、途中からそれは考えるのをやめました。いい意味で俳優さんの力技な部分はおもしろく、同時に、ダンサーではない俳優さんが動くことの意味を考えさせられました。見せるもの、ではなく、解釈的な要素が強くなりがちだったかも。それを上回る「人間がそこにいること」がもう少し強くあれば、演劇である意味がもう少しあるのでは。
試みはとても面白いので、意図とは違うかもしれない(し制作面的なことにはなる)ですが、この際思いきりタイトルを変えたり副題を考えた方が、お客さんと良い関係を築けるかもしれないかなと思いました。
満足度★★★
対面客席で、ステージ部分は吊り屋根を持ち、円形のテープを貼った床は土俵にも見え、大相撲のようなしつらえ。長台詞をプロレスのマイクファイト風(?)にしたり、対話を分解したりと、対立関係を様々な角度でみせてシェイクスピア独特の台詞を扱うための工夫を随所に感じました。
満足度★★★
吊り屋根の下の土俵のようなスペースで繰り広げられる、恋と権力をめぐる、文字通りの「闘い」。音楽やそのパフォーマンスのあり方を参照し、さまざまな演劇実験を重ねるヌトミックの、予想以上に「物語」ではないシェイクスピア劇に驚かされました。
台詞の切り取り方、発語や身体の状態、マイクパフォーマンスや土俵外での演技……といった要素の多くが、テキスト(やそれを重視する多くの上演)の構造分析や批評になっていることは伝わってきますし、そうした作品の中での俳優の立ち方にも関心を持ちました。とはいえ、これらの批評的観点が連なり重なりながら、一つの視座をつくっているというふうにも見えないので、なかなかついていくのが難しかったというのが正直なところです。
満足度★★★★
同時開催公演の【B】「Aokid presentsシェイクスピア(?)」を観劇、もとい、参加した。料金低めのイベント企画でなく「公演」である。休憩を挟んで2時間弱という割とガッツリな内容は前半パフォーマンス、後半ワークショップ。Aokidの手の内の広さが印象的で、冒頭の場内見学、Aokidの歌、ダンス、ドラマトゥルク朴氏の「お気に召すまま」短縮解説に合わせた振り、キャストとのトークで前半で休憩に入り、後半は参加型プログラムであった。
翻訳や変換の力は閉塞を打開する力でもあり、物事を一対一対応の意味に閉じ込める(リスク回避優先で組み立てられた論理に多い)風潮?に辟易する気分に、Aokidの陽気さはちょっとした救いの手であった。
満足度★★★
ヌトミックの長尺パフォーマンスは今年初めの「これは演劇ではない」企画に出品された「ネバーマインド」以来2作目。
音楽要素の強い遊び心が自分にはツボではないかと思っていたが、今回は音楽アピールがやや後退。戯曲を手玉に取るスタンスから戯曲本位へ変化し(作り手の主観としては特に変化はないのだろうが)、ヌトミックなりの「演劇」製作の形跡を認めた。
といっても、ふわふわとして捕らえ所の無さは「劇的」への屈折、ドラマ解体欲求を思わせるが(昆虫に興味を惹かれた子供がそれを解剖してみる的な罪の無さ)。
音楽が持つ強さとは明快さ・潔さにあり、場面を瞬時に規定する力があるが、言わば場面を批評し相対化する小気味良さや新鮮さばかりでは、物語は立ち行かない。あるいは同じシェイクスピアでもマクベスなら、批評で埋め尽くした舞台も可能か知れぬが...。
そこで何らかの線を引いたようなのだが、音楽的抽象性の強さは音楽を用いてこそ。「形」を作るという創造領域に、手ぶらで挑んだような抽象性。
長く演劇を鑑賞していると、舞台を作り手にとっての一プロセスと見てしまう所があるが、今作は正に方法論の模索過程に見えた。
自分が上げた期待値に比しての星評価。