過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝 公演情報 過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 満足度★★★★

    初見のワンダーランド・テイストをほぼ裏切らない二度目の観劇であった。明治以降の文化人を紹介する舞台がその仕事の全般と言って良い竹内一郎率いる「劇団」だが、演劇好きから見ると演劇という手段の勿体ない使い方をする集団である。言わば文章の立体化の域を出ない。もっとも文は演劇のドラマ性を導く重要な一方の車輪ではある。ただ竹内氏の文体が文学的でなく子供向け伝記シリーズのようで、よく言えば人間の内面にまで主観を踏み入れない叙述だからそうなるのかも知れない。それでも前作に比べ宮武外骨という傑物が題材だけにそれを味わう楽しみはある。前作への大いなる不満は人物紹介の素材である情報が薄く、風刺画の北澤楽天と岡本一平の漫画漫文の紹介があり、両者に対立や盛衰の図を当てはめる世間に対し、否前者から後者が生まれたのだ、それにホラ(ここはフィクション)ある公園で(確か楽天が生んだ漫画キャラの)片足の悪い少女を介して二人は出会っていた・・これで説明しきれる程度の内容で、似通った説明の繰り返しは少々きつかったがこれは題材の問題だったとは今作との比較で言える。が、その宮武外骨も、私の望むような演劇的高まりは見せない。あくまで文章で引っ張っていく、それを役者が立体化して判りやすく見せている。
    前作のフィクション部分は漫画キャラの登場だったが、今作は宮武本人が現代のある風俗雑誌の編集室に突然現れる。というのもカメラマンが風俗店でたまたま撮った写真に政治家の裏取引の現場が写り込んでおり、これを公表するか否かで紛糾していたからで。現在の安倍政権による報道圧力を揶揄しているが設定自体には現実味はない。この設定にどういうこだわりを見せるかが、分れ目だろうか。
    俳優は口跡よく噛まないし(噛みそうな人が約一名いたがノリで乗り切っていた)動きも明瞭、座高円寺の広さも気にならず、抜き板を組み合わせた抽象美術(松野潤)は風格があり、音楽も的確で分かりやすい。だがこの勿体なさは何だろう。

  • 満足度★★★

    現代の若者、気概を失ったかのようなマスコミ関係者に、宮武外骨の存在を知らしめようと工夫を凝らした舞台である。まずエピローグで、宮武外骨は明治の気骨のジャーナリストだった、という話を講談師の語り手で紹介する。本題に入ると、一転、舞台は現代のエログロ・ニュースサイトの編集部。思いがけなく政治家の汚職のネタを握ったが、それを発表すると政権やスポンサーから会社を潰される、と逡巡する編集長。そこに、外骨がタイムスリップ(!)で現れ、そんなことで恐れるな、俺の生涯を見ろ、と一代記を演じる。編集部には政治家の意を呈したヤクザが脅迫にあらわれるが、外骨は、彼らにも自分の話を聞かせるる。その結末は?

    外骨は「迫害は勝利なり」と何度も発禁・投獄・罰金などの言論統制・弾圧をうけても、決してへこたれなかった。とくに刑務所の中で雑誌を作って売り出そうとしたのは、「退屈な毎日を少しでも面白く使用」という茶目っ気混じりのバイタリティーからだというのが面白かった。

    刑務所の話は20代前半だから、恐れを知らない青年だったのだろう。ただ、「滑稽新聞」を廃刊したのは42歳で、今から見ると、早すぎる引退。さすがの外骨も頑張りすぎて、不惑でモチベーションが下がったのだろうか。「太く短く」生きるは明治の青春だが、現代は「太く長く」が求められる時代。そこが難しい。

    お節介なナレーターあり、下ネタ連発のギャグ満載、ふざけたキャラクターが次々と、お行儀の悪い舞台である。しかし、それを通して語られる、「(ジャーナリストの)我々は絶望してはいけない。我々の絶望は、国民全体の悲劇だ」という訴えに、身を引き締めるものがあった。

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