公演情報
「華氏451度」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★
鑑賞日2018/10/14 (日) 14:00
壮大な舞台である。レイ・ブラッドベリが1954年に書いたディストピア小説の舞台化で、原作は読んだが、映画や舞台では見たことがない。3面が巨大な本棚に囲まれた舞台美術にまず目を奪われるが、そこで演じられる芝居も長塚が脚本で白井が演出というだけの価値はあり、ほとんどの役者が2つ以上の役を演じることで、逆に深みが出てきていると思った。特に、美波が正反対の重要な役を演じるあたりを見ると、この人は本当に巧い役者になったなと思う。草村礼子のセリフがないのに存在感を示すところも見事だと思った。
巨大な本棚が舞台の三方を囲む抽象美術で、空間の多様性が楽しめました。美波さんの美しさに息を飲みました。パンフレットに関係者それぞれが本を紹介する欄があります。これは嬉しい!
満足度★★★★
鑑賞日2018/10/08 (月) 14:00
まずは、白い本の巨大な棚。この棚から落ちてくる本は、当然決まっているのだろうけれど、どのように落下を制御しているのだろうか。適当に落ちてきたら危ないし。
物語りでは、この落ちてきた(あるいは、ファイヤーマンが落とす)本が、発見されたものとして、キレイに燃やされていく。その白に映えるの炎の投影が美しい。ある意味この演出が、物語りを全てリードしていき、登場人物の心理や考えの流転や抑揚を、見事に観客に伝えていく。
今回の舞台では、白石氏と長塚氏で、配役をどうするかで頭を悩ませたらしいが、結果、少人数で複数の役を演じさせることで、説明に終始することなく、共有された世界観を出せると考えたらしい。確かに、美波の娘クラリスや妻ミルドレッド、吹越満のベイティー隊長とグレンジャーの対の関係性は、同一人物が演じることで深い妙味を醸し出しているし、2役の意識の差が相乗的に働いて、陶酔感溢れる演技に昇華している。
特に吹越満の2役は、彼特有の無機質なセリフ回しと相俟って、ケレン味さえ感じさせる名演になっている。双方を演じている部分だけ切り取って見せたら、この役は分裂症なのかというくらいに、自負に溢れた表現力は、2役を演じているということが大きいと思う。
さて、今回の上演に際しては、パンフで、白石や長塚氏が述べているように、スマホに代表されるようなデジタル文化への傾倒への警鐘があり、文化軽視、情報過多、アナログ蔑視への批判という面が指摘されている。さもありなん。これが65年前に発想されたということに驚かされる。
最近では、「1984」の舞台化、映画「2001年宇宙の旅」の再評価などが続いている。「華氏451度」も上演も、すでに古典と化しつつあるこれらSFが、今なお機知と新鮮味に溢れたものであることを示すものではないだろうか。
満足度★★★★
鑑賞日2018/10/07 (日) 14:00
座席1階4列
ブラッドベリの有名SF小説が原作、
トリュフォーの映画版も有名で大好きな1本です。
これを、長塚さん脚本、白井さん演出とくれば観ないわけにはいきません。
まずは本でいっぱいの本棚が舞台三面、天井まで埋め尽くされている舞台に圧倒される。
真っ白な大量の背表紙が美しく、また、その白面に書籍の背表紙の映像が投影され、
まるで一瞬にして本に命が宿ったよう。
そして、「白い本」はそこに投映される映像によって燃やされる。
ヒロイン二役と機械猟犬、鹿を美波さんが、
ファイアーマン隊長、ブックマンの長を吹越満さんが、
それぞれ対極をなす二役を演じ、その表現が素晴らしかった。
壁面大型テレビと地デジの視聴者参加型双方向通信、
スマートフォン、電子化され減っていく書籍、
経済優先の大統領の元で減っていく文化への援助、
62年前に書かれた小説の世界が結構実現していて驚く。
某国の公文書・議事録・日報の廃棄や公式記録の軽視は無関係か?
しかし、ブラッドベリも予想できなかったことは、
「人は、たとえ国家に規制されなくとも、自ら本を捨てはじめている」
ということでしょうか・・・
それでも、人はすべてを捨てず、本についてもいいところどりをして
貪欲に今を生きているという現実。
燃えている本を模したパンフレットも粋です。
満足度★★★★
大きく高い白い本棚が客席に向かって開いている。本棚には白い大きな本が並んでいるが、それが次々と炎上する。ここはマッピングだ。本を持っているだけで犯罪で、それを焼く昇火士と言う公務員もいる情報管理社会がこの装置でよくわかる。昇火士と言うのは、原作翻訳者の造語だが、言葉にすると消火士と紛らわしい。つまりは現在の消防士とは別の役割の公務員がいる未来のディストピアドラマである。
ミステリやSFの読者には古典のレイ・ブラッドベリの原作はすでに何度も映画にはなっているが、舞台にするには未来社会と火を扱う場面をうまく見せられるかどうかがネックになっていて、あまり記憶にない。今回は、この装置が効果的で、終始この本棚に囲まれた舞台で進行する昇火士モンターグ(吉沢悠)の物語に説得力がある。
原作はナチスの焚書に近く、アメリカの赤狩り1950年代に書かれていているから、当然、古めかしいのだが、最近の中国の言論規制や、そこまで行かなくても身近なところで起きている「忖度」や他人への無関心を見ると他人ごとではない生々しさがある。その原作第一部の部分は舞台でもよく表現されている。
昇火士モンターグは、隣人の娘クラリスや妻ミルドレッド(ともに美波)や、上司(吹越満)との日常の中で、このホンのない統制社会に疑問を持ち抜け出そうとする。原作第二部第三部の脱出のアクションドラマ的冒険物語で、原作では本(思想の持ち方)に関する多くの引用や警句がちりばめられている上に、機械猟犬のような小道具、戦争が始まると言う大道具も出てきて舞台では難しいところだ。
小劇場なら一言の説明でやむを得ないと納得するが、大劇場ではどうか。