郷愁の丘ロマントピア 公演情報 郷愁の丘ロマントピア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    ■約105分■
    構成が見事でした。

  • 満足度★★★★★

    財政破綻、高齢化など日本の社会問題の縮図(あるいは未来)と言われている夕張が舞台。
    フライヤーの中央にデーンと書いてある「まちを弔う」が直球ど真ん中であった。

    冒頭の話の中で語られていたように、「夕張」について知っていることはわずか。
    大夕張、三菱炭鉱、そしてつい最近の2014年に湛水されたシューパロ湖(ダム)のことすら知らなかった。
    そのシューパロ湖には集落が沈んでいることも。

    (以下、ネタバレBOXに長々書いてしまいました)

    ネタバレBOX

    ダム湖であるシューパロ湖を臨む展望駐車場には、ダムで沈んだ町にあった記念碑などが移設されていると言う。
    舞台の中央には、その1つが置いてある。
    それがまるで夕張という「まちを弔う」「墓碑」のようだ。

    作・演出の山田百次さんが客入れからほうきで舞台を掃いたりしている。
    時間になり、自己紹介、夕張の紹介、前説・注意事項、そして自分の役名などを紹介しながらゆるりと本編に入る。
    本編に入っても主な登場人物については、山田さんから役名と役者の名前を告げられる。
    バンドのメンバー紹介のように(笑)。

    この形が、この後続くシーンの切り替えにとって、見る者へのスムーズさを与えていたと思う。
    すなわち、20代ぐらいの若者、働き盛りの年齢の頃、そして今の老人という時間と年齢を激しく行き来する際に、観客に違和感をあまり感じさせないのだ。
    さらに、こうした「役者」と「役」の関係の表明が、夕張と「今(役者のいるアゴラ劇場という時空)」の日本をつなげるているようにも感じた。

    少しだけ「未来」へ進んだ「夕張」は、私たちの「未来」でもあるから。

    90歳を超える茂治と、その仲間(というより家族=一山一家)たちはかつて大夕張にあった三菱炭鉱の炭鉱夫だった。
    彼らには、日本の高度成長期のエネルギーを担ったという自負もあるし、その後のエネルギー転換の代償も負ったというツラさも記憶にある。
    それらをすべて含めて、かつての「いい時代」を懐かしみながら閉じていく町と人々が描かれていた。

    80、90という老人を演じているのだが、よぼよぼの老人という演技をしているわけではないのに、あるときは老人に見えてくるし、あるときはきちんと若者にも見えてくる。したがって、きちんとその登場人物たちの時間がつながって見える。

    会話のテンポがいいし、シーンとシーンとのつなげ方、切り替え方が抜群だ。
    変によぼよぼの老人に一気に変わってしまえば、コント的になってしまっただろう。

    ラスト近くで倒れて息をしない茂治を前にする友人たちの、どこか落ち着き諦めているような姿は、すでに救急医療が滞ってしまっている夕張の現実とともに、一所懸命に炭鉱で働いてきた彼らが、国のエネルギー政策の転換とともに放り出されてしまった姿にも重なって見えた。
    死んでいく町をなすすべもなく見続けていたように、友人の死も静かに見続けるしかないのか。

    夕張に暮らすのは老人だけで、訪れる人も懐かしみに来るだけ。島谷の孫娘も出産とともに夕張を出るという。
    こうして、一度ダムに沈んで消えてしまった町は、再び閉じられていく。

    笑いが多く、そして内容の濃い、いい作品だった。
    茂治と紀男のエピソード(ほかの誰にも告げていないだろうエピソード)にはグッときてしまった。

    てっきり昔の地名を付けた橋の名前を挙げていく、舞台の上の後ろ姿で暗転、幕、かと思っていたらそうではなかった。
    「それはどうしてなのだろうか?」

    この作品に、何か足りないとすれば、「未来」の話である。それも「少しだけでもいいから明るい」「未来」の話。
    夕張は、財政破綻後、新市長の下、数々の施策を打っているらしい。
    そんな「何か」につながるようなものは舞台の上では何もないのか、と思っていたが、たぶんそれが橋の名前を挙げていく後に続くラストだったのではないだろうか。

    倒れている茂治はすでに息をしていない。
    救急車もまったく来る気配すらない。
    そこへ、本来取材のために来るはずだった人が、車でやって来るのが遠くに見える。

    これが「夕張の未来」「少しだけ明るい夕張の未来」なのではないか。
    たぶんすでに事切れている茂治に最後にさしのべられた「車」が、すでに閉じられていく町・夕張を生き返らせることができるかもしれない「手」なのかもしれないということなのだ。
    このシーンに込められたメッセージは大きいと感じた。

    それにしても、80、90になっても近くにいる「友人」というのはありがたいものだと思った。
    限界集落と言いながらも、ここにはそれがある(一種のおとぎ話かもしれないのだが)。そしてそれは都会と呼ばれるところにはない、という皮肉。

    茂治を演じた山田百次さんの独特の雰囲気がとてもいい。
    男気があって「兄貴」と慕われるのがよくわかる(自分で書いて配役だけど・笑)。
    ほかの炭鉱夫役の松本さん、川村さん、武谷さんも良かった。
    4人の炭鉱夫たちの息の合い方がいいのだ。
  • 満足度★★★★★

    理想的テキスト

    ネタバレBOX

    ダムで沈んだかつての住まい辺りの湖面を眺めながら、かつて大夕張の炭鉱で働いていた老人たちが懐かしがったりする話。

    老人の姿と、当時の青年の姿、壮年の姿への切り替えは、これぞ演劇ならではという感じで、理想的な演劇表現だと思いました。せびられてパチンコ代を貸すという行為も伏線が張られていて、てめえの母親か誰かのためにしてやったのに、孫だかに人間のクズみたいに言われ、さらに一部ネコババされるという見事な回収の仕方でした。

    理想的テキスト過ぎでした。
  • 満足度★★★★

    ホエイは舞台に金をかけず、戯曲で勝負、役者は体で勝負。「珈琲法要」「麦とくしゃみ」に続き北海道三部作を完結させる今作は、時代を戦後、題材を炭坑町・夕張にとったお話。
    台詞を聞いていると詳細なデータが踏まえられ、事実としては深刻だが、芝居はトボけている。
    三部作の一作目が江戸後期に津軽藩から送られた開拓使の話だった事を思い出し、今更ながら北海道の歴史(有史)はごく短いという事実に思い当たる。(アイヌ民族は文字を持たなかった)
    看過されがちなこの彼我の違い(沖縄の歴史意識も然り)を、作者山田氏はディテイル描写によって巧妙に際立たせる。
    「珈琲法要」では病気になっていく過程を細かく幾段階かに分けて描写していた。ドラマ性を演出するならそこは見せなくて良く、想像させて共感を掴むのが得策なのに、それをやらない。
    今作では、SEを一つも使わなかった。風や、水辺のさざ波や、木々のこすれる音など、背景に流れるだけでも情感が漂い、「郷愁」を揺さぶるだろうに・・。
    この潔い(?)勝負の仕方は、演劇を「心地よさ」に浸る場所としない、こだわり故だろうか?
    妙に味わいある芝居なのには、違いない。

  • 満足度★★★★

    陰惨でもなくあっけらかんでもなく、実にいい雰囲気。劇作品としては社会問題が少々生臭い。

  • 満足度★★★★

    老人たちのやり取りと回想を通して描く夕張の近代史は、ユーモアとペーソスを含んで切なく愛おしい。

    炭鉱での過酷な仕事や家族との思い出。過ぎ去った日々は湖の底だけれど、記念碑や町の名前が墓標のように残る。

    丁寧な取材を感じさせる細やかなエピソードの数々と、それに血を通わせる作劇の確かさが、沈んでしまった町の風景を観客の胸に残した。

  • 満足度★★★★★

    105分。AT30分くらい。

    ネタバレBOX

    茂治(山田百次)…元炭鉱夫。大夕張が好き。謙三らのアニキ分。心臓の持病あり。展望駐車場で死亡。
    謙三(松本亮)…元炭鉱夫。顔に似合わずロマンチスト。セツに片思いしてた。
    三郎(河村竜也)…元炭鉱夫。事故で左腕を失い写真屋へ転向した。
    紀男(武谷公雄)…元炭鉱夫。セツと結婚した。炭鉱閉鎖時、セツの治療費等に困っていたが茂治から大金をもらった。
    セツ(長野海)…紀男の妻。紀男が事故現場へ行っている際に、炭鉱の危険をかみしめていた。
    忠(斎藤祐一)…祖父が大夕張に住んでいた関係でツーリングに来た。今は札幌で飲食店店長をしている。
    菊子(石川彰子)…忠の妻。茂治らの言葉に傷つき怒った。

    炭鉱で栄えた夕張の中でも東側の「大夕張」は、三菱系企業が三菱大夕張炭鉱を開き、町として発展した。が、高度経済成長が進み、国もエネルギー転換を図り石炭の需要が減り、三菱も手を引き始め町は衰退していく。そんな中で三菱南大夕張炭鉱でガス爆発事故が発生し、衰退はさらに進み、地域はダムの底に沈むこととなった…。
    そんなさびれた地域の高台にある大夕張メモリアル展望台に集まった元炭鉱夫の茂治だったが、茂治は持病で死亡してしまい、謙三らは茂治の死体を大夕張にあるシューパロ湖(今はダム?)に沈めようとするが…。

    じじいらのキャラや会話の面白さと、大夕張の衰退や消失といった寂しさが、波状的に重なって迫ってくる舞台。昭和の過渡期にあった一地域の変動を、社会的・個人的な視点で描き出す良作。

    炭鉱閉鎖が決定し、(三菱の建てた)神社も更地になったというエピソードとか象徴的だなと思う。もともと人が住んでいなかったであろう地区に炭田が見つかり、人や資本が流入し町となり神社も建てられたという流れがあり、炭鉱が用無しとなった以上、神社すら不要というのは自然なサマであるが、人の情が一度存
    在してしまうと、ここにドラマが生まれることとなる。言い方は悪いけどやっかいだなと思う。
    ATでゲスト(てがみ座の主宰)が話していた、宮崎のとある村は地域社会を維持できず、集団で移転することとなり、その移転助成をもらうためには自己の家屋を自己で壊さなくてはならないらしい。
    日本の衰退(人口減少や高齢化など)の象徴の一つに地方の衰退もあるだろうけど、色々新しいモノが蠢く東京にいるとそこらへん鈍感になっているなと思う。

    なんにせよ良い舞台だった。ラストの、大夕張を愛してる茂治の死体を湖に遺棄しようと話する面々に対して、それでいいと思うと純粋に思わせるチカラがあった。
  • 満足度★★★★★

    没落した産業(夕張の炭鉱)の話で私には面白かった。

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