晩餐狂想燭祭~惨~ 公演情報 晩餐狂想燭祭~惨~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★★★

    Dangerous Box vol.13本公演 綾艶華楼奇譚 第三夜 『晩餐狂想燭祭〜惨〜』
    愛しても愛されない。
     愛されても愛せない。
     求めても求められない。
     求めないのに求められる。
     解って欲しいのに解って貰えない。

     満たされない想いが涙に変わり。涙は、廓という檻をゆらゆらと金魚が揺蕩う、金魚鉢へと変えて行く。

     満たされない想いと満たされない愛が、永遠に揺蕩う金魚鉢へと...。

     全ては、現か幻か。全ては泡沫の夢。

     金魚鉢に閉じ込められた金魚のように、鉢も水もなければ生きられない金魚の如く、遊郭という鉢の中でしか生きられない遊女の、男と女、男と男、女と女の生きる哀しみと愛と諦め、藻掻く姿が胸に痛く響く。

     現し世で見る束の間の幸せという幻。その幻に縋りたかった遊女、幻を夢見た女の心を持った男、その幻をすっぱり見ることを辞め、永遠に揺蕩う金魚鉢の中で生きていく覚悟を決めて選んだ女、靡かないその女を求め続け、満たされず永遠に揺蕩う男、その男を永遠に求め続ける女。

     妖しく、色艶っぽく、華やかで、絶望的なほど哀しくて、皮膚を食い破って心を蝕むほど孤独で、涙も出ないほど切なく美しい「綾艶華楼 晩餐狂想燭祭」の世界。

     なのに、どうしても好きで仕方ない。

     求めても求められない。求めないのに求められるジレンマ。解って欲しい、解って貰えない苦しみがヒリヒリと胸に滲みる。

     なぜ?どうして?しょうがないでしょ、愛してしまったんだもの。想い想われ、拒まれて、混ざり合った想いは愛だったのか、憎しみだったのか。想いは何処にあるのだろう。

     愛してるのに....。
     解ってよ、私を観てよ。
     あなただけを観ている、私を...。

     二枝 (小春千乃二枝さん)は、「晩餐狂想燭祭〜弐〜」の時からずっと、この想いを八文字(林里容さん)に叫び続ける。その体の底から迸るように絞り出す、小春千乃(ゆきの)さんの二枝は、観る度に切なくて、胸が軋むように痛くなる二枝そのもの。

     これ程想われても、一華(篠原志奈さん)への想いに囚われている八文字は、二枝の愛に応える事はない。一華に受け入れらない想い。それはまた、二枝の八文字への想いと同じ。その事に気づいて、二枝の心を想いやれたら八文字も二枝も、もしかしたら、幸せになれたのかも知れない。

     同じ想いを抱え苦しんだ者として。応えて貰えない想いと応えられない想いの狭間で、もしかしたら、一番苦しんで引き裂かれそうだったのは、林里容(のりまさ)さんの八文字だったのかも知れない。

     二枝の叫びは、八文字の叫びだったのではないのか。目の前で観た、林里容さんの八文字の俯く姿にそんな風に感じた。

     八文字の想いを拒み、凛と潔く、この廓という金魚鉢の中で、生きて行く覚悟を決め選び取った篠原志奈(ゆきな)さんの一華は、更に色艶っぽく、艶やかに、決然としていて揺るぎなく、格好良さが増していた。一番好きなのが、一華。そして、睦ちゃん。

     「晩餐狂想燭祭〜弐〜」の冨永裕司さんの睦ちゃん。睦ちゃんが睦ちゃんになる前の男鬼六の時代の話も織り混ぜられ、睦ちゃんになる瞬間、鬼六の葛藤と切なさ、それが、睦ちゃんが時折見せる孤独の翳りに繋がっていたのかと気づく。

     半田瑞貴さんの三葉の、鬼六の心が女であることも、女を愛せないことも知った上で、ありのままの鬼六そのままを、全てを包み込む、深さと潔さもまた、ひとつの愛だと感じた。

     しかし、それだけでなく、歌、ダンスも華やかで艶やかで、笑いもあって、艶っぽく華やかなポールダンスと三味線、篠笛も加わり、より妖しく、より豪華絢爛に、哀しくも美しく、残酷で優しく愛しい「晩餐狂想燭祭〜惨〜」だった。

                           文:麻美 雪

  • 満足度★★★★

    晩餐狂想祭を初めて観た
     1歩間違えると、学芸会に間違えてしまうほどお粗末な寸劇系では無く、2人セットのポールダンスにしても彩りを添えるダンスにせよ、かなりの経験値を感じさせる舞台でありました。また、ユニゾンで「同じセリフ」を拡声するシーンも斬新でした。内容的には、遊郭の人間模様で難解でありまして、問題提起をして、いかにも演劇~舞台系な展開でありましたが、最後まで緊張感を持たせた流れであり、とても楽しませていただきました。

  • 満足度★★

    雰囲気倒れ
    前作の評判の良さに、興味を持って行ったのだが、これは芝居だと思うからいけないのか?
    少なくとも芝居として観た限りでは、期待外れであった。

    それっぽいエピソードに、それっぽい言葉の羅列、ただそこにあるのは雰囲気だけである。
    時代がかった味のある言葉を出していながら「ら抜き」だったりするのもしらける。

    激しい調子で、立て板に水で喋り続ける俳優たちはすごいとは思う。
    男女ともに、台詞術に長けた俳優が一定数おり、見事な名調子を聞かせてくれる。
    だからこそ、彼らに同情したくなってしまうのだ。

    もちろん、ショーであればこれでいいだろう。
    今後はショーであると銘打ってもらいたいものだ。

    しかし、ショーであっても、前説の、騒音としか思えないマイクの声の大きさと、押しつけがましさに、本編が始まる前に帰ろうかと思ったことも付記しておく。

  • 満足度★★★

    全体として
    中途半端

    ネタバレBOX

    廓での女郎や性同一性障害で悩む男衆の苦悩、客の栄枯盛衰を描いたメインのストーリーにポールダンスなどの彩りを加えたエンタテインメントショー。

    中村中とショスタコーヴィチの曲でスタートし雰囲気は十分でした。ストーリーもショーも、おひねりもどきも中途半端に感じられました。

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