原作:ガルシア・マルケス『この村に泥棒はいない』、シルビーナ・オカンポ『鏡の前のコルネリア』
原作:ガルシア・マルケス『この村に泥棒はいない』、シルビーナ・オカンポ『鏡の前のコルネリア』
原作:ガルシア・マルケス『この村に泥棒はいない』、シルビーナ・オカンポ『鏡の前のコルネリア』
実演鑑賞
喫茶茶会記(東京都)
他劇場あり:
2016/07/11 (月) ~ 2016/07/13 (水) 公演終了
上演時間:
公式サイト:
https://note.mu/nohaycornelia
期間 | 2016/07/11 (月) ~ 2016/07/13 (水) |
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劇場 | 喫茶茶会記 |
出演 | 鎌田紗矢香、むらさきしゅう(プリッシマ) |
脚本 | |
演出 | 守山真利恵 |
料金(1枚あたり) |
1,500円 ~ 2,800円 【発売日】 《本公演》 一般前売り:2,500円 一般当日:2,800円 学生:2,000円(前売り・当日共に) リピーター:1,500円 (本公演は前売り、当日共にワンドリンク込み) |
公式/劇場サイト | ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。 |
タイムテーブル | 《本公演》於 綜合芸術茶房 喫茶茶会記 7月11日(月)~13日(水) 11日(月)15:00 / 19:30 12日(火)15:00 / 19:30 / 21:30 13日(水)15:00 / 19:30 |
説明 | 『百年の孤独』で知られるノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの初期作品『この村に泥棒はいない』、幻想を織り交ぜて独特の視点で現実を描いた女流作家、シルビーナ・オカンポの『鏡の前のコルネリア』の2作品を上演します。 なぜ今、この作品を選ばなければならなかったかと言われるとスパッときれいな答えが出てこないのですけれど、彼らの生きた国々、雑な括りですがいわゆる中南米は死者との距離がとても近いと言われています。そのこと自体よりも、むしろそれによって逆に浮かび上がる生者との距離に非常に興味を覚えました。生きている、ということを考えるときに他者のこと、或いはそれらとのつながりのことを連想します。いわゆる社会とか集団とか呼ばれるものです。が、こう、何となくですが生きているということ自体がもう一つの括りじゃん、と思ってしまったら突然それが凄い大変なことのように思えてきてしまいました。いや、意識しなければ大変じゃないのかもしれないけど。 生きづらさをテーマにした作品が昨今増えています。特に若い世代で増えているようです。もちろん、なにか問題が起こるってことはその土壌があるわけですけど、生きづらさに関してはもう何十年も何百年も前からテーマにされていたのだな、と。 生きづらさなんてそんなことはてめえで悩んでろ、と思われるかもしれません。私も思います。問題は生きづらさ、そのものではなくて、生きている、生活している、という括りの中にもまた無数の括りがある、それはあるときには集団・社会であり、そこにあるルールや道徳かもしれません。今回は(大きな括りがある上に)その無数の括りにもがいている人たちの可愛らしいお話。 どこにも行かない人たちの、どこにも行けない話。 |
その他注意事項 | ご予約はこちらからどうぞ! https://ssl.form-mailer.jp/fms/b46909b2449290 |
スタッフ | 演出助手:井上哲 舞台写真:奥山郁 連動展示:amy kazusa(GalleryNIW限定) |
なぜ今、この作品を選ばなければならなかったかと言われるとスパッときれいな答え...
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