DOUBT 公演情報 DOUBT」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    不実の杏 今後も期待している
     正しいこと、というのが単純ではない、ということをJFK暗殺以降のアメリカ変容へ向けての胎動期として捉えようとする優れた作家の意識が表出された良いシナリオだ。この作品に目を付け上演した、不実の杏という劇団、旗揚げ公演であったが、今後も期待したい。
     舞台空間の作りは合理的だし、演出、演技も中々しっかりした基礎が見える。シェイクスピアプロジェクトメンバーを中心に結成されたとか。

    ネタバレBOX

     ジョン・パトリック・シャンリィ作の本作。1963年11月22日JFK暗殺の頃のNYのカソリック学校が舞台の話である。この学校のフリン神父が実は、ホモセクシュアルで子供を相手に悪戯をしているのではないか、との疑惑がシスターで校長のアロイシスに持たれたことが、今作の中心的な設定だ。ただ、彼女は何ら証拠を持っておらず、単なる思い込みと取ることもできそうである。一方、当時のアメリカでは、ホモセクシュアルをはじめ同性愛は宗教的タブーでもあった。而も同じキリスト教でもマジョリティーはプロテスタントであり、カソリックはマイノリティーである。こんな事情もあって、劇中、この決定的言葉が直接述べられることはない。但し、執拗にこの「こと」について言及される。このような書き方がされることによって社会の階層性が観客にも明らかになる。作家はこのような書き方をしているのである。
     因みに宗教界とは権威のヒエラルキーであるから、今作の設定では、シスターの上には司祭がおり司祭の上には司教がおり…と頂点迄その権威づけが存在し、双方向の序列の上下関係は厳格に守られていることが前提である。
     さて、ここで校長のキャラクターにも触れておいた方が良かろう。かなり厳格なタイプで、而も自信家。世の中の裏迄知り抜いているとうぬぼれているのは、結婚していたことがあり、夫は第二次大戦中、独軍と戦って戦死した。常に正義は自分達の側にあるとの認識が金科玉条である。そこからしか発想しない為生徒からは懼れられ敬遠されているが、それ故にこそ、自分の教育方針は正しい、と只管信じている。
     一方、司祭のホモセクシュアルの対象と目されたこの学校初の12歳の黒人生徒を受け持つシスタージェームスは歴史好きで素直な、教えることが楽しくてしようがない隔ての無い性格なので生徒から慕われている。校長は彼女に対し、神父の様子に気をつけ報告するよう申し付ける。即ちスパイである。彼女は気が進まないが上司の命令であるから仕方なくその作業をこなすが、証拠も無いのに疑う校長の姿勢に疑問を持ち、司祭とも直接話をして、司祭を信じることにした。
     一方、校長は追及を止めない。黒人少年の父母を学校に呼びつけて、この「件」に関して見解を押し付けようとする。然し、母親は反駁する。仮にホモセクシュアルの相手であっても、受け入れるべきは受け入れ、その上で自分の将来にとってプラスになる道を選択してゆくことが、差別され、いつも踏みつけにされる自分達が自分達の力で這い上がってゆく唯一の方法であり、仮に証拠があってそのようなことを校長が言うにした所で、以上のようであり、まして証拠もなく事実であるか否かも分からないのに、放っておくのが良い判断だ。決めつけて自分達の可能性を潰そうとすることに対しては承服しかねる、と言うのである。流石の校長もこの黒人の母の凄まじい苦労を重ねた知恵の前にはひかざるを得なかった。
     だが、彼女は諦めない。神父を呼び出し、鎌をかける。神父の前の職場に連絡をした、と言ったのである。彼女は、司祭にではなく、シスターに電話して確かめた、と嘘を吐くが、司祭は動揺し、自ら司教に連絡を取り、この学校は辞めた。その後、他の教区で司教となった。との後日譚が、校長とジェームスの間に交わされる。栄転と、校長は嫌味っぽく言うが。では、ホントに証拠があったのかを尋ねたジェームスに電話はかけていません。自分は嘘をついた、と校長は告白。その罪は償わねばならない、と。
     因みに1965.2.21にはマルコムXが、1968.4.4には、キング牧師が暗殺されている。

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