燕のいる駅 公演情報 燕のいる駅」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.0
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  • 満足度★★

    脚本の面白さに演技が追いつかない
    初見、知人の紹介で観劇した。前日に劇場までの案内メール、当日は要所に関係者が立ち道案内をしており丁寧な対応であった。さて、公演は、物語のテーマ性、主張すべきことは鮮明であるが、それを観せる演出と話を体現する役者が脚本に追いついていないのが残念。

    説明文から明らかなように、核、放射能を描いた物語であるが、その時代背景は不鮮明である。この曖昧な時代設定がいつの時代でも共通しているという問題提起のようだ。舞台はユートピア入り口にある日本村4番駅である。しかし、ユートピアどころか逆のディストピアの様相である。また、この駅名から連想できる人種差別の描き。

    日本人は天災と復興を繰り返す歴史を持つ。東日本大震災 では天災から原発問題...震災直後こそ脱原発依存の風潮であったが...。人の生活状況、条件はさまざまで一律的な発想は難しいかもしれない。それでも震災を契機に何が禍福なのか考えることも必要。

    なおタイトル…燕(の巣)は、人間の有り様への比喩。

    ネタバレBOX

    この芝居では駅員の休憩所と思しきところが舞台。そのセットは、中央にテーブルとL字にベンチ椅子。上手に給湯室、下手が駅ホームへ通じる出入り口。その横にラック。正面壁は時刻表と勤務表が吊るされている。この駅は乗車のアナウンスがされるが、電車は走らない。
    そもそもこの街に人が居なくなっており、この場に居るのは駅員の2人、売店の女性とその友達、電車に乗り遅れた漫才コンビと謎の女性の計7名である。この駅員は幼馴染で一人は日本人の名を持つが、本当は日本人以 外の国籍。その証は襟に赤ピンバッジを付けている。小さな区別であるが、その意味するところは人の心内で大きな障壁になっている。
    ところで、何故二人の駅員は残っているのか?売店の女性の理由は明らかなのに…。人物造形や背景が描けていない。

    窓の外には不気味な雲が空を覆い始めている。不安と恐怖がジワジワと伝わる空間であるが、台詞だけの説明で巧く表現しきれない。上演時間が2時間30分(途中休憩5分)という長い物語であるが、その中には漫才を取り込む。そもそもこのコンビの会話、そこには苛立ち、憤りという物語の雰囲気を醸し出す要素があったが、漫才という客席から笑いもない冗長な演出は不要である。また演技全体が緩慢のようで、もう少しテンポよく魅せてほしい。その魅力が今を生きている希望のようにも思える。

    また舞台技術も単調、特に照明は空気や時間の流れが感じられない。もう少し時間の経過がわかるようなメリハリがほしいところ。脚本にはチェルノブイリをイメージさせる表現もあった。例えば孤島に動物を3匹(犬、猫、象)のうち1匹(頭)を連れて行くとしたら...象は原発事故の象徴であろう。

    この公演の特長は、その時代を特定させない、その曖昧さに普遍性を感じさせる。そして観客に問題提起を投げ掛け、その考えを委ねるようだ。しかし、この脚本・土田英生 氏の立場は、はっきりしている。

    役者陣の頑張りを期待している。

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