ロザリオと薔薇 公演情報 ロザリオと薔薇」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.7
1-7件 / 7件中
  • 満足度

    出演者多数
    主役のアベルは安定感があり、初見ながら男惚れする高くぶれない演技力を感じられた。舞台装置もだいぶ予算が掛かっているのであろう事が予測された。ただこれだけ高身長の役者が多いと二回屋は大変であろうなと思う。窮屈な感じがしたので、舞台奥への出入り口のもっと前から段差を作ってあげて下げた方が良かったのでは。
    話は難解である。

    ネタバレBOX

    難解な話や哲学的なテーマは大いに結構である。であるが、どうしても抑揚の少ない演技プランだとよく分からない。そして物語終盤になるにつれて「誰が誰を殺す」ということが重要なテーマになってくるようだったが、このやりとりを白熱させるのであれば、もっと分かりやすくしないとお客の頭には入ってこないのではないか。
    唐突にキャラが出てきて自己紹介するのも別に構わないのであるが、お話の中での必然性がとても分かりづらい。
    主役以外の男性も女性もどうしても妙なかっこつけが多く、気になってしまって仕方ない。男性は大体厳しかったような。
    上手下手で世界を分けているのに、始まって10分以上してからやっと気付いたが、だったら両方の世界は行けないようにするとか、縛りが分かりづら過ぎて客の共感と理解をここまで突き放すのはどうかと
    左右対称風を出したいなら何故二階屋も対称に作らなかったのか。
    そもそもこんなにキャストが必要な演劇なのかも良く分からない。
    演出が付いているのかいないのかよく分からないが、戦闘の動きが雑過ぎる。稽古不足故に遠慮しているのだろうか?当てなくても綺麗な動きがあると思うのだが。
    明石スタジオで10年以上前にシリアスに妙なかっこつけで吠える芝居を見て、だいぶ困ったが、こういう演技プランを呼び寄せてしまうのだろうか
  • 難解
    話はよく分からないが、『紅い爪』よりは脚本家の伝えたいことが見えた気がした。
    ヒロインを石垣エリィが好演。
    真京孝行、仲田正道も良かった。

  • 満足度★★

    劇場の選択が・・・
    舞台床上から階段上(二階)まで、上下いっぱいに使った芝居なので、座席によっては、というか、最前列以外はほぼ見えないシーンが多く、舞台に集中できなかった。

    難解な芝居だけに、集中できないというのはキビシかったですね。

    “Geki地下”とか“KASSAI”とかだったらよかったかも・・・。

  • 満足度★★

    何というか・・・!!!
    私にはストーリー展開の理解が出来ませんでした。
    衣装もチープ(造りが雑)だな~と感じられました。

  • 満足度★★★

    難解でした
    ストーリーが哲学的(?)な感じで、私には難解でした。テーマとしては分かる気もするのですが、ストーリー自体は、よく理解出来ませんでした。役者さん達の熱演、衣装や照明などで、不思議な雰囲気が出ていて良かったのですが、もっと分かり易いと良かったです。

  • 満足度★★★★

    人間とは複雑で厄介なのもだ
    タイトルに興味を持ち、招待に応募した所当選したので21日午後に出かけてきた。

    この作品の粗筋は難しい。パンフレットの掲載されている粗筋だと、

    2つに分かたれた世界。その片側でエレンは目覚めた。
    見覚えの無い場所に狼狽する彼女に対し、傍らに立っていた見知らぬ男・アベルが告げる。「ここは異界です、お嬢様」
    しかし居合わせた姉妹は、ここは夢だ、現実だ、と口々に違うことを言う。動転するエレンをよそに、あちらこちらに次々と現れる人々。その中に誰一人彼女の知る顔は無い。
    互いの世界について分かっていることは、姿は見えるし会話も出来るが触れられないということ、人々は相容れない価値観を持っていること。それだけにも関わらず、みんな世界の在り様を疑うことなく、異世界の人々と時に言い争いをしたりしながら、曲がりなりにも平和を保っていた。しかし或る時、いつの間にか接触が可能になっていたことが発覚する。
    人々は喜ぶが、アベルが発した、「異なる空間の融合は不可能であり、どちらかの世界が消える筈だ」という言葉を境に、軽い口喧嘩だったものは熾烈な論戦へと変わり、諍いは激化していくーー。

    現実は、夢とは何か。今と過去と未来とは何か。人の表と裏は何か。そんな謎を秘め、一人ひとりの人間の本性は細分化二分化されて2つの世界で行きている。それぞれの世界の人間は、もう一つの世界の誰が別の自分なのかわからない。そこに決して死なない(というか死ねない)王として存在するアベル。そして意味もわからず対極の世界の王としてこの世界に引き込まれたエレン。観客に、人間の本性とは何か、死とは何か、生とは何かを問い対峙するような舞台に、自ずと観るものの神経は研ぎ澄まされていく。
    と、ここまで書いて、さて、この舞台で一体我々に何を言わんとしているのか。舞台内容とタイトルとはどんな関わりがあるのかがちょっと分かりにくいというかきちんと提示できていないのではないかという想いが心の片隅に生まれている。いや、観ている最中からその疑問は沸き起こり解決されていない。しかし、不思議なもので観終わった時、難解な舞台という思いはなく、何かがわかったような気になる。
    それにしても、エレンのハイテンションには参った。人間、本当に不可解な事に出会った時ほどテンションは肺にはならずもっと暗く静かなものになると思う。そこに人間の本誌地の不気味さ、理論的に無解決なことへの恐怖というものを表すことが出来るのではないかと思う。
    こういう題材を扱うには、もっと人間の対する深い洞察とセリフの厳密な選択が不可欠である。

    無意識に観客を舞台に引き込んでいく力は、演出と役者の力量だろう。ある意味、面白い舞台を観させて貰った。

  • 満足度★★★★

    唯心論とは何か?
     言葉で存在を措定・生み出そうとする試み。

    ネタバレBOX

    極めて形而上学的・唯心論的言辞によって構築されたシナリオは、論理を追う癖を持たず、訓練していない人間には若干とっつきにくいかも知れないが、論理を追える者にとっては極めて面白く遊べる作品である。
     大切なことは、総てを疑った時、疑っている“主体”とされる者は真に疑えない者として存在しているのか? という問いである。即ちCogito ergo sum.は般化できるのか? 間違いはないのか? という問いを内包していると言うことができるのだ。別の言い方をすれば、無限に疑っているのは、存在だと言い切れるのか? ということでもある。それは、単なる構造であって、パラレルワールドに存在する誰か別の人格の思考構造や、ドッペルゲンガー、夢など不確定な何かではないのか? という問いである。
     当然のことながら、このような存在の不如意には、我らが何処から来て何処へ行くのか? 我らとは何者か? 通常の論理では答えを出せない普遍的問いが、前提になっている。
     従って作中提示される異空間のずれによる接触不可、境界を逸脱すると生じるかも知れない消滅の問題(デュラックの海などの過渡的解釈で生じる見解の一つ)、生と死の属する次元は同一であるか否か等々の問いで遊べるのである。また、今作のラストの部分で、永遠の命を保っているとされる2人として顕現するキャラの相克では、道化役が王に刺されて死に、死体になったハズの道化役が王を刺して死に至らしめようとするのだが、これは成立しないことで幕を閉じるのは当然である。即ち、今作のオーダーは言葉によって存在を生み出すのが基本コンセプトなので、i二乗=-1は成立しないのである。これによって王は死ぬことができないというアイロニーが際立つことになるのだが。

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