象 公演情報 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-1件 / 1件中
  • 満足度★★★★

    変われない植民地、日本及び奴隷としての日本人
     自己主張することが殆ど狂気にしか見えぬような日本社会の鵺的特徴を25歳の別役 実は適確に見切り、極めて鋭く告発している。初演は1962年。つまり60年安保の翌々年である。アメリカ大統領はJFK、日本の首相は池田隼人であった。(追記2016.4.18)

    ネタバレBOX


     ところで、この日本という「国」の体たらくはどうだ。半世紀以上も前と少しも変わらないどころか却って劣化しているのではないか? 実際、世の中は、ほぼ世襲の富める者と殆ど世襲の貧しく惨めな者とに分けられ、而も貧しい者達は革命権すら忘れてしまったらしい。
     実際他の国々に文化を発信してきた様々な国々にも、政治的・時代状況や、監視社会で暮らす民衆相互の利害関係の中で、人々の軋みはあろう。だが、真に優れた文化を世界に発信してきた国々は、必ずこのような人間関係の軋みを越えようとするような発想(例を挙げれば、キリスト教の隣人愛や儒教の礼・知・真、老荘思想やユマニスムなどが併存している為、被支配層に於いてもその人々の精神が為政者のイデオロギーに盲従することはない。無論、為政者は権力・軍事力・政治力・経済力を持ち、監視システムを持つのが常であるから、面従腹背という芸は用いるだろう。然し自ら好き好んで奴隷と化すような下司ばかりが横行することはない筈である。ところがこの植民地では、面従腹背という最低限の芸すら持たず、唯々諾々と、下司に連なる下司が社会を埋め尽くしているのである。そしてその姿は半世紀以上前よりも寧ろ酷くなっていると断ぜざるを得ない。
     オジサンと呼ばれる被爆者の、背中一面のケロイドはオジサンよりも世界に対しては効果的な印・表徴である。グロテスクであることによってそうであらざるを得ないようにされた理不尽自体が、本当は問われているのであり、だからこそ、人々は、彼・彼ら、総ての被爆者を敬して遠ざけ、無視するに至った訳だろう。甥の見解はその意味では、戦わざる者の言い訳でもあり得る。だが、問題は、オジサンの立場にしても甥のそれにしても鵺社会での立ち位置が無いことにこそある。その意味を、底なし沼に嵌り込んでゆく覚悟で探索せねばならぬ所迄示して見せた点にこのシナリオの凄さがある。演技は医師の突き放した感覚とオジサンの半ば狂気に至り着いたような側面を出し、終に症状の現れた甥の遣る瀬無く寂しい、侘びを出して中々見応えのあるものであった。

このページのQRコードです。

拡大