イエドロの落語 其の参 公演情報 イエドロの落語 其の参」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 満足度★★★★★

    イエロー・ドロップス:「イエドロの落語 其の参」
     会社帰りの金曜日の夜、観に行く人だけに知らされる道案内を頼りに、暗~い夜道を10分ほど歩き、夜目にふんわりと滲んだ提灯の灯る、八幡山の秘密の見世物小屋で、劇団おぼんろのさひがし ジュンペイさんとわかばやし めぐみさん、二人のユニットイエロー・ドロップスの「イエドロの落語 其の参」を観て参りました。

     古典落語の「粗忽長屋」の他、幾つかの落語と今回物語コーディネイターとして、劇団おぼんろの末原拓馬さんが書き下ろした物語のような、落語のような物語を加えて、落語をお芝居仕立てで観せるという新しく斬新な落語。

     スペースとしては小さな空間。其処は江戸の寄席のようで、その空間を、余す所なく使い、音と灯りと映像を縦横無尽に使い、しかもそれが芝居と見事に溶け合って、ひとつの世界を織り上げていた。

     6月に初めて見た、おぼんろの「ゴベリンドン」(私の大好きな、これを観ておぼんろのファンになった舞台)の感じとは全く違うのカラッと明るく、止まることをしらぬはじけっぷりのめぐみさんとさひがしさんが紡ぐ、掛け合い漫才のような落語の世界。

     飛び出す落語とも、立体落語とも言えるけれど、目の前にポンと噺の世界から登場人物が現れた瞬間、其処はもう、江戸の町だったり、品川の海だったり、神社の境内、江戸の貧乏長屋そのものの景色にかわる。

     それは、お二人が今回の主役のお染と金蔵その者として、目の前に存在し、生きて、佇んでいるからに他ならない。

     幾つもの落語と末原拓馬さんの落語のような物語をひとつの世界として、美しく流れるようにひとつの物語として織り成し紡いだのは、物語コーディネイトをされた末原拓馬さんの紡いだ物語の素晴らしさと、其をお染と金蔵として息づいていたお二人のが佇まい、素晴らしい映像とが溶け合って織り成されていたから。

     兎に角、理屈なく飛びっきり面白い。笑って、笑って、最後にキュンとして、しみじみとして、ホロッと泣けて、お腹の底から笑って元気になれる「イエドロの落語 其の参」でした。


                                文:麻美 雪

  • 満足度★★★★

    見世物小屋に早変わり。
    古典と新作と演劇と映像のコラボレーション。愉快な75分でした。もっとこういうのが増えたら、落語の垣根も演劇の垣根も低くなるのかな。
    三遊亭の噺家さん(たぶん吉窓さん?)も昨日いらして楽しんだそうな。
    この公演を高座に掛けてくれる噺家いないかなー。

    感想をTwitterで見ていると、楽語、と書かれている人がいて、なるほどなー!と感心。

    古典落語は新作っぽく、新作は古典っぽく。4つの物語を1つの流れにしてあるから、無理なく観られるし、長いって気がしない。そこは拓馬くんの腕だなぁ。

    舞台美術が最高でした。映像も含めた空間作りが。

  • 満足度★★★★

    ★4つ半です!!
    元ネタの落語を「落語を聴くより面白い芝居」にするにはいくつかの仕掛けが必要だ。
    噺家がひとりで演じる落語を二人で、景色や状況を映像で補足、
    芝居ならではのエピソードを挿入…と、
    その仕掛けがうまくかみ合って大変面白かった。
    「ニートの金蔵」とか、スマホの着信音とかの演出も良い。
    ★は4つ半とさせていただきます。

    ネタバレBOX

    横長の白い壁(布?)を正面に、椅子と座布団が並べられている。
    主演のお二人は受付や席への案内に心を砕いてくれて、いつもながらの雰囲気。

    冒頭映し出される映像がセンスも抜群、大変楽しい。
    長編の「品川心中」を前半でカットして
    「粗忽長屋」の“行き倒れ”につなげる辺り、とてもよくできていると思う。
    「始末の歌」はいつ聴いても笑える。

    遊女お染と“ニートの金蔵”のキャラがはまって落語の語り口に劣らぬ面白さがあった。
    わかばやしめぐみさんの、落ち目の遊女の意地と情けなさがとても良い。
    さひがしさん演じる、金蔵の底抜けなお人よしぶりも良かった。
    案山子の師匠が若々しく、もうちょい“枯れた感”が欲しかったかな。
    「パラレルワールド」の哲学的思想を挿入したことも成功している。
    終盤の映像とリンクして、自分勝手なお染と、甘ったれの金蔵が
    それぞれ変化・成長する様と重なるのも上手い。

    ちょっと残念だったのは、やや饒舌なところ。
    「粗忽長屋」のオチ「…抱いてる俺は誰だ?」のリピートはなぜだろう?
    案山子の師匠のキャラがもっと渋く、もっと台詞を絞ったらより印象に残るのではないか?
    一発で決めるオチの強さ、シュールな面白さが薄れた印象が惜しい。
    だが元ネタを知らない人が見れば全く気にならないことかもしれない。

    これらはたぶん「イエドロの落語」がどうありたいか、にかかわってくると思う。
    「落語の面白さを芝居仕立てで伝えたい」のか
    「落語に想を得た芝居を創りたい」のか。
    それによって創作部分の分量や繋ぎ方、キャラの投入などが変わってくるだろう。

    個人的な好みを言えば、
    思わず元ネタのあらすじをネットで確かめたくなるような
    どこまでが落語なのかわからないほど自然で自由なストーリーが観たい。
    落語には出てこない魅力的なキャラが自在に動き回るのが観たい。
    もしかしたら新作1本書くより手間のかかる作業かもしれないが
    既に完成された落語というジャンルを、敢えて芝居で魅せる意義は
    そこにあると思うから。
    いずれにしてもこの芸達者なユニットの、次が楽しみ(^^♪

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