ダムタイプ『S/N』上映会 公演情報 ダムタイプ『S/N』上映会」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    ぺダンチックなインテリが面白がりそう
    『S/N』は、DVDで市販されていない。使用されている音楽の著作権の問題があり、ある企画に沿ってコンセプチュアルに制作された訳でもなく、あちこちで行ったライブを撮影した物の中から良く撮れている物を繋ぎ合わせたという側面を持つからである。

    ネタバレBOX


     一方、1984年に京都市立芸術大学の学生によって結成されたダムタイプは、その後ヨーロッパツアー等も敢行するようになったが、NYから戻ったダムタイプ創設メンバーの一人であった古橋は、1992年に発症、余命3年を余儀なくされていた。無論、エイズである。実際、発症すると3年で亡くなるというのが、1995年迄のエイズ患者の実情であった。
    1996年に良薬が開発され、発見・処置が早ければ本来の余命を全うできるようになったので、現在はこの薬を服用する限り、死にはしない。だが、古橋は95年に亡くなっている。その彼が、自分の余命を知り、持ち得る総てを賭けて創ろうとした作品が、このS/Nである。個々のメンバーに独自性を迫りつつ、当然のこと乍ら集団性への依存を排した。何故なら、それは表現にとってマイナスでしかないからである。そして、未だ、年若い表現者が依拠すべきものは、その観察力と観察を通して得られたデータに基づく思考そのものであるからである。凡俗が考えるように、年長の権威者に媚び、寵愛を得て後継者を目指すことではない。そんなことは、マガイモノに任せておけば良いのだ。才能あるアーティストの目指すことではない。まあ、自分の戯言などどうでもよいのだが、S/Nは、作品としてはかなりアナーキーな傾向を持っている。だから、表現各々の要素が、通常個々を構成している要素(国籍、人種、使用言語、権利、権威等々)を否定するような場面も登場するのだが、これは我々を構成する第2の自然即ち慣用を成立させる根底であり、アイデンティティーの根拠である。アナーキズムを徹底させる限り、ヒトは、アイデンティティーの根拠も喪失する。その辺りの事情を上手く説明するのが、M・フーコーの構造主義なのであり、エロスとタナトスを論拠としながら、それを必然的な連環として繋いで見せたG・バタイユなのである。そして、古橋の目指したものは、バタイユの「マダム・エドワルダ」に描かれるエロスを通したタナトスという謂わば情報にノイズとして介入することであったハズだ。即ち、ロマン派の最後の残照に対して雲の如く湧き上がる一種の異議申し立てである。この意味に於いて、今作は意味を持つ物となる。
    但し、20年も前の作品なので、この植民地での大方の人々のテンションは、20年前より遥かに歪んだものとなり、最早、なまじの評論如きでは、痒みすら感じないほど鈍化していなとしての話だ。

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