満足度★★★★★
まるで
ジェットコースターのようだった。あれよあれよと突き進み、最初はどんなことが起きていたか忘れてしまうほどにマリアと生きた気分。津軽弁はところどころ理解できなかったりしたけど、不快ではなく、心地よかった。願わくは、眼鏡キャバは繁盛してほしかった(笑)。山村崇子さんのゆったりとした声に和む。人間の業が丸出しのシスターって可笑しくて愛おしい。わたしも小さく死にたい。 人生はアレのように、剥いても何もないのかな。涙が出るだけかぁ。なんだか奥深い。キャバ嬢の夏子さん、反則。夏子嬢に会いにアゴラに通う。あぁ、こういう風にハマっていくのかぁ。貢いで、吸い取られていくのかぁ。そうした店を未経験なので、まさに擬似体験した気分。でも、完全にもう一度会いに…じゃなかった、観に行く気になってる。小さく死んだな。
満足度★
終演を待ちわびた/約115分
社会と折り合えずに苦悶するヒロインは、単なる“東京アレルギー”と言うよりも、人間アレルギーにして世界アレルギー。
後ろの2つにフォーカスを当ててくれば、その多くが“人間アレルギー”であり“世界アレルギー”であろう演劇の観客たちは、もっと身を入れて本作を観ることができたに違いない。
だのに実際には、津軽出身のヒロインが東京に馴染めず足掻く様にフォーカスが当てられている上、ヒロインの苦しみが人間普遍の苦しみへと敷衍されきっておらず、観客としてはヒロインに己を投射しづらい。
ために、いまひとつ感情移入しづらい仕上がりになっていて、その点がとても勿体なく思われた。
いや、そんなことを言う以前に、本作、東京でもがくヒロインの受難の有り様が型にはまり過ぎていて、お話としてまるで楽しめず。
中盤以降は退屈で退屈で、終演が待ち遠しくてならなかった。