満足度★★★
ちょっと惜しかった…?
ハッキリしない、という印象でした。意図してハッキリさせてないという感じでは、多分なかった。
目指しているトコ、描きたいビジョンはなんとなく分かるのですが、描ききれていない、到達してない。
描きたいことが多すぎて、詰め込みすぎて、大事な部分がぼやけてしまっているせいもあると思う。一本芯が通っていないように感じられた。
本当はもっと面白いんだろうな~、でも、伝わりきらなくて、歯がゆい。
今回は実験的だったのかもしればいし、自分の鑑賞力が弱いせいもあるかもしれないので、もう一度観てみたい劇団ではある。
余談ですが、カメラマンさんの横の席になってしまい、集中して観れなかったのが残念。特に、終盤の舞踏の時のシャッター音が大きかったのは、本当によろしくない。記録に残したい気持ちは分かるのですが、それによって作品の魅力を観客に伝えられなければ、演劇として上演する意味がない。集中力が切れてしまうので、もう少し配慮が欲しかった。
満足度★★★
主婦たち、それぞれの夫、一人の女。
開演。俳優の立ち方、言葉の発し方、踊り。それら全てが「古い」と感じる。意図的であるのか、どうかが不明。技量と考え合わせ、意図的ではないだろう、という印象に傾く。だが、この戯曲が書かれた時代の、パフォーマンスの再現と理解し直すと、少し違う印象にもなる。それはそれで貴重に思える。戯曲が描いている時代はさらに遡るようである。否、時代の交錯するエアポケットがそこに生じたような、話であった。
「其之弐」同様、女性目線で書かれた洲崎を舞台にしたドラマは、7人の主婦とその夫、強姦され死に至った(と思しい)女性、その同類ないしは同根である花街に働く女性が登場するが、主婦と夫の7バリエーションの組合せで、男の場面も女の場面も常に順番に喋り、相似形をなす。大多数の人間、大衆である。多数の暴力に相対するのは、犯罪の犠牲となった一人の女性だが、この存在が大衆たる家庭に動揺をもたらし、最終的には定型的な収まり方に収まるという結論。
終盤、相楽ゆみの舞踏が秀逸で、一連のパフォーマンスの中にあって舞台を引き締めていた。
満足度★★★
「言葉」の表現が・・・
“テラ・アーツ・ファクトリー”初観劇。
色々な要素を取り入れたことによって、
確かにシュールな舞台にはなっていた思う。
だが、人間の深層に在る“ドロドロ”とした部分、それが“言葉”になり、
他者との関係性を構築するところから物語が生じると思うのだが、
「言葉」の裏表、その表現が少々弱いと感じた。。。