七つの大罪 公演情報 七つの大罪」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    ちょっとステレオタイプ?
      ベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイル二人の仕事を一昨年(三文オペラ)、去年(マハゴニーの興亡)とやってきた三年目(七つの大罪)の上演であるが、シアターX「本物の俳優修業」シリーズに位置づけられた作品である。このシリーズ、勉強会やら、ワークショップやらをこなして佐品上演に結実させてゆくのだが、今作では、過去2作より、時間をとって、2週間通常の稽古に近いことをやった上での上演である。
     但し、キリスト教国でもない日本で、キリスト教の罪の概念を反転させ、アイロニーとして用いている今作のアイロニカルな意味をどのくらいの日本人が意識化できたのか? という疑問と、倫理というものを宗教と密接に結び付ける一神教の発想に我々の宗教観や仏教的無常感がどの程度,親和性を持ちうるかについても、もっと掘り下げて欲しかった。
    (追記2015.3.10:02:00)

    ネタバレBOX


     まして、現在、アメリカの植民地である、この地域は、日毎、夜毎劣化しつつあり、ワイマールを持っていたドイツがヒトラーになし崩しに壊されていったように、日本国憲法が日々ほころびつつある中、ブレヒトの持つラディカリズムを日本国憲法9条1項・2項の無化を画策する安倍への楔として打ち込めるような舞台を期待したかったのであるが、練習期間の短さやドイツの現代日本の専門家でもない演出家を招いての演出には、矢張り無理があったように思う。急速に右傾化する現在の日本。及び日本の知識層の悩み迄は織り込むことができないからである。
     結果、演劇を良く観ている人々にとって、演出・演技は、ステレオタイプに映ったのではあるまいか。ブレヒト自身はカール・マルクスの提唱した知見に大いに共鳴した人であったが、矢張り、現代を生きる我々は、最低限、今カール・マルクスが生きてこの植民地に住んでいたら、何をどのように捉え、集めたデータをどのような哲学・方法によって分析し実践に繋げて行ったかを考えなければなるまい。最近、この植民地でヒットしている本の名を挙げれば、「21世紀の資本」のトマ・ピケティーが、利潤の分配に関して、安倍や竹中 平蔵の言うトリクルダウンを膨大なデータで裏付けつつ否定しているのを取り入れるとか、エマニュエル・トッドがその人類学的アプローチによって、遺産相続の違いによる社会とその社会で形成される意識の差を見たように、また識字率の上昇による社会変革の招致を示したように、そして、識字率が、変革を齎すレベルに達しているにも拘らず、社会変革が起きなかった社会に就いては、その原因を考えたように、定式化できるレベルと変数を用いなければ解が得られないようなケースをキチンと各々調査した上で、その地域、地域に合わせたアプローチを試みて欲しかったのである。そのようにしなければ、真の普遍性たるローカルから他のローカルへの受け渡しは出来ないように思われる。今作で言えば、ここで扱われているモラルを、例えば教育問題として役者達には考えさせるというようなアプローチの仕方が必要だったのではあるまいか? 安倍は、憲法改悪の為に搦め手として教育基本法改悪をやってきた訳であるから。ブレヒト作品の極めて政治的な面をキチンと継承すべきだと考える。

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