カナリヤ【追加公演決定!3日19時】 公演情報 カナリヤ【追加公演決定!3日19時】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
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  • 満足度★★★

    カルトの問題、社会の問題
    新宿眼科画廊地下1の壁や床もそのまま、「借景」のようにうまく使っていて、閉じた空間らしさも出ていた。
    中心人物、というか、俯瞰的なまなざしを持つキーパーソンが林アンという娘。そのキャラが独特で、どう造形させ、存在させたのか興味深かったが、
    あれこれすっ飛ばして結論的な事を書けば・・・、この娘のような人物が生きている事が「現代」である、という一文で十分な感もある。
    特殊な状況といえる設定で、人物たちの佇まい、ふるまいが、「あり得る」ように造形されていた事で、挙動や事の成り行きに最後まで注視をさせられた。

    ネタバレBOX

    宗教団体の支部、にしては開放的。拒否する自由もあれば、「訓練」に批判的言動(アン)も許していたりする。 
     が、「死」や「毒」を匂わせるやり取りもあって、最後にはテロを匂わせる本部の建物(サティアン?)が会話から浮かび上がって来て、終末的雰囲気を醸してくる。
     オウムにインテリらが入信した背景について、意味の喪失(目的のなさ)、承認欲求といった問題が議論された。だが、この芝居では、何を「問題」として取り沙汰するのか。
     なぜ日々の修行(健康にもよさそう)を続けず、テロに走るのか、必然性が見えなかった。
  • 満足度★★★★★

    日本のラジオ『カナリヤ』感想
    開かれた監獄。
    眼科画廊の地下。狭い空間に、味気無い壁。ここは監獄であり、観客である私たちは傍聴席にいる裁判ウォッチャーなのだ。

    白の装束を纏った新興宗教団体の面々は、某大事件を起こした彼らを想起させる。しかし、白装束に身を包む彼らは、この空間に於いては至極真っ当な人々として描写され、逆に、カラフルな衣装を纏う、外の(普段私たちが属している)世界からの来訪者は異様な趣きを以って描かれる。作中の言葉を借りるならば、外の世界の住人は魂の次元が低いのである。

    ここで、観客は決断を迫られる。すなわち、白装束の彼らの価値観に従って事の成り行きを見つめるのか、或いは色のある私たちの世界の価値観を持ち続けるのか。



    以下ネタバレBOXに記入。

    ネタバレBOX

    しかしその決断を待つ事なく物語は進行し、怪しい空気がそこかしこに飛び交う。そのまま食べると毒になる、蒟蒻芋のお土産から始まって、ハムスター何号が薬の分量を間違えた為に死んだだの、明らかに不審な小包を運ぶヤクザ者だの、父親を惨殺して少年院に入っていた女だの、引っかかりを覚えずにはいられないエピソードが次々に挿入されていくが、彼らはそれらの物騒な言動を極々自然に、何事もないかの様に流して日常を進めて行く。

    (この辺りは出演者の演技でそのリアリティを作る所であって、色付きから白装束へ移行する言わば観客と舞台内を繋ぐ重要なパイプ役を担っていた女性が、出て最初の台詞でえーっと思わせる様な、まあ物凄い下手な演技で終始した為に極めて危うい部分であったのだが、その分教団幹部を演じた奥村宅さんの名演によって何とか救われて整合性を保てていた。)


    これらの怪しげなエピソードは、彼らの視点に立って見守る事に決めた人にとっては聞き流せる出来事かも知れない(何故なら彼らの価値観に於いては何らおかしい事ではないから)が、そうではない人、又、彼らの視点に立とうと決めたものの私の様な凡俗な人々にとっては、違和感というか、モヤモヤというか、何だか不安な気持ちがどんどんと積まれていく。
    結果、目の前で繰り広げられる怪しげな出来事に対してのカタストロフィが激しく待ち望まれる事となる。早く救ってくれ。早く真実を教えてくれ。そのえも言われぬ不安感の中で私たちは、救済を求める白装束の集団と知らず知らず同化していく。高まる終末への期待が最高潮に達し、傍聴席に居たはずの私たちが、宗教という監獄の中に囚われているはずの白装束の彼らと心を通わせた、ここぞ!という瞬間、そんな気持ち見透かしたかの様にカタストロフィは回避される。そして残された虚無の中誦される教団歌の不穏な響きによって、舞台は幕引きとなる。
    その唐突な終幕に、納まり所のない気持ちのままで、強制的に私たちの世界への帰還は命じられる。

    しかし、劇場を出て、見慣れた私たちの街を見た時、先程の開かれた監獄が私たちに問うていた事柄に気づくのである。
    檻の中にいるのはどちらなのだ?世界の毒を試す為に、生贄に捧げられるカナリヤは、どちらなのだと。

  • 満足度★★★★★

    日本のラジオ:「カナリヤ」
     内容は、「このへやで、ずっと好きなことをすればいい。
    ぼくと神さまが、きみを一生まもるから」

     母の食事に毒を盛り、観察し続けていた少女、医療少年院を出た彼女を迎えたのは
    宗教団体「ひかりのて」の幹部となっていた兄、毒と家族と信仰と、地下室の短いお話。」

     観始めてすぐ、これは世間を今も騒がせ続けている、松本某のカルト教団を下敷きにして織り上げられた芝居だと気づく。

     信仰も宗教も、それぞれ独立していると、最初の成り立った時の思想や信心は、カルトでも危険でも歪んでもいなかったであろうに、信仰と宗教が連み信仰宗教となり、組織が大きく膨れ上がると共に得てして暴走し、危険を孕み、歪み、カルトになって行く傾向にある。

     それはいつか、誤った宗教感に陥っていることに気づかずに、自分と相容れないものを排除し、人の命さえ奪うことを躊躇しなくなる怖さをも孕んで行く。

     この舞台を観ると、人は如何にしてカルト宗教に嵌まり、呑み込まれて行くのかが、ゾクゾクと膚に這い上る様に解る。

     上演時間の前から、舞台の隅で折り紙を折り続ける、田中渚さんの林の妹アンは、心の底に病みを抱えていることを暗示し、芝居が進むに従い、情緒不安定で何も解っていないように見えて、実は一番冷静で的確に、本能でこの「ひかりのて」という信仰宗教団体の危険さ、狂気を解っているのではないかと思った。

     奥村拓さんのアンの兄、リュウタは、穏やかな顔の下に、どんな病みを宿していたのだろう。なぜ、あのようなものを製造したのだろう。なぜ、何のために 。その問が今も頭の中をぐるぐる回る。

     八木麻衣子さんの広瀬は、同級生であり、教団を共に立ち上げた教祖早川が、当初の思いからかけ離れ、暴走して行くことに愕然とし、やはり同級生であったリュウタも早川の指示で、自分の知らないところで暴走と狂気に巻き込まれて行く姿を見て、自分が信じてきた物に疑問と怖さを孕んだ不安を感じた広瀬として、目の前に佇んでいた。

     蓮根わたるさんの井上ヒソカは、じわじわと、心に浸食してくる怖さと不気味さ、それでいながら、妻と共に出て行った娘の事を話す時とアンに対する時だけは、ふと柔らかで温かな笑みを見せる。

     教団も教義も井上は、信心しているのではなく、林リュウタその人だけに対する何か、それは恩義なのか、リュウタ自身への言葉にするには難しいある種の心酔、否それとも違う、でも、確かにある思いから人の命を奪うと解ってる素材を調達する。

     自分では抱えきれない、傷、トラウマ、痛み、何かを抱え込んでしまった時、そこにカルト宗教団体があり、一見穏やかな仮面をかぶり近づいて来た時、人はあっけなく、狂気だと気づかずに狂気の中へ取り込まれ、呑み込まれて行くのだろうか。あの、ヒットラーのナチスのように......。

     全ての役者が役者ではなく、登場人物その人として、目の前に佇み、観ている側は、その場面と場景に迷い込み、佇み、その人の体の中に入り、内側から観ているような気持ちになった。


     家族、血の繋がり、生きる、命、清濁、表と裏、何が正しくて、何が間違いなのか、いろんなもの、いろんな感情が、いろんな思いや思考や言葉が、観てからずっと、頭と体を駆け巡っている。

     シリアスなアングラではあるけれど、ただ重いだけではなく、随所に笑いも散りばめながら、見終わった後に、ずしんと何かが体の中に響いて来る、短い舞台でありながら、見応えがある素晴らしい舞台でした。

                               文:麻美 雪

  • 満足度★★★★

    ココしかない!場所
    あの人たちはいったい死に値する罪を犯したのだろうか。こちら側から見れば確信であっても、向こう側の空間に身を置いたとき、気づけば何だかその確信が揺らいでいる。考えて、こちら側に戻って、やはり首を振る、それしかない。自分自身から流されてきた場所は閉鎖空間、行き止まり。その淀みに浮遊する、それしかない感じがちょっぴり、せつなく伝わってきた。

  • 満足度★★★★

    みてきた
    田中さんが、私の想像する椎名りんごの普段の様子っぽいなと。

    カナリヤエピソードは日本起源じゃない気がするのですけど、違うのでしょうか。

  • 満足度★★★★

    無題1497(15-185)
    20:00の回(雨)。

    19:26受付、開場。入口手前側(4列)と右壁側(2列)のL字座席。長方形、縦長の舞台、奥に机と椅子が置かれていて右(奥)の席がお薦め。

    机の上には折り紙、本が数冊あって「ひかりのて」「在宅修行読本」「超自我のひみつ」などの「関連本」、黄色い冊子は特製パンフレット、下には古新聞、壁には団体のシンボルマークらしき図柄(大きなもの1枚、A4のものが壁にそって横一列に。

    「ユメミルヘヤ 他3篇(2012/5@RAFT)」からで4作目です。受付は「ツヤマジケン」で三澤さんとジャージ(上下)組だった西山さん。田中さんは髪が短くなり不思議な少年のような印象。

    90年代半ばの某教団を想起させる設定、最初は穏やかに終盤は惨劇を思わせる展開になるものの、どこで進む道が変わったのかはわからず、それとも初めからそうだったのか。

    19:46田中さん椅子に座り折り紙を手に取る、19:49前説(屋代さん)、20:00開演~21:19終演。

    それにしても「60-51-48-33-12-0」という配列は何だろう...。

    高山さん「犯行予告(2013/12@サブテレニアン)」、蓮根さん「「キスミー・イエローママ(2014/8@OFFOFF)」。

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