期待度♪♪♪♪♪
私の神
無宗教といえば無宗教、信仰にのめりこんでいる人が不思議に思える。確かに毎日手を合わせて、家族の安全を祈っている。それは私の神、どんな神かと聞かれれば困る。ただ祈る気持ちだけの神だから。自分の中にある各々の神を信じるのは自由。自由だから、それがどんな形でもいいとは思うが・・・。それでしか生きられなくなるほど、自分の意思がなくなるほどの信仰とはどんなものなのかと不思議に思っている。それを垣間見れればと思わないでもない。
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宗教
自分は無神論者であるが、宗教を起こす者は思想家だと考えている。仏陀にせよ、イエスやムハンマドにせよ、モーゼにせよである。但し一神教のこれら3人は、預言者、神の啓示を受けた者として、その権威を維持しているので狭義では思想家というコンセプトから外すが。因みに神は死んだ、と書いたニーチェには、確かゾロアスター教の影響があるとか、読んだ記憶がある。彼の親倦には、ジェズイットの聖職者が非常に多い。「パンセ」を書いたパスカルの親倦にも矢張りジェズイットの聖職者が多いのは衆知の事実である。ことほど左様に思想と宗教は近いのだ。異なる点は、宗教は、信者を持ち、思想は共鳴者と対立者を持つ点であろう。自分は、この点で思想を選んでいるが、何かに縋る他に道が無い場合もあることを知っているから、信ずる者たちをむげに否定することはしないのだ。