さいたまネクスト・シアター第6回公演 『リチャード二世』 公演情報 さいたまネクスト・シアター第6回公演 『リチャード二世』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★

    さいたまネクスト・シアター
    三方囲みの客席で、私は上手側。『リチャード二世』で描かれる事柄や演出について、何かの比喩や象徴ではないかと、ずっと考えながら鑑賞することになりました。

    ネタバレBOX

    車イスがたくさん出てきていたので、ずっと蜷川さんが舞台にいらっしゃるようでした。鈴木忠志さんの作品も思い浮かびました。
  • 満足度★★★★

    さいたまネクスト・シアターに外れなし
    蜷川さん、やっぱり凄い。
    ある程度ワンパターンなところもある(特にタレントさんを使う、ホールの舞台だと)。
    しかし、どんなに歳をとっても、それに負けないだけの底力がある。

    ネタバレBOX

    興行的には、有名なタレントさんや俳優さんたちを並べたほうがいいのだろうが、こうやって、若い俳優を丁寧に育てていくことに集中してくれると、観客の1人としてはうれしい。

    すでに名もあり、イメージも固定している俳優さんたちよりは、伸びしろも多いし、引き出すモノも未知数なのだから。
    彼らの良さを最大限に引き出してくれる。

    客席は、さいたまネクスト・シアターではお馴染みのコの字型配列。
    中央に舞台の中心があり、奥のほうは暗闇の中、とても奥行きがある。

    舞台は、シックで華やかな、黒の留め袖や黒いドレスの女性たちと、燕尾服(タキシード?)姿や紋付き袴の男性たちが舞台奥から登場して幕開けする。ゴールドシアターの方々は、皆、車椅子。
    蜷川さんらしい、和風テイストの外連味溢れるオープニングだ。

    シェイクスピアの『リチャード二世』であるということは、観客はわかっているので、こういう和風テイストから、「何が起こるのか?」と期待させる。
    さすがに「つかみ」がうまい。

    さいたまでは、おなじみの、シャンデリアが下りてくる。
    そして、全員でタンゴを踊る。
    これも意表を突いた。
    黒が基調で、カラフルな衣装ではないのに、舞台の上は一気に華やかになる。

    そして、観客は物語へいざなわれる。

    リチャード二世が電動車椅子に乗って登場する。
    身体が不自由ではないのか、と思えるほどの華奢な肉体を持った内田健司さんが頭に王冠、手に笏を持つ。
    彼の玉座が、電動車椅子であることも相まって、王の孤独と苦悩が見えてくるようだ。

    電動なので一見、誰も手も借りず自らの意のままに自由に動けそうであっても、やはり車椅子なのだから動ける範囲は自ずと制限されてしまう姿に、王の苦悩がうかがえるのだ。

    内田健司さんは、やっぱり裸になる。
    蜷川さんは、内田健司さんの身体に語らせたいようだ。
    『カリギュラ』でも、藤原竜也主演の『ハムレット』のフォーティンブラスでも半裸だった。

    リチャード二世の悪業が、具体的に語られるわけではないので、内田健司さんのそうしたの印象から、周囲に裏切られた感が強くなる。

    リチャード二世役の内田健司さんの声を張らない台詞が効果的。
    声を張らなくてもきちんと耳に届く。
    コの字型の客席配列ということもあろう。
    静かなのに、染みる台詞。

    海岸でのリチャードの独自は、観客に単調さを感じさせないためなのか、海の演出がうまい。海の波間に1人、波に翻弄されているという演出はさすが。

    ヨーク公役の松田慎也さんもいい。
    最初は彼がリチャードだったようだが、ヨーク公となったらしい。それが正解だったと思わせる。

    リチャード二世と従兄弟たちとの、親戚以上の関係感。タンゴで表される友だち以上、肉親未満の関係。
    その、ねっとり感がいい。
    そういう解釈なのだ。
    タンゴが効いている。

    今回もお得意の和洋折中、旗印に梵字&御幣などもあり、和風味多めに仕上がっていた。

    ネクストシアターとゴールドシアターが一緒に舞台に立つことも増えてきた。
    そういう融合はとてもいい。
    舞台の上に幅が出る。
    若さで表現できるものと、年齢で表現できるものとがある、ということがよくわかる。

    さいたまネクスト・シアターは、今後も見続けようと思う。
  • 満足度★★★

    登場人物に追いつけず残念。
    今回の登場人物が成長して、あの作品のあの舞台に繋がる、と頭では理解していたつもりだったのに、途中からごっちゃになってしまい、そこらへんは考えるのをやめて観劇。

    「コ」の字型に配置された観客席、どこから見ても見やすそうな自由席。正面階段使いの場面があると予想し、サイド席の上方より観劇。
    紋付羽織袴に黒留袖と燕尾服、きっちり正装で踊るタンゴの妙。
    〜家の羽織袴と留袖の家紋はやっぱ一緒なんだろうか。どうでもいいか。
    イザベル王女と侍女たちの場面で、侍女たちが横一列に並ぶ姿は、留袖姿なのに屏風絵みたいだった。

    ネクストシアター恒例、今回も直前まで確約された配役はあまりなく、役によって日替わりキャスト。これまでの出演作に比べると出番が少ないな、と残念に思えた役柄の役者さんもいたのだが、切磋琢磨と競争を煽る蜷川さんの手法を思えばしょうがないのかな。

    ネクストシアターとゴールドシアターの老若男女70人以上の役者が混在する配役の中、息子可愛さのあまり口喧嘩する夫婦にはつい笑った。
    大河ドラマ的な話なのでシェイクスピア歴代作の詰合せ的な内容の印象を持った。場面によっては存在の薄い冠王に見えた感じ。
    長丁場でほぼ会話中心の舞台だが、セリフ廻しがたどたどしく聞こえる役者さんがいたのも残念。生身の人間がやる舞台、疲れもピーク日だったんだろうか。

    ネタバレBOX

    触ると壊れてしまいそうな体つきのリチャード王、その肉体の精神には、王として気高い精神や支配力、欲望(性欲?)を持っているが、孤高あるが故、王位を奪われるとは予想していなかったと思われるような、どこかしら幼い純粋さも持ち合わせているような王。「毒味をして」とお願いしたことが親しさの証でもあったのか、最後、十字架に磔にされたその姿は痛々しかった。
    冒頭、電動車椅子を操作して登場する王や群衆たちが、王が変わった終盤でもそのシーンが再登場するが、全く違う意味合いになって見える皮肉。

    細身の体つきでタンゴを踊る場面があるが、足さばきがバタついていて、少し不様。過去、幾つかの舞台で観てきたタンゴシーンとつい比較してしまい、踊れる役者さんって凄いんだなーと思ったり。
    また舞台上の出演者と知り合いなのか、終盤近くになると盛んに手を振る年配の方が複数いらして、なんか一気に現実に戻された。そういうのは舞台終わってから楽屋口でやってほしい。

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