私、わからぬ 公演情報 私、わからぬ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-18件 / 18件中
  • 満足度★★★★

    いつも切ないですよね。。
    前々回の公演から見ていますが、いつも何か切なくなるので、公演がある度に見たいなぁって思います。公演の後にいつも役者さんが外に出てきて挨拶するのが習わしなのかな??知り合いでもないので、周りから見ているだけですが、いいなぁって思います。次回も見ますねきっと。。。

  • 切なくなりました。
    なんだか泣きそうになりました。

    自分に重なるものがあって。

  • 満足度★★★

    マチネ
    リストラされた父親、茶道(?)を教える母親、ダンナに逃げられ実家に戻ってきた長女、ちょっと斜にかまえる次女、就活中のちょっとダメ長男。それぞれが集えるようにと造ったリビングでのあれやらこれやら。

    ネタバレBOX

    みんな、自分の本当の思いを隠しながら生きているのかもしれない。だから、勢いにまかせたり、自分の何らかの優位性を持って真実を吐くことに対して顔をしかめるのだろう。でも、言わなきゃわからない真実もある。そんな葛藤を抱えながらみんな生きていく。
    でも、最後、長女と次女の接点は見たかったなぁ。
  • 4月9日(水)S
    ドラマに真摯に向き合っていて好感。

  • 満足度★★★

    新感触
    『ゼリーの空間』、『穢れ知らず』と空間ゼリーの芝居を観まして、「あぁ、この劇団はこういう作風なんだな」と勝手に決めつけてた部分がありまして、今回は作風が上記二作とは異なっておりとても新鮮な気持ちで観られました。
    賛否両論あるようですが、私は良いと思うのです。作風が固定されてしまうよりは。
    この調子でどんどん違う顔の空間ゼリーを観てみたいものです。

    ネタバレBOX

    オープニングの映像が昼ドラみたいでした。
  • これが空間ゼリーですか。
    勝手にアングラ方向な芝居をやる団体だという印象を何処からか持っていたのですが、いざ始まってみると昼ドラでした。先日の箱庭円舞曲「お前がダメな理由」にちょっと似た感じ。
    ちょっとした違和感。空間ゼリーに所属の役者同士で演技スタイルにちょっとした差があったのです。客演の人々は方向性を合わせている感じがあったのに、何故所属役者に差が?演出の意図ではなさそう。その役者自身が気付いているのか気になります。岡田さんの名前はちょくちょく目や耳にしていましたが、個人的には北川さんをチェックしたくなりました。

    ネタバレBOX

    作中で四季が過ぎるのに合わせて、舞台奥の美術が変わって庭の桜の木が咲いたりするギミックが。でも正直これは労力に見合わなかった。暗転の中で結構な音を立てつつ人の動く気配がしていたので観るのに集中出来なかったし、そもそも自分の場合は終盤になるまでそのギミックに気付きませんでした。人が目の前で演じているのをちゃんと観ようとしたら、それより奥の空間は背景でしかない訳で。その辺はそんなに興味がないのです。
    散々擦れ違って何とか繋がった家族が集うラスト。締めの台詞は「今がイチバンいい時期ね」。美術で季節の巡りを見せた演出でしたが、これは結局どちらの意味なのか。「今はいいけれどまたダメになる」のほうか、「季節が巡る様に、何かあってもまた仲直り出来る」のほうか。個人的には前者に捉えました。後者だと思える説得力は芝居自体から得なかったので。その分、2時間掛かって何も得ないままに終わった心境でした。
  • 満足度★★★★★

    5年前を思い出した
    「空間ゼリー」の芝居は、初めて見た人は、大抵、「とても面白い」と思う筈。
    一方、テーマ性やテイストが似ているので、二度目以降は、最初ほどの感動を味わうことは出来ないと思います。料理に例えると、腕の良い料理人だが、素材の違いは有っても、味付けが似ている、数か月に一回食べる分には十分なおいしさだけど、欲を言えば、もっと新しい驚きが欲しい、という感じがします。

    今回は、抑制の利いた演出だったので、初めて見た人にとって「平凡な話」と思った方も多かったかも知れません。肉料理ではなく魚料理という感じで。肉を食べたい、と言う人には、始めからアウトだったでしょう。
    その分、過去何作か見ていた私は、少し新鮮に感じました。ヒステリックで分かり易い演出が多かった斎藤ナツ子さんの演技が、いつもと違っていたのが、特に良かった。



    丸5年前の春、初めて「空間ゼリー」を観て、たまたま、観客との懇親会があって、斎藤さんと長話する機会がありました。

    その時の斎藤さんは、謙虚で、非常に周囲に気を遣う方で、ちょうど、今回の「一子」の様な印象でした。今回の芝居を観て「あの時の『ペルソナ』に似てるな~」という思い出したのでした。ペルソナ。パーソナリティ。仮面。人見知りで他人に素顔を魅せるのが怖くて、優等生に振る舞ってしまうと言う、キャラクター。それを芝居で表現してくれた様に見えました。

    そもそも、何故長話になったかと言えば、斎藤さんが演技について熱く語ってくれたからです。5年前なので内容は良く覚えていませんが、演技が好きだ、という話は特に熱心で、彼女の別の『ペルソナ』が垣間見えた様な気がしました。

    そんな、未だ20歳くらいだった彼女を見て、私は思いました。「彼女はずっと、芝居を続けるだろうな」と。で、仕事に悩んでいた私は、思いました。「彼女が芝居をやめない限り、私も仕事を続けてみよう」と。そんな感じで賭けてみたくなった、というか感化されました。



    人間の感情は複雑怪奇で、自分の事すら、まるで捕らえ所がない面があります。自分がどうしたいかさえ、良く分からなくなる。でも、強い感情は、時として人の心に影響を与え、人生の判断の指針となる事もあります。

    私はそういう事を思いながら、このお芝居を観ていました。

    ネタバレBOX

    ネタバレ、という程ではないと思いますが。

    敢えて難を付けると、エンディングは「ドラマチック」な方が「演劇」らしくて良かったです。現実と芝居をスパッと分けるような終わり方の方が、潔くて、(例え非現実的であっても)私は好きです。
  • 満足度★★★

    初空間ゼリー
    丁寧で静かな演出。長女と次女役の演技が良いです。でも2時間の舞台のわりには訴えてくるものが少ないです。これなら半分の時間で良いのでは?
    演出は良いけど戯曲に難あり、と思いました。わざわざ芝居にするにはありふれた内容なのでは?

  • 満足度★★

    観る側を考えて欲しい・・・
    作品に関しては、春夏秋冬に合わせて、起承転結、そして始まり・・・をしっかりと描いていたし、ホンに足りない部分をしっかりと演出でカバーされていたけど・・・

    座った席が端っこって言うコトもあるのだが、舞台セットによって、見切れてしまうコトが多々あったのは残念!
    ただハコの中に部屋を再現すればいいって訳でも無いハズだと思うので、どの席から観ても見切れない様に前面はオープンスペースにして欲しかった。

    ネタバレBOX

    必要最低限の音楽使用は良いのだが、玄関の開け閉めの音が中途半端に使われていたのは気になってしまった。使うのなら最後まで使って欲しいし、途中で演出上、ジャマになるのなら、最初から使うべきではないと思う。

    また、しっかりとキャラ設定されていたから、脇のキャラのセリフの置き方が気になってしまったな・・・
    どのぐらい役者に任しているか判らないが、主人公などの性格を浮き彫りするシーンとか、キッカケを作るシーンでのセリフの置き方って重要になると思うので、その点は演出でカバーして欲しかった。
  • 満足度★★★★

    一年に積もるもの・・・
    単なる家族劇の範疇にははるかに収まらない、奥行きをもった芝居でした。比較的平板に始まる芝居が中盤以降どんどん厚みをましていく・・・。

    役者も一段と力をつけて、感性にしっかりと訴える趣深い作品となっていました。

    初日で若干だけお芝居の固さがみられましたが、それをはるかに超える魅力がこの芝居にはありました

    この質感、しばらく忘れられないかもしれません。

    ネタバレBOX

    幕が開いたときと、幕が下りるとき
    同じ季節が再びめぐってくるのですが
    その舞台の厚みがまったく違って見えるのです。

    春の日、庭に桜咲く暖かな日差しの中での終演、その刹那が安堵とは似合わない一抹の切なさを観客の心に投げ入れます。切なさは帰り道にゆっくりと心で広がり、芝居を俯瞰する観客の心をやるせなく透明な色で染め上げて、安堵を潜ませてひらひらと舞い落ちる刹那への、柔らかな苛立ちにも似た想いを呼びおこす・・・

    作家と演出家の勝利なのでしょうね・・・

  • 満足度★★★★★

    予想外のすばらしさ
    今まで見た空間ゼリーから勝手に想像していた結末の方向性と違っていて予想外にすごく良かった。どの演者の方も、一人一人が味のある演技で見ていて迫力があるけどすごく自然な印象でした。特に長女、次女、長男の3人の演技は、それぞれの個性が演じられてすごく良かったと思います。

  • 満足度★★★

    キャストの方々が素敵でした。
    本日観劇してきました。
    とても出演者の方々が素敵で、面白かったです。
    また、違った内容でも観てみたいと思いました。

    ネタバレBOX

    と言いつつも、初心者だからなのか、話はわかるのですが、それ以上心が揺れる事がありませんでした。
    次女が最後に素直になる所では、流れは理解しつつも、もし自分だったらあんなに直ぐに受け入れられないのではと思いつつ・・・。
    たぶん自分の観劇力不足かなと・・・。
  • 満足度★★★★

    日々は繰り返す
    脚本、成長したと感心。問題を繰り返しながら過ぎていく日常を丁寧に描写している。淡々とした中にいつもより押さえられたトゲの様なものが響く。
    解決しきれない問題が潜む日常。暖かく見えて突き放される様なラストシーン。まさに、わからぬ。でした。そして若い女優陣の健闘がまぶしかった。
    惜しむは母親役と父親役の人が物語の核となる家族にいるのに、まったく周りと噛み合っていなかった。
    というか、役作り?が稚拙。雑。一言で言えば下手。
    その為現実に引き戻される事があり非常に残念。

    ネタバレBOX

    クライマックス、冬のシーン。帰ってきた夫と主人公の会話が絶品!
    押さえられた感情を爆発させる演技に圧倒された。
  • 満足度★★★★★

    わたしもわからぬ
    自分の家族、兄弟とのことを思い、ゾクゾクし、恐ろしく集中して観劇した。

    姉の弟へのぞんざいな扱いはまるで自分の家族を見ているようで、背筋に嫌な汗が流れてきた。

    こんなに集中して舞台を見るのはホント久しぶりでした

  • 満足度★★★

    淡々とした演劇
    好みでなかった。どこに着地点が行くのか、なんとなく見えてしまったかも。

    ネタバレBOX

    暗転中出てきた、白い幕は本当に一体なんだったんだろう・・・?
    映像が流れるのかと期待してしまった。

    明るい、だけどどこか淡々とした家庭があって、そこの居間を中心に話が始まる。途中、次女が出てきたあたりから少しテンポも上がって面白く、最後の長女とその夫の会話シーンで父親が登場したシーンは感動をさそうんだけど、結局は全体的にどこかで見たことあるような家庭のお話で終わってしまった。
    あまり印象に残るシーンがなかった。

    女性の劇団ということでもっと"女”という存在を強調しているのかとおもったが、こういう家庭物のストーリーなら劇団がうたっている女を意識せずとも文学座やこまつ座・青年団で、もう少しハイレベルな安定感のある舞台が見られるかなと思ってしまった。

    それらの亜種とならないためにも、劇団が考える”空間ゼリー”な要素をもっと感じてみたい。
  • このキャストだから有り得る
    兄弟喧嘩とか、男優とのキスとか、端麗でない女優のは、見たくないし…。
    家族のそれぞれが、家族の中での自分のポジション探しを通じ、自分を理解してゆく物語、かな…。

  • 満足度★★★★

    初日観劇
    一言で言うなら、わからぬ、というよりはわかりたくない、という方が物語の印象として残りました。わからなくても季節は流れ、自分を取り巻く状況は変化していく。臆病さゆえに目をつぶろうとしてもやっぱり自分は騙せない。そんな日常劇でした。弟がいい味だしていて、いちばん人間らしい人間だったかも。

  • 満足度★★★★★

    他人と比較・評価しないと、私自身のことはわからない
     ある1年間、四季が移り変わっていく、徳井家の茶道教室に集う人々のつながりを映した戯曲でした。カンタンにいうと、人との出会いやつながりを大事にしたいことを訴えたホーム・ドラマでした。
     ストーリーには始まりのあといつか終わりが訪れるけれども、それでおしまいというわけではなく、ずっと続いていくというテーマを持った作品でありました。

    ネタバレBOX

     本作品のキャッチコピーに『私は、私のことがよくわからない』とあります。
     「私のことは私だけが一番よく理解している」という言葉があります。しかし、私自身だけでは必ずしも判断できない。他者と自分を比較してはじめて、私のことがよくわかるということです。
     「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。他人の不幸を知って、嬉々とする人の考えは卑しいけれど、それをものさしにして、私はまだ私自身が思っているほど不幸じゃないとわかるのです。

     他人と比較したり、他人から評価されないと、私自身のことはわからないのです。

     つながりを大切にしたいこと、思いやる気持ちを保つことは、頭で思ったり口にすることはカンタンだけど、実際にやるには難しい。
     家族から大事にされたい、愛されたい、よい子と評価されたいと思っている次女。
    長女や長男は家の中に居場所があるが、私には居場所がない。大事にされずに疎まれる存在と思っている。
     私は必要とされているかそうでないかという基準で私自身がわかると思っているため、叱ってくれる家族に暴力を振るって対立してしまう。

     ほめてばかり、甘い言葉でかわいがってくれる他者は、本当に自分のことを必要と思っている人ばかりではない。利用したいだけである。利用する価値がなくなったら、掌を返されてポイと捨てられる。
     家族、知り合いや仕事つながりなど、叱ってくれる人というのは、自分のことを本当に大切にしたいと思っている。暴力を振ったり、怒ったりのではなく、よりよくなるために叱るのである。叱られて自暴自棄になって周囲にやり場の無い怒りを撒き散らすのはよくない。

     逆に物分りのよい大人として、自分の意見や主張を他人に言わないのも、あまりよくない。大切な人と気持ちが通じ合えず、終わりが訪れてしまうのです。

このページのQRコードです。

拡大