アンドロイド版『変身』 公演情報 アンドロイド版『変身』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    ネタばれ
    ネタばれ

    ネタバレBOX

    平田オリザの【変身・アンドロイド版】を観劇。

    原作はフランツ・カフカの【変身】で、ある朝、男が目覚めると虫になっていたという話だが、平田版では、2040年のある朝、男が目覚めるとロボットになっていたという設定だ。

    出演はイレーヌ・ジャコブ他、全員フランス人俳優で固められている。
    今作は実存主義に則って描かれており、その当時の主義がこれからの近未来において、ロボットとの実存とは?から発して、人間とロボットの共存について論議している芝居だ。
    ただ芝居自体は決して堅苦しい作品ではなく、ある朝息子がロボットになってしまい、それにあたふたする家族の顛末が描かれている。
    息子の外見はロボットになってはいるが、あくまでも外見だけで、記憶や心は息子のままなので、家族は意外とすんなり受け入れるという事が出来る。その家族の行動を見ていると、当然観客は己の身になりながら観るのだが、これから必ず起こりうる人間とロボットの共存という出来事は、実はそんなに頭を抱える問題ではなく、実存主義を通して考えていくと意外に答えは簡単である様な気がする。
    それは己の感情を優先にしてこそ実存主義が存在しており、それによって他者などの存在を認める事が出来るとカフカが変身で言っているようであり、平田オリザが時代を超えて同じ様な説を唱えているようであった。

    野田秀樹がイギリス人と芝居を作っている間に、平田オリザはフランス人と演劇を作っていたとは驚きだ。
    平田オリザの提唱する現代口語演劇は、現代演劇をつまらなくしている張本人だとずっと思っていたが、平田オリザの芝居は野田秀樹同様、どれもが問題作でありながら、興味を掻き立てられる刺激的な演劇である事は間違いない。

    傑作である。
  • 満足度★★★★★

    評価が難しい、、、
    まず、私はアンドロイド演劇の可能性を期待して観に行った。(初見)
    そういう意味では、あまり面白くはなかった。

    ただ、普通の芝居として極めてよくできていて、そこには大満足。

    でも、それは文学的な意味であって、演劇的な部分ではない。
    さらに、非物語的な作風から出発した平田オリザ氏が物語に回帰するのが良いのかも微妙。

    また、この作品では、現代の社会状況への痛烈な問いかけが孕まれている。
    その点も、とても素晴らしいと思う反面、ここまで前面にその批評性(メッセージ性ともいえるくらい)が出てくるのは、彼の今までの作風からして良いのだろうかとも思ってしまった。
    ただ、こちらに関しては、今の社会状況に演劇が対峙するのには、作風云々ではなく、これくらい露骨に批評性を出していくしかないと思ったのかもしれない。それならば、素晴らしいともいえる。

    最後まで<ネタバレ>を書いて、振り返ると、
    平田オリザ氏が作ったと思うから、今までの彼の作風と比較して引っかかる部分が多いだけで、新しい作家の作品だと言われたら、もっと素直に賞賛できる気がする。つまりは、素晴らしい作品だったということだ。

    ネタバレBOX

    <アンドロイド演劇について>

    技術的な意味ではなく、演劇的虚構として、演劇の構造内に入れば、もっと人間のように見えるのかと思っていたが、正直、ロボットにしか見えなかった。ただ、今回はロボットの役だったので、それが正解なのかもしれないが。

    また、やはりロボットがいると、意識がロボットにばかり行ってしまうし、常に空間が異化され続けているため、生身の役者の演技に意識がいかない。
    意識して役者さんの演技を見ると、細かい心の揺れのような部分まで丁寧に演じているのにも関わらずである。(素晴らしい演技だった。)
    勿論、この構造を面白いということもできるし、まさにこれこそが、作品内のテーマとシンクロしているという観方もできる。
    だが、それはあくまで理屈で意味づけすればというだけで、観劇時の実感としては、あまり有効に機能していたとは思えなかった。

    <物語ほかについて>

    不条理演劇の多くがそうであるように、ザムザがロボットであることによって、これは戦争などで負傷した人間のメタファーなのではないか、または、人間がロボット化されていることのメタファーなのではないかと、寓意的に読み取ろうと意識が向いていった。そこには、この物語(2040年)の背景として戦争問題や労働問題などが語られていることも影響している。
    だが、それは見事に裏切られ、やはりメタファーではなく、「ロボットである」ということで話は進む。
    そこに、この家に下宿することになった医師が登場し、家族を精神がイカレタ者かのように扱うことで、もしかしたら集団で気がおかしくなったのかもしれないという疑念も挟まれる(どちらが正気でどちらが狂気かという)。だが、あくまで物語の主役はこの一家なので、物語としては、むしろこの医師の方が狭量であるかのうように話は進む。
    そこから、「人間を人間と位置付けるものは何か」ということを、医学的に分析しながら検証していく。例えば、手や足はなくても人間である、、、、近年では、医療機器の発達によって、臓器がなくても人間として機能する、、、すると最後には脳が人間の存在根拠となる。ということは、脳以外は全てロボットでも人間になる。では、植物人間は?また、人工知能で生身の肉体を持っていたら、それは人間か?もしそうなら、脳が根拠ではなくなる。では、グレゴワール・ザムザは?、、、、という具合。

    その後、人間と非人間との境界線の問題は、社会的文脈としても提起される。国籍のない人間は人間なのかなど。詳述はしないが、様々な視点から人間が「人間」であることの意味が問われる。

    そこに、近未来の設定だけあって、今の社会状況がより悪い方向に進んだらという現実的な問題が重ねられている。
    それは、日本にとっても切実であるし、世界的に見ても切実な問題。本当に危機的になってきた状況が重ねられている。
    簡単に言えば、戦争のことだ。人は理由もないのに相手を憎み、殺すということなど。人間こそが残虐であり、人間こそが非人間的だというパラドックスも内包されている。
    戦争の問題に労働格差の問題が絡み、貧困を脱するために、戦争に行くということも語られる。まさに、これはアメリカ型の社会の特徴。徴兵などしなくても、戦争志願者が無くならないのは、この構造のためだ。日本もそうなりつつある。
    フランスの設定ではあるが、日本と近隣諸国との関係のようにも見え、またウクライナのことや、イスラム国のことなども頭をよぎる。

    ともあれ、この物語展開の巧妙さとそこに込められた批評性は凄いものがある。
    平田オリザ氏が作ったと思うから、今までの彼の作風と比較して引っかかっているだけで、たぶん新しい作家の作品だと言われたら、もっと素直に賞賛できる気がする。
  • 満足度★★★★

    アンドロイド演劇の進化を見せた、90分
    2040年の近未来のフランスが舞台、新アンドロイド「リプリーS1」という男らしさとやさしさを兼ね備えたアンドロイドが登場し、顔と両手を動きながらも、ザムザ役を好演したり、ほかのフランス人の俳優もフランス語がわからなくても、日本語字幕付きだったので、良かったです。ほんとうに、近未来のアンドロイドがいる世界で戦争があるのか。その前兆がみえた、90分でした。

  • 満足度★★★

    原作を知っていても多分楽しめます。/約90分
    原作では虫に変態するグレゴワールが本作ではロボットに変身。
    違いはそれだけで、ストーリーはほぼ原作通りなのかと思いきや、グレゴワールが変身する対象が“虫ではなくロボット”であることに重きを置いた話になっていて、原作を知っていても楽しめた。

    家族の一人が人間からある日突然ロボットになるという出来事がもしも現実に起こったら、ロボットになった当人(という言い方でいいのかしらん?)は何を思い、どう振る舞うか? そして家族はロボットと化した身内を前にどう反応し、何を考え、どう行動するか? そして両者の間にどんな事態が持ち上がるか?

    これをオリザさんが頭の中でシミュレートし、一番ありえそうな顛末をシナリオ化した感じ。

    虫は下等だし喋れないが、ロボットは高度な思考ができるうえ人並みに口が利ける。

    この違いが原作との大きな隔たりを生み、寒々しい原作にはないユーモアさえ醸し出し、それなりには面白い。

    ただ、フランス人俳優による字幕付き上演は隔靴掻痒の感が否めず、また、グレゴワールを演じるロボットがあんまりアクティブではないため、動きが魅力の一つを成す演劇としての醍醐味に乏しく、評価は星の数で示した通りとさせてもらった。

    それでも、世界戦争を懸念させる不穏な国際情勢など今日的な問題まで絡めてあって、脚本だけで評価するなら4つ星クラス。

    ネタバレBOX

    人間とロボットはどこが似ていてどこが違うか?

    グレゴワールと家族によるこの議論がかなり踏み込んだ内容で、とても聴き応えがありました。

  • 満足度★★★★★

    人間とは何か
    様々なことを考えさせられました。

    ネタバレBOX

    地中海辺りでの戦争が長く続き、不況も蔓延している今から25年ぐらい未来のフランスで、朝目覚めたらアンドロイドになっていたという「変身」の話。

    日常と非日常、アンドロイドを長男として受け入れた家族としては、戦争という非日常がじわりじわりと身辺に迫って来ることになり、また戦争かと思いましたが、人間とは何か、戦争はなくならないのか、移民と国民の関係、働き手としての移民とロボットの有用性等々、幅広い問題について考えさせられることになり、充実した時間が過ごせました。

    今回のロボットは、顔と両手だけがシリコン状の物質で覆われたスケルトン型のアンドロイド「リプリーS1」で、上半身の関節が動き、顔の部分ではまぶた辺りの筋肉や目や口が動きました。遠目だったことや、台詞による誘導もあり、表情の変化が心の変化のように概ね感じられもしました。

    身体があれば人間かというとそうでもなく、心があれば人間かというとそうでもなく、身体と心があれば人間かというとそうでもないという台詞は考えさせられました。

    戦争をロボットがやっている限り戦争は終わらず、人間が死ぬことで戦争が終わるかというと必ずしもそうではなく、戦争を始めた人間に戦争による死が迫ったときに初めて戦争終結が意識されるという話も印象的でした。

    最後、アンドロイドが電源コードを抜いてくれと頼むシーンがありましたが、そこは自分では手が届かない背中のスイッチなどにしてほしかったと思いました。変身したとき、じゃあ誰が電源コードをコンセントに差し込んだんだということになります。半永久的蓄電池装備でいいと思います。

    それと、電源を切ることが必ずしも死を意味するものでもありません。ホーキング博士の言うように、アンドロイドのコンピュータが壊れた上で電源が落とされなければ死とは呼べません。

    ところで、下宿人は何系のフランス人だったのか、母親と妹がシーツをめくったときの驚きは何を見ての驚きだったのか気になりました。

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