二本の二人芝居 公演情報 二本の二人芝居」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    かごの鳥 観てきました
    ゴールデン街劇場という小さな箱を使っての二人芝居。
    ミステリー要素もある、独特な言い回しの不思議な脚本を実力派の役者さんが、面白く演じていました。
    テンポよく進む作品なので、ボンヤリ観ていると、置いて行かれてしまいます。
    個人的には紙に色んなものを描くあたりが、ツボでした。

    とっつきやすい、よい作品だったと思います。

  • 満足度★★

    「かごの鳥」を観劇
    役者二人が達者なのはわかるんですが、
    いまいち劇場のサイズに声のボリュームが合っていないように思いました。
    物語よりも、「芸達者でしょ?」感が前面に出てしまったような、
    これじゃない感。

    詳しくはブログで。

  • 満足度★★★★

    【「命を弄ぶ男ふたり」「90年後のおまけ」】観劇
    文化庁様々

    ネタバレBOX

    横浜と東京の間、東海道線の線路脇に自殺しようと来たものの死に切れない男二人の話で45分程。おまけの方は、富士山頂火口での人間と演劇の自虐的自殺談義の話で25分程でしたか、人間を描き切るまでは演劇は自殺しないとのことでした。

    それにしても、90年前は、「ねえ君」って言っていたんですね。そりゃ、現代口語版で愚痴をこぼしたくなる気持ちも分かります。

    包帯の男は結局顔は見せないままでした。90年間の時代の変化を表現する中で役者さんの子供の頃の写真が映し出されていましたが、ごつい顔と可愛い目が極端で、現在の顔がどうなっているのか気になりました。
  • 満足度★★★★

    「かごの鳥」観ました
    戦前の時代設定だけど、いつ頃に書かれた戯曲なのかな。ちょっとシュールで、コントか漫才のような感覚の二人会話劇、芸達者な女優さんたちの熱演も相まって、大いに楽しめました。

  • 満足度★★★★★

    演劇の醍醐味を楽しめる!
    二人芝居を二本演る企画なのだが、「かごの鳥」を拝見した。作に別所 文+竹内 銃一郎となっていて、どこからどこまでが、各々の作者の文なのかは、確認していないのだが、この脚本が素晴らしい。言葉の持つ喚起力をこれ程、見事に紡ぎ出した脚本は滅多にない。こんなに、日本語というものは美しかったのか! とハッとさせられる出来である。その見事な言語表現に応えて、余計な物は一切省いた演出も良い。

    ネタバレBOX

    必要な小道具は、紙にその都度描いて使う。だから、マジックのような太字のペンとA4の紙と後はステージ等を組む時に使う木箱が8つあるだけだ。登場人物は、二人、今は飯倉の金持ちに嫁いで2年目の若奥様のペン。そう呼ばれているのは、本名が筆子だからである。もう一方が、はっぱ。兄が、魚の研究者で、一応、少女趣味は軽蔑したフリをしているが、内心は無論憧れており、ペンが兄を慕っていることにヤキモチを妬いている。本名は葉子。大の仲良しなのだが、時々絶交しては仲直りする。
    二人は、ある場所に閉じ込められてしまう。研究者の兄に助けを求め、ペンの亡くなった母の生まれ代わりだというカナリヤに救助要請の手紙をつけて飛び立たせるが、確実に届く保証も無いのに、閉じ込められた部屋の前に流れる川は大雨の為に増水し、自分達も呑みこまれてしまいそうな状況で、雨漏りも酷い。
    それでもはっぱのお祖母さんに教わったという編み方で撚った紐を使って、泳げないペン共々、川を渡ろうと考えたり、綺麗な瓶に救助要請の手紙を入れて川にながして見たりしたが、紐は、はっぱが、自暴自棄になって首を吊ろうとしたら切れてしまったし、瓶は、勢いを増した川の流れにあっという間に持っていかれ、岩か何かに当たって砕け散った。
    二人は、ペンがはっぱの兄とデートの約束をしていた8年前、雨に濡れた為倒れ、デートに行けずに結核のサナトリウムに長期療養に行ったまま戻れなかった話をしたり、ペンが兄宛に出した手紙をはっぱが、嫉妬して焼いてしまった話等をしていたが、自分達を攫い、此処に閉じ込めたのが、誰かを推理する。
    未だ上演中だから、答えは明かさないが、はっぱを演じた増岡 裕子、ペンを演じた上田 桃子が素晴らしいし、ナレーションの今井 朋彦の声も良い。出演者数こそ少ない二人芝居だが、演劇の醍醐味を味わえる。
    一場と二場で若干、シナリオの優劣を感じた。役者の疲れもあるかも知れないので、ハッキリこうだとは言えないのだが、二場の方が劣っている。理に走り過ぎ、イマージュの本質に迫っていた一場より、イマージュの喚起力から離れていたのだ。ナレーションを的確だと言ったのは、ナレーションが、このギャップを素人の目からは隠しおおせたであろうからである。それだけ優れたナレーションであった。この劣化が役者の疲れに起因するのであれば、一場と二場の間に10分程度の休憩を取るのも手だろう。二人だけでこれだけの内容の作品を演じるのだ。考慮する価値はあるのではなかろうか。

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