満足度★★★★★
空洞の魅力
寺山修司の演出と多田淳之介の演出の共通点と相違点が面白かった。
寺山修司は作品の半分は観客が作るものだと言った。半世界という言い方もした。多田淳之介の演出もその点が似ている。だが、その在り方が対称的なのだ。
寺山修司の演出と多田淳之介の演出の共通点と相違点が面白かった。
寺山修司は作品の半分は観客が作るものだと言った。半世界という言い方もした。多田淳之介の演出もその点が似ている。だが、その在り方が対称的なのだ。
寺山修司を足し算的、多田淳之介を引き算的ということもできるだろう。寺山はイメージをぶつけ合わせ、観客の意識を攪乱する。多義的でイメージ豊かな幻想の中で、観客はイメージに振り回され、その混乱の中で自分自身の問題と向き合うこととなる。それに対して、多田の演出は空白的だ。イメージの装飾を剥ぎ取った簡素なものの中にぽっかり浮かんだ空洞。その空洞に観客は自身が日々抱える日常的問題を投影しながら舞台を観ることとなる。この点において観客が演劇に介入する在り方が決定的に違う。
だが、共に、劇は作家が提示する問いに対して、観客が回答することで成り立つという点では同じであり、見る者の数だけ、その劇世界が創出される。
その為、ここから先は、その観客数分の1の私自身の体験を記述する。そういう記述方法でしかこの作品を批評することができないからだ。